思う
ぎざ
死を考える
母から「今日は何の日?」とメッセージが来た。
こういう時は大抵、親戚の誰かの誕生日か、もしくは命日だ。誕生日は覚えているが、命日はあまり覚えていなかった。
誕生日を祝う気持ちは分かるけれど、命日を悼む気持ちが分からなかった。
悲しさを思い出す必要があるのだろうか、と。
そのうち、母が死んだ。
母の誕生日を祝う気持ちが悲しみで彩られた気がした。
母の命日。母がその日まで生きていた。
母が何処で何時に生まれたかは知らないが、死んだ詳細は知ることが出来た。
その時間と場所を思い、僕は母の人生を思う。
母がくれた言葉、母が作ってくれたブリかまの塩焼き、子供の頃悲しいことがあった時に抱きしめてくれたこと、その温かさ。
ただ思うことしか出来ないが、これが悼むことなのかもしれないと。
母はまだ死んでいないが、想像でそう考えた。
思う ぎざ @gizazig
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