聞けない音を弾け

マンションの一角、施錠された扉の鍵穴に合鍵を突っ込む。ガチャ、と小気味良い音を立ててその扉は開いた。


「入るよ〜」


「ん゛あー」


唸るような声がどこかから聞こえてくる。何回も歩いたその道を慣れた足取りで通り抜け、『作業部屋』に入る。

日本の今が早朝という事実をその部屋は忘れ去り、遮光性に優れたカーテンが空間を暗く染める。唯一と言える光源はパソコンの液晶から漏れ出る光ぐらいなもので、光度の違いに適応する前の瞳には少々辛いものがある。


「もう朝……?」


部屋の主で在る少女がカーテンを開けようとし、差し込んだ日光に気圧されて動きを止める。数秒硬直した後、決心したかのようにその帳を開け放つ。

そうしてやっと、部屋の全貌が現れる。一要素を除けば異常と言えるほど生活感のない空間、それを辛うじて人間の部屋だと証拠づける物は大量の楽器群である。全ての所有権を持った少女は目の下に大量の隈を拵え、伸びきった髪がぼさぼさと跳ねを見せていた。首に掛けたヘッドホンが、頭の動きに合わせて揺らいでいる。


「また寝てないでしょ」


「げっ」


「げっじゃないよげっじゃ」


悪戯がバレたペットのような、不機嫌そうな表情を彼女は見せる。


「もうちょい健康に気遣いなよ」


「ん゛~……めんどい」


間延びした喋り方をしながら、もう一度机の前の椅子に座る。


「それに、今弾かないとブレる」


「表現者の精神は時々わかんなくなる」


「そういう、いきもの」


気だるげに伸びをしてから、一番近くに配置されたギターに手を伸ばす。しかし少し届かず、ん~と息を漏らしながら腕だけでなく全身を伸ばし……


「立つ、ってのはお前の辞書のどのページに載ってる?」


見かねて俺が普通に手に取り、渡す。彼女は不服そうな顔をした後、慣れない感謝の言葉をつぶやく。


「ありがと。あと、立つって言葉自体は最初の方にある」


「じゃあ何でしないんだよ」


「知識と、行動は、=じゃない」


物のわからない子供に教える様な口調でそう言った後、なんだかわからない器具をいじっていく。準備を終えたのかヘッドホンを耳にかけ……る寸前で軽く体を捻ってこちらを向く。


「録るから」


「はーい」


言葉足らずだが、つまり邪魔をするなと言うことだ。結構な頻度で起きる事なので言葉の意図を素早く汲み取り、人間らしく座るところはないので床に座る。


「……」


一つ、彼女が息を吐いた。



 ◆



「つかれた、ねる」


「待て、風呂に入れ。せめてシャワーを浴びてくれ」


「なんでー……」


一時間くらいだっただろうか。一区切りついたのか椅子の上で彼女が脱力する。でろーんという擬音がぴったりなほどだらけきり、背もたれに体重を預けている。


「顔は良いんだからケアしてあげなよ」


「作曲、見た目、関係ない」


一種のゾーンを越えて疲れ切ったのか断片的な言葉を吐き出した彼女を見て、ため息をつく。


「人間的な尊厳を持って?」


「あ゛~」


何か理由付けをしなきゃ入らない日だと確信した俺は思考を加速させる。顔出しはしないって言いきってるから作曲方面から攻めるのは無理、学校は……理解できないぐらい自由な高校に行ってるから理由付けさえすれば休んでも許されるらしいし……。くっ、遂に《》を開放するしかないか。


「今日から毎日人間的な生活を送ると約束するなら俺が願い事を一つ聞く」


「ほえっ……え?」


「あ、常識と法律には則れよ?」


最近どんな手法も受け流してくる彼女に対しての最終兵器……!正直俺に頼むことなんて俺が思いつかないんだから不発に終わる予感しかしないが、こちとら藁にも縋る想いなんだ。


「えっ……あっ……人間的の定義は?」


何故か顔を赤らめながらも嬉しそうな顔をした彼女に、一つ確信した。なんだかわからないが喰いついた、と。


「ん~、朝と夜で二回は着替える。俺が作るから三食は食べる。風呂は一日一回、時間がないならシャワー。ほんとにしょうがない時は次の日の朝に入る。で、どう?」


その言葉を聞いたとたん、神妙な顔をして額を抑える。例えるなら難事件に立ち向かう探偵、考える人の銅像、そんな感じだろうか。


「背に腹は、変えられない」


覚悟の決まった表情をして、おもむろに彼女は立ち上がる。


「ちょっとシャワー浴びてくるから、待ってて」


「いえ~い。いいよ、行ってらっしゃい」


なんだかよくわからんが成功したならよし。震えた足取りで部屋を出ていく彼女を眺めながら、小さくガッツポーズをした。

のも束の間。彼女にしては珍しく二桁分台に入ったシャワータイムに心配している所だった。時々か細い悲鳴が聞こえてくるので寝てしまったわけではなさそうだが……。いや、過保護が過ぎるか。幼馴染でいくら小さい頃から見ているとはいえ、同い年の高校生だ。流石に、自分でも生きて行けるだろう。


「よし、そう思うことにしよう」


自分にそう言い聞かせた俺は、朝食を作るために立ち上がる。早々にここを訪れたために自分も朝食を摂取していなかったため、腹の虫が暴れまわっているのだ。立ち眩みを抑え込み、ふと周りを見ると電源を切り忘れたパソコンと目が合った。


「ふーん、珍しいなぁ」


液晶に映し出された歌詞は、自分の内心を吐き出すタイプの彼女にしては珍しくラブソングのように読み取れた。内心の変化でもあったのだろうかと少しモヤモヤする心と、大きくなって……という謎の親目線が心情で殴り合いを始める。


「ま、そういうこともあるか」


モニターから視線を逸らし、ドアへ向かおうというところでポケットに入れたスマホが通知で喚きだす。


「えーっと、母さんからで……」


現代人特有の慣れた手つきでメールの画面へと移行し、その内容を見て、硬直した。比喩表現抜きで時間が止まったかのような錯覚に襲われ、ドアノブに伸ばした手が空を切った。


『同棲するんですって?連絡来たわよ。手続きはしてあげるから好きにしなさい』


俺の家庭が放任主義で在ることには感謝してばかりだ。だからこそ一人暮らしを許してもらえているわけだし。けれど、けれど……


「それは阻止してほしかったかもなぁ」


文面から伝わる喜色、それと結んでしまった約束。同棲と言うのはもう回避のできない事象なのだと積み上げられた証拠が語っている。

まぁ、全面的に悪いのは俺なのだ。気軽に契約を結んでしまった俺の所為ではある。けれど、けれど。


「一回説教だあいつ」

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青春は誰が為 獣乃ユル @kemono_souma

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