【短編】悪役令嬢、防御力∞のタンカーになる〜強がりを防御力に変換させる魔法だというのなら、私の豆腐メンタルも強くしてくださらないかしら!?〜

遠堂 沙弥

第1話

 ルンセント王国は今、魔族の脅威にさらされていた。

 魔王の住む城に最も近い場所こそ、ここルンセント王国である。否が応でも最初に襲われる国として戦力を固め、いついかなる時でも迎撃できるように。

 やがてここは、どの国よりも強固な城塞都市へとなっていた。


 そのルンセント王国の侯爵令嬢であるマキナ・ブルートは、ルンセント王国の次期国王であるリカルド王子と婚約していた。

 次期国王の妻となるからには、いずれ魔族と対峙する際に必要な決断力、判断力、そして戦略的思考を持ち合わせていなければならない。

 あるいは騎士団として戦果を上げられるほどの武力を持ってして、国王を支えなければいけないのだ。


 マキナは幼い頃にリカルド王子からプロポーズされていた。

 子供の頃の、ほんの些細な約束事。

 大人たちは誰もがそう思っていたが、やがて強く気高く美しく成長したマキナ。

 リカルド王子にプロポーズされるずっと前から彼のことが大好きだったマキナは、王子に相応しいレディになる為に、ありとあらゆる努力をしてきた。


 王子の為に、賢くならなければいけない。

 王子の為に、強くならなければいけない。

 王子の為に、美しくならなければいけない。


「マキナ、僕の目に狂いはなかった。やはり僕の妻には君こそ相応しい」

「リカルド王子、嬉しいお言葉ですわ。王子の支えになれることこそ、私の幸せでございます」


 お似合いだと、誰もが思っていた。

 突如として聖女の力に目覚めたアンジェリカという少女が現れるまでは……。


 ***


 ルンセント王国の謁見の間、現国王の前に跪くはプラチナブロンドの美しい髪を持った少女だ。

 少女が顔を上げると、周囲からため息がもれる。目鼻立ちの整った美しい顔だけでなく、純朴かつ清楚な面立ちは、まさに聖女としての清らかさが十分に表れている。

 

「アンジェリカといったか。そなたが聖女の力に目覚めたと聞いたが、それは真であろうな。偽証罪ともなれば、死刑は免れぬと承知で申し出たのか」


 威厳と力強さのある国王の声に、アンジェリカは怯むことなく答えた。


「はい。決して嘘は申しません。私は一週間ほど前に神の声を聞きました。神は私にこう命じたのです。純真な心と体を持つ私こそ聖女として相応しい、と。神の奇跡の力を行使する聖女となって、このルンセント王国に害をなす魔族を滅ぼすように……と」


 その言葉を聞いて、謁見の間にいた者は全員息を飲んだ。

 王子の婚約者としてその場に立ち会うことを許されたマキナも、初めて見る聖女のオーラに圧倒されていた。


「私は聖女として魔族を滅ぼすべく、こうして国王様にお会いしようと思って参りました」

「しかし口では何とでも言えるだろう。自分が聖女であると証明することは出来ないのか」


 半信半疑であった国王は聖女アンジェリカの力を試す為に、証拠を見せろと詰め寄った。

 するとアンジェリカは一礼してから立ち上がると、国王に向かってその手を伸ばす。

 国王に危害を加えるかと思った近衛兵が一斉に、持っていた槍をアンジェリカに向ける。国王のすぐそばに控えていた騎士団長もまた、目にも止まらぬ早さで短剣を抜いて、アンジェリカの喉元にぴたりと寸止めしていた。


「国王にそれ以上近付くな。敵とみなして捕らえることになるぞ」


 低い声で騎士団長が威嚇する。

 だが表情ひとつ変えることなく、アンジェリカは透き通るような声で誤解であることを告げた。


「聖女の力を見せろと言われたから、見せようとしたまでです。国王様は魔族との戦いで、右半身に呪いがかかっていると神父様から窺っております。私が神より賜りし奇跡の力で、その呪いを解いてみせましょう」

「そんなことは不可能だと、我が国で最も優秀な治癒術士が言っていたぞ」

「聖女の力ならば可能です」


 そう言ったと同時にアンジェリカからまばゆいばかりの光が放たれ、その光がアンジェリカの両手に集まっていく。光り輝くその両手で国王に触れると、両手の光は国王の右半身に移動して行き、光は国王の右半身に吸い込まれるように消えていった。

 みるみる表情が明るくなっていく国王に、まさかと周囲が驚きの声を上げる。


「痛みが、ない? 動くぞ! まさか本当に呪いを解いたとでもいうのか?」

「聖女ならば、どのような奇跡も起こせるのです」


 聖女アンジェリカの誕生だった。

 謁見の間は喜びの声で沸き立ち、近衛兵も文官も聖女を崇めるように膝をついて讃えている。

 騎士団長は聖女に詫びると、短剣を腰のベルトに付いている鞘に収め、頭を下げながら後退していった。

 聖女の奇跡を目の当たりにしたマキナも驚きを隠せない。

 長い間、右半身を満足に動かすことが出来なかった国王が、今では玉座から立ち上がって王妃を数年ぶりに両手で抱き締めていた。

 喜ばしいことだ。そのはずなのにマキナはどこか不安を拭えない。

 愛しい王子の眼差しは、謁見の間に現れたアンジェリカが顔を上げたその瞬間から、ずっとその視線を離さなかったからだ。


 ***


 やがてルンセント王国では聖女の誕生で賑わっていた。

 戦時中だというのにお祭り騒ぎで、誰もがこの戦いに勝利したと勝手に思っている。


「まだ戦いは終わっていないというのに。みんな気が早いですわ。聖女が現れたからといって、今の戦況が変わったわけではありませんのに」


 そうぼやきながらパーティーを遠くで眺めるマキナは、執務室で書類仕事に追われていた。

 次々と打ち上げられる花火の明るさで、書類が時折赤にも青にも映って見える。


 マキナは戦場に出るほどの戦闘能力がない。

 武器を使えるわけでもなければ、攻撃や回復といった魔法が使えるわけでもなかった。

 戦いの才能に恵まれなかったマキナは、ひたすらに事務仕事や戦術・戦略に関する座学を受け続けてきた。

 リカルド王子と結婚すれば、その妻は何かしらの形で国に貢献しなければいけない。

 そう思ってマキナは筋肉ではなく、頭脳を鍛え続けたのだ。

 だからこそ聖女が現れたというだけで、こうも浮き足立つのは良くない傾向だと。祭りに参加しなかったマキナは、とても不愉快な気分になっていた。


「聖女の力がどれほどすごいのか知りませんけど、でもまぁそれで兵士の士気が高まるのなら……」


 色とりどりに明るく照らされる夜空を窓越しにぼんやりと見つめ、疲れた目をこすりながらマキナは再び書類へと視線を戻す。

 戦いが激化すれば、こうして呑気に座っていられなくなるだろう。

 その時には戦いの指揮をとる為に、自身が持つあらゆる戦略や戦術を駆使して魔族に挑まなければいけない。その為の戦力を、蓄えを……。

 何も出来ないマキナに今出来ることといえば、こうして書類仕事をこなすことで国の戦力や備蓄、状況を全て把握しておくことしかないのだとーー。

 唇を引き締めながらマキナは、聖女の奇跡の力を思い出しながら、一人で書類仕事をこなし続けた。


 ***


 ルンセント王国では若者の育成に力を入れており、魔族との交戦が続いている中でも貴族学校は士官学校として機能していた。

 主に次代の騎士、魔法使いの育成の場であり、卒業生は皆ルンセント王国の騎士団に所属することになっている。

 あらゆる武器を使いこなす、国の要の戦力である騎士部門。

 攻撃、補助、回復魔法で前衛を支える魔法士部門。

 参謀として戦局を見極める能力を養い、国の頭脳となる戦略部門。

 騎士団に入隊希望する者はこの士官学校に入り、各部門に所属することになっている。

 そして体力的にも潜在魔力的にも凡庸(ぼんよう)であったリカルド王子は、消去法で戦略部門に所属していた。

 当然マキナも士官学校に入学しているが、戦闘能力や潜在魔力が平均以下でしかなかったので、リカルド王子と同じ戦略部門に所属し、血の滲むような努力でトップクラスの成績を収めている。


(私は次期国王リカルド様の婚約者! 腑抜けた令嬢でいるわけにはいきませんの! 上に立つ者として、リカルド王子の顔に泥を塗らない為にも、私は誰よりも優秀でなければ!)


