第31話「暗雲」

 汽車に乗っても雲雀はムッとした不機嫌な顔を崩そうとはしなかった。いつもの明るい笑顔ではなく、今にも泣き出しそうな沈鬱な顔だった。


「なあ雲雀、どうしたんだ? いきなりそんな不機嫌になられても困るんだが……」


「……」


 無言を貫く雲雀に俺もお手上げ状態だった。何か意見を主張してくるなら多少無理筋でも反論可能だが、完全な無言は俺も対処のしようがない。


「なあ、なんで雲雀はそんなに真希にケチをつけるんだ? ただの先輩と後輩だろう?」


「お兄ちゃんは……お兄ちゃんはいつか私から離れていっちゃうんですか?」


「そうだな……俺だって人間だからな、いつかは別れる日が来るんだろうさ」


「ぐえっ……ひっく……お兄ちゃん……」


「なんでそんな悲しそうな顔をするんだよ? 少なくとも一生兄妹なのは変わらないし、俺だっていつかは死ぬんだよ。そんな先のことを考えたってしょうがないだろう」


『死が二人を分かつまで』つまりは兄妹というのはそういうことだ。


「じゃあお兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんでいてくれるんですね?」


「当たり前だろ。むしろ兄妹の関係を解消する方法なんてあるなら聞いてみたいもんだよ」


 血縁関係を無かったことにすることは出来ない。たとえどんなに似ていなかろうが、たとえ法律が認めることがあったとしても、兄妹には同じ血が流れているんだ、同じ赤い血が流れているものを変えることはできない、それこそ生まれ変わりでもしないと不可能なことだ。


「私……怖いです、いつかお兄ちゃんが離れていっちゃうんじゃ無いかと思うと心が砕けそうになります」


「はぁ……くだらないことで悩んでるんだな」


「くだらないこと……ですか?」


 当然のことを雲雀は知らないのだろうか? 常識だし当然のことだと思うのだが……


「俺は兄でお前は妹、それが崩れることはないよ、絶対にな。苦しいことくらいはあるかもしれないが、まあ二人で一緒にいることに代わりはないだろうさ」


「お兄ちゃん!!!! うわぁぁぁぁん!!」


 幸い汽車には他に誰も乗っていない。この甘えたがりな妹に好きなだけ泣かせてやった。隣の席から俺の方に身体を預けて二重気分の時間を自由に泣かせてやった。兄妹が離れるはずはないという当然のことを信じられない雲雀を縛り付けているのだろうか? 俺は雲雀を迷惑だとは思わない、面倒と思うことはたくさんあるが、嫌いにはならない。だからきっとそれでいいんじゃないだろうかと思っている。


 そして汽車は進んでいくために当たり前のように俺たちの町の駅に着いた。


 来るときとは逆に、雲雀を軽く引きながら汽車のボタンを押してドアを開け、下車した。きっと雲雀には俺には分からない事情があるのだろう。それはきっと俺には想像もつかないことだ。それを詮索する気も無いし、雲雀が俺の手を握っているだけで満足するならそれでいい。俺は改札でハンコを押してもらって二人で駅を出た。


 多少は日が長くなったとはいえもうすでに日は落ちつつあった。来たときと逆に、俺は抱きついたりしないが、雲雀の手を握って引っ張りながら帰宅をすることになった。あの会話の裏にどんな意味があったのかは分からない。それでも妹が傷ついたことは事実なので、労ってやるくらいしかできない、しかし逆に言えば労ることくらいはできるのだ。


 家に帰り着き、未だにデートを続けている両親に呆れながらリビングのソファに座った。雲雀はすぐ隣に座って泣き止んでいた。しかし悲しそうな顔をしていることには代わりが無かった。


「なあ雲雀、どうしたんだ?」


 きっと答えは返ってこないだろう。それでも聞かざるを得なかった。


「いえ、お兄ちゃんに迷惑をかけられませんから気にしないでください……でも……お兄ちゃん! ありがとうございます! ずっと一緒と言ってくれて私は嬉しかったです!」


 そう言って自分の部屋に戻っていった。雲雀が納得してくれたようなので俺は安心をした。できることなら雲雀が幸せになって欲しいと思っている。それは嘘偽りのない気持ちだ。だからきっと雲雀がいつか乗り越えるまでは一緒に付き合ってやろうと思った。どんな問題なのかは知らないが、側に居ることくらいはできる。俺はそれだけのできることを精一杯にしようと決意した。


 ――――――ムーンスターコーヒー


「はぁ……やっちゃった……」


 真希は誰にでも無く深いため息をつく。後悔のたっぷり含まれたそれは真希の気分を表すにはこれ以上ないものだった。


「雲雀ちゃん……本気だよねえ……勝ち目……あるのかな?」


 誰にでも無くそう一人問いかける、それに答える人は誰もいない。


「あの二人、兄弟じゃなかったら絶対私は負けないと思うんだけどなあ……」


 生涯消えない絆、『兄妹』というものをどう扱って良いものかと真希はどこまでも困り果てていた。


 かくして物語は一つの区切りへと向かって進んでいく。

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