長女・花

 通学路を半分くらい走ったあたりから、私は逆走をはじめていた。

 家にペンケースを忘れた!

 遅刻しそうな時間に飛び出して、忘れ物に気がつくなんて。で、走りながら思ったのだが、なにも取りに帰らなくてもクラスメイトから鉛筆を借りればよかったのだ。しかしもう道を戻ってしまっているし、どちらにしろ遅刻は確定だし、開き直ってこのまま取りに帰る。

 私には、自慢の家族がいる。

 ちょっとぼうっとしているけれど、優しいパパ。冷静で愛情深いママ。粗暴な態度のくせに本当は家族をしっかり見ているお兄ちゃん。かわいいプーちゃん。

 私はこの家族の娘。世界一幸せな娘だ。

 自宅の玄関の扉に飛びついて、レバーを引っ張る。扉が開いたと同時に、パパの声が聞こえてきた。

「美鳥さん、風太! すっかり抜け落ちてたんだが、来週は花の授業参観があるらしいじゃないか」

「あら。それなら私が行くと、もう花に伝えたわよ」

 ママが返事をすると、パパがちょっと、声を鋭くした。

「なんで勝手に決めるんだ。抜けがけをするな。君はびっくりすると羽根が出るから、人前に出るべきではない」

「汰月さんだって、尻尾が出るくせに」

「うるせえなあ、間をとって俺が行くか?」

 お兄ちゃんがまたテキトーなことを言っている。パパがすぐに切り返した。

「中学生の兄が授業参観なんて、違和感があるだろう。そんなに花の授業風景が見たいか」

「揉めるくらいならっつうことだよ! てめえは死体でも拾ってろ」

「図星だと怒鳴る癖は改めなさい」

 私は三人に気づかれないよう、ダイニングの前をそうっと通り過ぎようとした。が、どこからかプーちゃんが飛び出してきて、私の足元には擦り寄り、鈍臭い私は見事に足を滑らせた。

 ドターンと派手な音が立てば、言い争いをしていた家族が一斉に振り向く。

「たっ……」

 私は顔を上げて、誤魔化し笑いを浮かべた。

「ただいま」

 顔色を真っ青にして凍りついている三人を置いて、私は自室へ駆け出した。

「ペンケース忘れたの! うっかりしちゃった!」

 部屋に駆け込んで扉を閉めると、途端に笑いが込み上げてきた。私が戻ってくるとは思わなかったのだろう。皆、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして。

 私は、この「家族」に嘘をついている。家族だけではなく、世界じゅうにも嘘をついている。

 私の家族は、パパも、ママも、お兄ちゃんも、人間ではない。本当はそんなこと、とっくに知ってるのだ。

 当たり前だよ! 気づくに決まっている。パパは猫みたいに高いところを移動するし、ママなんか木から木へ飛び移る。お兄ちゃんは私が物心づいたときからずっと中学生のまま。人間ではなさそうだなんて、簡単に分かってしまう。

 プーちゃんも犬ではない。最初は犬だと思っていたけれど、妖怪図鑑で調べたら脛擦りだったことが分かった。

 とくにびっくりもしなかった。他の家とどうも違うなとは思っていたから、むしろ納得した。物の怪に育てられた私は、今更彼らを怖がる気にもなれない。

 その図鑑で知ったのだけれど、「柳田」というのは妖怪に詳しい民俗学者の苗字なのだそうだ。名付けたパパは、なかなかセンスがいい。

 私の家族は、揃いも揃って全員物の怪だ。本人たちは人間になり切っているつもりのようだが、はっきり言って勉強不足。バレバレだ。

 でも、私は騙されているふりをする。なにも気づいていない素振りで、この家の娘を演じている。

 だって、私が気づいてしまったら、この「家族」は成り立たないんでしょ?

 だったら一生、嘘をついていてあげる。

 だけれどいつか、「本当は知っていたよ」って、「知っていても大好きだよ」って、言えたらいいなと思っている。


 私の名前は柳田花。九歳の小学三年生。

 嘘だけれど本当の、「この家の娘」だ。

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