君の嘘がホントになる日

植原翠/『浅倉さん、怪異です!』発売

君の嘘がホントになる日

 今日は特別な日だ。

 だって今日は、あの四月一日からちょうど十年。明日香の嘘が本当になる日だからだ。


 海が近いこの町は、今日も強い潮の匂いに包まれている。僕は母校兼現在の勤務先である中学校の屋上で、星空を見上げていた。

 星空といっても、見慣れた濃紺の空ではない。明るい青と緑色の入り交じったような、化学物質みたいな色合いの空だ。そこに白や黄色、ときどき赤色の星がぷつりぷつりと瞬いていて。

「きれいだなあ……」

 月の傍には、月より大きくて明るい、銀色の円が浮かんでいた。


 *


 明日香と出会ったのは、中学の頃に入った自然科学部だった。彼女は黒くて長い髪をポニーテールにした、快活な少女である。

 わりかし薄暗い性格の奴が集まっていたうちの学校の自然科学部において、無邪気で明るくて喧しい明日香は浮いた存在だった。

 二年から三年に上がるときの春休みのことだ。四月一日の夜、僕たち化学部はおおねずみ座流星群が見られると聞いて学校の屋上に集まっていた。

 明日香が僕にこんな話を振ってきたのは、その夜のことだった。

「ねえ健ちゃん、もし、もうすぐ地球が滅ぶとしたらどうする?」

 これはあれだ、ちょっとした心理テストみたいな。実際に滅ぶ滅ばないに拘らず、地球が滅ぶと仮定されたときに、どんな行動をとるか。それで人間性を見抜くというか。コミュニケーションのひとつというか。猫型ロボットの道具がひとつだけ手に入るとしたらなにが欲しいか、などに準ずる、不毛な質問である。

 今夜は天気が悪くて、星が上手く見えそうにない。僕はそんな、ぼやっとした黒い空を見上げた。

「あー、好きなもん食べて、寝るかな。寝てる間に終わってくれれば怖くないし」

 真剣に考えるのが面倒で、無難な回答をする。そんな僕に対し、明日香は大袈裟に首を振ってみせた。

「はーい残念。地球が終わる直前に、健ちゃんが好きなコロッケを売ってるお惣菜屋さん『うなばら』が開いてるわけないでしょ」

 僕はむっと、明日香のしたり顔を睨んだ。たかが不毛な質問に、当たり障りのない返事をして、なぜ揚げ足を取られなくてはならないのか。子供だった僕は、大人げなく言い返した。

「仮定が曖昧な方が悪いんだよ。『もうすぐ』ってどれくらい?」

 今日なのか、一週間後なのか。宇宙規模でいえば、百年だって一瞬だ。

「それだけじゃない。その日に滅亡するという事実は、一般にどのくらい周知されている? どんなふうに地球が滅亡する?」

 たとえば、五十年後だったとして、その事実は一般に広く周知されているとしよう。滅亡の仕方は、外国の核戦争。

 その仮定だとすると、予言された頃は人々は大騒ぎするだろうが、何年もすれば諦めがつく。当日は静かに最後の日を迎えるだろう。或いは、それだけ早く想定されていれば大規模な地下シェルターが建設されて、滅亡を免れることだってありうるのである。

「うーん、じゃあ、今夜ということにしよう」

 明日香が後れ毛を耳にかける。

「そんで、町の人は誰も知らなくて、健ちゃんだけ知ってる。星の欠片が落下してきて、滅亡」

「そんなの、起こりうるわけないのにな」

 僕と明日香が杞憂の話をしているうちに、他の部員たちはおもむろに帰り支度をはじめていた。曇った空が晴れそうになくて、流星を諦めたのである。彼らは明日香の空想話など聞きもしない。明日香の相手をしているのは、いつも僕くらいのものだった。

「それじゃ、なんで僕は誰も知らない星の落下を知ったの?」

「それはね、実は知ってるのが健ちゃんだけじゃなかったからなのよ。私が教えてあげた」

「なぜ明日香が知ってたの?」

「私のお父さんが国際宇宙観測センターに勤めてるから! お父さんが国際レベルの機密情報を家族に洩らしちゃったんだ。落ちてくる星は、アヴリオね。知ってる? 金星の衛星だよ」

 胸を張る明日香を横目に、僕はため息をついた。

 明日香は、ちょっと変わっている。明日香のお父さんの話も、金星の衛星も、わかりきった嘘なのだ。

 最初に聞いたときは信じてしまったが、通りすがりの担任の先生が「お父さんはナニガシ商事の会社員でしょ」とあっさり嘘を暴いた。そして、金星に衛星はない。

 以来、僕は明日香の嘘をいくつも聞いている。

 国際宇宙観測センターに勤める明日香の父親が、世界で初めて「アヴリオ」という星の観測に成功しただとか、そのアヴリオが纏う化学粒子「アヴリウム」はオゾン層を溶かすだとか。明日香は、“なんとなくそれっぽい嘘”をいろいろ並べるのである。

