ヒロインは演じられない

役者たちの労りの言葉が、小さな部屋に飛び交う。全国各地を回った大きな舞台のラスト、それが終わったのだから少し浮かれた空気が生まれているのも仕方がないだろう。けれど一人だけ、冷静な気配を纏う少女がいた。

それはこの舞台に於いてヒロインを演じた少女。


「お疲れ様でした」


彼女は天才と称された。小さな劇場から始まった幼い女優は、子役時代から大御所を飲み込んでしまうような存在感と演技力で急激に知名度を上げて行き、今では舞台だけでなくドラマや映画にも多く出演するようになった。シンデレラストーリーだとか比喩される人生の途中。しかし、彼女も高校生である。

弾むような足取りで劇場の内蔵された建物を去った彼女は、最新型の携帯電話を手に取り、一人の少年に通話を繋げる。


「終わったよ」


「見てましたよ。空奈さん」


年相応の悩み。まぁ簡単に言えば色恋沙汰である。


「君から見てどうだった?今回の私は」


「こんな大舞台を普通の高校生に評価させるんですか」


「いいからいいから」


実に平静を装った声色で彼女は会話を続けるが、携帯を持ったその手は震えている。流石の彼女も、自分の感情は偽りきれないようだった。


「まぁ……凄かったですよ。原作読みましたけど本当そのまんまでしたし」


「ふんふん」


「あとまぁ、綺麗でしたよ。ロングの方がやっぱ好きです」


「ふーん」


「聞いてます?」


「いや聞いてる聞いてるよ」


彼女の口角はだらしなく歪み、頬は赤みがかっている。関係者が通りがかった時にそれを押さえつけられていることだけは、褒められるべきだろうけれど。


「これでちょっとは休めるんですか?」


「うん、明日はフリーかな」


「ほんとにちょっとですね」


「んで……だからさ」


彼女は苛立たし気に太ももを軽くたたく。いままでどんな観客の前でも、どんなステージでも緊張することはあろうとも台詞を間違えたことも、言葉を詰まらせたことはない。けれど、今だけは。どんな拍手喝采よりもうるさい心音が私を乱すのだと、心の中で吠える。

一言、明日の予定を取り付けるだけでいいのに。


「空奈さん」


「へっ……?あー、どうしたの?」


わざとらしい咳払いで零れた小さな悲鳴を掻き消す。飄々とした彼にしては珍しく決然とした口調だったからだったのだろう。


「明日俺で予定埋めれます?」


「そんな事、言う子だったっけ?」


「はは、影響されやすいんですかね。それで、どうですか?」


「君になら休日の一つぐらいならくれてやるさ」


「有難いです。じゃ、細かい予定は後で送りますね」


今の会話におかしなところはなかっただろうかと会話を反芻していたところで、彼女は違和感に気づく。


「君から誘うなんて珍しいね」


「まぁたまにはそういう事もありますよ」


電話越しの震えた声を聞いて彼女の中の疑問は増幅し、ふと記憶に手を掛ける。明日……彼の誕生日でもないし、私の誕生日でもない。世間で取り沙汰されるような行事も無かったはずだし、じゃあ何故。


「あ」


記憶力に優れた彼女だったから、一人の少年の照れ隠しを見抜いてしまった。


「一年前って、これ」


「……あーあ。バレちゃった」


迅速な手つきで日々付けている自分の日記を読み漁る。一年前の明日、そこに記されていたのは『面白い男の子にあった』、という短い文章のみ。


「空奈さんがどうかはわかんないですけど、僕にとっては大事な日ですから」


「明日……国民の祝日にしようかな」


「ちょっと落ち着いてください」


もう演じるどころの話ではない。元々崩れかけていた仮面は最早剥がれ落ち、生まれたての小鹿のような足腰は高校生女子を支えるには余りに力不足である。感動か、それに類する感情の揮発により口がパクパクと動き出している、


「じゃあ、また明日会いましょ」


一見不愛想に見える彼の言葉を皮切りに通話は切れてしまった。けれど、一見の印象と裏腹にロマンチストで恥ずかしがり屋な彼を知っている彼女は、安心したような笑みを浮かべる。


「こんなストレートに言ってくることなかったじゃん……ずるいなぁ……」


台本でも作ったら明日は乗り切れるだろうかと思う自分を首を振って払い落とす。今までペースを乱されなかったことがあっただろうか。いやない。


「完璧な私を演じるのが一番苦手かも」


何とか立ち上がりながら、小さく彼女はそう言った。

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