長男・風太
人間の子供を拾って九年。俺は柳田家の長男を演じているが、あんなボケッとした猫のオッサンときつい性格の鳥ババアの息子だなんて、不本意の極みである。外見で“お兄ちゃん”のポジションを与えられ中学生という役柄まで盛り込まれているが、もちろん学校など行ったことはない。
妹である花のことは、毎日のように「喰べたい」と口にしている。そうでもしないと、他の二匹の物の怪に俺の意思が伝わらない。あいつらは、バカなのだ。
与えられている自室の布団に寝転がっていると、ドアが勝手に開いた。誰かと思えば、ペットのプーちゃんが半開きのドアを押し開けてきたみたいだ。プーちゃんは脛擦りなので、どこかしらに顔をぶつけたがる習性がある。部屋のドアも、ちゃんと閉めないとプーちゃんが顔を押し付けて入り込んでくる。
俺は布団から起き上がり、プーちゃんを抱き上げた。
「お前はいいよなあ。なんにも我慢してなくて」
今から二、三年前のことだ。
今より少し小さかった花が、なにやらコソコソとベランダに出入りするようになった。花は警戒心が弱く、命を狙われているとも知らずに家族を信頼しきっている。その花が、俺や他の二匹に秘密を作りはじめたのである。
最初に気づいたのは、俺だった。ひょっとして花は俺たちの正体に気づいて、ベランダから逃げようとしているのでないか。もしそうなら捕まえておかなくてはならない。
「花!」
ベランダのガラス戸を開けたら、座っていた花はビクンッと飛び上がった。そして直後、自身の唇に指を当てる。
「シーッ!」
しゃがむ花の足元を見て、俺は茶色い毛の塊に気がついた。脛擦りがいる。多分、物の怪の匂いに反応してやってきたのだ。
「このワンちゃん、いつの間にかここに住んでたの」
花は脛擦りを犬だと思っているみたいだった。
「だからこうして、ご飯をあげてるの」
キッチンからこっそり持ってきたらしい食パンを、脛擦りに与えている。どうやら花はベランダから逃げ出そうとしたのではなく、内緒で脛擦りを飼っていたようだ。
「そんならさあ、家の中で飼えばいいだろ。いちいちベランダに出るの、ばからしいし」
投げやりに言ったら、花は目を丸くした。
「でも、キッチンにあったパンを、パパとママに黙って持ってきちゃったんだよ。叱られるかも」
花は警戒心は弱いが、叱られることを恐れる。そのまま喰われるとか思っているのではなく、単純に、嫌われてしまうのではないかと恐れているらしい。
人間のこういう繊細な感情は、鬼である俺には面倒くさい。
「もしパンがなくなってるって叱られるようなら、俺が食ったことにすればいい。とりあえず、飼っていいか聞いてみれば?」
そう言って会話を切り上げ、俺は部屋に戻ろうとした。花が大きな目をぱちくりさせて、俺を見上げる。
「お兄ちゃん」
彼女は脛擦りを抱き、すっと立ち上がった。
「お兄ちゃんはこういうとき、私がどうしたいか、私以上に知ってるね」
脛擦りを大事そうに抱えて、花は俺の背中にトンとおでこをぶつけてきた。
「困ったらお兄ちゃんに相談すれば、なんでも大丈夫な気がするよ」
花のこの性格には、面食らってしまう。父親役の火車も、母親役の姑獲鳥も、花がこんな素直な子供に育ってしまって動揺している。
だから俺は、毎日のように口にする。「花を喰べたい」と。
俺は、この「家族」に嘘をついている。
ぶっちゃけもう、花のサイズは俺の口には合わない。俺は人の子供を喰らう鬼なのだが、おいしく喰べられるのはせいぜい生まれて五年目くらいまでの子供だ。花はもう、とっくにおいしい時期を過ぎている。もう喰いたいとは全く思わない。
それでも「喰べたい」と口にするのは、いつか花を手放すときのためだ。
鬼とは本来、人の心に住まう魔物である。だから、迷い揺れ動く感情に気がつくのは、得意だ。
火車と姑獲鳥が花に情が移っているのも、俺には分かるのである。
しかし花はそのうち、俺たちの素性に気づくだろう。そうしたら彼女はこの「家族」から逃げ出す。遅かれ早かれ、花との別れのときが必ずくる。
そのときにバカな火車と姑獲鳥が、正気を保っていられるように。ふたりに毎日、当初の目的を聞かせているのである。
俺たちは所詮、物の怪だ。人間を愛するために生まれたのではない。それを、忘れないために。
鬼の俺が言うとギャグみたいだが、文字どおり心を鬼にして、敢えて言葉にしているのだ。
俺の名前は柳田風太。十四歳の中学二年生。
という設定の、「鬼」だ。
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