第30話「喫茶」
汽車は動き始め、窓の外の景色がスクロールを始めた。ガタゴトと動いていく様は電車と変わらないだろう。俺はそこまで電車に詳しくないが、時折乗る電車と快適さに大きな差があるとは思わない。少し揺れながら線路の上を走っていく、そこに電車と汽車に何の差があるというのか? 自然への負荷など考えるくらいなら赤字路線になる事が目に見えているところに線路を敷くのが大間違いなのだ。
「お兄ちゃん、デートっぽいですよね? というかデートと考えても問題無くありませんか?」
「雲雀、随分テンションが高いようだが、二駅しか空いてないんだからな? そんなのんびりと雰囲気を楽しむような暇なんてないぞ」
「お兄ちゃんはムードを気にしませんねえ……いいじゃないですか、こういうのは空気感が大切なんですよ? 私の態度でこのお出かけは子守からデートまでなんにでもなるんですよ? 主導権は私にあることをお忘れなく」
このわがままな妹と出かけるなら多分子守の方が近いんだろうなと思う。デートならもう少し雰囲気というものがあるんじゃないかと妄想している。陰キャにデートなんてハードルの高い要素は無理だ。そもそも恋人もいなければイベントも起きない。そういったことは陽キャ達に任せていればいいんだよ。
そうこうしている間に早くも一駅先に着いた。誰も乗ってこないので汽車のドアが開くことはなかった。そもそも赤字路線なので都会民の『一駅なら歩く』という概念が理解できなかったりもする。明らかに一駅というのは内燃機関を積んだ乗り物で移動する距離だ。妥協しても自転車程度はないと、まともに移動できる距離ではない。
「次だぞ」
「もうお兄ちゃんと一緒の電車は終わりですか……いえ、帰りのほうもありましたね」
「ところでムーンスターコーヒーは駅から近いのか?」
「近いも何も駅ナカにできたんじゃないですか? お兄ちゃんはソシャゲの情報を調べ上げる前に自分の住んでいる町について知ろうとした方がいいですよ」
雲雀は俺に情報を知らないことに文句をつけるが、興味の無いことにリソースを昨報が無理だろう知らないものは知らないし、興味の無いものは無い。それを自分の意志をねじ曲げてまで知ろうとは思わないものだ。どうせ知ったところで絶望的な情報が出てくる可能性があるなら初めから知らない方がいい。
俺は電車ではないという突っ込みはもう諦め、呑気に窓の外に目をやった。田園風景を過ぎると家屋が無秩序に並んでいる地域に入った。ゴトゴトと揺られながら、だんだんと市街地にたどり着くのを待つ、そうすると当然の如く、始めて電車に乗った子供のように雲雀がはしゃぎ始めた。
「お兄ちゃん! 山が見えませんよ! お洒落ですねえ!」
「山が基準なのかよ……山ガールとかもいるらしいし山があるからって田舎ってわけじゃないだろ?」
「じゃあお兄ちゃんは私たちの住んでいるところが田舎ではないと?」
そう聞かれると答えは決まっている。
「田舎だな、間違いなく」
いくら言いつくろっても人口の方は数字として表れる。こればかりは誤魔化しようのないことだ。現実問題と理想論は違うのだ。
そんな話をしていると徐々に汽車がブレーキをかけ始めた。慣性にそって身体が傾く。
「お兄ちゃん! もうすぐですよ!」
大声で言わなくても分かってるよ。駅ナカだったな、歩く距離が少ないというのは結構なことだ。
ブレーキが音を立て、ようやく目的の駅に着いた。必ず乗り降りのある駅なのでドアは自動で開く。俺と雲雀は駅に降りると目的のムーンスターコーヒーに向けて歩いて行った。
いや、雲雀に『引っ張られて行った』。何しろ俺は新しくできたという情報さえ知らなかったのだ、道案内を雲雀に任せるというのは合理的な判断だろう。ただし、いくら駅構内が適温に保たれていると言ってもひっつかれると暑苦しいものではあるのだが……
「ジャジャーン! ここが新規開店したムーンスターコーヒーです!」
そこには最大手コーヒーチェーンが店を構えていた。ガラス越しに陽キャが話し込んでいるのや、ノマドワーカーと自称する人たちが林檎のマークのついたコンピュータを開いているのが見える。どうにも俺には場違いなところにしか思えないな。
「なあ雲雀、ここに入るのか?」
「当たり前でしょう! なんのためにここまできたと思っているんですか? ホラ覚悟を決めてください!」
そう言うと雲雀は強い力で俺を引っ張った。ひかれるままに俺は陰キャの生息域から白日の下へと引っ張り込まれてしまった。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「ええっと……アイスコーヒーのLで」
「はい、コーヒーのトールですね」
「? ……はい」
店員さんの言うことはよく分からなかったが、注文は通ったようなので横に避けて雲雀の注文を見ていた。雲雀は俺が聞いたことも無いような長ったらしい注文をしていた。アブラカラメヤサイニンニクマシマシくらいには知らないと注文のしようがないであろう呪文だったが、俺はそれを覚えても使う機会がないだろうなと思って深く考えるのをやめた。
コーヒーと……雲雀はなんだかクリームを山のように盛られた飲み物を持って俺たちは席に着いた。
本当に、本当に偶然というのはあるのだろう、そこで俺は声をかけられた。
「あれ? 葵に雲雀ちゃんじゃん、二人もこういうところ来るんだー!」
真希だった。まさかこんなところで会うとは、そう思ったのだがここが陽キャのフィールドであることを考えるなら、俺たちが偶然真希に出会ったのではなく、真希が偶然俺たちを見つけたというのが正しいのだろう。
「真希さんじゃないですか、こんな中途半端な場所じゃなくゲーセンにでも行ってるかと思ってましたよ。あなたってああいうところでノリのいい人達とギャーギャー言っているイメージだったんですがね」
「偏見だよ!」
「雲雀、さすがに失礼だぞ」
「それはどーも済みませんね。私たちはデート中なので席は離してくださいね?」
「デートって……」
俺はそう断言する雲雀に困惑に近いものを感じた。
「あなたたち兄妹に何を言ってもしょうがないわね……でもね雲雀ちゃん……一ついいかしら?」
「なんですか? 言いたいことがあるならさっさと言ってください」
雲雀は真希が来るなりいらだちを覚えているのは明らかだった。
「兄妹はいつか離れるのよ?」
「お兄ちゃん、帰りますよ。気分が悪いです」
「え? せめて飲み終わるのを待って……」
「か・え・り・ま・す・よ?」
そう言って来たときとは比べものにならないくらい強い力で引っ張られた。力が強いなんてものじゃない、有無を言わせず引きずられるようにして俺は店をあとにした。
その後、無言のまま駅のプラットフォームで汽車を待つことになった。雲雀は一言も口をきこうとしない。どうやらどこまでも不機嫌なようだ。真希に言われたことにおかしな事があっただろうか?
人はいずれ一人になる。夫婦だろうが兄弟だろうが親子だろうが死ぬときにあの世に連れて行くようなことはできない。そう言う意味でまったくもって正しい一言を言われただけなのに大いに不機嫌になって黙ってしまう雲雀のことが理解できない。
やがて汽車が止まったところで、雲雀は無言で席を立ち俺の手を引いてそれに乗った。
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