 マキナはリカルド王子のことが大好きだった。

 細く青い髪も、キラキラと眩しい黄金色の瞳も、優しく微笑む表情も、耳触りの良い素敵な声も。

 そんな完璧な彼が自分を愛してくれている。

 剣も魔法も使えない自分にプロポーズしてくれた。

 彼の気持ちに応えなければ、というリカルド王子への想いが今のマキナを形作っている。

 その自信こそが今のマキナの原動力なのだ。


 ***


「マキナ、すまないが君とは今日限りで婚約解消だ」


 寝耳に水。

 週末の夜、いつものように婚約者としてリカルド王子とお茶をして過ごすものだと思っていた。

 しかしリカルド王子の談話室に行くと、そこにはリカルド王子と親しげに腕を組んでいる聖女アンジェリカの姿があった。ーー予想通りの結末。


(そういうことですのね。聖女であるアンジェリカさえいれば、もう私は不要だと……)


 勝ち誇ったように微笑むアンジェリカだが、リカルド王子が顔を覗き込んでくるタイミングで純朴かつ汚れのない聖女の顔に戻る。ーーこの女狐が、とマキナは思わず心の中で口汚く罵った。


「ですがリカルド王子、私は次期国王となるリカルド様を参謀として支えられるように今までずっと……」


 食い下がる自分がみっともない。

 だけれどここで指を咥えて黙っているのも堪え難い。

 聖女だかなんだか知らないが、自分とリカルド王子の愛はこんなことで消えたりなんか……。


「こんなことは言いたくないが、マキナ。君は士官学校でアンジェリカを酷くいじめているそうだね」

「は?」

「僕の知らないところで、君はアンジェリカが聖女の力に目覚めるずっと前からいじめていたそうじゃないか」

「何のことを言っているの?」

「しらばっくれないでくれ! 全部アンジェリカから聞いたんだ! 彼女の悪口を言ったり、彼女のことを貶めるような噂話を流したり、持ち物を隠したり、他にも色々! 婚約者としてなんて恥ずかしい! そんな女性と結婚なんて出来るはずがないだろう!」


 呆れて何も言えなかった。

 マキナがアンジェリカと対面したのは、聖女だと名乗って謁見の間に登場した時が初対面だ。それ以前からもちろん会ったことがなければ、その存在すら知らなかった。

 存在すら知らない相手にどうやって嫌がらせをするというのか。

 しかも証言は全てこのアンジェリカただ一人だというところも、完全にマキナを嵌める為の嘘だというのは明白だった。 

 そんな嘘にまんまと踊らされて、騙されているリカルド王子。

 だがここでアンジェリカが嘘を言っているとマキナが反論したところで、すっかり瞳が曇っているリカルド王子には通じないこともマキナにはお見通しだった。

 リカルド王子は純粋すぎるところがある。そんなところにも惚れたわけだが、今ではその純粋さが愚かしい。


「リカルド王子、私は決してアンジェリカ様にそのようなことは致しておりません。神に誓って断言いたします。ですから婚約解消だけは、待ってください」

「マキナ侯爵令嬢様、ここまで言ってもまだわからないの?」


 アンジェリカが口を開く。

 謁見の間で聞いた時のような清廉な声音ではなく、人を蔑むような、低く冷たい声だった。


「リカルド様は、あなたと別れて私と結婚したいと言ってるのよ?」

「え……」

「戦略部門に所属しているんだから、もう少し頭の回る方だと思っていたんですけど? お気付きになりませんでした? リカルド様は、聖女であるこの私のことを、愛してると言ってくれたのよ」

「ちょ……、アンジェリカ! そんなはっきり言わなくても……」

「あら、はっきり言わないとわからないみたいですよ、こちらの侯爵令嬢様には」


 マキナの体が震える。ーーそれ以上は言わないで。

 わかってるから……!


「リカルド様は、もうあなたのことなんか愛してないって言ってるのよ!」


 その言葉を聞いた途端、マキナは談話室を飛び出していた。

 これまでの努力が走馬灯のように蘇る。

 血反吐を吐くほど勉強した。

 睡眠時間を削り、あらゆる知識を頭の中に叩き込んだ。

 戦略や戦術だけではなく、王子の婚約者として恥ずかしくないように令嬢としての嗜みも、作法も、必要と思えることなら武力以外に何でも取り入れようと努力した。

 それなのに突然現れた聖女と名乗る女に、こうもあっさり愛する人を奪われるなんて……。


(私はマキナ・ブルートよ! 誰よりも努力をした自信がある! そして誰よりもリカルド王子を愛している!)


 マキナの想いは爆発した。

 同時に遠くで爆発音もした。


「え!? なんですの!?」


 途端に周囲が騒ぎ始める。

 窓から爆発音がした方へ目をやると、真っ赤な炎と黒い煙。

 その上空には飛行タイプの魔物が。


「まさか、夜間に襲撃されるなんて! 見張り番は何をしているの!」


 マキナは攻撃された場所へ向かおうと、玄関口まで急いで走り出した。

 リカルド王子は恐らく大丈夫だろう。悔しいが聖女の力を信じるのなら、彼女と一緒にいる方が安全に違いない。そう判断したマキナは、事態の把握と収拾。

 そして怪我人がいないか、民衆の避難を最優先に。迎撃の為に部隊の再編成も構築させなければ。


(落ち着けマキナ! 部隊の再編成なら騎士団長がやってくれる! 私は現場の状況確認と民衆の安否確認を!)


 国が攻撃されて大変な事態が起きたから、という理由もあるだろう。マキナはリカルド王子やアンジェリカに言われた言葉などすっかり頭の中から消え去り、とにかく無我夢中で外へ飛び出した時だ。

 マキナは目の前に突然現れた何者かと真正面からぶつかってしまう。

 白銀の甲冑を着たその人は騎士団長だった。

 騎士団長もまた、扉を開けようとした瞬間に誰かが勢いよく飛び出してくるとは思わなかったようだ。


「失礼……、マキナ様! 申し訳ありません、お怪我はありませんか!」

「えぇ、私なら平気ですわ。それより何事ですの。魔族の襲来だなんて、ここ数年なかったというのに」

「そんなことよりマキナ様、リカルド王子はどうされたのです」

「リカルド様なら談話室で……、聖女様と一緒にいるので安全ですわ……」


 騎士団長にリカルド王子のことを聞かれ、一瞬で思い出してしまう。表情に翳りを表してしまったかもしれないと思いつつ、相手は事情を何も知らない騎士団長だ。どうということはないだろうと気を取り直す。


「迎撃の準備はもう済んでますの? 私はこれから現場に行って住民の避難誘導を」

「危険です、マキナ様も城内で安全確保にお努めください」

「何を言ってますの! 私はブルート侯爵家として国の為に働く義務がありますの。お城の中でゆっくりお茶なんて飲んでいられませんわ! それよりも迎撃準備はどうしたのか聞いておりますの、騎士団長!」

「……遠距離射撃の部隊をすでに配置していますが、この暗闇の中で空を飛ぶ敵に攻撃を当てるのは至難の業。しかも相手は夜目が利く、むやみやたらに放っても躱(かわ)されるのがオチ……」

「この間のバカ騒ぎで使った花火はもう全部打ち上げたとでも言うつもりですの?」

「打ち上げ花火……ですか」

「花火で一瞬でも周囲が照らされれば、我が国の精鋭部隊なら射抜くことが出来るでしょう。出来ないとは言わせませんけれど!」


 聖女誕生のお祭り騒ぎで打ち上げられた花火の数、そのおかげで外は随分と明るかったことを思い出す。

 同時に憎らしい聖女の勝ち誇った笑顔まで思い出してしまった。あぁ、気分が悪い。

 そんなマキナの心情も知らず、騎士団長はその手があったかという表情に早変わりすると、急いで後方に控えていた部下たちに命令して花火を持ち出す為に走らせた。


(いつもむすっとした顔で知らなかったけれど、この騎士団長ってあんな風に笑ったりするのね)


 生真面目で有名な騎士団長、その男のことをよく知らないマキナはなんとなく彼の笑顔が気になった。

 ルンセント王国近衛騎士団長クラスト・アガトラム。

 若くして剣の才に秀でた天才剣士として名高いが、幼い頃からリカルド王子一筋だったマキナは彼のことを一人の男性としてではなく、国に必要な人材の一人としてしか見たことがない。


「はっ、こんなことをしている場合ではなかったわ! 早く避難誘導を!」


 気を取り直したのも束の間、踵を返して外に走り出そうとしたマキナは凍り付く。

 目の前には大きな鳥の姿をした魔物がマキナめがけて飛びついてきた。

 突進するように飛んできたかと思うと、鋭いクチバシでマキナの喉笛を噛みちぎろうと襲い掛かる。

 まだ近くにいたクラスト騎士団長であったが、到底間に合わない。


「マキナ様!」

「いやあああ!!」


 戦闘に関する訓練をほとんど受けてこなかったマキナは、受け身を取ることも回避することも敵わない。

 ただその場で立ち尽くし、顔や首を傷付けられないように両手で覆うことしか出来なかった。ーーが。


「!?」


 鳥の魔物はマキナの腕に食らいついた、はずだった。だがそれ以上はどんなに噛み砕こうと顎(あご)に力を入れても、全く動かない。まるで大岩に噛み付いているように。

 何が何だかわからないマキナは閉じていた目を開けて絶叫する。

 目の前には大きな鳥の魔物、そいつが自分の腕に食らいついているのだ。恐怖しないわけがない。


「いやあああ! 怖いからやめなさいよ! 私を誰だと思っているの! 焼き鳥になりたくなかったら離しなさい!」

「マキナ様!」


 マキナの悲鳴にクラストが剣を一振り、マキナの腕に噛み付いたままの魔物はあっさりと胴体を斬られ殺された。急いで手当てしようとクラストがマキナの腕を見る。

 しかしそこには出血どころか、噛み傷ひとつ見当たらない。

 

