桜の神明社と希望-恋と御縁の浪漫物語・横浜編-

南瀬匡躬

映見と桜色のマフラー

 横浜の坂道を登り切るとそこには大きな神明社がある。神明社はお伊勢さんを祀る神社の愛称だ。ここは昔から横浜の街のシンボルとして都市の発展を見守ってきた神社だ。桜の咲く季節には、人々が集い、花の息吹を感じ、散りゆく美しさを語る。今も昔もそんな地元、ハマッ子の憩いの場がここである。


 大学受験に失敗した僕は行く当てもなく、昔から馴染みのある、その神社へと続く坂道をボーッとしながら歩いている。桜の季節にはまだ早い。山手の丘と違って観光客もまばらな坂道だ。初詣の季節にはこの坂道に多くの屋台や出店が並ぶ。今は坂の下の喧騒が舞い上がって聞こえてくる程度の静かな道である。

 僕はとにかく家にいたくなかった。いたたまれない胸の内を探られたくないし、触れられたくない。そう、世の中の不幸を全て背負ってしまった気分なのだ。何かにすがりつきたくて、この坂道を上り始めたのだ。

 寂しさなのか、悔しさなのか、よく分からないが胸が苦しい。打ち明ける友人もいないもんもんとした心境はありったけの孤独を僕に押しつけていた。自分の不甲斐なさや非力さがわき水のようにコンコンと心中に浮かび上がる。

 そんな精神状態を自分なりに騙しながらようやく鳥居の前まで辿り着く。


 桜のお伊勢さん、地元の人はそう呼ぶこの神社。鳥居の前で一礼をして緩やかな階段状の坂道をゆっくりと踏みしめる。

 手水ちょうずを済ませて、七五三柱しめばしらの前で再び一礼をする。それくらいの参拝の常識は弁えているつもりだ。本殿の前にある拝殿に立ち、礼と柏手を繰り返す。作法通りの所作である。神主さんが、結婚式の打ち合わせの人に説明をしているのが後ろから聞こえてくる。他人の幸せは祝福できるだけの余裕がある。いや、余裕では無く人ごとなのかも知れない。

 僕は結婚はおろか、受験に失敗し、明日からの身の置き場もないダメ人間となった。バイトをしながら予備校に通うのか? 就職先を探して、虚無の人生のために履歴書を書き、証明写真を撮りに行くのだろうか?

 いずれにせよ、大差は無い。所詮は負けた人間だからだ。心の中で神さまに、『どうすれば良いですか?』と質問している。神さまは願いを聞き届けることがお役目なのに、質問してどうするんだ。神さまでなくとも、「お前がどうしたいのかを言ってみろ!」という答えが返ってくるのは、安易に想像つく。そんなダメな僕の思考回路だ。


 帰りは社務所横の脇参道の石段を降りて、鳥居の前で踵を返しいち礼をする。公共施設がいくつも建つ車道に出る道だ。図書館が目の前に見えると、そこで声をかけてきたのは、春のコートを前開きにしたセーター姿の女性だった。

魚住うおずみじゃん!」

 桜色の長めのマフラーで口元を覆っていた彼女は、そのマフラーを手に絡ませて巻き取ると口元を見せた。

「ほら、私、中三の時一緒のクラスの……」

「鮎沢。鮎沢映見あゆさわえみさん」と僕は小声でぼそりと言う。

「そ、覚えていてくれたんだ。意外だね、あんた神頼みなんてしないタイプかと思っていたよ」


 その人なつこい笑顔は乾ききった僕の心に少しだけ潤いをもたらした。

「自分でも意外だけど、自然と足が向いたんだ」と言うと、心配そうに、

「なんかあった?」と僕をのぞき込む。

 格好付けることもない元クラスメイトに「全部大学落ちた」と人ごとのように漏らした。

「そっか。あたしも」と笑う映見。

 僕は罵られたような気分で家を出てきたのに、映見は悪びれた顔一つせずに、

「まあ、人生大変だよね」と笑う。

 人生のコースは一度踏み外すと修復が出来ない。僕にはそれがどれだけ足かせになってきた言葉だったかを今感じている。

「魚住、ちょっと隣の掃部山かもんやま経由で戸部駅までデートしない?」と笑う映見。

 何もやることもない僕は「いいよ」と返す。

 二人は並んで歩く。端から見れば、カップルにでも見えるのだろうか? いまいち僕は彼女の美貌に釣り合っていない気もする。


「あのさ、人と一緒にいるから自分の立ち位置が惨めに見えるんだよ」

 映見は早速公園内の葛籠折つづらおれの坂道で話し始める。

「もし今日出会った私が東大に受かっていたら、魚住は私と会話しないで挨拶だけで逃げたんじゃない?」

「たぶん……」

「卑屈になるのは私もおんなじだよ。でもさ、学歴も、お給料も、子宝も、みんなある意味運に決められている部分も大きいよ。みんな当たり外れがあるんだと思う。親は欲目があるから自分の子供に変な期待をする。そんなの無視すれば良いよ。残りの人生は自分のものって、勝手に決めて親や第三者との会話は話半分の返事で良いよ。自分が傷つかないようにする」と映美は中学時代には見たことも無い表情で僕を励ましてくれた。坂の終わりに彼女はスキップして一歩前に出ると、「じゃない?」と振り返って笑った。


 一年後、僕は滑り止めの中堅大学に引っかかる。それでも僕の頭じゃ、上出来だ。親は「もう一年やって、上位校を目指せ」と言っていたが僕は自分のすすむべき道を自分で決めた。その道には映見がいた。彼女も二番手集団の女子大に入り、僕たちは交際をスタートさせた。

 そして卒業と同時に二人は結婚し、彼女はいま僕と同じ人生のレールを歩いている。学歴は二人で一人前、お給料も二人で足せば何とか生活できる。彼女の言っていたこと、他人と比べないで、一人では無力でも、二人なら窓の外を気にせず生活だけを楽しめる。若いから何とかなるというのなら、それも年老いて二人なら何とかなるのだろう。

 彼女は今日も桜色のマフラーを首に巻いて僕を抱きしめてくれる。

                           (了)

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