ハモニカが奏でる愛海の未来

 鮎沢映見あゆさわえみ帆立愛海ほたてあいみは、横浜の大さん橋二階ターミナルコンコースにある自販機でアイスクリームを買った。全面ガラス張りの休憩スペースにある自販機だ。

 今でも外国の豪華客船が寄港する日本を代表するさん橋だ。クイーンエリザベスだって、セレブリティ・ミレニアム、ダイアモンド・プリンセス、にっぽん丸、飛鳥などの豪華客船がみんな今も寄港する国際ターミナルの埠頭だ。


 夏の太陽が眩しい季節。薄手のお揃いのような白地のワンピースに麦わら帽子で二人仲良く階段を上がる。

「デッキで食べよう」

「鯨の背中だ」

 見つめ合って笑う二人。この春から女子大に入学したもと浪人の二人。横浜の予備校で意気投合して、受験勉強を一緒に乗り切った女友達である。

「映見はその後魚住君と上手くやっている?」

「あーうん。つきあい始めた」

「同じ中学だったんだよね、確か?」

「そっ、でもあんまり親しくはなかったよ、中学時代は」

「へえ」

「たまたま伊勢山の神社の近くで再会してさあ、意気投合したんだ。発表の日に」と笑って答える映見。

 階段を登り切ると、眩しいほどの太陽光と青い海の広がる風景が二人の目に飛び込んできた。

「いいねえ、横浜って感じ」

 心地よい風を受けながら、アイスクリームを頬張る二人。


 アイスクリームも食べ終わった頃だった。スノコのような板で作られたウッドデッキが敷かれている通称「鯨の背中」というさん橋の屋上。その先端部分でハモニカの音が聞こえてきた。

「ハモニカ吹いてる」と映見。さらさらの髪に、マリンルックのTシャツとブルージーンズ。爽やか系の男性だ。

「何? マドロスを地でいってるヤツ? 港の男?」

 冷やかし半分の愛海も加わる。

 ただその上手さは素人の彼女たちにも分かるほどだった。結構な熟練度合いでないとこの演奏は出来ない。ビブラート、スタッカートが曲の中で、マッチする。まるで曲の臨場感を引き立たせるように音譜が彼女たちの耳に届けられる。


 海風に髪を押さえながら愛海は、そのハモニカ吹きの背後に立って聴き入る。

「何か用事かい? お嬢さん」

 海を見たまま、ハモニカを止めたその男は愛海に尋ねる。

「ごめんなさい、邪魔しちゃって。凄く上手なんで聴き入ってしまいました」

 素直な言葉に、

「そりゃ、プロだからね」と笑う男の声。そこで初めて彼女の方を向いて愛海の顔を確かめた。

「ありゃ、随分と美人なお嬢さんたちだ」と男。

「プロなんですか?」

「伊勢佐木町のライブレストランで、ジャズとブルースをやっているんだよ。練習はこういう場所の方が人の邪魔にならないからね」

「へえ」

 愛海は男の持つそのハモニカが異様に小さいことが気になった。学校などで見るハモニカと比べると明らかに音域が狭そうだ。

 気になった彼女はそれを訊ねる。

「そのハモニカ凄く小さい。あまり無いタイプですね」

 男はかざすように彼女の目の前にハモニカを差し出した。

「マリンバンドっていう名前のハモニカだ。一般にはブルースハープなんて言われているモノだよ。曲のキーごとに取り替えて使うんだ。これは一般的なCメジャーのもの」

「ハ長調かあ。掌に入っちゃう大きさだから、ビブラートや強弱がつけやすいんだ」と愛海は繁々と筐体を見て言う。

「仰るとおりだ。ずっと聴いていたんだね。音楽好きなの?」

「はい。三歳からピアノをやっていました」

「へえ」と男は頷くと、

「音楽はいいよね。無になれる」と呟く。

「受験も終わったから、またやろうと思っているのデス」と親指を立てる愛海。

「そっか。じゃあ、プレーヤー兼経営者の僕がスカウトしよう。興味があればウチにおいで、ジャズで売っている店なんだけど、クラッシックの日もあるんだよ。演奏のバイト、どう? テスト課題曲はベートーベンの「悲愴」だ」と言ってその男はポケットから名刺を出した。



『伊勢佐木ライブレストラン メゾピアノ オーナー支配人 安南児恭介あなごきょうすけ


「私なんかで大丈夫ですか?」

 嬉しさ半分、不安半分の愛海。

「テスト受けるのはただだよ。結果は君の腕次第さ。でも三歳からやってるんだったら、大概は受かる」と安南児。


 横で名刺をのぞき込んだ映見は、

「メゾピアノって、あの横島屋百貨店の系列の飲食店ですよね?」と訊ねる。知っている風だ。

「そう、あの百貨店は合資会社だけど、今はオレのアニキが社長をやっている。オレは次男坊の雇われに近いオーナー店長だ。独身な上に、夜がメインの仕事なんで、お日様が出ているときはこうしてハモニカだけが友達なんだ」と恥ずかしそうにはにかんだ。


「ぜひ行きます。私、帆立愛海といいます」

「うん待っている。今日の夕方四時においで、その時間今日のディナー時間の演奏楽曲を伝えるミーティングがあってねえ、そこで「悲愴」を弾いてもらうから。僕の眼鏡にかなえば、そのまま今晩のディナーで弾いてもらう。日給一万五千円。ドレスの衣装代も別に持つよ。三時間でだから悪くないだろう?」

「はい、では後ほど」と愛海。緊張した顔で頷く彼女。

「ごめんなさい。練習の邪魔しちゃって」と頭を下げて映見と愛海は安南児から離れた。


「私には彼氏よりも、音楽かな?」と笑う愛海。帰り道はもらった名刺を

見ながら店の場所確認が始まる。

「お店、どの辺だろ?」

 愛海の言葉に「私知っている、有隣堂ゆうりんどうの真後ろの大通りよ。行ってみよう」と道案内を買って出た映見。

「それと楽器屋の店頭でちょっと試弾させてもらうフリして練習しようかな? 声かけてくれた、あのお兄さんのためにも、受かりたいしね」

 そして「愛海さあ、彼氏より音楽とかいっているけど、あのお兄さん、まだ三十手前っぽいよ、御曹司だし、どうだ、狙ってみるか?」とジョークをかます映見。ちょっと悪戯っぽい視線を送る。


「いやいや、ほんと今のところは、ケセラセラ、って感じよ」とナチュラルな振る舞いの愛海。

「ほう」と含み笑いの映見。


 開港記念広場の交差点で信号待ちをする二人は、受験から解放された幸せを噛みしめながら、未来を予感する出来事の連続に笑顔がこぼれた昼さがりだった。

                        了

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桜の神明社と希望-恋と御縁の浪漫物語・横浜編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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