「どういう、ことだ? 確かに噛み付かれていたはずなのに?」


 不思議がるクラスト以上にマキナも自分の無傷が信じられなかった。

 目を開けて確認した時、確かに間違いなく自分は魔物に腕を噛まれているのを目撃している。しかしその時は恐怖が勝っていて気付かなかったが、なぜか痛みは全く感じなかったのだ。

 何かが腕に当たっているとわかる程度に、触れているだけといった具合に。

 二人の目が合う。

 その時、上空から大きな音と共に花火が打ち上げられ、周囲が明るく照らされる。

 キラキラと赤や黄色や青といった火薬の色が空に浮かび上がり、二人の顔を照らし出す。

 それと同時に、高台に控えていた遠距離部隊の弓矢と魔法が、上空の敵を撃ち落としていった。

 互いの顔から夜空へと視線を移す。落ちていく敵を眺めながら二人は、のんびりとした口調で作戦が成功したことを口にする。


「うまくいったようですね」

「そのようですわね」


 パッと夜空から目の前に視線を戻すと、クラストの手がずっとマキナの腕を握っていたことに気付く。


「も、申し訳ありませんマキナ様! 失礼いたしました」

「いえ、別に気にしていませんわ! それよりも避難誘導でしたわよね! 上空の敵は遠距離部隊が始末してくれるでしょう。私たちは急いで被害が遭った場所へ行きませんと!」

「りょ、了解しました」


 そう返事をするとクラストは一礼して先に走り出してしまう。そこは一緒に向かったりしないんだと、マキナは少し残念に思った。


(な、なんで残念がる必要がありますの!? 彼が単体で走った方が早く到着するに決まっているのに!)


 変に胸がドキドキしていた。

 こんな気持ちはリカルド王子と一緒にいる時以外で初めてのことだ。


「私にはリカルド様がいるというのに……、どうしてこんなに緊張してしまうのかしら」


 上昇していく体温は、きっと緊張のせいだと思い込む。

 これほど大変な状況なのだから、心臓の鼓動が早くなっているのもきっとそのせいなんだと、マキナは芽生えかけた気持ちから、必死に意識を逸らせることにした。


 ***


 事態が落ち着いたのは夜明け頃だった。

 被害はそれほど大きくなく、怪我人は数名出たが死者が出なかったことは不幸中の幸いだった。


「さすが聖女様だ! 魔物の襲来にいち早く駆けつけ、地上の魔物を一掃し、さらにその場にいた怪我人の治療も施すとは! そなたがいたからこそ被害が最小限に済んだと言っても過言ではない!」

「いいえ、国王陛下。国の精鋭部隊でもある近衛騎士団の方々が尽力してくれたからこそ、被害がそれ以上広がらずに済んだのです。私一人の力ではありません」

「なんと謙虚な。聖女とはまさに女神のような存在だな!」


 満足そうに笑う国王、自信満々に微笑む聖女、にデレデレした顔を向けるリカルド王子。

 確かに間違ってはいない。間違ってはいないが聖女はいち早く駆けつけてなどいない、これが真実だ。

 いち早く駆けつけたのは現場近くを巡回していた騎士であり、その後に到着したのは騎士団長クラストとマキナだった。空だけではなく地上にも魔物は侵入しており、彼らを倒していったのは騎士団の戦果だ。

 アンジェリカは城内にいた近衛兵と馬車に乗って、かなり遅れて到着していた。

 その時にはほとんどの魔物は倒し終わった後であり、アンジェリカが聖なる力で粉砕した魔物はたったの一匹だけだ。確かにそこら中にいた怪我人を治療したのはアンジェリカだが……。

 しかし魔物を討伐した後には治癒術士も到着して、『一緒に住民を治療した』が正しい情報である。


(どうやったらこうも自分の都合のいいように情報を改竄(かいざん)できるのかしら。ある意味これも才能ね)


 またも呆れて反論できないマキナであったが、国王のそばに控えている騎士団長クラストの表情を見ていると、どうやら彼もマキナと同じことを考えているようだ。

 聖女の嘘に気付いている人物が、自分以外にもいるというだけでこんなに気持ちが楽になるものなのか。

 おかげで聖女のありもしない自慢話をスルーすることが出来た。


 それはそうとマキナは聖女の嘘より、もっと問題視しなければいけないことがあって悩んでいた。

 魔物に攻撃された時に無傷だった謎に関してだ。

 現場に駆けつけた時にも、魔物の残党に襲われそうになったのだが、その時も確かに攻撃が当たったはずなのに全くの無傷なのである。当然痛みも何もない。当たった感触があるだけだ。

 これを誰に相談したらいいものか考えている内に、聖女の武勲を讃える今この状況……というわけである。

 聖女が大活躍したことはよくわかったから、早く解散してほしいものだと考えていた時だった。


「ここで皆に伝えておきたいことがある。本日を以て我が息子リカルド王子は、ブルート侯爵が一人娘マキナ嬢との婚約を解消し、ここにいる聖女アンジェリカとの新たな婚約を発表する! 皆、盛大な拍手を!」


 国王の宣言でマキナは絶句した。

 婚約解消の話が、まさかここまで進んでいたとは思っていなかったからだ。

 盛大な拍手が巻き起こる。

 その場で驚きのあまり拍手をしていなかったのは、マキナとクラストだけだった。


(ど、どういうことなの? どうしてみんなこんなに歓迎ムードなの?)


 だがその理由は国王と、当人であるアンジェリカから告げられた。  

 

「つい先日までマキナ侯爵令嬢と婚約していたわけだが、聖女アンジェリカから衝撃的な事実を聞かされ考えを改めた。そうだな、アンジェリカよ」


 そう問われたアンジェリカは、天使のような愛らしさを全身を使って表現しつつ、宝石のようにキラキラと輝く大粒の涙をこぼしながら告白する。


「本当はこんなこと、言いたくはありませんでした。でもとても苦しくて……、耐えられなくて。そんな時、神様から聖女としての力を授かり、私は戦わなくてはならないと思い知りました。現実に向き合おうと覚悟を決めたのです。私は以前よりこちらのマキナ様から嫌がらせを受けていました。最初こそ我慢していたけれど、どんどん酷くなっていって。そんな時、聖女として名乗り出て、こちらのリカルド王子に相談させてもらいました。リカルド様は大変思慮深く、そして優しく私を叱咤激励してくれました。だからマキナ様からの辛い仕打ちにも、聖女としての試練だと思って耐え忍ぶことが出来たんです!」


(はぁ? いじめてませんし? しかもどうしていじめている相手の婚約者に相談するの? おかしいでしょ。そもそも告げ口して相談してる時点で、それもう耐え忍んでなくない?)


 心の内での悪口雑言が止まらなかった。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことかもしれない。

 しかしそんなマキナの心の中の反論も虚しく、聖女の言葉は神託だとでも言うように謁見の間に居合わせた人たちは大きく頷き、納得している様子だ。

 先ほどの拍手喝采はこういうことだった。

 つまり彼らはすでにマキナがアンジェリカにとっての悪役令嬢としてすっかり浸透しており、リカルド王子と聖女が婚約することに正当性を見出していたのだ。

 完全に嵌められた。

 もはやここに自分の味方をする者など誰一人としていないのだと、マキナはそう覚悟を決めた。ーー詰みだ。


「そのような悪逆非道な者を国に置いておくことは到底出来ない。しかしマキナはこれでも戦略部門でトップクラスの成績を収めている優秀な戦略家だ。このまま追放するには惜しい人材ということで、マキナには最前線の戦地へ赴いて戦績を上げてもらうことにする」

「ちょ……っ、お待ちください国王陛下! 私、そんな……最前線だなんて無理ですわ!」


 最前線は地獄と聞く。

 昼夜を問わず魔物の襲撃があるとも……。

 最前線で亡くなった騎士や魔術士たちが、体の一部だけで帰ることも珍しくはない。

 なぜならそのほとんどが、死体すら残らないからだ。


(確かに魔族との戦いにいずれは身を置く覚悟をしていたけれど、それでも私が最前線だなんて死にに行けと言われているようなもの……)


 言ってから気付いてしまった。

 そうだ、国王はそう言っているのだ。リカルド王子も、アンジェリカも、ここにいる拍手をした者全員が。

 聖女に悪逆非道を行なった人間は魔物に殺されろと、そう言っているのだと理解する。

 全身の力が抜けていく。

 愛する者を失い、奪われ、挙げ句に死に場所まで与えられる。

 これが王子の為に全ての人生を捧げてきた自分の末路。

 なんともやるせなかった。

 言葉を失い、気力もなくなり、生きる力も失われていくようである。

 そんなマキナが言い逃れる術もなく、黙って首を縦に振ろうとしたその時だった。


「お待ちください、国王陛下!」

「なんだ、お前が物申すとは珍しいこともあるものだな、クラストよ」

「僭越ながら私はマキナ様が、そのような悪逆非道なことをする令嬢だとは到底思えません。これまでの行動を考えても、マキナ様は常に国と……何よりリカルド王子の為に誠心誠意活動なさっていました。そんなマキナ様が、聖女であるアンジェリカ様に非道な振る舞いをなさる理由がございません」


 生真面目で通っているクラストの言葉に、国王と王子は耳を傾けた。王子はどちらを信じたらいいかわからない、といった表情だ。だがアンジェリカはこれに反論する。


「非道な振る舞いをなさる理由、ですか。立派な理由があると思いますけど?」

「それが一体何なのかお教え願えますでしょうか、聖女殿」

「そんなもの、リカルド様と私の仲に嫉妬したからに決まってるじゃない!」


(はぁ? いい加減にしないとその髪引きちぎりますわよ?)


