ええ子、ええ子の夜

 2016年の1月の話になる。

 前年に娘が誕生した私たちは、新年の挨拶のために旧T村の妻の実家を訪れることになった。生後11か月の娘を抱えて飛行機に乗ることは不安だったが、娘は終始、抱っこひもの中で大人しくしてくれていた。妻の両親が空港まで車で迎えに来ており、私は、初孫のためにわざわざ設えられた、ゆりかごみたいに立派なチャイルドシートに娘を座らせた。黒い巨大なSUVは、3世代を乗せて海沿いの道を快調に走りだした。その道中、義母がこんなことを告げた。


「今年、『ええ子、ええ子』をお願いしといたよ」


 私は驚いて、「本当ですか?」と、前のめりになるくらいの勢いで尋ね返した。「ええ子、ええ子」は、地区の行事であり、その特性上、普段からそこで暮らしている住人しか対象でないものと思い込んでいた。実家に里帰り中の人間にも適用してよいとは、なんという僥倖であろうか。まさか、伝説の行事を、自らが対象となって特等席で目の当たりにする機会が訪れようとは、夢にも思わなかった。

 妻の実家に到着すると、私は早速、デジタルビデオカメラのチェックを始めた。娘の誕生を機に購入したそれは、撮り溜めていた娘の成長記録を妻の家族に見せるためと、「背負い餅」というイベントを撮影するために持参したものだった。「背負い餅」は、「一生食べるものに困らないように」ということを祈って、一歳の誕生日に、もち米一升分(約2kg)のお餅を子供に背負わせるという、微笑ましいのか虐待なのかよくわからない行事であり、妻の家では新年に自家製の餅をつくっているということで、誕生日には少し早いが、里帰り期間中にやってしまおうという段取りになっていた。「背負い餅」だけでなく、「ええ子、ええ子」まで撮影できるとは、新年早々縁起が良い、と胸が踊った。

 到着した日の次の夜に、「背負い餅」が行われた。娘は巨大な丸餅を体に括り付けられ、亀みたいに畳の上を這いずった。同時に「選び取り」という儀式も行われた。これは、紙幣と箸と算盤のうち、何を選ぶかで将来を占うといういかにもな代物で、何をさせられているのかわかっていない娘本人を除いて、概ね和やかな雰囲気で進行した。ただ、残念ながら、娘が何を選び取ったのかは、記録に残っておらず、今となってはわからない。……この時のイベントを録画していたビデオカメラのデータが、完全に逸失してしまったからである。

 このようなことを書くと、「ええ子、ええ子」のオカルト的な影響でデジタルデータがかき消されたみたいだが、現実はもっと他愛のない話でしかない。娘が3歳になった頃、自分の過去の映像をビデオカメラ本体のモニターで再生して眺めることがブームになっており、ある時、操作を誤って中身を全部消去してしまったというだけの話だ。データ復旧もできなかった。録画した映像をこまめにメディアに移して編集したりするタイプであればノーダメージだったのであろうが、私も妻もそんなことを一切行っていなかったので、致命的ともいえるダメージを被り、3歳以前にビデオカメラで映した娘の動画は一切残っていない。

 「ええ子、ええ子」を撮影した映像もその巻き添えで消失してしまった、という顛末を予想されたかもしれないが、それは事実と大きく異なる。第一、当時の私は「ええ子、ええ子」に向けて万全の体制で臨むことを決意しており、右手にビデオカメラ、左手に自分のiPhone、さらに玄関脇にiPadを置いて「天地魔闘の構え」もかくやという状態で撮影を行うつもりだった。


 「背負い餅」の次の日、予定されていた「ええ子、ええ子」の夜に、子供たちは現れなかった。


 その日、空が暗くなり始めた頃、澄んだ冷たい空気を切り裂いて、「ええ子、ええ子」のために出発する子供たちの喧騒が、微かに聞こえた気がした。以降、心なしか、読経のような祝い唄の低いうねりや、道を行く小さな靴音の重なりさえも届いた。すぐ横の通りを子供たちが通り過ぎる気配もあった。どんな順で何軒回っているかわからないので、今か今かと、ただ玄関のチャイムが鳴らされるのを待ち続けていた。

 午後七時を過ぎ、地区にはいつものような静寂が訪れた。

 どこかで連絡の手違いがあったのだろう。あるいは、里帰り中の人間には「ええ子、ええ子」の権利が与えられないということなのか。妻の家は、「ええ子、ええ子」の巡回コースから除外されてしまった。寸志を払った義母は憤慨していた。確かに、実害を被ったのは義母だけであった。私はとにかくがっかりし、娘はええ子だと認めてもらえず、「ぎゃるぎゃる」の加護を受けられなかった。妻は何も気にしておらず、平然としていた。むしろ、子供たちの前でどんな顔をしていればよいかわからなかったので、行事がスポイルされて助かった、くらいのことを言った。


 この3か月後、妻は右胸のしこりが悪性腫瘍(浸潤性乳管癌)であったことが発覚し、我が家はいきなり、死の恐怖との戦いを余儀なくされることになった。結果的に、妻は右の乳房の全摘出と右腋下リンパ節の切除、放射線治療と半年に及ぶ抗癌剤治療の末、延長した育児休暇から復帰しないままで仕事を辞し、のちに寛解して、日本で一、二を争うほど怠惰な専業主婦にジョブチェンジすることに成功した。今こんな快適な生活ができるのは「ぎゃるぎゃる」の加護のおかげであると、妻は時折冗談めかして口にするが、私としては、大病を患ったこと自体が「ぎゃるぎゃる」の呪いのようにも感じるので、良くて「差し引きトントン」くらいではないかと思う。



 私がこの作品を書くにあたって、妻に了承をとろうとしたら、妻はこのようなことを言った。

「別に書いてもいいけど、くれぐれも、私と『ええ子、ええ子』と『ぎゃるぎゃる』を馬鹿にするようなことはないように。三者への感謝とリスペクトの気持ちを忘れたら、何が起こるかわからないよ。夜の闇に気を付けた方がいい」

 そして、こんなこともつけ加えた。

「そもそも、貴方、『ええ子、ええ子』を一回も見たことないでしょ。『ええ子、ええ子の夜』っていう写真さえ見たわけじゃないし。『ええ子、ええ子』のことなんて何も知らないわけ。……そもそも『ぎゃるぎゃる』のことだって、のに」

 私は、この時ほど、ぞっとしたことはない。「ええ子、ええ子」の夜をとらえたその写真は、一体どんなものなのだろう。きっと、何人かの子供たちが、小さな赤子を抱いた若い母親と向かい合い、祝い唄を歌っている瞬間か何かを捉えた白黒写真だと思う。その子供たちの背後、一見して高い木の影にしか見えない暗い闇の中に、イノシシの倍くらいある謎の生き物がうっそりと鎮座して儀式を見守る、その輪郭が微かに見切れている。そんな妄想が、あまりにもはっきりと私を捕まえた。


 「ぎゃるぎゃる」は、私の中の闇に潜んでいる。「ええ子、ええ子」の夜は、まだ明けない。

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ええ子、ええ子の夜 今迫直弥 @hatohatoyama

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