赤き実の一つなるなりマユミの木

香久山 ゆみ

赤き実の一つなるなりマユミの木

 ひやりと唇が濡れた感覚で、目が覚めた。重く垂れた瞼をゆっくり開く。ずいぶん長い夢を見ていたようだ。

 目の前に、黒いボタンみたいな湿った鼻がある。この鼻が私の唇をつついたらしい。

「――カグ!」

「ユマちゃん、おはよう!」

 黒い鼻の妹は再会を喜びしっぽをぶんぶん振る。ユマはその小さな体をぎゅっと抱きしめる。ふわふわの毛並み、ユマよりもあったかい犬の体温。

「また会えたね。カグは全然変わらないね」

「ユマちゃんも」

 周りを見回すと、一面の花畑。ずいぶん久しぶりの景色だと思ったけれど、一体いつここに来たのだかまるで思い出せない。

「ええと、私はなんでここに来たんだったかな」

 頭を掻くと、カグがもじもじ見上げてる。

「……あのね。カグ、ユマちゃんにさがしものを手伝ってほしいの」

「さがしもの?」

 小さな頭がこくんと頷く。

「なにを探してるの?」

 ユマが訊くと、カグはまたもじもじする。

「……なんだっけ」

「忘れちゃったの?」

 またこくんと小さな頭を振る。ユマは筋張った手でやさしくその頭を撫でる。

「ふふ。なら、何を探すのかから探さないとね」

「うふふ」

 おっちょこちょいな姉妹はいっしょに笑った。

「行こ」

 立ち上がったユマとカグはともに花畑を進む。目覚めたばかりのユマは足が重いが、先を行くカグは必ず立ち止まってユマが追いつくのを待ってくれる。

 お腹が空いたな。自分で思っているよりも長い時間眠っていたのかもしれない。そう思いながら歩いていると、こつんと足先に何か当たった。拾い上げると、それは真っ赤な林檎。

 視線を上げると、目の前に大きな林檎の木と、木陰には椅子が置かれている。

「少し休憩しよう」

 椅子の脇には果物ナイフまで据えてある。

「カグ、見て」

 ユマはナイフでするすると林檎の皮を剥く。途切れず剥かれた皮は表面の赤色と内側の白色を見せながらくるくると地面に向かって伸びていく。

「すごい、まるで蛇みたい」

 ふふん。妹にかっこいいところを見せられたユマは上機嫌。きれいに剥けた白い実にがぶりと齧りつく。瑞々しい甘さに、元気が湧く。力が漲り、どこまでだって駆けていけそうだ。

「はい、カグ。半分こ」

 きれいな歯型のついた林檎をカグに差し出す。カグは足元に落ちた林檎の皮をじっと見つめてふるふる首を横に振る。

「カグ、それいらない。ユマちゃんが全部食べて」

 食いしん坊のカグなのにめずらしい。それほど蛇みたいな皮が気味悪かったのね。「じゃあまたおいしいものを見つけたら一緒に食べようね」そう言ってユマは残りの林檎をぺろりと平らげて、ふたりは道を進む。腹ごしらえしたおかげか、ユマの足取りも先程よりずいぶん軽い。

 先導するカグのあとを歩く。

「ねえどこへ行くの」

「さがしものしてる人のところ」

「それは覚えているのね」

 冗談めかして言うと、カグがうふふと笑う。カグは誰かのさがしもののお手伝いをしているらしい。

「ユマちゃんも、ずいぶん久しぶりなのにカグのこと覚えていてくれたね」

「当たり前じゃん。大好きな妹のこと忘れるわけないよ」

 きっぱり言うと、「カグもユマちゃん大好き」と答えた。

 本当は、少し不安だった。私はばかだから、忘れちゃわないかって。けど、ちゃんと大切なものを覚えていた。よかった。これからはずっと一緒にいられる。ユマとカグはどこまでも続く道を並んで歩く。