「聖女として目覚めた私をリカルド様は愛してくれた! 愛されないマキナ様は、その愛を取り戻そうと陰でこっそり私に嫌がらせをして、邪魔者を排除しようとしたの! 神はこうおっしゃいました! 醜い愛にしがみつくような悪逆令嬢は、魔物の攻撃を最も受けている最前線でその罪を償いなさいと!」

「だとしたらおかしいですね。マキナ様から嫌がらせを受けていたのは、聖女として目覚める前からですか? それとも後ですか? 一体どっちなんです、アンジェリカ様」

「えっと、め……目覚める前から私の美しさと清らかさに嫉妬していたんだわ? それで嫌がらせをしていたら、私が聖女として目覚めたから……、それでさらにエスカレートしたのよ!」


 嘘に嘘を重ねるとこうなるのか、とマキナは思った。

 見るとリカルド王子は、もはやマキナのことなど見ていない。

 国王もアンジェリカが聖女というだけで盲信している様子だ。

 せっかくの助け船であったが、マキナは腹を括った。


「クラスト騎士団長様、ありがとうございます。でももういいんですの。国王陛下の命令ならば仕方ありませんわ。私、元々この戦争を終わらせる為に勉学に励んでいましたもの。その機会が早まっただけと思えば……」

「マキナ様……、しかし!」

「あなたにそう言っていただけて、覚悟を決めることが出来ましたの。感謝しておりますわ、クラスト様」


 悲しいけれど、マキナは愛するリカルドに別れを告げる。


「リカルド様、今まで良くしてくださってありがとうございました。私にとってあなたと過ごした時間は宝物のようで、とても大切な思い出となりました。私は最前線で国に被害が及ばぬよう死力を尽くして参りますので、どうぞ聖女アンジェリカ様とお幸せに」

「マ……、マキナ……。その……、僕は……っ!」

「それじゃあさようなら、マキナ様。リカルド様と私は幸せに暮らしますので、どうぞ頑張ってくださいね」


(魔物を殲滅することが聖女の務めじゃなかったのかしら)


 もはやそんなことを言っても、この聖女ならばあれやこれやと理由をつけて皆を納得させるのだろう。自分は納得しないけれど、と負け犬の遠吠えよろしくマキナは謁見の間から退室していった。


 ***


「それじゃあ、これは私の魔法……ということで間違いないのですね?」


 マキナは謁見の間を出た後、まっすぐに魔法研究院に足を運んでいた。

 ここでは主に魔法の研究や魔法アイテムの作成などを手掛けている、国の中枢のひとつだ。

 魔法界の権威でもある魔導士ウルアは、非常に珍しい検体に出会ったとでも言うように、マキナをあちこち調べようとしていた。


「それ以上触れたら騎士を呼びますわよ」

「冗談じゃ、研究結果はすでに出ておるからの。マキナ様の魔法は非常に珍しく、そして強力なものじゃ」

「どうして今さら……。もっと早く発現していれば、魔法の戦闘訓練をちゃんとしましたのに」

「無理もない。これは変換魔法と言っての、意識して発動するものではないのじゃよ」

「……と言いますと?」


 魔導士ウルアの見解はこうだ。

 マキナの持つ防御魔法は、感情の昂りにより常時発動するというものだった。

 例えば物理・魔法攻撃力を底上げする魔法を扱える人物が、その魔法を使用する時。その者が、絶対に負けないという『諦めない心』を魔力の糧とすることで、魔法を発動させるという。

 マキナはそういう部類の発動条件を持っていて、その気持ちが強ければ強いほど魔法の威力は上がっていく。


「マキナ様の場合は、相手に自分を強く見せることで魔法が発動したようじゃの。しかもその威力は絶大じゃ。大鷲の魔物フレスベルグの顎(あご)ですら噛み砕けなかったとなると、防御力は数値で算出されないほど高いものとなる」

「要するに私が強がれば強がるほど、魔法の威力は上がるということなのかしら」

「そういうことじゃの。マキナ様は強がるのが得意じゃろ」

「……別に得意というわけではありませんわ。気丈に振る舞わなければ、リカルド様の婚約者なんて務まらなかったんですもの」


 今はもう、そうやって強がる必要は無くなったが。


 自分に起きた謎はわかった。

 そして魔法の内容も理解した。

 あとはそれをどう上手く活用していくかである。

 最後に魔導士ウルアは付け加えた。


「気をつけることじゃ。魔法の発動条件が『強がる』ということならば、心が折れればその魔法は威力を消失してしまう。それに気付かず間違って攻撃を受け、死ぬことのないようにな」


 ……心なら、とっくに折れている。


 ***


 死地に向かう準備は出来た。

 あとは明日、戦場の最前線となる基地へと単身で向かうのみ。

 当然だが見送りなど期待していなかった。何も不思議に思うことはない。

 父や母も、国王の口から婚約解消を宣言されたその日から口も聞いてくれなくなった。

 貴族出身の女は道具も同然。せっかく次期王妃という将来が約束されていたのに、娘の愚かな悪行のせいでその確約を無効にしたと、そう両親は信じて疑わなかったのだ。

 滑稽に思えることといえば、実の両親が娘の冤罪を疑わなかったというのに、侍従たちはマキナが聖女により陥れられたと、泣いて訴えてきたことだ。

 無実を証明しましょう、と進言してくれたのは喜ばしいことだったし、何より心強かった。

 謁見の間で唯一、真実を共有していた騎士団長クラストだけがマキナの為に動いてくれた時と同じように、これほど嬉しいことはない。

 ただマキナは、自分を理解し、信じてくれる人間が一人でも多くいてくれただけで十分だった。

 妙な動きをして侍従たちを巻き込むわけにはいかない。マキナは侯爵家に従事している者たち一人一人に声をかけ、必ず帰ってくると約束した。

 声や手の震えに気付かれたりしなかったかどうか、それだけが気がかりだったが……。


「マキナ様、お客様でございます」


 こんな状況で自分に用があるとは、一体誰だろうと思うマキナ。

 まさかこんな所まで聖女が笑いに来たのだろうかと、つい勘繰ってしまう。聖女への恨みつらみなど忘れて、これからは前線基地で戦う者たちの命を守る為に思考を働かせなければと、そう割り切ろうとしていたのに。

 どうしてこんなにも醜く恨みがましいのかと、マキナは自分に嫌気が差しながら訪問者のところへと急いだ。


「って……、クラスト騎士団長様!? どうしてここに」


 玄関口に立っていたのは、聖女の嘘にただ一人疑いの目を向けていたクラストだった。

 彼は普段着ている白銀の鎧を脱ぎ、軽装で姿勢を正している。しかしその腰には、騎士らしく剣を提げていた。無骨で生真面目な騎士団長のラフな格好に、マキナは目をしばたたかせる。

 格好は軽くなっていても、クラストは普段と変わりない仏頂面で一礼し、用件を口にした。


「突然の訪問、失礼致します。その、マキナ様は明日の朝早くに前線基地へ赴かれると聞きまして……」


 その別れの挨拶だろうかとマキナは察し、毅然と振る舞う。

 貴族令嬢として恥じぬように、今ではもう過去のこととはいえ仮にもルンセント王子と婚約していた者として、今まで築き上げてきたキャリアと気品を汚さぬように。


「わざわざご挨拶に来てくださったのですね、ありがとうございます」


 震えないように、みっともなく泣き出してしまわないように。


「今後クラスト様にはご苦労、ご負担をおかけするかと思いますが。どうかルンセント王国をお守りくださいますよう、よろしくお願い致します」

「はい、……ではなくて。マキナ様、少しお時間よろしいでしょうか」

「え? まぁ、今はもう他にやることはありませんけれど。何か?」


 急に頬を赤らめ、クラストの仏頂面が崩れていく。

 視線を外してどこかそわそわしているような。そんな様子に、マキナは思う。「クラスト様はどこか体調が悪いのだろうか」と。


「あの、激務で体調が優れないようでしたら」

「私と出かけませんか!?」

「えっ?」


 突然の言葉に聞き間違えたのかと思ったマキナは、オウム返しのように聞き返そうと口を開いた瞬間、クラストが思い切ったような勢いで畳み掛けてくる。


「私のような無愛想な男と一緒だと、マキナ様を退屈にさせるかもしれませんが。私はどうしても、今この機を逃したら、一生貴女のことを知ることが出来なくなりそうで……」


 そこまで言い切って踏ん切りがついたのか、今度は真っ直ぐにマキナの瞳を見て告げる。

 真剣で、熱のこもった眼差しで。


「昨日、魔物に襲われた箇所の視察を……一緒にしませんか」


 あぁ、そういうことね……。

 クラストの先ほどの言葉から、自分は一体何を期待していたんだろうと思ってしまう。

 マキナは自分の浅ましさと尻の軽さに嫌悪してしまった。だがそれは決して、目の前にいるクラストのせいではない。

 いつまでも割り切れない自分の心の弱さのせいだと言い聞かせ、笑顔で応えた。


「そうですわね。では今すぐ準備をしてきますので、少しお待ちください。誰か、クラスト騎士団長様を応接室にお通しして、お茶を」

「いえ、お気遣いなく」

「そうはいきませんわ。レディの身支度には時間がかかりますの。どうぞ、ブルート家自慢の菓子職人が作った焼き菓子でも召し上がりながら、ゆっくりとお寛ぎください。とてもお疲れのようですから」


