合流 11-2

 その声を耳にした刹那せつな、なぜか拓也は、それが真実だと直感した。

 今、ブラウスのボタンがきしむほど拓也に乳房を押しつけ、唾液で濡れた舌を強引に絡めてくる、麻田真弓の姿をした異性――その全身から伝わってくる嫌になるほど過剰なは、犬木茉莉のものとは言いきれないにせよ、絶対に真弓のものではない。

 不意に、その娘が拓也から離れた。

 唇に残った拓也の唾液を、指で拭うようにして自分の唇に馴染ませながら、杉戸伸次に視線を流し、

「ふーん。クレヨンってば、そうやってあたしをチクるんだ」

 小馬鹿にするような底意地の悪い笑顔を浮かべ、その場に立ち上がる。

「まあ、やりすぎたあたしもバカなんだけどね」

 伸次が、やっぱり、と息を呑んだ。

 拓也と裕一も、その娘の正体を確信した。

 アニメに登場する幼稚園児をもじった『クレヨン』というニックネームは、犬木茉莉と池川光史が、杉戸伸次を見下す時に使っていた蔑称である。麻田真弓が口にするはずはない。

 真弓の体から、ぬるりと得体の知れない何かが抜けだした。

 くたりと力を失う真弓を、拓也は慌てて抱き止めた。

 横に立った半透明の濁ったは、瞬く間に少女のプロポーションへと姿を変えた。

 まだ不明瞭ながら、かつての同級生たちには、それが確かに犬木茉莉と判別できた。衣類はまとっておらず、皮膚のあちこちに死斑が生じて剥がれかけているが、全身が透けて見えるため、無惨さよりも早熟な少女としての存在感オーラが勝っている。

「でもクレヨン、真っ先に気づいてくれて、ちょっと嬉しかったよ」

 茉莉は伸次に優しく微笑みかけて、

「去年なんか、赤ん坊まで作った仲だもんね。親に言われて堕ろしちゃったけどさ」

 伸次が思いつめたように顔を伏せた。

 他の一同は呆気にとられ、去年はまだ中学生だったはずの伸次と茉莉を、交互に見つめている。

「それに、あんがい根性あるじゃん。自分だけ逃げてそれっきりかと思ったら、ちゃんと戻って来てるし。なんなら、あたしといっしょに来ない? またいっしょに遊ぼうよ」

 伸次は激しくかぶりを振った。

「そっか。やっぱ、日和ひよっちゃうんだ」

 茉莉の表情が一変した。

 どうせ初めっから期待しちゃいねーよ――そんな侮蔑の笑顔になって、

「じゃあ、もうそんなもんいらないよね。あたしにちょうだい」

 伸次は何を言われているのか解らず、きょとんとしている。

 他の面々も、何の話か解らない。

 斎実だけが、もしや、と思い当たっていた。

 茉莉は伸次に片手を差し伸べ、ひょい、と何かを引き寄せるような仕草を見せた。

 伸次の全身を覆っていた粘液状のはくが、茉莉の手元に向かって宙を流れた。

 茉莉以外にそれが見えるのは、今は斎実と式神たちだけである。

 しかし次の出来事は、その場の全員に見えた。

 青黒く変色し、あちこちただれていた茉莉の体が、健やかな肌色を取り戻してゆく。

 数瞬後、犬木茉莉は生前と同じ姿で、艶然と微笑していた。私立高の夏服を着ているが、スカートの丈は校則を無視して極端に短い。

「じゃあ、さよなら。あたしは、久しぶりに夜遊びしてくるから」

 そう言って、茉莉はいきなり女豹めひょうのように跳躍した。

 しなやかな弧を宙に描いて一同の頭上を飛び越え、教育長室へと姿を消す。

 という言葉の裏に、斎実は激しい殺意を察知していた。

「待ちなさい!」

 即座に茉莉を追って駆けだす斎実の肩から、トビメが宙に舞う。

 管生と慎太郎も後に続く。

 他の男たちは、瞬時、彼らの背中を目で追いながら挙動に窮していたが、

「父さん!」

 拓也の叫びを聞いて、一斉に振り返った。

 拓也は、床に寝かせた真弓の胸から顔を上げ、

「心臓が止まった!」

 哀川教授より先に、救急経験の豊富な吉田が駆け寄り、拓也を押しのけるようにして真弓の心音を検める。

 直後、皆に向かって、

「AEDはないか!?」

「市教のロビーに!」

 哀川教授が叫ぶと、拓也たちは脱兎の如く駆けだした。

 吉田と哀川教授が、その場に留まる。

 吉田は即座に真弓の心肺蘇生措置にかかった。彼は心臓マッサージにも人工呼吸にも熟練している。哀川教授は即座に119番通報した。二人とも世間知を積んだ大人だけに、行動に迷いがなかった。