 花畑を抜け、森を進む。

 しばらく行くと、眺望のよい場所に出た。赤い屋根に白壁の小さな家が建っているが、柵で隔てられた背景は断崖で、まるで空に浮かぶ家みたい。

 家の前に人影がある。一、二、三……、何人かいる。

「あら、カグちゃんおかえりなさい」

 こちらが声を掛けるより先に、家の前に立つ人が言った。小さい人たちの中に、一人だけ背の高いすらりとした女の人。雪のように白い肌、薔薇のような赤い唇。

「探してきてくれたかしら?」

 女の人が歌うような声でカグに言う。カグはもじもじとして俯く。

「……あら、まだなのね? 困ったわ、七人揃わないと出発できないのに」

 女の人が赤い唇をつんと尖らせる。女の人を小人たちが囲んでいる。遠目に子どもだと思った人たちは、近付いてみると背の低い老人だった。お揃いの白いスモックを着た小人は、数えてみるといま六人いる。ふむ、迷子になった最後の一人を探せばいいのね。ユマは納得した。

「七人揃ったら、小人さんたちはどこへ行くの?」

 ユマが尋ねる。女の人が歌うように答える。

「ここからね、空を飛ぶのよ」

「小人さんは空を飛べるの?!」

 ユマが目を丸くすると、女の人がくすりと笑う。

「いいえ、空を飛べるのは『生命の珠』を手にした子だけよ」

 なるほど、その珠も探す必要がありそうだ。

「その珠ってどんなものなの?」

 前のめりに訊くと、彼女は少し首を傾げた。それからユマに目線を合わせて囁いた。

「生命の輝きは、まるで燃え盛る太陽に似ているわ。血の色、炎の色。――それは、真っ赤に実る生命の宝玉」

 赤き実をさがすのだ。ユマは力強く頷いた。視線を下ろすと、目を合わせたカグもしっぽをぶんぶん振った。

 そうしてユマとカグはふたたび森を出発した。

「さあ、どっちへ行こう?」

「海へ行ってみよう。浜辺にはいろんなものが流れ着くから」

 ふたりは白いハマユウの花を辿って海へ向かった。道中おしゃべりは尽きない。夢中になっていると、いつのまにか日も暮れてきた。薄暗い森に一番星が光る。

 ――ターン!

 夜を裂くような音が響き、バサバサバサと驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ。

「なに?」

 ユマとカグも思わずしゃがみ込む。

「今の音、なんですか?」

 樹上に止まっていたフクロウに声を掛ける。

「ほーほー。なあに、いつものことだ。男が月を射るのだと息巻いて、天に向かって発砲しているのさ」

「月を?」

「そうさ。大昔に月へ還った恋人を取り戻すために、月を射落とすのだと。哀れな物語だよ。皆で止めても聞かんのだ。もう弾も尽きる。いまは弾の代わりになる赤い実を探しているのだとさ」

 ほっほっほ。フクロウは口振りに合わずかなしそうに笑ったが、ふたりはそれどころではない。

「赤い実?!」

「おじいさん、その人はどこにいるの?」

 フクロウに教えてもらった道を進み、ふたりは月明かりのさす丘に出た。

 丘のいちばん高い場所に、一人の男が立っている。

「あの、すみません」

 ユマが声を掛けると、男は振り返った。

「あなたが月を射る人ですか?」

 構えていた猟銃を下ろして、男が口の端で笑う。

「当たったためしはないけどな。ずっと月に向かっているよ」

「ずっと?」

「ああ。もう何十年もだ。無謀だと思うか? けど、少しずつ近付いている。何事も疎かにしなければ」

 継続は力さ。秋の間は月が近いから、毎夜一晩中ここに立っているのだという。

「飛距離はずいぶん伸びた。あと少しだよ。月を射るための弾丸さえ手に入れば」

「弾丸?」

「ああ。ひょろりとした奴が教えてくれたんだ。月を射るための弾があるのだとさ。銃身から放たれると月に向かって真っ直ぐ飛んでいき、月の表面で爆ぜるのだと。小さな赤い実だと聞いた」

「あの、私たちも赤い実を探しているんです!」

 意気込むユマを、男は不思議そうな顔で見つめる。

「きみらも月を射るのかい?」

 ううん。ユマが説明すると、ふうん、と男は興味なさげに息を吐いた。

「それにしてもきれいな銃ね」

 ユマが言うと、男は口角を上げる。美しいだろ。と、男は白い銃身を滑らかに撫でた。

「はじめは弓矢を使っていたんだよ。先祖から伝来された方法で、檀の木から自分で伐り出して作るんだ。それから投石器を使うようになり、今はこのとおり猟銃だが、木の部分にはちゃんと檀を使っている」