 言ってる間に侍女がクラストを応接室へ連れて行った。ほぼ無理やり手を引っ張るように。

 あたふたとまだ何か言い足りなさそうなクラストを尻目に、マキナは早足で着替えに戻る。

 急ぎクローゼットを開けてドレスを吟味した。

 これはダメ、派手すぎる。仮にも市井(しせい)へ赴くのだから。

 だけどこれはさすがに地味すぎるだろうか。クラスト様の前でこんな……。

 ふと手が止まる。


「私は一体何を張り切っているのかしら。これは視察なのだから、もっと動きやすい格好をしないと」


 ふぅと小さくため息をしつつ、それでもほんの少しでもクラストに見てもらう為にと、マキナは去年の誕生日プレゼントにもらった髪留めをした。

 それは決してきらびやかなわけでも、高価なものでもない。

 ブルート家に仕える侍従たち全員でお金を出し合って、マキナを祝う為に用意してくれた心のこもったプレゼントだ。マキナはその髪留めをとても大切にしていた。

 見てもらうなら、王子にもらったゴテゴテに宝石があしらわれたアクセサリーではなく、シンプルだが落ち着いた色合いのこの髪留めがいい。 


 応接室ではクラストがぎこちない表情でマキナを待っていた。

 侍女が淹れてくれたお茶は確かに美味しい、菓子職人による焼き菓子も絶品だ。だが心はどこか上の空。

 ふと思い出す。これを提案した同僚や部下を恨めしく思ったらいいのか、よく言ってくれたと褒めていいのかわからない。


『堅物で有名な騎士団長の心を射止めたご令嬢、後にも先にもそんな女性は現れないぞ!』

『自分はあの時現場にいましたが、マキナ様の心強い立ち居振る舞いに勇気をもらいました』

『あの方が汚名を着せられるのは耐え難いです!』

『前線基地へ行ってしまう前にデートに誘え! クラスト! 男ならそうするべきだ!』


(あいつら……、人の気も知らないで……)


 思い出すとお茶の味がしなくなった。

 コンコンとノックの音がして、今度はどんな焼き菓子が来たのだろうかとドアへ視線をやる。

 

「お待たせ致しました、クラスト様。視察へ参りましょう」


 凛とした表情、落ちてくる前髪を留めている髪留めがとても似合っている。

 そして動きやすいようにとパンツスタイルで出て来たマキナに、クラストはどうしたらいいのかわからなくなっていた。


(これはこれで素敵なのだが……)


 ドレス姿ではなく、視察用にパンツスタイルを選択したマキナにさすがと言うべきか。

 はっきり「デートしましょう」と言えなかった自分を憎らしく思いつつ、マキナのパンツスタイルも悪くないと思ってしまっている自分のやましい心に、真面目一徹で通ってきた自分にも不純な部分があったのだと思い知らされた気分になった。


「どうかなさいました? お茶と焼き菓子を気に入っていただけたのなら、持ち帰るように用意させましょうか」

「いえ、なんでもないです。それでは参りましょうか、マキナ様」


 ***


 昨日の今日だけあって、町中はまだ痛々しい光景を残していた。

 瓦礫と化した家々、住む場所を失って壁にもたれかかる家人。炊き出しに並ぶ人々、そんな中でも復興の為に動き続ける住民、そして騎士や兵士たち。

 

(こんな光景を二度と見ることのないように、私が前線基地へ送られることは……むしろ意味のあることかもしれない)


 絶望に打ちひしがれている家人に声をかけ、手を差し伸べるマキナ。

 空腹のままでは心も萎んでしまう、活力をつける為に炊き出しの列に並んで腹を満たすように声をかけ続けた。行方不明のまま未だに見つかってない家族の捜索を約束し、指揮をとっている騎士に行方不明者リストを作成し、一刻も早く住民を安心させるように手配する。

 これには騎士団長でもあるクラストからも指示を出し、二人で編成の組み直しや、新たに必要なグループを模索して人員配置の相談をしていった。


(あれ……? デートのつもりで誘ったはずでは……?)


 ふっと我に返ったクラスト。マキナの懸命な活動に水を差さないように気を使いながら、取り急ぎこの場で出来ることを片付けるよう動き出した。

 明日の朝にはマキナはこの国を出て行ってしまう。地獄へ向かう前日に更に仕事を与えてどうするのだ、とクラストは猛省した。自分でも言葉足らずの不器用な男であることはわかっていた。

 しかし肝心な時に大切な言葉をきちんと相手に伝えられなかったから、マキナは言葉通りにそれを受け取り、こうして視察と支援活動を積極的に行なっている。


(マキナ様には、今日一日ゆっくり過ごしてもらわなくては……)


 クラストは周囲を見渡し、そこら中にいる騎士や兵士にテキパキと指示していく。的確に、そして冷静に。

 焦る気持ちを抑えて、クラストは出来る限りのことをこなしてからマキナの方へと駆け寄った。


「はぁ、はぁ……。マキナ様、視察……お疲れ様でした」

「え? ですがまだ全体を見て回ったわけでは……」

「マキナ様、ここにいる騎士たちには私から指示を出しています。あとは彼らがしっかりとやってくれることでしょう。私の同僚を、部下たちを信じてあげてください」


 急にやることを失ったマキナは戸惑いつつも、それでは……と視察を終わらせようとした時だ。

 クラストはマキナを連れ、坂道を上って行く。ルンセント王国は城塞都市だ。円形の都市は王城を中心に山のような高低差となっている。外界を隔てる城壁側は最も低い位置であり、城壁外周の内側は主に身分の低い者が住む貧民街。

 上へ行くほど都市部となり、上層から見下ろせば下層が一望出来るようになっていた。

 断層のようになっている町中で、一段上へ行く毎に貧富の差が窺える。

 そこから被害を受けた外周部の貧民街を目にしながら、クラストは言う。


「いち早く襲撃に対処し、駆けつけたのはマキナ様です。騎士や兵士、住民に勇気と生きる希望を与えたのも、紛れもなくマキナ様なのです。彼らの為に働き続けたその姿を、彼らがしっかりと見届けている。そのことを忘れないでください。ーーこの町を守ったのは、マキナ様……あなただということを」

「私が……、救った……」


 奇跡の力と癒しの力を行使出来る唯一の存在、聖女アンジェリカではなく……?


「彼らの耳に届いた声は、マキナ様の声です」


 クラストの優しく、静かに語られる言葉をマキナはしっかりと聞き入れた。


「彼らに手を差し伸べたのも。自らの体が、衣服が汚れようとも厭わないその行動は、しっかりと彼らに届いていますよ」


 今になって気付く。顔こそ自分で確認出来ないけれど、手足は汚れ、いつの間にか衣服のあちこちをどこかに引っかけでもしたのか。生地はわずかに破れ、糸がほつれている姿に今さら気付く……。  

 クラストは笑顔で、これまでに見たことがない位に誰よりも優しい笑みで、マキナを励ました。

 居場所を奪われ、婚約者を奪われ、マキナの働きさえも奪った聖女アンジェリカ。

 真実を知っているのはクラストだけではない。彼は伝える。実際に働きかけ、動き続けたマキナの姿をきちんと見てくれている人が確かにいることを示してくれた。

 褒められる為にしたわけではない。

 それが義務だから、貴族としての当然の行動だから、次期王妃となる身だったから……。


(いいえ、違う……。私は、私がこの国の人たちを助けたくて動いただけですわ……)


 下層地区を一望出来る場所で、マキナはルンセント王国に住む人々を見つめた。

 ここでは多くの人が生活をしている。生きている。平和が訪れることを信じて……。

 聖女のような強大な力をマキナは持たない。

 けれどもし本当に、虚勢を張ることであらゆる攻撃をも跳ね返す魔法を操れるというのなら……。

 これまでに前例のない魔法の力で、魔族をも退けるほどの防御を繰り出すことが出来るとしたら?