 拓也たちは入り口付近にあった数卓のテーブルを蹴散らしながら、右手の教育長室に急いだ。

 しかし駆けこむ直前で、もつれ合うように急停止した。

 教育長室の中央に、斎実と慎太郎の背中が見えた。

 二人は廊下に続く扉に向かって、じりじりと間合いを計っている。

 足元では、着地したトビメが背中の毛を逆立てている。

 慎太郎の肩の管生くだしょうも、全身の毛を逆立てて殺気を発している。

 拓也は、若き陰陽師たちが犬木茉莉に対峙しているのかと思ったが、そうではなかった。

 扉の前に、腐り果てた死骸が立ちはだかっている。茉莉はすでに外に逃れたらしい。

「……あいつだ」

 つぶやく裕一に、兵藤がうなずいた。

 左右の側頭にへばりついた僅かな頭髪から、あの学校指導課長と判った。

 その死骸は、教育長室に飾られていた日本刀を、高々と上段に構えていた。

 すでに眼窩からこぼれ落ち、視神経組織だけでぶらさがっている片目が、残る片目と連動するように、斎実と慎太郎、そして背後の一同を睨みつけた。 

「どうせ刃引きの飾り物ぞ!」

 管生が叫び、ぶわ、と膨張しながら相手に飛びかかった。

 しかし腐乱死体の刀が一閃すると、横面を歪ませて壁に叩きつけられた。

 刃が潰されていても、元が真剣なら、それなりの破壊力がある。そして相手はただの死骸ではなく、すでに管生同様、人とは力の桁が違う化生けしょうだった。

「くそ!」

 もっと充分に膨らんでから丸呑みにするべきだった――。

 管生が悔やみながら起き上がるより先に、死骸は斎実に向かって刃をふるった。

 咄嗟に斎実の前に躍り出た慎太郎の肩を、重い玉鋼たまはがねが打ち砕こうとする。

 かろうじて砕かれる寸前に交わしたが、かなりの衝撃を受けた慎太郎は、斎実を背中に庇いながら大きくよろめいた。

 すかさず死骸は、慎太郎の頭を狙って刀を振りかぶった。

 力いっぱい振り下ろす、その瞬間――。

 ぐしゃり、と嫌な音をたてて、死骸の頭が横殴りに消し飛んだ。

 全員の目が点になった。

 腐った頭部が真横に弾けたおかげで、誰も腐汁や腐肉を浴びずにすんだが、そちら側の壁は凄惨な有り様になっている。

 慎太郎を逸れた刃先が、柄ごと床に突き刺さった。

 頭を失った死骸は、文字通り死骸のように、その場にくずおれた。

 その向こうから姿を現した救世主に、一同の目が注がれる。

 もっとも拓也だけは、間髪を入れず、廊下への扉にダッシュしていた。

 救世主の横を駆け抜けながら、礼はまた後で、と言うようにその旧知の肩に軽くタッチし、そのまま扉を押し開けて市教のロビーを目ざす。

 残った裕一は、呆けたような顔で、救世主につぶやいた。

「カッチン……」

 椎名加津夫は、一同の呆然とした視線を何か勘違いしたらしく、

「……俺、なんかマズいことしたか?」

 飼い主に遠慮する秋田犬のような顔で、ゴルフクラブを手にしたまま、裕一に訊ねた。

 裕一は、まだ半信半疑の顔で、

「あ、いや……でもおまえ、なんで……」

 すると加津夫は、腐肉まみれのクラブを裕一に示しながら、

「なんでって、ゾンビ倒すなら、やっぱヘッドショットだろ?」

 加津夫の後ろから、AEDケースを抱えた拓也が早くも駆け戻り、奥の部屋に向かって、旋風つむじかぜのように一同の間を通り抜けた。





〈作者からのお知らせ〉


【天壌霊柩 破ノ壱 ~無辺葬列~】の続きは、当初、このままこちらで更新し続ける予定でしたが、2023年3月28日の夜をもって、新たに投稿した【天壌霊柩 ~統合継続版~】に移行させていただきます。


新たに投稿した【天壌霊柩 ~統合継続版~】の第一部までが、旧版【序ノ壱 超高層のマヨヒガ】と【序ノ弐 式神たちの旅】、および【天壌霊柩 破ノ壱 ~無辺葬列~】の今回までを、構成変更の上で統合したものになっております。

したがって、これ以降の物語は、【天壌霊柩 ~統合継続版~ 第二部】の【第一章 新たなる迷路】から、続けて語られることになります。


なお、それ以前のストーリー自体に変更はありませんので、ここまで継続してお読みいただいた方は、【天壌霊柩 ~統合継続版~ 第一部】は既読、ということになります。

紛らわしくて申し訳ありませんが、作者が死なない限りは語り続けるつもりのトンデモ長編伝記、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

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天壌霊柩 破ノ壱 ~無辺葬列~ バニラダヌキ @vanilladanuki

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