 男は誇らしそうに目を細めた。

「へえ。その木って、今もあるの?」

「そりゃあるさ。植物や岩や自然のものは、そう簡単になくなったりしないさ」

 なのに月を射ようとするなんてヘンテコリンだと思ったけれど、カグはユマの足元に黙って控えていた。

 向こうに生えてるよ。男に教えてもらって、ユマたちは檀の木を見に行くことにした。ユマちゃんたら、好奇心旺盛で仕方ないんだから。そう思いながらも、カグはしっぽを振ってユマのあとを追った。

「あれっ」

 檀の木を見つけたふたりはそろって声を上げ、顔を見合わせた。

 そうして、ぱたぱたと月射る男のもとへ戻った。

「おや、どうした」

 息を切らせたふたりに男が尋ねる。

「これっ」

 ユマが握りしめた右手を差し出す。先ほど檀の木から捥いできた一粒が掌中にある。そっと手を開くと男も声を上げた。

「やっ、これは?!」

 ユマの掌には、弾丸のように小さな真っ赤な実がころんと載っている。

「檀の木になっていたんだよ」

 檀は秋に赤い小さな実をつける。秋の間ずっと天を仰いでいた男は、すぐそばの実りを見落としていたのだ。晩秋になり熟した檀の実は滴るほど真っ赤に色づいている。

「さがしていたのは、これでしょ」

 なのに、ユマが差し出す赤い実を男はいっこう受け取ろうとはしない。それどころか、困ったように太い眉を八の字にしてじっとユマの掌を見つめている。

「……ああ……、見つけてしまったのか。これでとうとう終わってしまう……」

 男はくしゃりと歪めた顔で、ぼそりと呟いた。

 もしかして、何かいけないことをしてしまったのだろうか。ユマとカグは顔を見合わせてそわそわした。

「あの、ごめんなさい。この実……、いらない?」

 上目遣いに言うと、男はふうっと大きく息を吐き、口元に笑みを作った。

「いや、もらうよ」

 きっぱり答えた。赤い実の載ったユマの掌に向かって、男が手を伸ばした。

 ――その時。

 しゃっと細い影が間を横切り、気づいた時にはユマの手から赤い実は消えていた。男が伸ばした手も空っぽのままだ。

「ユマちゃん、あっち!」

 カグの声に振り返ると、原っぱをするすると白い蛇が遠ざかっていく。その口に赤い実を咥えている。

 ――ターン。

 男が放った猟銃の弾を、するりとかわして蛇は森深くの闇へ消えていく。

「くそっ、今のが手持ちの最後の弾だ」

 男が声を上げた時には、すでにカグが飛び出していた。ユマもすぐにあとを追う。

「私たちが追いかけます!」

 月明かりのさす丘に男を残して、ふたりは森の奥に飛び込んだ。男はそこに立ち尽くしたまま、心なしかその顔には安堵の表情が浮かんでいるようにも見えた。

 暗い森の中には月明かりも星明りも届かないけれど、蛇の白い体はまるで発光しているようによく見えた。ふたりははぐれないように互いに声を掛け合いながら、夢中で蛇を追いかける。

 じきに森を抜け、殺風景な場所に出た。草木がまばらで土や石ころが目立つ。

「あそこ!」

 するするすると地面を這う蛇が進む先がよく見える。

「あ!」

 地面に空いた小さな穴に、蛇はするんと潜っていった。

 ふたりで穴を覗き込む。とてもユマの体は入れそうにない。

「カグが行く! ユマちゃん、またあとで」

「え、まっ……」

 ユマが止める間もなく、小さなカグがひとりで穴に飛び込んで行ってしまった。

「おーい!」

 おーい、おーい、おーい……。ユマの声が反響するばかりで、返事はない。穴は地面の深くに落ち込んでいるようだ。コロリンコロリンスットントン、穴に入ったカグがまたこの場所まで上がってくるのは難しそうだ。違う場所で落ち合うしかないだろう。

