その後の話 記憶の断片
結衣の姉から立川和也の話を聞いて以来、時折二人の関係のことを考えることがある。二人の間でどんな会話が交わされたのかとか、万が一付き合っていたのならそれはいつの時期だったんだろうとかと。
高槻徹を調べている間に見つけた大人になった立川和也の画像をぼんやり眺めたこともあった。この人の中では結衣はどのような少女として記憶されているのだろうか、なんて考えながら。
だから凛を見下ろすその男が立川和也なのはすぐに分かった。凛は明らかに怯えた表情をしていて、俺が呼びかけると勢いよく立ち上がり、駆け寄ってきた。
「リクちゃん!」
「どうした? 何があった?」
俺の腕をギュッと掴む凛はいった。「何も。だけどあの人が何も言わず私の顔をじっと見てきて、怖くなって」
立川和也は今度は俺たち二人に目を向けた。まるで幽霊でも見ているかのような顔つき。そして立川和也は口を開いた。
「ごめん、驚かせてしまって。その浴衣に見覚えがあったものだから、つい」
そう言って立川和也はまた凛に視線を向けた。「それに、君はどこか……」
隣に立つ凛は明らかに怯えているし、このまま立ち去ろう、そう思った時、ずっと忘れていた古い記憶が蘇る。
それはあまりにも平坦な日常の光景。中学の昼休み、同じテニス部だった結衣と立川和也が中庭にあるテニスコートでラリーに興じている姿だった。
今の今まで忘れていたくらいだから、あの頃の俺はあの光景を見て特に気にかけなかったのだろう。少なくともネット越しに交叉する二人の視線に別の意味があるなんてことは考えもしなかった。
気づくと、俺は立川和也にこんなことを言っていた。
「この子の叔母はここ出身で、着ている浴衣はその方から譲り受けたものだから見覚えがあったのかもしれませんね」
立川和也は眉を吊り上げた。
「叔母?」
「おばさんの名前は確か白石結衣。そうだよな、凛」
凛は俺の腕を強く抱きしめたままこくりと頭を動かす。凛の母親の名前も告げると、立川和也の顔に浮かぶ驚愕の色はさらに濃いものとなった。
「つまり、君は結衣の姪っ子?」
差し出された言葉と目の前にある現実を丁寧に吟味するかのように立川和也はしばらく黙り込んでから言った。
「そうか、あの時の子か。一周忌の時、結衣のお姉さんが抱えていた……、それで、どおりで」
そして、立川和也はようやく笑顔を見せた。
「あっ、ごめん、まだ名乗っていなかったね。僕は白石結衣さんと生前仲良くさせてもらっていた立川と言います。本当、時期がお盆なだけに驚いたよ。暗いこともあって一瞬、あの頃の彼女が僕の前に現れたように見えてね」
そしてまた凛の顔を見つめた。立川和也の目には今、何が映っているのだろう?
俺は思い切ったひと言を口にした。
「まさか、おじさん、結衣さんと恋仲だったとか?」
立川和也は一度きょとんとしてから快活に笑った。
「その通り、と言いたいところだけど、事情はそう単純でもないんだな。僕が彼女に気があったことは事実だけれど。実は今でもいったい僕らはどんな関係だったんだろうかと考えることがあるんだ」
そこで立川和也は言葉を止め、どこか寂しげな表情を浮かべた。
「そばにいたのに彼女にあんなことがあったなんて少しも知らなかったしね」
そしてまた立川和也は凛のことを眺めた。まるで長年の思い人を見るような切なげな顔つきで。
その時、遠くで子供の呼びかける声が聞こえた。立川和也は、はっとしたように振り返る。
「こっち、こっち! こっちの方が花火が見やすいんだよ!」
妻と息子なのだろう。女性とお面を頭につけた少年が来ると立川和也は快活に笑った。「邪魔して悪かったね。今は大変な状況だろうけど、結衣さんのお姉さんによろしくお伝えください」
そして立川和也は子供の手をひいて人混みの中に消えていった。
凛の足の手当てをして、川沿いの土手に座る頃には夜空には花火が広がっていた。夏の花火大会はお盆の迎え火と送り火がルーツにあるという話を聞いたことがある。こうして故郷に戻ってきた魂は懐かしい人々と束の間の再会をして、またそれぞれの旅に向かうのだ。
俺の横でりんご飴を舐める凛は言った。
「結衣さんってすごく男の子に人気だったってお母さんが言ってたけど本当だったんだなぁ」
「凛だってモテるだろう」
凛はそんなことないと首を振った。
「十年以上も経って私のことを覚えてくれている人なんていないと思うな。もちろん結衣さんの最期が特殊だったっていうのもあるかもしれないけど」
特殊な事情なんかなくても、十年後、かつての恋心と共に君のことを思い返す男は少なくとも1ダース分はいて、その中にはあの頃に気持ちを打ち明けていたら桃園凛と付き合うことができたかもしれない、なんて考えている者もいるだろう。そんな言葉が浮かんだけれど、俺は何も答えず鮮やかな光広がる夜空を眺めた。凛もまた目を輝かせて空を一身に見つめている。
特大の一発が打ち上げられた時、俺はポケットにある便箋を凛に気付かれないようそっと開いてみた。
懐かしい結衣の文字が花火の光に照らされる。
「いつも私を気にかけてくれる立川くんにこんなことを伝えるのは心苦しいのですが、やっぱり私は変わらずヒロちゃんのことが好きです。きっとこれからもずっと、ずっと。私のことは忘れてどうか幸せになってください」
日付がないから結衣がこの手紙をいつ書いたかは分からない。いったいどのようなことが二人の間で起きていたかも謎のままだ。でも別にいいじゃないか。少なくともペンを持つこの時の結衣が俺を選んでくれたことを知れただけでも。
それに事実がどうであれ、時間がたった今では記憶の断片をつなぎ合わせて、可能性という大きな箱に放り投げるくらいのことしかできないのだし。
そのとき、最後の花火が打ち上げられ、火花が散っていった。拍手が起こり、人々が帰り支度を始める。俺と凛は人気がまばらになった後も夜空を眺め続けた。
凛は俺の肩に頭をもたれかけた。
「本当はお母さん、今回の旅行に反対してたんだ。でも、どうしてもリクちゃんと一緒にここのお祭りに来たかったから、頑張って説得したんだよ」
そのことはなんとなく察していた。この旅は性急かつ強引に進められた印象があったから。
「でもなんで?」
「え?」
「なんでここに俺と来たかったの?」
凛は遠い目で川を見つめた。「なんでか分からないけど、絶対にリクちゃんとここにきたかったんだ。どうしても、絶対に」
俺が黙っていると凛は静かに言った。
「リクちゃん、いつかまた来ようね」
人の喧騒が過ぎ去り、川のせせらぎが聞こえはじめたころ、立ち上がり、いつかの夏のように俺は幼馴染の手を引いて懐かしい道を歩き始めた。そして誰にというわけでもなく、いつかまたと俺は小さく呟いた。
幼馴染を寝取られて自殺した俺は二度と幼馴染なんか信用しない。そしてNTR野郎の人生は十六年後にしっかりぶっ壊します みつばち架空 @kurt08
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