第5話
また、ママを追いかけて行くんじゃないかと思ったけど、陽介は動かなかった。トイレの前でわたしと並んで、ママが走って行った方を見ながら、ママが帰って来るまで動かなかった。
しばらくすると、ママが着替えを持って戻ってきた。
「陽介、お待たせ。ちゃんとお姉ちゃんと待って、えらかったね」
本当に、えらいと思った。ママがわたしと待っててって伝えたら、大人しくちゃんと待っていた。
少し前なら、じっとしてないでどっか行ってしまったと思う。濡れたズボンが気持ち悪いって、うるさく泣いたと思う。それにわたしは、陽介のおむつが取れたことも知らなかった。
今日は、知らない陽介をいっぱい知れた。
「陽介、トイレに入って。ズボンとパンツ、履き替えましょうね」
ママが多目的トイレのドアを開いて促すけど、陽介はトイレに入ろうとしない。合わない目をさまよわせて、わたしを見た。そこで、はっと気が付いた。
ママが陽介に、わたしから離れないように言い聞かせてたから、わたしが見えないところに行くのが嫌なんだ!
「大丈夫。わたし、ここにいるから。動かないから。陽介、着替えておいで」
そう伝えると、やっと納得した陽介はトイレに入って行った。
わたしはママと陽介が出てくるまで、じっとトイレの前で待った。待ちながら、広い公園で遊ぶたくさんの人たちをぼーっと眺めた。
よく見ると、みんながみんな、仲良く楽しく遊んでるわけじゃない。ケンカする兄弟や、泣いている小さい子も時々いた。
あんなに妹がかわいいと言っていた花梨ちゃんも、最近はケンカばかりしているらしい。この前も、こんなことを言っていた。
「ハナが悪いのに『お姉ちゃんなんだからがまんしなさい』て、いっつも言うんだよ! ひどくない? 好きでお姉ちゃんになったわけじゃないのに」
その気持ちは、とてもよく分かった。わたしも、好きで陽介のお姉ちゃんになったわけじゃない。
でもパパとママは、私に「がまんしなさい」て、言ったことはない。陽介がわたしの物を勝手に取ったら、ちゃんと陽介に「ダメ! お姉ちゃんが使ってるでしょ」て、言ってくれる。でも、泣き喚く声がうるさくて、わたしはすぐに、陽介に貸してしまうけど……
最近、陽介もずいぶん聞き分けが良くなった気がする。泣いたり叫んだりすることも、ずいぶん減った。何もできないと思ってた陽介も、少しは成長してるんだと思った。
「ひなちゃん、お待たせ」
陽介とママがトイレから出てきた。陽介はわたしの手をつかむと、反対の手で林の方を指差した。あっちに行きたいらしい。
「陽介。お姉ちゃんは林には……」
「いいよ、陽介。一緒に遊ぼ!」
わたしは陽介の手を握り返し、林に向かってかけ出した。わたしたちの後をママが付いてくる。
林に着くと、陽介はまた、木の根元を小枝で掘り始めた。さっきとは違う木なのに、やることが同じなのが少しおかしかった。
少し大きな石を拾ってきて、陽介と同じところを掘り始める。陽介がわたしの石をじっと見るから「貸してあげる」と言って、渡してあげた。陽介は小枝を捨てて、石で続きを掘り始めた。
「ひなちゃん、遊具で遊ばなくていいの?」
「いいよ。今日は陽介と遊びたい気分なの」
手頃な石が見つからなくて代わりにちょっと太い枝で掘り始めたら、陽介がまた手を止めてわたしの持つ枝を見た。
「陽介。それは、お姉ちゃんのよ」
そう言われても、陽介はわたしの持つ枝を見るのをやめない。
枝なんて、そこら辺にたくさんあるからあげてもよかったけど、ちょっと陽介にいじわるしたくなって「その石と交換ならいいよ」と言った。陽介は言われたことが分からないみたいで、ただじっと、わたしの枝を見ている。
側で見ていたママが「陽介。その石をお姉ちゃんに『どうぞ』して」と言った。すると陽介は、わたしに石を差し出して「どう」と言った。
陽介が、人に物をあげることができるなんて、全然知らなかった。びっくりしているわたしに、陽介は「どう! どう!」と言って、押し付けるように石を差し出してくる。わたしは「ありがとう」と言って石を受け取り、代わりに枝を差し出した。陽介は、パッと枝を取ると、何も言わずに穴掘りを再開した。
「陽介、すごいね。いつの間に『どうぞ』できるようになったの?」
陽介から受け取った石をママに見せながら言うと、ママは「ひなちゃん、ありがとうね」と、すごく嬉しそうに笑った。
いつも謝られてばかりのママに「ありがとう」て言われて、すごく嬉しかった。だからわたしもにっこり笑って「どういたしまして」と答えた。
わたしは、弟が嫌いだ。みんなに迷惑かけて、心配ばかりかける弟が、大嫌いだった。
だけど今日、ほんのちょっとだけ、陽介がかわいいと思った。わたしの手を握ってくれて、わたしに「どうぞ」と言って石を渡してくれて。嬉しくて、ちょっとかわいいなって思った。
今度、わたしが何かを渡した時、ちゃんと「ありがとう」て言ってくれたら、すごく嬉しくて、もっとかわいいと思うかもしれないなぁと思った。
そしていつか、陽介のことを好きになれるといいなぁと思った。
わたしの弟 OKAKI @OKAKI_11
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