(私にも、出来ることが……)


 陽が傾き、夜が訪れようとしていた。

 マキナはクラストに謝意を述べる。それを気付かせてくれたのは、他の誰でもない。彼なのだから。


「今日は本当にありがとうございました。おかげで私にもまだ出来ることがあるのだと、知ることが出来ましたわ」


 正直、もう立ち直れないかもしれないと思っていた。

 幼い頃からただ一人だけを愛し続け、彼の為に血を吐くほどの努力を惜しまなかったマキナ。

 この世でただ一人愛した男性だと思っていたその人は、ポッと出の美少女にすぐさま心を奪われ、想い続けてきたマキナをあっさりと捨て去った。

 全てが否定されたような、酷い気分だったマキナは半ば自暴自棄で前線基地への追放を受け入れたが、今なら受け入れられるような気がする。

 気持ちはむしろ以前よりずっと清々しいほどに。憑き物が取れたような感覚に、マキナは心が軽くなったような気がしつつも、以前よりもっとずっと強くあらねばと思えるようになった。

 ただの強がりと言われて結構。それがマキナ・ブルートなのだから。

 自然と笑みがこぼれる。沈んでいく夕陽を見ながら、もうすぐ地獄へ赴く少女の横顔とは思えぬ明るい表情にクラストは黙って見惚れる。


(この方は、なんて強いのだろう……)  

 

 風になびく柔らかな髪に触れかけ、寸前で手を引っ込める。

 今、目の前にいるこの少女は自分などが気安く触れていいような方ではない。

 とても清らかで、気高く、美しいーーまるで聖女のような神々しさを纏っている。

 クラストは心の底からそう感じた。


「私、今日クラスト様とこうして過ごすことが出来て、本当によかったですわ」

「そう思ってくださったのなら、私も連れ出した甲斐があったというものです」


 クラストは思い、そして誓う。

 きっと自分は、この少女を一生守る為に研鑽の日々を積んできたのだと……。 

 この命に換えても彼女を護る。

 クラスト・アガトラムは、マキナ・ブルートの為に全てを捧げよう、と……。


 ***


 翌朝ーー、マキナは晴れやかな気持ちで屋敷を出た。

 聖女様に嫌がらせをした悪役令嬢の見送りなど、当然あるはずがないとわかっている。

 侍従たちにも見送りはしなくてもいいと告げておいた。

 無実の罪とはいえ、聖女に無礼を働いた犯罪者に寄り添えば、その者も罪に問われかねない。

 見送りはないのかと御者に問われ、マキナはこのまま出発するように告げると遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「マキナ様! 私もお供いたします!」

「クラスト様、どうして……」


 近衛騎士団の団長が城塞都市を離れることなど、あるはずがない。

 それでも最後に彼の顔を見ることができてホッとしていたマキナだったが、まさか彼が自分と一緒に前線基地へ行くことになるとは全く予想していなかった。


「クラスト様は城塞都市を守る義務がございます! どうしてそうまでしてついて来てくれるのですか」

「あの聖女の言葉には引っかかる部分が多々あったにも関わらず、最後まで国王陛下を納得させることが出来なかった私の不徳の致すところなのです。マキナ様は誰かを貶めるような令嬢ではない。それなのにあなただけを前線基地に向かわせるわけにはいかないのです」

「そのお気持ちはとても嬉しいですが、それでは国民を守る貴重な人材が失われることになりますのよ」

「最前線で魔物を全て食い止めればいいだけの話です」

「それが不可能だから、今まで戦争が終結しないんじゃないですか!」

「だが今回は聖女がいる。そうでしょう? いくら王子と婚約を交わしたとはいえ、聖女としての責務を全うしないわけにはいかない。近い内に聖女様も最前線へ送られることでしょう。楽しみですね」


 そう言って微笑む彼の顔は、マキナの心を安心させた。

 愛する人に裏切られ、謂れもない罪を着せられて、断罪として死地に送られることになり、マキナの心はずっと悲鳴を上げていた。

 誰にも相談出来ず、誰にも信じてもらえず、反論することさえ出来ずにいたマキナにとって、クラストの存在はこの上ない救いだった。


(強がることが魔法の発動条件ですって? なんて意地の悪い魔法なのかしら)


 優しく理解してくれるクラストに、こんなにも弱さを見せてしまっている自分が強いわけがない。

 昨日、心の奥にあったわだかまりは全てなくなったと思っていたのに。


(攻撃に対して強くなる魔法なんだったら、私のこの弱すぎる心も強くしてくれないかしら)


 自分は他人が思っているほど強くなんてなかった。

 難しい勉強が嫌で堪らなくて、何度も投げ出しそうになっていたのだから。

 それでもやって退けたのは愛する人が信じてくれたからだ。

 その人の為なら頑張れた。

 もっと頑張ろうと思えた。

 いつしか弱さを見せることがなくなり、涙も見せなくなる。

 か弱い王妃など必要とされないから。


(でも本当はずっと、ずっと……辛かった! 泣きたかった! 剣を振るう才能も、攻撃魔法も、補助魔法も、回復魔法も、魔法道具を作る才能も何もない私が弱さなんて見せたら、リカルド様に捨てられると思ったから!)


 だからずっと笑顔でいようと思った。

 気丈に振る舞い、自信に満ち溢れ、強気に振る舞うことで自分の弱い心をひた隠していただけだ。


「大丈夫ですか、マキナ様」


 クラストの心配する声が、心に深く沁み渡っていく。

 いつの間にか泣いてしまっていた。

 涙が止まらない。

 ずっと張り詰めていた何かが、とうとう決壊してしまった。


「ごめんなさい、今だけ……今だけ許してください」


 クラストの優しさが、心に沁みる。

 吹っ切れたと思っていたのに、心のどこかでクラストと別れたくなかったのかもしれない。

 だからこうしてクラストが自分と一緒に来てくれると言ってくれた瞬間、崩壊してしまった。

 

 自分はもしかしたら彼のことをーー。


 ***


 前線基地、魔族の王が住んでいるとされる魔王城が目視で確認できるほどの距離にそれは作られた。

 周囲は激戦に激戦を重ねた証拠だろう、瓦礫と岩だらけの焼け野原には戦いで倒れていった魔物の死骸が転がっているだけだ。

 血と肉や瓦礫が焦げた臭い、そして腐臭が混じる風で胃の中に入ったものを全部吐き出してしまいそうになる。

 こんな場所でずっと戦いが続いているのかと思うと気が狂いそうになった。

 早く終わらせなければ、という思いが一層強くなる。


 拠点となる場所まで移動すると、疲れ切った騎士たちが出迎えた。

 戦況は芳しくないようで、日に日に魔物の襲撃回数が増えているとのことだ。

 このままでは前線基地は突破され、街が襲撃された時と同じように。いや、それ以上の魔物が押し寄せ被害は甚大なものになるだろう。


「聖女様が現れたと聞きました。聖女様はいらっしゃってないのですか」


 希望に満ちた彼らの顔に、絶望を貼り付ける答えしか持ち合わせていなかった。

 しかし終わりを告げるわけではない。


「今は王城で聖女としての力を高めているところです。それが終われば聖女様も前線基地まで足を運んでくださいますわ。そうすれば聖なる力で魔物を一掃してくださいます。それまで私たちでここを守っていきましょう!」


 正直自分で言ってて悲しくなる。

 あの聖女がそこまで考えて行動しているだろうか?

 本当にここまで来るつもりはあるのだろうか。

 言ってる自分が一番疑っていた。


 騎士や兵士たちに言葉をかけていき勇気づけていく。

 死と隣り合わせの場所で戦い続けて、精神の方が先に参っている者が多かった。

 実際、聖女の力が本物ならば今すぐにでもここへ来て魔物を一掃して欲しいくらいだ。

 だがそんな悠長なことも言ってられなかった。

 襲撃を知らせる警戒音が鳴り響く。

 マキナたちがテントから出ていくと、激しい地響きが足を震わせるようだった。

 遠くから大小様々な魔物が突撃してくる。彼らはあんなものと毎日のように戦っていたのだろうか。


「こんな大群で押し寄せてくるのはもう何年もなかったのに、どうして」

「もしかして、聖女が現れたことが向こうにも知られたのか!?」

「それで総攻撃を!? 無茶だ、勝てるわけがない!」


 陣形が崩れていく。恐怖が彼らの心を支配していく。このままではきっと全滅だ。

 マキナが戦場に出るのは初めてだった。恐怖で体の震えが止まらない。マキナも泣いて逃げ出したかった。


「下がっていてください、マキナ様」

「クラスト様! あんな大群、無茶です! 怪我では済みませんわ!」


(あんなものを相手にしたら、クラスト様が死んでしまう!)


