条件抽出:指定の値を含まない

植原翠/『おまわりさんと招き猫4』発売

条件抽出:指定の値を含まない

「えっ。川崎先輩が、婚活?」

 職場の昼休み、ランチタイム。俺は向かいに座る先輩の言葉を繰り返した。彼女はもくもくと、コンビニ弁当を食べ進めている。

「うん。別におかしくもないでしょ」

「いや、まあ、そうっすけど」

 ここはとある中堅商事会社。川崎先輩は、俺と同じ経理課に所属している五つ歳上の女性だ。今年で三十歳になる彼女は、今日から婚活を始めるという。

「おかしくないっすけど、急だなと思いまして」

「昨晩テレビで、婚活バラエティ番組やってたの」

「まさかそれに感化されたんすか」

 川崎先輩は、表情があまり変わらない淡々とした人である。話し方に抑揚がなくて、機械的で、仕事もそれこそ機械のように正確で、そのおかげで人間っぽくないから怖い印象を持たれがちな人だ。

 その川崎先輩が、バラエティ番組なぞに影響されて婚活を始めるというのは、なにからなにまで意外である。

 呆然としてしまって箸が止まっている俺を、川崎先輩はちらりと一瞥した。

「バラエティ番組なぞに影響されて婚活を始めるというのは、なにからなにまで意外であるって顔してるわね。そう感じるのも無理もない。私も、今まで結婚なんて興味がなかった」

 俺の頭の中を見透かしてから、川崎先輩は弁当箱の中の煮物に箸を向けた。

「一生一緒にいる人をひとりだけ選ぶ、それも『理屈抜きにして"好き"と思える』を基準に選ぶだなんて、私のような理屈っぽい人間には不可能だと思ってたの」

 彼女の箸の先が、煮物のタケノコを摘み上げる。

「でもね。昨日のバラエティ番組で観た限り、どうやら婚活は私のような人間にこそ向いている作業のようでね」

「婚活を『作業』って言うんすか?」

「もしも私の分析どおり、婚活が私の得意分野であるならば、極めて優秀な成果を得られるかもしれない。だから挑戦することにした」

 幸せな結婚生活に憧れた――とかではないところは、彼女らしいと感じた。俺は止まっていた箸を動かし、鶏唐揚げを拾う。

「それで、婚活のどこいらへんが川崎先輩の得意分野だと感じたんすか?」

「よくぞ聞いてくれた。婚活とはずばり、『条件抽出』なのよ」

 川崎先輩が箸を口に運ぶ。

「『恋愛』は、先程申し上げたとおり感情を基準にして理屈を排除した選定。一方で『結婚』は、共に生活するに価する条件を予め設定して、その条件に合致する人を抽出する……つまり理屈でソートをかけて範囲を狭め、選ぶ分野」

 婚活市場は、年齢、学齢、職業、年収などを範囲設定してマッチングする。これが川崎先輩の言う「条件抽出」である。

「条件を詳細に設定することで抽出範囲が狭まり、より理想に近い物件を選択しやすくなる。この手の設定は私の得意分野よ」

 なんだか閃いた風に話しているが、至極当然のことを言っている。俺は呆れ顔で唐揚げを頬張った。

「それ、婚活してる人の殆どがその条件抽出をしてるっす。ほんで条件のいい人を奪い合ってるんですよ」

「そんなのは分かりきってる。そして条件に合致する人を選んでもなお失敗する、それが結婚」

 川崎先輩は表情を変えずに、煮物から蒟蒻を選んだ。

「年齢、学齢、職業、年収……そんな範囲設定では人間を測れないってわけ。その他の条件をいかに上手に設定できるかが要なのよ」

「あー、浮気せずに愛してくれるとか、趣味が合うとか?」

 たしかに、たとえ年齢が近くて収入が安定していたとしても、話が合わなかったらギクシャクする。そう考えたのだが、川崎先輩の着眼点はそこではなかった。

「番組によると、結婚は、『一緒にいて楽しい人』より、『一緒にいて苦ではない』を基準に相手を選んだ方が失敗しないそうよ。つまり婚活成功の鍵は、幸福を感じるところが同じ人ではなく、許せないことが同じ人をソートすることにある」

「そっか。どんなに好きな人だったとしても、長く一緒にいれば嫌なところが目についてしまいますもんね。そういうところが少ない方が、将来的に長続きしやすいわけですか」

 唐揚げを口に運ぶ。揚がってから時間が経った唐揚げは、カリッとはしていなくて衣がべったりしていた。川崎先輩がこっくり頷く。

「そのとおり。婚活で重要なのは、いかに丁寧に『許せない』をピックアップできるか、なのよ」

「そんなもんすかね」

「逆に言えば、私は基準とした『許せない』ポイントさえクリアしている人であれば、容姿も収入も問わないわ。そんなものは時間の経過とともに変化する。それよりも内面的に、共同生活が苦でない相手でさえあれば、時間が経っても心地よくいられるはずだからね」

