第32話「兄妹」

「お兄ちゃん! 日曜の朝くらい自分で起きてくださいよ!」


「うぅん……休みだろ? あと一時間……」


 ぷにん


 柔らかな感触が指に触れた。


 ぷにぷに……ぽよん


 なんだこの感触は? まるで溶けきった氷枕を温めたような感触だ。


 そちらに顔を向けると、俺の顔のすぐ前に雲雀の笑顔があった。


「うわああ!? え!? 何やってんのお前!?」


「何ってお兄ちゃんが一時間起きない宣言をしたので少しくらい一緒に寝ても起きないかなと。ほら、寝てくださいよ? 何をそんな壁際に下がっているんですか?」


「ああもう! 起こし方が過激なんだよ! 昨日の落ち込みっぷりはなんだったんだよ!」


「ああ、その事ですか?」


 雲雀はスッキリした顔をしてなんでもないことのように言う。


「私とお兄ちゃんは確かに兄妹! それだけが確実であれば私に後悔は無いんですよ!」


 そう断言した。昨日の暗い雰囲気から一転、明らかに悩みの森を抜けたような顔をしてスッキリ言い切る雲雀。


「俺には何が何だか分からんが、悩みが解決したならいいことだよ」


「でしょう? お兄ちゃんが私の悩みを消してくれたんですよ? もっと誇ってくれていいんですよ?」


 いつもの雲雀だ。いつもの妹が戻ってきた。いつもの面倒で気分屋で、とことんわがままな妹が帰ってきた。


「ククク……」


「お兄ちゃん? どうしたんですか?」


「いや、俺でも妹の悩みを解決できるくらいの力はあるんだなって思ってさ……それがとっても……嬉しいんだ!」


「お兄ちゃんは単純ですね。でもそういったところが嫌いじゃないですよ?」


 雲雀の太陽のような微笑みの前には全てが細かいことのように思えた。


「お兄ちゃん、朝ご飯は今日も作ったので食べてくださいよ!」


「ああ、今行く」


 そう言って俺は部屋を出る。キッチンにつくと味噌汁と納豆ご飯という昨日と同じメニューがあった。俺を起こすには乱暴な方法だったがここまで準備しているのに、のうのうと待つことはできないわな……


 そして味噌汁の香りには覚えがあった。家に置いている味噌の匂いだ。まさかインスタント味噌汁と同じ味噌を使っているわけでも無いだろうし、つまりは本当の手作りと言うことなのだろう。


 温めた味噌汁を一杯注いだお椀が座っている俺の前に置かれた。向かいに雲雀が座る。


「あれ? 雲雀は食べないのか?」


「お兄ちゃん、時間と言うものをご存じですか? 私はとうに食べてしまいましたよ」


 時計を見ると十時過ぎ。俺にしては早起きだが、雲雀はいつも朝早くから起きているので食べ終わっている時間だった。


 早速味噌汁を一口すする。味音痴の俺でもインスタントに劣ることは舌で分かった。しかしそれでも……


「雲雀、すごく美味しいよ」


 この手作り味噌汁を不味いと言える兄はいないだろう、そんなことを言う兄はよほど妹と関係が悪いとしか思えない。バラバラのサイズの豆腐や溶けきっていない味噌さえも美味しく感じた。塩味が濃いことなど些細な問題だ。


「ふっふふ……お兄ちゃんが私の料理を美味しいって言ってくれるのは気分の良いものですね!」


「しょっちゅう言ってるだろ? 今さら特別感も無い言葉だろうが」


「それはそれとしてお兄ちゃんに褒められるのは何度経験しても心地よくて嬉しいものなんですよ!」


 やはり妹というのは分からないな。しかし喜んでいるのは確かだし、俺も兄としての務めは果たす義務があるんだろうな。


 義務なんて嫌いな言葉のはずなのになんだか今は心地よい響きだった。妹のためなら大抵のことはできるものだ。法律さえ破っていなければセーフだろうと考えている俺がいることに自分の脳内のできごとだというのに驚いた。


「お兄ちゃん? どうしたんですか?」


「いや、こうして美味しい朝ご飯が食べられるのは幸せだなって思ってさ」


「まったく……だったら私が起こしたらすぐに起きて出来たてを食べてくださいよ」


「悪かったよ、まさか一日で料理を作る元気を出すとは思ってなくってさ……」


「お兄ちゃんのおかげなんですからね! 責任は当然きちんと取ってもらいますよ?」


 俺は覚悟を決めた。雲雀のことはずっと妹として大切に扱おう。大事な大事な俺のただ一人の妹だ。


「分かったよ、兄としてできることはするよ。だからさ、雲雀にもお願いがあるんだよな」


「なんですか? 私にお願いですか?」


「ああ、簡単なことだから守ろうなんて決意を固めなくてもいいんだけどさ、覚えてはおいて欲しいなって思うことがあってな」


 雲雀は何か理解していないようだが俺は躊躇うことなく言った。


「悩みは共有! 困ったら二人で解決するぞ! もちろんできる範囲でだがな」


「お兄ちゃん……」


 雲雀は目尻に涙を浮かべている。感極まった様子で俺に頭を下げた。


「これからも一緒にいてください! 私を……お兄ちゃんの妹でいさせてください!」


「ああ、任せておけ。俺はずっと雲雀の『お兄ちゃん』をやってやるよ」


「おにいちゃああああああああああああああん!」


 ギュッと抱きついてくる妹を引き剥がすようなことはしなかった。そして雲雀は俺に抱きついて言った。


「ずっと一緒ですよ? お兄ちゃん!」


 その笑顔は絶やしてはいけないものだと俺は覚悟を決めて、妹と歩んでいくことを決めたのだった。

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愛情たっぷりの妹と、恋さえ知らない兄 スカイレイク @Clarkdale

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