「私はあなたを守る為にここまで来たんです!」

「ど、どうしてそこまでして、私なんかの為に……」


 胸が張り裂けそうだった。

 今さら気付いてしまう自分が呆れるほどバカだ。


「どうやらいつの間にか、あなたのことがどうしようもなく好きになってしまったようです」

「クラスト様!」


 しかし伸ばした手は届かない。

 戦いに向かっていく彼の背中を、この動かない足は追いかけてはくれなかった。

 迫り来る巨体、鋭い牙、野蛮な武器が自分たちを容赦なく襲ってくる。


「わ、私はまだ……っ! あなたのことを全て知ったわけではありませんわーー!!」


 腹の底から声を張り上げることで恐怖を払い除けたマキナは、自分のことを好きだと言ってくれた男の背中を追いかけた。追いかける最中、右手方向から騎士の呻き声が聞こえて振り向く。

 魔物はすでにこんなにも接近していたことに驚き、マキナは身構えた。


「あなたなんかに! 私の歩みを止めることなんて! 出来ませんわ!!」


 振りかぶった棍棒はマキナの頭部を直撃するも、粉砕したのは棍棒の方だった。

 何が起きたのか混乱したトロルは棍棒を投げ捨て自らの拳でマキナを叩き潰そうと振りかざす。これがマキナの左半身を直撃するが、びくともしない。打撃どころかその衝撃すらもマキナには通用しなかった。

 その隙に背後から走り出た数名の兵士がトロルに斬りつけ、重傷を負わせる。反撃に出たトロルであったが、マキナが兵士の盾となって払った腕を受け止めた。


「お嬢さん、あんた一体何者なんだ!?」

「いいからとどめを刺してくださいませ! 私は攻撃を受けることしか出来ませんの! 敵を倒す術は持ち合わせておりませんので、後はよろしくお願いいたしますわ!」

「わかったぜ勝利の女神さん!」

「お前ら、戦場の乙女について行け!」

「おお!!」

「は、恥ずかしいからその呼び方はやめて欲しいですわね……」 


 襲い来る魔物の攻撃をマキナが受け止め、その隙を突いて味方が攻撃する。これを一通り繰り返しマキナは前に進んで行くことが出来た。


(まだ私からは何も伝えていませんわ! 自分だけ思ったことを先に言って、すっきりさせるなんて許しませんわよ! 私だってクラスト様にお伝えしたい気持ちがあるんですもの!)



 ***



 魔王城から戦場を眺める者がいた。

 魔物の群れを薙ぎ倒していく人間が戦場にニ箇所、怪訝な表情を浮かべると側近に訊ねる。


「おい、あそこにいる人間……。あれはなんだ」

「一番近い場所で猛威を振るうは、ルンセント王国一の剣の使い手である騎士団長……とありますね。名は確か、クラストと言いましたか」

「ではその後に続いているあれはなんだ?」

「あれは……、うぬぬ……あれは? はて、こちらの情報にない者のようですな。性別は女のようです」

「ではあれが噂に聞く聖女だな」

「魔王様、そう断言されるにはまだ早いかと」


 しわしわの老人のような青い皮膚をした人型の魔法使いは、魔王の参謀を務めている。いわば魔族側のブレーンだった。知能の高い魔族に情報収集させ、それをまとめ上げ、魔王に知恵を与える役割を担っている。

 黒髪の長髪に、バッファローのような大きなツノを生やした成人男性の姿をしている者はこの城の主人、魔王だった。魔王は興味深そうに魔物の群れを突き進む女性に注目していた。


「いや、あれはさすがに聖女だろう。普通の人間にあんなことが出来るか?」

「確かにそれはそうですが、もしかしたら防御魔法の使い手なだけかもしれませぬ」

「面白いな、ちょっと見に行こうか」

「ふぇっ!? 魔王様、今なんと?」


 参謀の助言も虚しく、魔王はマントを広げると背中から巨大なコウモリの翼を広げ、テラスから戦場へ向けて滑空していった。


「魔王様ー! 話を聞けこのスカポンタンンンン!」



 ***



 一体どれほどの攻撃を受け続けてきたのだろう。

 クラストを追いかけ、魔物に襲われ、攻撃を受け、味方に反撃してもらう。気が遠くなるほどに、追いかけても追いかけても永遠に追いつかないような気持ちになってくる。

 しかし挫けてなんていられなかった。心が折れれば魔法は解ける。そうなればクラストにこの想いを伝えることができなくなってしまうのだから。


「もう! いい加減にしてくださいまし!」


 グリフォンの吐く炎を全身に浴びても、着ている服すら無傷であった。やがて襲っても襲っても傷ひとつ付けられないマキナに対し、魔物の方が恐怖を抱いていく。

 この人間を殺すことは出来ない、そう魔物たちが認識した時だった。


「情けない! それでも魔王に仕える者どもか!」


 上空からそんな声が響き渡り、見上げると大きな翼を羽ばたかせ、ゆっくりとマキナの目の前に降り立つ。その容姿からマキナは一目でその相手が魔王だと察した。


「まさか魔王自らが戦場に降り立つとは思いませんでしたわ」

「お前だな、聖なる力で我が眷属を薙ぎ倒していった聖女というのは」

「違いますわ」

「違わない」

「あなた失礼ですわね。私をあんな性格の悪い女狐と一緒にしないでいただきたいわ」

「……違うのか」

「違います!」


 否定し続けるマキナに魔王はため息ひとつ。


「そうか、ならば死ね」

「させない!」


 魔王が振りかざした長剣を受け止めたのは颯爽と駆けつけたクラストだった。


「クラスト様! ご無事でしたのね!」

「マキナ様こそご無事でよかった。いえ、そうではなくて! なぜ追いかけてきたりしたんですか! それでは私があなたを守る為に走り出した意味が全くないではありませんか!」


 さすがにカチンときた。

 今まで婚約者であったリカルド王子相手ですら、このように感情をぶつけたことは一度もない。

 強く気高く美しくをモットーに生きてきたマキナは常に自分の感情を抑え、怒りなどぶつけたことはなかった。

 しかしなぜかクラストにだけは、自分の本当の気持ちをぶつけたくなる。

 何も知らず、勝手にいい格好をして説教をする。そんなことはもう許したくなかった。


「何も知らないくせに、格好つけないでください!」

「か……、格好つけたりなんて、別にそんなつもりは」

「いやいや何話してんのお前ら? 剣交えながら痴話喧嘩とかやめろ?」


 魔王がうるさい。


「私だってあなたのこと好きなのに、それを聞かないまま戦場の真っ只中に走っていくなんて! 私が喜ぶとでも思っているんですか!」


 マキナの言葉にクラストの剣を握る力が弱まったので、このまま長剣を力一杯押し付ければこの男の命を奪えると魔王は確信していた、が出来なかった。

 未だかつてないほどにやる気を削がれた魔王は、静かに剣を引いていく。それでも構わず痴話喧嘩を続けるので、本気でバカらしくなってきた。


「マキナ様、今の言葉は……」


 クラストがそう問いかけた瞬間だった。

 味方陣営側から戦いのパレードを思わせるような管楽器の音が鳴り響く。

 見ると城塞都市のある方角から大軍勢が押し寄せ、その先頭の馬車には聖女アンジェリカが仁王立ちして高笑いを響かせていた。管楽器の音よりうるさいかもしれない。


「皆様、お待たせしたわね! この聖女アンジェリカが来たからにはもう安心よ! 魔族なんて、私の聖なる力の前ではみーんな無力なんだから! おーっほっほっほっ!」


 聖女と名乗ったアンジェリカに前線基地の兵士たちは湧き立った。

 歓声を上げて聖女を讃える。

 それを見た魔王がやっとやる気を取り戻し、目の前のバカップルは無視してまだ生き残っている魔物たちを鼓舞させた。魔王の魔力に充てられ、みるみる勢いを取り戻す魔物たちは目の前に現れた聖女めがけて突進していく。


「さてはお前が本物の聖女だな!? 覚悟しろ! 勝つのは我々魔族側だ!」

「聖なる力よ、悪しき者どもに裁きを!」


 聖女が片手を天に振りかざした。

 しかし何も起こらない。魔物はなおも迫ってきている。

 慌てふためくアンジェリカに馬車の奥からリカルドが顔を出した。


「ど、どういうこと?」

「どうしたアンジェリカ! 君が魔物を一瞬で片付けられるって言うから安心してついて来たのに!」

「リカルド様……、えっと……どうしよう?」


 一向に聖女の力を発動させない様子に気付いたマキナは、何か問題が発生したことに気付く。もうすぐそこまで魔物が迫ってきているというのに、遠くに見えるアンジェリカはどこか狼狽えているようだ。

 クラストも異常に気付き、二人は馬に乗った騎士を呼び止める。


「馬を借りるぞ。マキナ様、乗ってください」

「え、えぇ……」


 戦争の最中だと言うのに、馬に乗ってクラストに抱きつく想像をしただけで顔が真っ赤になってしまうマキナ。今はそんなことを言ってる場合ではないことはわかっているのに、自分の気持ちに気付いてしまっては意識するなと言う方が無理な話だった。


「しっかり掴まっていてください!」

「わかりましたわ!」


 冷たい白銀の甲冑に頬を押し当て、両手でクラストにしがみつく。大きな背中、今まで意識してこなかったがクラスト騎士団長はこんなにもたくましく勇ましい男性だったのだと甲冑越しから感じ取った。

 横切る魔物を斬りつけながら馬は駆ける。しかし魔物の軍勢はどんどんアンジェリカの隊に迫っており、これでは到底追いつくことは敵わない。


(ダメ、このままじゃ間に合いませんわ!)