 一瞬興味をそそられるが、それが嘘だとわかると皆が興ざめした。その結果、明日香は周りから虚言癖があると思われてしまい、距離を置かれるようになった。

 僕も明日香の嘘には辟易している。でも、彼女の嘘は誰かを傷つけるものではないし、空想の範囲内だ。だから僕は、明日香の“それっぽい嘘”に“それっぽい相槌”を打っていた。

 そして今の関係に至る。他の部員から総スカンを食らう明日香は、話し相手をしてくれる僕にばかり話しかけてくるようになった。

 周りから冷たくされても、明日香は大人しくはならなかった。それどころか、底抜けに明るい。そしてうるさい。

「アヴリオが落ちてきて、アヴリウムにオゾン層が溶かされる。その際の化学反応がとってもきれいでね、空が青緑色に染まるの。空が全部、オーロラに包まれたみたいにね」

 明日香が夢でも見るように目をきらきらさせる。空想でそこまで想像できるのは、ある意味羨ましい能力だ。凡夫の僕は、そこまで想像力が及ばない。

「ふうん……そりゃきれいだ。それじゃ僕は、その空を見上げながら惣菜屋『うなばら』に行って、コロッケを好きなだけ買って、食べて寝る」

「だからあ、『うなばら』は閉まってるって!」

「でも、地球が終わるのは明日香の家族や僕くらいしか知らないんでしょ? 『うなばら』のご主人は、なにも知らずに呑気に営業してるんじゃないの」

 しれっと言い返すと、明日香はううっと唸った。

「でも、星の欠片が突っ込んできて空に穴が空いてたら、営業してる場合じゃないよ」

「どうかなあ。状況を想像できないから、わかんないな」

 こんな無駄なやりとりをしている間に、他の部員たちは各々撤収しはじめていた。僕と明日香もモソモソと帰り支度をはじめた。

「そんじゃ、明日香だったらどうする? 今日、地球が終わるとしたら」

 逆に聞き返すと、明日香は片付けをする手を止めて微笑んだ。

「地球最後の日なんて、スーパースペシャルデーだからね。私はね――」

「健一、明日香。屋上の戸締りよろしくな」

 部長が僕らに向かって、屋上の鍵を投げてくる。支度が遅れた僕と明日香は、そのまま屋上に取り残されたのだ。僕は飛んできた鍵をキャッチし、まとめた荷物を肩に引っ掛けた。明日香も、記入できなかった観測シートやペンケースをしまって、立ち上がった。

「じゃあさ、健ちゃん。十年後だったら、どうする?」

 一瞬なんの話かと思ったが、どうやら先程の不毛な質問はまだ続いていたようである。

「十年後か……どうだろうね。やっぱ、コロッケ買って食って寝るかな」

 僕はまた、無難な回答をした。明日香が呆れたように笑う。僕は鍵を握り、彼女に背を向けた。

「ほら、帰ろう。屋上の鍵、閉めちゃうぞ」

「健ちゃん。十年後、またここに来て」

 明日香の声に、僕は振り向いた。明日香は曇天の夜空を背に、にっこり笑っていた。

「十年後、私たちが二十四歳の、四月一日。またこの学校の屋上に来て。そしたら、私の嘘を全部ホントにしてあげる」

「はあ? なんだよそれ」

 眉間に皺を作った僕を見て、明日香はより一層楽しげに言った。

「健ちゃんがこの約束、覚えてたらね。ホントになるよ」


 *


 あれから、十年。

 その約束は正直忘れていたけれど、どんな因果なのか、僕はこの学校の教師になっていた。明日香とは高校進学を機に離れ離れになり、それから連絡をとっていない。彼女のことを思い出したのは、夜空に浮かぶ巨大な銀色の円を見つけた日からだった。

 あの日の十年後、二十四歳になった僕らの四月一日。

 本当に、青緑色の星空が広がっていた。

 明らかに不穏な景色、溶けるような暑さ、停電。あらゆる角度から異常が発生し、日本じゅう、いや世界じゅうが混乱に陥っていた。もちろん、惣菜屋「うなばら」も、こんな日に店を開けてなどいない。

 僕は中学の屋上の柵に腕を乗せて、美しい空をただただ見上げていた。

「明日香の嘘は、嘘なんだよなあ」

 ぽつりと呟いたとき、背後でキイ、と軋んだドアの音がした。振り向くと、長い黒い髪を靡かせる女がひとり、立っている。紺碧のワンピースの裾が風に揺らめく。艷めく黒髪は、空の青緑の光を反射して、オーロラみたいに煌めいていた。