 カグとはぐれたユマは、ひとりで進むことにする。

 当てなどないけれど、はじめに相談していた通り、海を目指すことにした。浜辺にはいろんなものが辿り着くはずだから。

 ユマは泣かなかったし、カグも泣かなかった。

 カグは、勇敢に洞穴を進んだ。穴を落ちた先の、洞窟の中は真っ暗だった。けれど、平気だった。そこはいつかユマと来た場所だから。くんくん鼻をはたらかせながら、カグは迷わず進む。とくに暗く複雑に分岐する場所には、仄かに発光する思い出のような光の粒が転がっていて、行く先を照らした。

 ユマもまた、ハマユウの白い花を辿って迷わず海岸に出た。

 ざざーん……。月光に照らされた白い浜辺に波が打ち寄せる。昼間はあれほど青い海が、いまは真っ黒でなんだかそら恐ろしく感じた。

 気配を感じて、ユマはそっと岩場の奥を覗き込んだ。

 そこには白髪のおじいさんがゆるりと座っている。鑿とトンカチを置いた足元には、幾体もの木彫りの仏像が並んでいる。膝の上に本を広げたおじいさんがふいに振り返り、ユマとばっちり目が合った。

「おや、ユマちゃん。久しぶりだね」

 ウラシマのおじいさんが優しく微笑む。

「おじいさん、久しぶり。仏像の数が増えたね?」

「そりゃあずいぶん時が経ったからねえ」

 おじいさんがしみじみと言う。そう、ずいぶん年月が経った。ユマも懐かしくて、そっとおじいさんの隣に腰を下ろした。

「ユマちゃんも、よおく頑張ったね。とても長い間」

「でも、私ぜんぜん……。歌も下手だし絵も下手だし、おじいさんみたいに形あるものを残したりもできない。なんにもなれなかった」

 しょんぼり肩を落とすユマの頭を、おじいさんのごつごつした手がやさしく撫でる。

「物語を紡ぐのも大事な役目だよ」

「けど、それはいつも誰かのためだった。私は、私自身の証を残せなかった」

「素敵なことさ」

 おじいさんはきっぱりとした口調で断言した。誰かが物語らなければ、その世界は存在しないんだ。

「僕も、きみの物語に描いてもらってとても光栄だ」

 あ。その時ようやく、おじいさんの膝の上の本が自分のものだと気付いた。……読んだの? そりゃあ読んださ、よかったよ。でも、私まだまだ全然書き足りなくて……。それはそうさね、僕たちみたいのは満足できないからこそ、創り続けるのさ。

 こんなに美しい仏像を彫るおじいさんに認められたのが嬉しくて、ユマはもじもじと俯いた。

「……この仏像、小さいけれど白くてきれいね」

 照れ隠しに、手元の仏像を指で撫でる。

「ああ、それは檀の木から彫ったものだよ」

「あ!」

 それでようやくユマは思い出した。のんびりしている場合じゃない! 檀の実を奪った蛇を捕まえなくちゃ。カグを探さなくちゃ!

 水平線がはや白みはじめている。

「もうこんな時間なの?」

「立ち止まっていると時間の流れは速いのさ」

 おじいさんはぺろっと舌を出して笑った。

「私、急いで行かなきゃ!」

「なら、あちらへ進みなさい。舟で向こう岸に渡れるから。そこでまたカグちゃんに会えるだろう」

 ユマは海岸線を駆けた。

 砂浜に足を取られて、歩みは遅い。はあはあ、息が切れる。けれど、進み続けた。

 河口を遡ってしばらく行くと、船の渡し場を見つけた。

「あのっ。対岸まで渡りたいんですけれどもっ」

「えっ」

 必死の形相に、青い顔した船頭さんが目を丸くする。

「構わないが、船賃はあるのかい?」

「……ありません」

 ユマは俯きながら考えを巡らせる。どうしようどうしよう。「よっ」と、舟に足を掛けた船頭の着物の袷から虎柄のふんどしが覗く。

「なら、これにサインを書きな」

 借用書にでもサインさせられるのだろうか。法外な利息を取られるのではないか。けど……。唇を噛んで悩むユマの眼前に差し出されたのは、……私の本?!

