母・美鳥
姑獲鳥は、赤ちゃんを攫う鳥の姿をした女の物の怪である。だから私は、本能的に赤ちゃんに執着してしまう。
九年前、私は誰より早く花を見つけた。育児を諦めたらしい母親が、彼女をおくるみに包んで山に捨てたのである。
私はすぐさま、あの赤ん坊を自分のものにしようと決めた。手に入れようと近づくと、藪から汚い猫が飛び出してきて、木の上から鬼のガキが下りてきた。あの瞬間、時間が止まったみたいだった。
私は今、花の母親役を演じている。
ミシンの前に座って、体育着に花の名前を縫い付けている。体育ではしゃいだ花が、転んで体育着のゼッケンを破いてしまったのだ。
花はとても元気のいい女の子だ。「花」なんて淑やかな名前なのに、やんちゃでわんぱくで、その上おっちょこちょいである。今朝も、プーちゃんに足を取られて転んでいた。怪我の絶えないあの子のことは、よく心配になる。頑張ってここまで育てたのに、うっかり転んで運悪く死んだなんていったら、後味が悪い。
体育着のゼッケンには、彼女のクラスと名前が刻まれている。
三年四組、柳田花。
花のようにお淑やかな娘ではないが、まあ、いい名前だと思う。
この名前をつけたのは、火車の汰月さんだ。花だけに限らず、私と風太の名前も、汰月さんがつけた。花の世話をはじめたばかりの頃だった。
「名前がないと不便だな」
まだ言葉を話せなかった花を眺め、彼はそう言い出した。
「こいつだけじゃない。僕たち全員、群れない物の怪だから名前を必要としてこなかった。だが今はこうして集団生活をしている以上、名前が要る」
火車は猫である。急な気まぐれを起こしてその場の勢いで衝動的に行動するのは、彼にはよくあることだった。
「人間の言葉に、『カチョウフウゲツ』というのがあるらしい」
「かちょ?」
首を傾げる鬼に、彼は得意げに知識をひけらかした。
「美しいものの喩えなんだそうだ。漢字四文字でそういう言葉がある。僕たちの数も、この赤ん坊を入れれば四だ」
彼は真っ先に、ゆりかごの中の赤ん坊を手で示した。
「こいつを花にする。そして君がと、とり……美鳥さんで、君は、ふ、風太。僕は……つき、ええと、汰月」
あれは絶対に、その場で考えていた。
「花鳥風月からひと文字ずつとってるんだよ。形だけでも、美しい家族でいられるように。だって、家族の形が
さらに、彼は続けた。
「それに、もしも花の本当の親が現れたとしたら、花は人間の元へ渡ってしまうだろう。でも、人間には血縁以上の絆を信じる者がいる。僕らの演じる家族が完璧であれば、花は本当の親より僕らを選ぶに違いない」
彼のその仮説を聞いたとき、私はなるほどと膝を打った。親が戻ってくるなどという発想は私にはなかったが、可能性としてはありうる。人間なんて、勝手なものだから。
そして同時にこうも思った。仮に親が出てきたとしても、私は意地でも花を手放さないだろうと。
汰月さんは、なにを考えているのかよく分からない。風太は血気盛んで、花が大人になる前に喰べたいとしょっちゅう呟いている。
私だって、あんな良質な娘をやすやすと他の物の怪に明け渡すつもりはない。他の連中とは、私は違うの。
私は、この「家族」に嘘をついている。
私はもしかしたら、もう物の怪としての矜持をなくしたかもしれないのだ。花に対する執着は、獲物としてではない。母親になりたかった私の、歪んだ愛情だ。
花は人間なのだから、一緒に暮らす家族も、人間の方がいいに決まっている。それでも私は、花の“お母さん”でいたい。これはただの、私の行き過ぎたエゴだ。
私の名前は柳田美鳥。三十三歳の専業主婦。
という設定の、「姑獲鳥」だ。
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