「ポニーテール、やめたんだね」

 当時より少し大人っぽくなった明日香に、僕はそう笑いかけた。明日香は、大人っぽくなったようでいて相変わらずの無邪気な笑顔で返してきた。

「うん、歳を重ねたら似合わなくなっちゃったんだ」

 柵にもたれかかる僕の方へと、明日香が駆け寄ってくる。隣にやって来た彼女は、僕と同じように柵に肘を乗せた。

「ねっ、ホントになったでしょ」

 まるで楽しいことかのように、明日香が空に向かって笑う。

「『アヴリオ』って、どっかの言葉で『明日』って意味なんだって。『明日』が来るせいで明日が来ないなんて、面白いよね」

 僕はそのあどけない笑顔を横目に、尋ねた。

「全部本当になったの?」

「まあね。もともと、嘘なんてついてなかったんだ」

 明日香の睫毛に縹色の光が憩う。

「お父さんの仕事は内緒にしなくちゃいけなかったから、学校にはナニガシ商事の会社員ってことにしてたの。お父さんが星を見つけたことも、自慢したかったのに言っちゃだめって言われててね」

 停電で人工の明かりが死んだ世界で、夜の空は異様なほど明るかった。

「アヴリオの衝突で地球が終わることも……お父さんの研究でわかってた。だけど世界じゅうの混乱を避けるために、誰にも秘密だった」

 少し声を静めて、それから明日香はパッと明るい笑顔に戻った。

「でもさー、私もまだ中学生だったし? こんなん言いたいに決まってんじゃん。『明日』という名の星が来るから明日が来ないなんて面白すぎだし、誰かに言いたくて我慢できなかった」

 冗談めかして言い、明日香はその口調のまま、続けた。

「そんな秘密抱えて、背負いきれるわけなかったんだよ。皆、未来に向かって頑張ってるのに。もうすぐ地球が終わるなんて、信じたくなかった。ひとりで抱えるには、重すぎたの」

「そっか。だから“嘘”をついたんだね」

 僕が言うと、明日香は頷いた。

「“嘘”ということにすれば、口に出してもセーフかなって。誰も信じなければ、忘れられて、なかったことになるから。ただ、吐き出せたらそれでよかったからね」

 明日香のお父さんは、国際宇宙観測センターに勤めている。世界で初めて、金星の衛星「アヴリオ」の観測に成功し、その星の纏う物質「アヴリウム」を発見した。アヴリウムはオゾン層を溶かし、その化学反応で空は青緑色に染まる。

 君の“嘘”は全部、事実。“ホント”になった。

「私の言うことは誰も信じなかったし、信じなくてよかった。でもね、健ちゃんだけは、信じてはいなかったけど、聞いてくれたの」

 明日香が長い睫毛を伏せ、瞼を閉じた。

「それがとっても、嬉しかった。地球はそのうち終わるから、友達なんかいなくてもいいと思ってたけど……健ちゃんがいてくれて、本当によかったって、今でも思ってるの」

「うん」

「本当に、本当に、ありがとう」

「うん……」

 明日香のお父さんのこと、存在しないはずの金星の衛星、星の衝突、青緑色の空。

「お惣菜屋の『うなばら』でコロッケが買えない、ってことまで、本当だったな」

「町が大混乱になるのも、私にはわかってたからね」

 熱風が吹いた。明日香の長い髪が巻き上げられる。青く、緑で、透明の光が、その髪をつやつやと輝かせる。

「地球最後の日は、コロッケ食って寝るって言ったのに。僕の言ったことが嘘になっちゃった」

「あっはは、そうだね!」

 明日香はこんなときでも笑っていた。なぜか僕も、怖くなかった。

「でも、明日香はあの日、『十年後に僕がここに来たら』全部が本当になるって言ったよね? 僕が来ようと来なかろうと、アヴリオは落ちてきたんじゃないのか?」

「そうなんだけどね。私があの日に言ったこと、もうひとつあったでしょ。あれが嘘になったら、全部とは言えないからさ」

 明日香の言葉で、僕は十年前の天体観測を思い起こした。



『そんじゃ、明日香だったらどうする? 今日、地球が終わるとしたら』

『地球最後の日なんて、スーパースペシャルデーだからね。私はね――いちばん好きな人と手を繋いで、特別な星空を見ていたいな』



「十年間、いろんなことを考えたよ。健ちゃんがもう、この町にいないかもしれない、とか。結婚してたらどうしようかなとか」

 明日香は幻想的な空を見上げ、うっとりした声で言った。

「でも健ちゃんは、あの約束をちゃんと思い出して、この場所に来てくれた。だから私は、ひとりで秘密を抱えて嘘つきになってずっと孤独に耐えてきた分、今日だけは特別に君の隣にいたい」

 明日香の瞳が僕を見上げた。黒い瞳に空の色が映り込んで、細かい星が瞬いていて、なんてきれいなんだろう。

「明日香のそういうとこ、意外とロマンチストだよね」

 僕は左手を伸ばし、明日香の右手を握った。


 今日は特別な日だ。

 君の嘘が本当になる日。君が待ち望んでいた、特別な日。


 珊瑚の海のような美しい虚空が、町並みの先の水平線を包む。いつか溶けて消える世界で、僕と君は手を繋いでいた。

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