合流 11-1


     11


 トビメは拓也と真弓を両の皮膜で優しく腹に包むようにして、全身をしならせながら、ゆっくりと元の扉に近づいて行った。

 扉から手を差し伸べる大人たちの前で、皮膜を開く。

 意識を失っているらしい拓也を、真弓を固定した背中の木枠ごと、哀川教授と吉田が室内に引きこんだ。

 トビメが瞬時に体を縮めながら、室内に戻る。管生くだしょうもトビメを離れ、並んで戻る。

 すかさず斎実ときみが扉を閉ざし、自前のお札で封印し始めた。

 それが終わると、元の古いお札を手に取り、

「最近破れたお札じゃないですね。何年も前に封印が解けてます」

 つまり、拓也が扉を押し開けた時に破れたわけではなく、それ以前に破れていたのである。

 哀川教授と吉田は、拓也の両肩と腹に結ばれた背負子しょいこの縄を解いていた。

 拓也は微かに目を開き、

「父さん……」

 そうつぶやいて、そのままくずおれた。

 哀川教授が息子の体を支え、床に寝かせる。

 吉田が体調を診ようとすると、拓也は再び薄目を開け、

「麻田さんを……先に……」

 真弓の木枠は、兵藤と慎太郎が人工芝に横たえていた。

 兵藤は、その夏服の少女の胸が健やかに息づいているのを確かめ、さらに手首の脈を計って、

「OK。呼吸も脈拍も正常。眠ってるだけだ」

 拓也は安心して目を閉じた。

 拓也の顔色と乾ききった皮膚、筋肉の軽い痙攣を確認し、吉田は厳しい顔で言った。

「かなりの脱水症状です。おそらく低血糖も。何か飲み物を。できれば甘めのスポーツ飲料がいい」

 本来なら点滴したい状態だが、すぐには無理だ。吉田は拓也の合理的に鍛えられた筋肉から、基礎体力の高さに期待していた。

「そこにあります!」

 裕一が目敏く気づいて、ゴルフ・シミュレーターの奥にあった段ボール箱に走る。斎実と伸次もそれに続いた。

 届いた数本のペットボトルが冷えていないことに、吉田は喜んだ。この部屋の主は、俗物なりに頭は悪くないようだ。頭の悪い俗物は、ゴルフで汗をかいた後に生ぬるい飲料を出されると、出した部下を怒鳴りつける。しかし冷たい飲料は、体温こそ多少下げるだろうが、多くはそのまま尿になって血管を潤さないのである。

「飲めるかい?」

 キャップを外したペットボトルを拓也の口に当てると、拓也は本能に従ってすぐに目を開け、始めは少しずつ、やがて勢いよく飲み下し始めた。

 吉田の期待どおり、哀川教授の息子は強靱な少年だった。筋肉もいいが、何より体幹が正しく仕上がっている。これなら内臓も逞しいはずだ。

 息を整えながら、拓也が三本目のペットボトルを飲み干した頃、

「もう大丈夫そうかい?」

 頬笑みながら訊ねる吉田に、

「はい」

 初対面の拓也も警戒心を抱かず、素直に会釈した。

 哀川教授は安堵して、息子の肩に手を置いた。

 拓也は横で眠っている真弓を気遣い、半座のまま覗きこんだ。

 真弓はすでに背負子しょいこから外され、その一部であった布の上に寝かされている。

 哀川教授と吉田は膝を落として拓也を見守り、他の一同は中腰あるいは立ったまま、その三人を見守っている。

 そんな構図の中、吉田が拓也に言った。

「この手作りのキャリーボーンも、君が組んだのか?」

「はい」

「見事な造りだ。麻田さんには軽い青痣しかない。普通ならあちこち木枠にこすれて、ひどい擦り傷ができるところだ」

「力学通りに組み上げただけです」

 裕一が中腰になって、拓也に声をかけた。

「拓也、やっぱすごいな、おまえ」

「やれることをやっただけだ。たぶん裕一のほうが、親父さん仕込みの木工でうまく造れる」

「その後の根性を言ってんだよ、俺は」

「やるしかない事は、やるしかない」

「そりゃそうだけどさ」

 裕一は呆れたように笑った。

 拓也は、裕一の後ろに立っている初対面の二人に気づき、深々と頭を下げた。

 風変わりな和服姿の少女、そして作務衣姿の青年――。

 少女の肩には、拓也と真弓をここまで運んでくれた、あのオコジョとムササビの合いの子のような白い生き物が、ハンカチよりも小さな体に戻って、ちょこんと止まっている。

 そして青年の肩からは、あのしゃべる白いオコジョが、人間なみの訳知り顔で、拓也を見据えている。

「この二人も、疑わぬがよい」

 そのオコジョが拓也に言った。

「見れば解るであろう。二人とも俺ほどには怪しくない。我ら式神を操る血筋に生まれついただけの、おぬしと同じ真っ当な人間よ」

 青年が軽く苦笑し、拓也より少し年長の少女は、陽気な笑顔で片手を掲げた。

「よろしく、拓也君。君も映画で見たことがあるんじゃない? 野村萬斎さんがった『陰陽師』とか。私たちも、あんな感じのスグレモノだと思ってちょうだい」

 鵜呑みにはできないが、この状況では鵜呑みするしかない――そんな顔の拓也に、

「信じていいぞ」

 裕一が、我が事のように請け合った。

「信じる者は救われる」

 拓也もうなずいたが、ふと、三人の後ろにもう一人、旧知の顔があるのに気づき、思わず目を見張った。

「……杉戸か?」

 池川光史と犬木茉莉がすでに地の底の住人と化していることは、先ほどの通話で父親に告げている。残る杉戸伸次がどこでどうしているのか、ずっと疑問に思っていたのだが、なぜ父親や裕一たちといっしょにいるのか――。

 拓也の凝視に負けた伸次が、自分だけ逃げた事実を打ち明けようとした時、

「……ここは……」

 真弓のつぶやきが、微かに聞こえた。

「麻田さん!」

 薄目を開けている真弓を、拓也は上から覗きこんだ。十八階に連れ戻せば目を覚ますという佐伯康成の言葉は、嘘ではなかったのである。

 真弓は拓也の視線に気づくと、半身を起こし、激しくすがりついてきた。

「……拓也!」

 のみならず拓也の唇に、唇を重ねてくる。

 拓也は驚愕し、反射的に身を引いた。

 しかし真弓は、さらに強く拓也を抱きしめた。

 傍で見ている裕一は、思わずつぶやいた。

「うわ……」

 まるでR―15映画のような、生々しいディープ・キスである。

 品行方正の見本だと思っていたのに、いざとなったらここまでやるんだ――。

 他の大人たちも、目のやり場に困っている。

 とりわけ哀川教授は、一方が実の息子なだけに、誰よりも唖然としていた。しかし、見れば息子の方は、明らかに激しく動揺している。普段から映画の性描写などにはほとんど興味を示さない息子のこと、むしろ麻田真弓の方が錯乱しているのだろう。

 拓也自身、真弓の積極性に圧倒されながら、父親と同じことを考えていた。彼女があの穴に引きずりこまれた時の恐怖を思えば、一時的に正気を失ってもおかしくない。

 いずれにせよ、二人が無傷で生還したのは確かだ――そう誰もが信じる中、

「違う……麻田さんじゃない」

 杉戸伸次だけは、なぜか怖気を震うような顔で、

「そいつ、茉莉だ……」

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