「こいつにサインをいただけますか? いやあ作者に会えるなんて光栄だ」

「ええと、この本、ここでも売ってるんですか? ここ本屋さんとかあるの?」

 見返しにサインしながら尋ねる。

「いいえ、ウラシマのじいさんが嬉しそうにあちこち配って回ってるんですよ。ここらの者は皆読んでるんじゃないかな。大人気ですよ」

 船頭は受け取った本をしっかり抱えて、反対の手でユマが舟に乗り込むのを手伝う。

「この本には、本当のことが書いてあるからさ」

「けど、あっちでは嘘つきだと結構言われたものだけど」

 ユマがこぼすと、船頭はあっさり返す。

「何が本当かは自分が決めることさ。他人が決めることじゃあない」

 出航しますよ。船頭が笠を上げてぺこりと頭を下げると、その頭頂にはツノが生えている。けれど、さっきの船頭の言葉にすとんと納得したユマは、それにも気付かずぼんやり広がる景色を眺めていた。

 じきに対岸に着いたユマは舟を下り、道を進んだ。

 道は竹林に入り込み、辺りは一面の緑の世界になった。サラサラサラ。風が通ると笹擦れの音があちこちで鳴る。きっとここでカグに会える。確信を抱いてユマは進む。

 ガサガサッ。

 足元の藪が揺れる。――カグ?!

「きゃあっ!」

 しかし、飛び出してきたのは白い蛇。

「ユマちゃん! つかまえて!」

 そのあとから、すぐにかわいい声が追いかけてきた。

「カグ!」

 再会したふたりはまた蛇を追いかけて、ともに走る、走る。カグと一緒ならどこまでだって行ける。ふたりは走り続けた。

 竹薮を抜け、森を抜け、里を抜け、町を抜け、山も川も越えたかもしれない。

 走って、走って。

 そうして、日の当たる明るい場所へ出た。

 青い空を背景に、白壁と赤い屋根の小さな家が建っている。

「私たち、戻ってきたの?」

 ぜえぜえと膝に手をつき、ユマが呆れた声を出す。

 しゅるしゅると家の前で止まった蛇が、振り返る。

「すべての道は繋がっているのさ」

 ちろちろ赤い舌を出してそう言うと、蛇はくるんと長い体を丸めて自分の尾をぱくりと大きな口で咥えた。そうして、その場でくるくる回りだす。

「――ウロボロスの蛇……」

 その様子を見たユマが呟く。いつか宇宙マニアの幼馴染から聞いたことがある。宇宙の研究を進めると素粒子に行き着くし、素粒子の研究を進めるとまた宇宙の起源へ行き着く。極大から極小、極小から極大。すべては繋がっている。それを譬えるのが、西洋だと頭と尾が繋がったウロボロスの蛇だし、東洋だと太陰太極図になる。陰と陽。生と死。すべては繋がっているんだ、面白いだろ。

 そんなことを思い出している間にも蛇の回転はくるくる速くなり、光を放ち、光の中に一瞬赤い曼珠沙華を持つ白装束の美しい男が見えたかと思ったが、光はまだくるくると回り続け、ようやく回転が止まった中から現れたのは、雪のような白い肌に薔薇のような赤い唇の、あの女の人だった。

