祝い唄「ええ子、ええ子」の謎
祝い唄「ええ子、ええ子」の歌詞を、それらしい漢字表記に直して再掲する。
向こうの山から 穴掘る何々
兎 狸
○○屋の子供は ええ子 ええ子や
補足すると、「○○」と伏字になっているところは、赤子のいる家の屋号が入る。「ハッピーバースデー ディア○○」と同一のシステムであり、歌い手の子供たちが、相手の家に合わせて歌い分けなければならない。
私なりに現代語に訳すと、大体次のような意味になるのではないかと考えている。
向こうの山から穴を掘って来るのは何であろうか?
兎、狸、イノシシやぎゃるぎゃるである。
○○屋に新しく産まれた子供は良い子である。
本家の(おそらく跡継ぎの)子供も良い子である。
皆、良い子である。
前半部分は、狩猟の獲物となる動物たちが次々とやって来る描写から、「大漁祈願」の食肉バージョンであって、赤子がこの先食べるのに苦労しないことを祈念しているものと思われる。そして、後半では、新しく産まれた子供にとどまらず、本家の跡継ぎにも言及して阿ることで、対象者の係累全て、末代までの幸福をまとめて願う算段となっているようである。なるほど、読み解いてみると、不気味な印象とは裏腹に、確かに祝い唄のようである。
……いや、当然私にもわかっている。
ここまであえて触れてこなかったが、誰がどう考えても、理解できない文言がある。現代語に訳しても、浮きまくっている。
私は当然、妻に直接尋ねた。
「ぎゃるぎゃるって何?」
妻の実家のある旧T村は方言がきつく、特に老人ではその傾向が顕著であって、私は妻の祖母の発言の意図を半分も理解できないほどである。「ありがとう」のことを「ようこそようこそ」と言うその地方の異次元の変換式を援用した結果、私のよく知る言葉が「ぎゃるぎゃる」になっているものと気軽に考えていた。妻は平然と答えた。
「知らない。お父さんはカエルか何かの鳴き声だろうって言ってた」
カエルのわけがあるか。
歌詞を辿ると、うさぎ→たぬき→ししと、段々大きな動物を登場させていることがわかる。これは、狩猟で獲得が期待される成果物がどんどん豪華になっていくことを意図しているものと思われ、ホップ・ステップ・ジャンプで、しし(最初、これを「獅子」と捉えてしまい、何で急にライオンが出て来るのかと訝ったことは秘密である)という巨大なご馳走を提示しているのに、その次がカエルでは、(当地でカエルが超高級食材として扱われているという事情でもない限り)どう考えても見劣りする。そもそも穴を掘って移動しそうなタイプの生き物でない。
イノシシより豪華で穴を掘りそうな獲物ということになると、日本国内ではクマくらいしか考えられないが、クマのことはクマとしか呼ばない、と妻は頑なに否定する。
だとすると、「向こうの山」にイノシシよりデカい何らかの化物がおり、「ぎゃるぎゃる」と呼ばれていたというような話になるが、そんなものが穴を掘ってこちらにやってくるのは、ただの怪談であって祝い唄でない。曲調としては、むしろその解釈の方がしっくり来るというのが本音であるが。
何かのアイデアが得られるかと思って、さまざまな出身地の友人に、「ぎゃるぎゃる」について尋ねてみたことがある。文字通り、複数のGALのことであって、産まれて来た子供が女に不自由しないことを祈念しているのでないか、という男子高校生みたいな意見には笑わせてもらったが、傾聴する価値はない。何故なら、もしも「ぎゃるぎゃる」がGALのことだとしたら、対象の赤子が女児だった場合に「ぎゃる男ぎゃる男」という歌い分けを強要されることは必定であり、赤子の性別に依らず歌詞が共通していた時点で、その可能性は否定できるからだ(ギャルという言葉が日本で使われ出したのが1972年であるという点には目を瞑るものとする)。そんな中、最もしっくり来た意見は、
「『ぎゃるぎゃる』というのは、『などなど』とか『エトセトラ』みたいな意味で、リズムを整えるために置かれているだけなのではないか」
というものだ。
「向こうの山から穴を掘って来るのは何であろうか? 兎、狸、イノシシ等々である」
もうこれが正解で良いような気がしたので、妻にこの話を伝えたところ、驚くべき回答があった。
「その可能性はなくはないけど、少なくとも、などなどのことをぎゃるぎゃるって言っている人は見たことがないから、違うと思う。あと、最初の部分の訳は絶対に間違ってる」
最初の部分とは何かと言えば、「向こうの山から」のことであった。旧T村では、「から」という言葉に方向性を示すニュアンスがないのだという。「今日の昼、校庭から食べん?(今日の昼ご飯を校庭で食べませんか?)」という使い方を平気でする。つまり、「〜において」くらいの意味しかなく、「ええ子、ええ子」の兎、狸、猪、ぎゃるぎゃるは、向こうの山で勝手に穴を掘っているだけで、こちらに移動して来ている感覚はないのだという。
「だから、狩猟の獲物が寄ってくるとか、そういう風に考えたこともなかった。そもそも、狸食べなくない? 食べ物に困らないことを言いたいなら、普通、米だし」
と、妻は、私の現代語訳と内容解釈の両方を否定した。
「だとしたら、謎の動物たちの穴掘りパートは何の話なのさ?」
「私は、動物たちが穴を掘ったら赤子が出てきた、みたいな誕生秘話なのかと思ってた」
「あー、キャベツ畑のコウノトリ的な。旧T村民は、土から出てくる、ゾンビみたいな出自で良いのか?」
「あるいは、人を呪わば穴二つ、みたいに、墓穴のことで、生と死の対比なのかな、と」
「新年の行事にしては怖すぎるだろ」
「そんなわけで、ぎゃるぎゃるは穴掘り役の親玉みたいなもので、だからお父さんは、ナルトに出てくるデカいガマみたいなやつだと思ってたんじゃない?」
「……本格的に怪談じゃないか」
人気マンガを例にとるまでもなく、巨大なカエルは、怪異のモチーフとして典型的なものであり、大蝦蟇などと呼ばれて広く知られている。なるほど、狩猟の獲物という解釈を離れ、化物であることを容認さえしてしまえば、その鳴き声から「ぎゃるぎゃる=カエル」という等式も、あながちおかしなものでないような気がしてくる。……祝い唄の概念からは程遠くなるが。
「まあ、私はぎゃるぎゃるをカエルだと思ったことは一回もないけど」
妻は、平気でこれまでの議論を全てひっくり返して来た。
「じゃあ、何だと思ってるの?」
「知らないって。他の何かじゃないんだから、ぎゃるぎゃるはぎゃるぎゃるでしょ」
妻は、最早「ぎゃるぎゃる」を、正体不明の異物としての位置付けのまま、すっかり受け入れてしまっているようだった。「ぎゃるぎゃるの加護のおかげで」みたいなことを冗談みたいに口にするので、何かしら超自然的なものであるとは思っているらしい。
「ぎゃるぎゃる」の正体は、調べてみてもわからなかった。残念ながら、現時点ではそう結論せざるを得ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます