青春は誰が為

獣乃ユル

Q この感情を求めよ

鬱陶しい日光が、昼休みという小休止を屋上で過ごす俺らを煌々と照らしていた。珍しく雲ひとつない快晴が広がっていたその空は、否応なくノスタルジックな感情に浸ってしまう風景と成っていた。小食に分類される俺は早々に弁当を食し終わり、空へ意識を飛ばしていた。


「ねぇ、後輩君」


感傷に耽っていた俺を引き戻したのは、鈴を転がしたような、儚い声。


「どうしました?先輩」


緩慢に視線を隣へと移せば、雪景色のような美しさと、脆さを兼ね備えた少女が目に入る。先輩に当たる人物を少女と呼称するのも、どうかと思うが。


「何で、空って青いと思う?」


唄を歌うように、静かに紡がれた言葉。演者を引き立てる演出のように夏風が彼女の黒髪を靡かせ、そのことを意にも介さず、彼女の双眸は青空のみを見据えていた。


「それは……」


ここでひとつ、質問である。高校生の少女に、消え入りそうな声で空の青さの所以を質問された場合どうするべきか。哲学的な思考に絡める?抒情詩を連ねるかの如く言葉を放つ?この場合、どちらも否。


「レイリー散乱が起きるからですか?」


「正解」


回答に満足したのか輝かしい笑みを浮かべる彼女。二人の間では、定番にもなっているやりとりだった。


「もう少しレベルを上げても良さそうだね」


「この時点でも点数に関わらない知識ばかり増えてますけどね」


「まだまだ、私には追いつけていないよ」


「先輩に追いつける人間が何人居るか知りたい所ですけど」


彼女、名前を霧ヶ崎紗薇という。外見は筆舌に尽くし難いほどのものだが、有名事務所からのスカウトが煩いと愚痴を漏らしていたことが指標になるだろうか。


「まぁ、高校生なら中々居るものではないと思うよ」


だが、特筆するべきことは他にもあって。聞いても良くわからなかったので詳しくは知らないが、趣味程度でしていた研究で大きな発見をしたとかで一時期テレビにも出演するほどだった。そんな背景があるからこそ、彼女の出題に対しては論理的な回答をしている。浪漫の籠った回答は求めていないのだろうと仮定していたから。


「じゃあ、次に」


「はい」


問題文を聞き逃さないように聴覚に、的確な答えを弾き出せるように脳内のメモ帳に手を掛ける。彼女は僅かな逡巡の後、口を開いた。


「何故、私は君に対して特別な感情を抱いているのだろうね」


「ほへ?」


仮定は間違いだった。その事実を察するとともに、口から間抜けな音がこぼれ出る。


「あー。ちょっと待ってください」


出来るだけ平静を保とうとするも、急激に音量を上げた心音が理性をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。数時間、いや、体感がそうであっただけで実際は数分、数秒だったのかもしれない。


「……回答は私もわからないんだ。だから、君に聞いた」


「先輩で答えが出ないなら少なくとも高校範囲じゃないですよ」


「そうかもね」


他愛もない会話を行いながら思考は加速していく。何故、何故。


「特別な感情ってのは分類的には」


「参考文書から見るに恋心かな」


「何読んだんですか……」


「私が俗に言う恋愛小説を読むことになるとは予想だにしていなかったよ」


頬を赤らめながら彼女はそう呟く。その光景は美しいものではあるが、何とも難解な問題を目の前にした俺は彼女を眺めることに割くリソースは残っていない。


「交流が長いから?」


「精々三か月程度だが、私との交流が一か月持ったケースが無いに等しいから相対的に長期の付き合いだね」


他人事のように彼女は俺の回答を査定する。


「ピンと来てない感じですね」


先輩がその言葉に呼応して小さくうなずく。


「会話の波長は合う方なんじゃないですか?」


「そう……なのかな」


水掛け論、暖簾に腕押し、糖に釘、馬の耳に念仏、焼け石に水。これらの言葉たちの使いどころは今なのだろうとうわ言のように思う。何回も問答を繰り返し、そのどれもが失敗。俺のボキャブラリーが尽きてきた、そんなころに彼女が自分から口を開く。


「君でも解けないかぁ」


「何もかも定義不足ですよ……あと、多分理系ぼくたち向きの問題じゃないと思います」


「うーん……」


ふと、手に巻き付けた時計に視線を落とす。五分前の予鈴が鳴る寸前、そんな時間。


「時間切れだね。後輩君」


「追試はありますか?」


「じゃあ時間を設けようか」


彼女はおもむろに立ち上がり、一瞬の硬直を挟んだ後に俺に近づく。俺が困惑に首を傾げた、その瞬間。耳朶を打ったのは聞きなれた学校のチャイム、唇に触れたのは、柔らかい……


「付き合おう、後輩君。それで回答時間は足りるかい?」


「答えたらどうなるんですか?」


「科学、数学。そのどちらも一つの問いに一つの答えが出たら、他の問いが生まれる。そんなものじゃないかい?」


「俺じゃ満点はとれなさそうですね」


「私も手伝うさ」


気取った会話は風に巻き取られて、空へと消えていく。屋上から階段を下りる彼女の顔が尋常ではないほど赤かったのは、忘れようと思う。きっと、俺も同じ色彩を顔に張り付けていたのだと思うから。

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