「おかえりなさい、カグちゃん」

 先ほどまで蛇だった女の人は花のように美しく微笑んだ。

「さがしものは見つかったかしら?」

 ユマの足元で、カグがこくんと頷いた。

「待って。見つかってないよ? 赤い実はいま消えてしまったし、最後の小人だって見つけられていない」

 ユマが慌てて言うと、カグはもじもじとユマを見上げた。女の人が歌うように言う。

「もう見つかったのよ」

 なにが? この人なに言ってんだかわけ分かんないよ。カグに視線を送ると、意を決したように、カグが答える。

「――ユマちゃんだよ」

「え?」

「カグがさがしてたのは。……最後の一人の小人は」

 意味が分からずじっと見つめ返すも、カグは目を逸らさない。

「カグがお願いしたの。せっかくユマちゃんに会えるなら、またさよならする前に一緒に遊びたいって」

「でも、私はここに来たところだよ。選ばれる七人は、先にこの世界にいる人から順番じゃないの?」

 だから私はまだカグと一緒にいる! そう訴えるも、カグは小さく首を横に振る。代わりに女の人が答える。

「ここから出発するのは必ずしも順番通りではないのよ」

「ならどうやって選ばれるの?」

「ひとことでいえば、運命――。ほとんどは運だけれど、好奇心旺盛な子ほど順番が早いかしら。中には他に順番を譲ってしまう子もいるけれど」

「私も譲る! まだここにいる!」

 だだっ子のように声を上げるが、誰もユマを叱ったりはしない。

「だめだよ」

 カグが言う。

「なんで?」

「だって、ユマちゃんはもう赤い実を食べたでしょう」

「食べてない! 赤い実は蛇が持っていって、このおねえさんになって、消えちゃった。カグも見たでしょ」

「ユマちゃんは、食べたよ。赤い林檎」

「あ!」

 赤い実は七つずつしか実らないから、食べた者は必ず出発しなければいけないのだと、女の人は言った。

「カグ、知ってたならどうして止めてくれなかったの」

「ええとね、ユマちゃんがいいんだって」

 うまく説明できないやと言うカグのことばを女の人が引継ぐ。

「あっちの世界にあなたみたいな子がいないと困るの。物語を紡ぐことで、あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ人。あなたがいないと、こちらの世界は永遠に閉ざされて消えてしまう」

 かもしれない、と女の人はちろりと舌を出した。

「何回でも何回でもまた出会えるように、ユマちゃんはあっちに戻らなきゃ。それに」

 あっちの世界でカグがユマちゃんより早く生まれて先にバイバイしちゃうと、ユマちゃんまた泣いちゃうでしょ。カグ、今度はユマちゃんよりうんと長生きするから、先に行って待ってて。しっかり者の妹が言う。こっちにはおばあちゃんやモモちゃんや皆もいるからさみしくないよ。だから大丈夫。

「わかった」

 ユマは頷く。

「けれど、どうやって行くの? 飛ぶと言っていたけれど……」

「ごらんなさい」

 女の人が小人の一人に林檎を渡す。赤い実をがぶりと齧るや、しわくちゃで真っ白だった顔に、みるみる赤みが差してふっくらした頬になる。小人のおじいさんはどんどん若返り、幼児になる。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 女神と挨拶を交わすと、小さい者はふわりと空に飛び立った。白いスモックが翼のようにはためく。ぷかりぷかりと雲に紛れて、じきに煙のように淡くなり見えなくなった。

 そうか。ユマは思い出した。目覚めた時は動きづらかった体が、林檎を食べた途端に軽くなったのだった。まるでカグと過ごした小学生の時みたいに。

「ねえカグ。よく私だってわかったね、起こしてくれた時には私はおばあさんだったのに」

「わかるよ」

 カグはえへんと答えた。こんな時におやつを持っていたらプレゼントするんだけれど、何もないからカグのかわいい頭をいっぱい撫でた。カグもユマの頬をぺろりと舐めた。

「ユマちゃん、カグが行くまで長生きしてね。きっとまた見つけるから」

「うん」

 ユマはカグの体をぎゅっと抱きしめてから、崖の先端へ進んだ。海は眼下の遥か彼方、目も眩む高さだ。

「こわい。本当に飛べるの? ヒトが飛ぶなんて信じられない」

「大丈夫だよ」

 震えるユマの声に、隣に並んだ小人が答える。

「宇宙で解明されているのはたった四パーセントだけなんだ。奇跡の起こる可能性は残り九十六パーセントもあるんだから」

 だから大丈夫。一緒に戻ろう。少年の姿まで若返った小人が、ユマの手をぎゅっと握る。

「ユマちゃん! またね!」

「カグ! 待ってるからね!」

 そうしてユマは青い空へ踏み出した。ふわりと浮かんだ白いスモックはどんどん小さくなり、白い影はじきに淡く、まるで龍のように形を変えるとするりと空の彼方へ溶けた。カグは、青空に浮かぶ白い軌跡をいつまでもいつまでも見上げた。

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赤き実の一つなるなりマユミの木 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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