 川崎先輩の考え方は、独特だけれど、分からなくはなかった。愛おしい外見や、生活の豊かさを担保するお金は大切かもしれないけれど、それらに問題があったとしても、「離れたくない」と思えるほど居心地のいい相手となら、問題も乗り越えて一生一緒にいられる。……のかもしれない。

 先輩の思考回路をそれなりに理解したところで、俺は付け合わせの粉吹き芋を口に放り込んだ。

「因みに川崎先輩の『許せない』は、なにが挙がるんすか?」

 浮気、趣味の邪魔をする、遅刻……そんなところかなあと、思ったのだが。

「そうね……」

 川崎先輩は、箸を弁当箱の上空で止めて、言った。

「まず、靴下を裏返して脱ぐ人は許さないわね。それとトイレットペーパーを少ーしだけ残して交換しない人も許せないし、コピー用紙を補充しない人も許せない。ああ、あとコピーしたあとに設定をクリアしない人も許さない。それとお金や紙類を触るときに指を舐める、店員さんに横柄な態度を取る、使ったカップを洗わずに放置する、トイレにスマホを持ち込んで消毒しない、食べ放題の店で食べきれない量を持ってくる、会計後にポイントカード出す、ゲームで不機嫌になる、否定から入る、お店で食べたものを『家でも作れそう』って自分で作るんじゃなくて人に作ってもらう前提で言う、SNSで他人への返信欄で自分語り、若い頃ワルだった自慢、靴の踵を踏む、子供がいる前で赤信号を無視する、動物を追い回す、公共機関で大声を出す、店の商品でふざける……」

「まっ、待って待って」

 俺はつい、食べかけの唐揚げを宙に浮かせてタンマをかけた。川崎先輩はぱたりと羅列をやめて、お茶をひと口啜った。

「なにか?」

「想像の数倍勢いがあってびっくりしたっす。なんかシチュエーション細かめだし」

「言ったでしょう。条件抽出は細かく設定して、弾くべき案件を徹底的に弾かないと失敗するわ。どんなに顔が良くて金持ちで私を愛していようと、ゲームで不機嫌になるような小さい男であればその時点で長く快適に共同で暮らすのは困難なのよ」

「そうっすけど」

 川崎先輩の言いたいことは分かる。今彼女がピックアップしたような振る舞いは、気にしない人なら気にしないが気になる人からしたら許せない、絶妙なラインを攻めていた。そのラインを許容できるか否かは、結婚して共に暮らす相手ならば、非常に重要なポイントなのかもしれない。

「そうだとして、これ、どうやってソートするんすか? 相手の行動を観察して、ひとつひとつ確かめるんすか?」

「そうね。全部見極めるには時間がかかりそうだけれど、失敗のコストを考えたらね」

 川崎先輩はそう言って、玉子焼きを口に運んだ。

「好きとか嫌いとか、感情で選ぶよりもずっと簡単だわ」

「そうっすか……」

 俺は小首を傾げて、数秒、弁当箱の中身を眺めた。半分くらいに減ったそれから顔を上げ、川崎先輩の顔を見る。彼女は相変わらず、もくもくと食事を進めている。

「ところで先輩。さっきの条件、俺も全部『許せない』と思いました。許せないっていうか、まあちょっと嫌だな、くらいのもあったけど、自分はしないっつうか」

「ふうん」

「だとすれば、俺は条件に合致するってことですよね?」

「……ん?」

 ぴたり。川崎先輩の箸が止まった。俺は彼女の伏せた睫毛を、じっと見ていた。

「俺は先輩の『許せない』こと、しないんすけど。俺と結婚します?」

「は? え、ちょっと待って」

 川崎先輩が顔を上げた。多分、今日初めて、目が合った。

「たしかに……あなたはコピー用紙をマメに補充するし、飲み会で見る限り店員さんへの態度も悪くないわね……」

 彼女は目を白黒させて言葉を詰まらせて、やがて下を向いた。

「でも結婚できるかと問われたら分からない。好きになるかどうかは、それは別の問題じゃない?」

「結局感情じゃないっすか!」

 川崎先輩は、表情があまり変わらない淡々とした人である。話し方に抑揚がなくて、機械的で、仕事もそれそこ機械のように正確で、そのおかげで人間っぽくないから怖い印象を持たれがちな人だ。

 でもこのとおり、実は結構人間くさくて、細かいことが許せない感情的な人である。


 後日、先輩が俺の行動を事細かに観察して、本当に条件をクリアしているか確認する必要がある、という名目でデートに行くことになったのは、また別のお話だ。

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