相棒

 イーゼルの希望で若騎士と令嬢は席を外すことになった。紅茶を淹れ直し、イーゼルと自分の前に置く。

「……それで、『アゼル』とはどういう関係だったんです?」

 単刀直入に切り出され、ソッフィオーニは不快そうに眉をひそめた。

「なぜそれをあなたに言わなければならないのですか?」

「君の言うアゼルと俺の言うアゼルがもしも同一人物なら、聞きたいことがありまして」

「……わかりました」

 ふぅ、と息をついたソッフィオーニは視線を正面の男に戻す。

「私の言うアゼルは、おそらく貴族の少年だったのだろう、ということしか。黒い髪はカツラでしたし、言葉遣いは丁寧だし訛っていませんでしたし」

「……なにか他に特徴はありませんでした?さすがにその情報だけではなにもわかりません。そうですね……例えば、加護を受けた人間だったり」

 ソッフィオーニは「え」と小さく声を漏らした。メイドの反応にイーゼルは身を乗り出す。拍子に紅茶の入ったカップに当たり、テーブルに液体が広がっていく。

「天使の加護でしたか」

 イーゼルの表情は変わらない。ソッフィオーニは視線を逸らしながら「そうです」と答える。嬉しいよりも驚きが勝り、ソッフィオーニは狼狽していた。

「……それは、俺の言うアゼルと同一人物だと思います。本題ですが、アゼルと共に行動していた貧民街の少年を知りませんか」

「貧民街の……少年?」

「はい。その少年がアゼルを殺したと俺は見ています」

「は?」

 聞き間違いか、とソッフィオーニは身を固くする。指先が冷え、心臓の音が耳元で大きく響いて視野が狭まる。


(…………死んでる?)


 太陽のような存在だった、あの人が?

 会えなくてもよかった。どこかで笑顔でいてくれたら、身分も違うため会いに行くのは迷惑がかかると。

 それが、とソッフィオーニは膝の布部分をぐしゃりと握る。行き場のない悲しみ、怒り、それらの言葉で言い表せない負の感情がどろどろと溢れて胃に溜まっていく。

「……つ、ですか」

「え?」

 聞き返したイーゼルを睨みつけながらソッフィオーニが言う。

「いつですか。アゼルが死んだのは」

 今にも泣き出しそうなほど潤んでいるのに、その目は怒りに燃えていた。

「……もう、だいぶ前です。そろそろ5年が経つ」

「5年……そんなに……」

 声が細る。威勢の良かった態度はなりを潜め、ただひたすらにショックを受けている。事態を受け止めることができずに頭が真っ白になっていた。

「……殺されたと言ってましたね?他殺だったんですか?」

 との問いにイーゼルは首肯する。

「ええ 馬車で誘拐されかけたため抵抗したら、頭を強く打って運悪く……だそうです。ですが後から話を聞くと他にも刺傷があったんだとか。兄──いえアゼルからは相棒ができたと聞いていたんです。けれどアゼルが死ぬ前後でその人の行方がわからなくなっていて、なんらかの仲違いの末に刺してしまったのではないかと──」

「違いますよ」

 凛とした声にイーゼルの語尾が萎む。ソッフィオーニは重ねて「その人は関係ないです」といった。だが声に反して目はいっこうに合う気配がない。

 しん、と室内に静寂が落ちる。家鳴りの音がやけに大きく聞こえるほどの静けさだ。イーゼルはメイドが切り出すのを待っている。

 無言が長引きそうだと判断したのか、イーゼルは冷めはじめて紅茶に口をつけた。


 ソッフィオーニは重く息を吐き出す。

 脳裏で幼き日の彼が満面の笑みで手を差し伸べてくる。その手が無くなってしまうなんて考えたこともなかった。その声が聞けなくなるなんて思っていなかった。笑顔がもう見られないなんて、背中を預ける人が居なくなるなんて、思い出となって過去の人になってしまっていたなんて。


「大丈夫だ。お前は俺の、たった一人の相棒なんだから」


 いつか、なにかの拍子に言われた言葉だった。

 相棒、という言葉をそのときは知らなかった。学をつけて言葉の意味を知ったとき、私たちの関係を表すのにこれ以上適している言葉なんて存在しないと思った。だがそれを伝える機会もないまま時間だけが過ぎてしまった。

 楽しみもなく過ごしていたときに出会ってくれて、そんなふうに呼んでくれて、本当に嬉しかった。彼は生きる道標そのもので、進む道を照らすばかりでなく一緒に走ってくれた。

 今になって初めて、彼がソッフィオーニにとっての「何者」だったのかがわかった。フュリスから言われた「想い人」とも違い、「友人」の型に収まるような間柄でもない。「相棒」と彼は言ってくれていたし、ソッフィオーニもそのように思っていた。けれどフュリスにはそう伝えなかった。いや、伝えることができなかった。


──唯一無二の存在だった彼は、幼少期の私の支柱だった。けど私は、アゼルの心の支えになんかなってなかったでしょうに、なんで……なんで相棒なんて言ったの。


 じわりじわりと心が悲哀に侵食されていく。座っているのに目眩がする。後悔と疑問と過去の喜の記憶がごちゃりと混ざったせいだろう。

 息を吸い頭に酸素を送るとすこしだけ視界がクリアになる。その理由はすぐにはわからなかった。ただ頬に生温いなにかがあたっている、とぼんやりわかっただけで。

 

「その相棒というのは、……──私のことでしょうから」


 白い頬を、透明な雫がつと伝った。


 ソッフィオーニがアゼルと名乗る少年と出会ったのは今から8年前──まだ戦争の跡が痛々しく残っていた頃のこと。

どこか遠くを眺めるようにぼんやりとした目で、ソッフィオーニは幼き日に思いを馳せた。

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ダンデリオンの華 木風麦 @kikaze_mugi

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