 アンジェリカは聖女として目覚めるまでは普通の少女だったはずだ。士官学校でマキナにいじめられていたと証言したところから、恐らく魔法士部門に所属していたことになる。

 アンジェリカの体躯(たいく)から、筋骨隆々な者が集まる騎士部門にいたとは考えにくい。

 戦術部門だったなら、トップの成績を収めていたマキナがその存在を認知していたはず。しかし聖女と名乗り出るまで、マキナはアンジェリカのことなど顔も名前も知らなかったのだ。

 それならきっと、魔法士部門に所属していたーーごく一般の生徒だったのだろう。


(聖女の力を行使しないアンジェリカは、ただの一般市民も同然ですわ。それにあの隊には恐らくリカルド王子も引率している可能性が高い……。引き連れている兵士たちも、騎士団も、みんなみんな……我が国の大切な民! 侯爵家の者として大事な国民を守らなければ!)


「私に……、自分だけじゃなくて皆さんを守る力があれば……!」


 そう心に強く念じた時だった。

 マキナたちの頭上から輝かしい光の柱が現れる。天から射す光にその場にいた全員が目を逸らした。


「な、なんですの!? この光は!」


 マキナたちが乗る馬も突然の光に目が眩み、クラストが落馬しないように必死で馬を落ち着かせようとする。

 光の柱は地上にまで届いており、光の先にいた魔物たちは一瞬にして浄化され姿を消していた。


「こ、この光は……! あの時の? 私が聖女として神託を受けた時と同じ光だわ!」


 アンジェリカがそう叫ぶ。

 神による奇跡、とでも言うのだろうか。光の柱の中に人影のような何かの姿がうっすらと確認できた。

 それを見るなり魔王は恐れ慄く。


「神め……、気まぐれに人間たちに力を貸そうとでも言うつもりか!」


 魔王の言葉で確信した。この光はやはり本物の神の奇跡だったのだ。

 しかしなぜ今になって姿を現したのか、疑問に思えてならない。これまでずっと魔族と人間の間で死闘が繰り返され、地獄のような日々を送ってきたというのに。今になって現れるとはどういうことなのか。


『アンジェリカよ、神の期待に背きし愚かなる娘……。今この時より、お前から聖女の奇跡を剥奪する』

「え、なんで!? 一体どういうことなの? 私は聖女としてこうやって戦場まで来て、自分の危険も顧みずに邪悪なる者と戦ってるじゃない! 私のどこに不備があるって言うのよ!」


 神に対して堂々とした反抗。マキナはアンジェリカこそ真に恐ろしい存在なのかもしれないと思った。


『浅慮なる娘よ、お前は聖女の資格を自ら放棄したことを忘れたと言うのか。聖女とは神にのみその清らかな体を捧げる、神聖なる存在でなければいけない。お前はそこにいる男と交わり、清らかさを失ったのだ』


 周囲がざわつく。罰が悪そうにリカルドは馬車の中へと引っ込んでしまう。アンジェリカはたじろぎ、言い訳しようとするも、リカルドと夜を共にした事実だけはもはや隠し通せそうもないと覚悟した様子だった。

 相手は全てを見通す神であるのだから、アンジェリカの下手な嘘が通じるはずもないのだ。


 かつての婚約者が、聖女と名乗っていた娘と心も体も愛し合っていたと聞いて、マキナは自分がひどく傷つくものだと思っていたが、意外に平気だったことに驚く。

 何年も恋焦がれ、愛してきたリカルド王子のことを今では心の底から何とも思っていない自分。こんなにも早く忘れることができるとは思っていなかった。

 今ではもう目の前にいるクラストのことしか考えられない。


『お前は普通の娘に戻るのだ。罰を与えないだけ幸いと思うがいい。ただお前に聖女の役割は荷が重すぎたというだけだ』

「え……、今さらそんな言い草、ひどいわ! それじゃあ私は一体何の為に聖女になったと!?」

『繋ぎ』

「つな、ぎ……?」


 アンジェリカの顔が引きつる。

 しかしそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、神はアンジェリカに対して突き放す言葉を発したと同時だった。マキナの体が温かい光に包まれていく。

 馬に跨っていた体が空へ浮かぼうとして、クラストに必死にしがみつこうとするが敵わない。


「マキナ様!」


 クラストも空に浮かび上がるマキナを離すまいと互いに手を握り締めるが、マキナはクラストがこのまま落下してしまってはいけないと思い、手を離すように促した。


『他者を慈しむ心、ただ一人を真に愛する心、気高く美しいその心、そなたこそまさしく聖女に相応しい。真実の愛に目覚めるのを、長い間待っていた。偽りの聖女を作り出してまで待った甲斐があったというもの』

「ちょっと! さっきから扱いがひどすぎない!?」


 歯を食いしばって悔しさを露わにするアンジェリカだが、もちろんその声は誰にも届かない。聖女でもなんでもなくなったアンジェリカに誰も興味を抱かなくなった。


『さぁ、その力で魔の者を一掃するのです』

「突然現れて勝手なことを! こんな茶番はもううんざりだ! どいつもこいつも魔王であるこの俺をバカにしおって!」

『聞く耳を持ってはなりません。この者らはお前たちに害を為す存在。今ここで引導を渡すのです』

「うるっさいわ! こんな何の攻撃も通じん非常識な小娘がいる時点で、侵略もくそもあるか! 人間どもが魔族の領域に侵入さえして来なければ、こっちだってもう関わるつもりはない!」


 半ばやけくそになっている魔王が捨て台詞を吐いていった。どんな攻撃も一切通用しないマキナの存在、それが今度は聖女として覚醒したとなると、もはや魔族側に勝ち目などないと即座に判断した為だ。

 そしてそんな自暴自棄になった台詞を聞き逃さなかったマキナは、魔王に交渉を仕掛ける。


「今の言葉は本当ですか? 嘘偽りはございませんわね!」

「は? 何だ急に」

「さっきの言葉ですわよ。そちらの領域に干渉しなければ、互いに争ったりはしない。その言葉を信じてもよろしいのかと聞いているのです」

「貴様、今まで何十年にも渡って互いに殺し合った者同士……。何の遺恨も残さず平和的に解決できるとでも思っているのか」

「そんなこと思っていません。これまで失われた命、家族や友人の悲しみは永遠に消えることはありませんわ。でもこれから先、互いに歩み寄らずとも干渉さえしない努力をすれば、次代の命が奪われることがないという未来を実現させることができるかもしれないと、そう言っているのです」


 マキナの提案に誰もが戸惑った。最もな言葉だが、これだけたくさんの命を奪い合い、理想論ともとれる綺麗事で片付けられるほど簡単な問題でもない。

 それでもこれが成立すれば、もう戦わないで済むかもしれない。

 命をかけて戦ってきた騎士たちは互いに顔を見合わせ、そして頷く。誰もが同じ思いだった。

 死にたくない。


「聖女マキナ様! 万歳!」

「万歳!」


 突然の喝采にマキナは恥ずかしくなる。自分は聖女として交渉したわけではなく、あくまでマキナ・ブルート侯爵令嬢として目の前にいる魔王に戦争締結の条約を提案しただけだ。

 しかし一向に止まない歓声、いつしか魔族側からも魔王に対するコールが響き始めた。

 当人たちを差し置いて盛り上がる周囲に、お互い引くに引けず、期待に応えないわけにはいかないと、その場で停戦条約を結んだ。

 正式な書類は後日、という形になる。

 こうして長年に渡る魔族と人間による戦争は終止符を打った。

 聖女マキナの、力に頼らない戦い方によって。


 ***


 城下では華やかな結婚式が行われようとしていた。

 すっかり平和になった城塞都市からは物々しさがなくなり、人々の顔は笑顔で溢れている。

 教会で式を挙げた二人は互いに手を繋ぎ、祝福してくれる民衆たちへと手を振った。


「とても綺麗です、マキナ様」

「恥ずかしいですわ。あなたの口からそんな甘い言葉が聞けるなんて、騎士団長としてしか知らなかった頃には想像もつきませんでしたわ」

「あの頃は生真面目で通ってましたから」

「あら、それじゃあ今は生真面目じゃなくなったんですの?」

「今では1人の女性を愛する、ただの甘やかし過ぎな騎士団長ですよ」

 

 互いに微笑み、からかい合う。

 人々から祝福されながら、2人はこれまで別々に歩んで来た道を、これからは共に歩んでいく。 


 祝福する参列者の中には国王として即位したリカルドと、ちゃっかりその妃となった元・聖女アンジェリカも、他の民衆と同じように二人を心から祝福していた。

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【短編】悪役令嬢、防御力∞のタンカーになる〜強がりを防御力に変換させる魔法だというのなら、私の豆腐メンタルも強くしてくださらないかしら!?〜 遠堂 沙弥 @zanaha

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