第7話 大変動

 大地が揺れた。大海が揺れた。大空が割れた。

 世界そのものにヒビが入った。

 俺たちの乗った船は木の葉のように揺れ、大波に翻弄された。船長が叫び、航海長が叫び、操舵手が叫び、水夫が悲鳴を上げた。

 緊急の際に使われるあらゆる装具が持ちだされ、高価な魔法が惜しげもなく放たれた。


 そのどれもが無駄だった。


 今、俺たちの目の前で起きているのは、世界そのものの変貌。人間の営みなど意にも介さない何か大きくて重いものが転がり落ちる姿だった。

 海が割れ、水平線が盛り上がる。空のどこかで存在理由を失った黒い何かが断末魔の悲鳴を上げて消滅する。

 視野に映る無限の彼方のどこかで、水平線と地平線が交わり、世界を形作る何か大事なものが歪んだ。

 空から伸びた亀裂は海と大地へと渡り、それを粉砕し、そして繋ぎ合わせた。


 予言の時が成就し、その真の姿を現す。


 俺が乗った船は海の底へと引きずり込まれ、海水が俺の喉へと殺到すると、俺は速やかに意識を失った。



 目が覚めたとき、俺は自分の船の上に転がされていた。

 レムリア人船長の心配そうな顔が上から覗き込んでいる。

「息を吹き返したぞ」

 ほっとしたような声で言った。

 起き上がって周囲を見回す。穏やかな海。雲一つない青い空。

「あれは夢か」思わず呟きが漏れた。

「夢ではありません」船長が答えた。「世界が一度壊れたんです。そうとしか言えません。こちらの船は幸運でしたが、あちらの船は後かたも無く消えました。海の上に浮かんでいるあなたを見つけたのは奇跡ですよ。いったい世界に何が起きたんでしょう」


 その答えを俺は知っている。

 世界は丸くなったのだ。そう、もはや、この世界は平らでは無い。


 調和通信機はもう作動しなかった。ここ、世界の表側と、あちら、世界の裏側はもはや繋がってはいない。

 やがて俺たちの船は名も知らぬ港を見つけ、上陸した。水夫の半分が船を逃げ出し、後釜が見つからなかったので、俺たちは今度はあてもない陸地の旅をすることになった。

 驚くべきことにあの大変動では、こちらでは誰ひとり死んでいないことが判った。

 消え去った人々もきっと死んではいない。ただ、どこかへ行ってしまっただけなのだ。とすれば海に沈んだあの船も本当に沈んだのではなく、取り残された世界の側に送り込まれたということになる。

 哀れなレムリア兵たちが向こうに帰れたことを心の底から願った。


 とは言え、陸地の地図は大きく変わった。

 隣の村があった場所にはただの荒れ果てた沼地が広がり、隣の街があった場所には、見知らぬ顔の見知らぬ人々が住む要塞が建っていたりもした。

 こうなればもはや悪魔を追うどころではない。それにこれが奴の目論見だったとしたら、もう追跡を続ける意味は無い。


 追いかけっこは奴の勝ちだ。


 俺たちはレムリアを探して旅をした。北へ向かって旅をし、西へ向かって旅をし、南に向かって旅をした、それでもレムリアが見つからないので、意を決して、東へ向かって旅をし続けた。

 馬を使って旅をした。奴隷の担ぐ輿に乗って旅をした。大海原に着くと、再び船に乗って旅をした。どこまでもどこまでも昇る太陽目掛けて旅をした。

 それでもレムリアは見つからなかった。

 ほんのときたま、レムリアから来た貿易品を見つけることがあり、その来歴を追ったこともある。

 ほんのときたま、レムリアへの道を知っているという案内人を見つけて一緒に旅をした。結局は道に迷って終わったが。

 霧の中に懐かしきレムリアの塔の姿を見て、三日も荒野を彷徨ったこともある。

 やがてそのようなことも稀になり、辿りついた街の人々の中にレムリア人を見つけることすら無くなった。レムリアの話をする者もだんだんといなくなり、ある日それが遠い時代の遠い国の伝説として語られていることに気がついた。


 レムリアだけではない。


 遥か彼方の滅んだ国アトランティス。旧き神々が目覚める日を待ってひたすら眠ると言うレンの乾いた大地。砂漠の中の楽園アスウェル。手を伸ばすだけでいくらでも手に入る豊かな果実と素晴らしき夢を見せるブラックロータスに満ちたルトスの国。

 どれもが伝説やおとぎ話と化し、実在から非実在へと姿を変えて消えていった。

 この世界は最初からそのようなものが無かったかのように振舞おうとしている。平面の世界の記憶は誤った歴史として忘れ去ろうとしている。それが分かった。


 東へ、東へと進んでいた俺たちは、ある日、見覚えのある景色に出くわした。ついにレムリアへの道を見出したのかと思ったのもつかの間、そこがあの大変動のとき、最初に辿りついた港であることに気が付き、俺たちは絶望した。

 最後まで一緒についてきていたレムリア人の船長が言った。

「賢者たちの言うことが正しいなら、つまり俺たちは丸くなっちまった大地を一周したということだな」

 俺は答えなかった。船長の指摘が正しいと判ったからだ。

「もうレムリアは、俺たちの故郷はどこにも無いんだ。世界が丸く畳まれたときに、その外側へ零れおちてしまったんだ」

 船長は嘆いた。


 きっとレムリアは世界のどこかにある。大地のどこかに引っかかって、危うく儚く揺れながら、それでも壮麗で華美なその運命を歩み続けているに違いない。レムリアは俺たちのいるここ、丸い地球のどこかの裏側にあり、そこには普通の手段では辿りつくことは決してできはしない。

 俺は泣いた。船長も泣いた。他の皆も釣られて泣いた。

 そしてそれを境に誰もが散り散りとなり消え去った。船長もこの世界にいるはずの家族を探すといって立ち去った。


 見知らぬ人々の中で生活するよりはと、いまや独りとなった俺は荒野に入り、そこに居を構えた。小さな小屋を建て、そのてっぺんにレムリアの旗を飾った。

 幾つかの品物は、無くならないように小屋の前の地面に埋めた。残ったのはレムリアの金貨が数枚。レムリア風の装飾のついた短剣。それと小さな羅針盤が一つ。最後にもう動かなくなった調和通信機。

 世界には、もう探検すべき場所など無い。

 この有限でちっぽけな世界には、無限の大地がもたらす無限の贈り物はもう無い。ここにあるのは息のつまるような狭さと枯渇していく資源。ただそれだけ。

 文明は衰退した。ときたま訪れる旅人たちが教えてくれる話から、世界が色褪せ、窒息しかけていることが聞きとれた。新しい地を開拓する代わりに、人々はたがいの懐から盗みあうしか手が無いのだ。


 これがあの悪魔の狙いだったのなら、それは成功した。この絶望に満ちた狭い世界の中では、神に縋ることなしではとても生きてはいけまい。あるいは悪魔にか。



 そして俺はまだ夜毎のことに夢見るのだ。あの古き麗しい美しきレムリアの夢を。

 夢だけはまだ広大無辺なのだから。

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我が麗しのレムリア のいげる @noigel

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