その後の話 束の間の再会

 近所の市営墓地で簡単な墓参りを済ませると、俺と凛は祭り会場に向かった。途中、喉が渇いたのでよく通った駄菓子屋に立ち寄ると、かつての俺と結衣がひいたこともある山車が賑やかな祭囃子を鳴らして通り過ぎていく。


「リクちゃん、これの開け方わかる?」


 凛はラムネを飲むのが初めてらしく、困り顔をしていた。蓋でビー玉を押し出すんだよと教えてやると、案の定盛大に泡が吹き出して、凛は声を上げた。それを脇目に俺は蓋を長めに押さえてスマートにラムネを開けると凛は不満げだ。


「なんでリクちゃんはそんなに上手にできるのよ」


「キャリアが違うんだよ。キャリアがさ」


「同い年のくせに」


「はいはい」


 俺と凛が賑やかにラムネを飲みながら店先で話していると、店主のお婆さんが話しかけてきた。どういうわけだかこのお婆さんの記憶に関しては抜け落ちている。

「そういえばあんたら久しぶりだね。顔見せるの」


 その言葉に俺と凛は顔を見合わせた。凛が帰省で来ていてこのお店に来るのは初めてなのだと説明すると、店主は俺たちの顔をじっと見つめた。


「お祭りに行くのかい」


 俺たちが頷いて答えるとお婆さんは表情ひとつ変えずに言った。


「あそこじゃ毎年、物騒なことが起きるから気をつけなさいよ」



 祭り会場に着くと、完全に日が落ち、代わりに賑やかな屋台が爛々とした光を放っていた。会場は昔と同じようにたくさんの人で賑わっている。


「あっ焼きそば! 食べたい!」


 焼きそばの露店に駆け寄ろうとする凛の腕を掴む。「あそこは美味しくない。向こうに中華屋のおじさんが焼いている店があるはずだからそこにしよう」


 凛は不思議そうに顔を傾ける。「美味しくないなんて失礼でしょ。っていうかなんでそんなこと知ってるの?」


 それは当然の疑問だろうけど、ここは元地元民として譲れないポイントだ。「事前に調べておいたんだよ。凛、互いに迷子にならないよう手を繋いでおこう」


 俺と凛は手を繋いで人々の中を歩いていく。それにしても、と思う。人々のざわめきと笛や太鼓の音、お好み焼きやりんご飴の匂い、何より幼馴染の手の感触。歩くほどに時間に対する平衡感覚が失われ、自分が一瞬誰だか分からなくなる。同年代の男女が通り過ぎるたびにかつての同級生がいるような気がして視線を送るが、当然そこには見知らぬ顔があった。


 そしてやはり凛はこの地域でも目立つらしい。年頃の男子は必ず凛の顔を呆気に取られたような顔つきで二度見した。そして隣にいる俺を見て、なんでこんな奴がと怪訝な表情を浮かべるのも前世と一緒だ。


 しばらく懐かしい味の焼きそばに舌鼓を打ち、かき氷を食べながら祭り会場を練り歩いていると凛の動きが少しずつ遅くなってきた。足を庇うような動き、過去の経験から理由はすぐに察しがついた。


「足、大丈夫?」


 俺がそう言うと凛は頷いてから、痛みが混じりあったような笑みを浮かべた。

「こういう時のために絆創膏持ってこよって思ってたのに忘れてたな」


 そのことは俺も気づくべきだった。浴衣にあわせた慣れない下駄でこれだけの距離を歩けば鼻緒に当たる部分が擦れて痛くなるのは当然のこと。


「凛、そこのベンチに座ってて。俺、コンビニで絆創膏買ってくるよ」


 別に大丈夫だよと言う凛をベンチに座らせてから足早に人ごみをかき分けて進む。記憶にあるコンビニが変わらず存在しているなら五分程度で戻って来れるはずだ。




 コンビニもまた祭り客で賑わっていた。手早く絆創膏と、虫除けスプレーを手に取って会計を待つ列に並ぶ。それにしても、昔から祭りになると今までどこにいたのかと思うくらい、強面のお兄さんと派手なお姉さんが目につくが、それは十六年後の今も同じらしい。


 レジでは初老のおばさんが慣れない手つきでレジを操作している。その緩慢な動きに一人ハラハラしていると、予想していた通り金色の髪の男性が苛立った様子で悪態をつきながらレジ台を二度叩いた。


 平身低頭に謝るレジの女性をみているうちに、鼓動が早くなるのを感じる。まさかと思い、目を凝らして制服の胸にあるバッジの苗字を読み取ると、その事実は確定する。間違いない。コンビニで働く初老の女性はかつての俺の母親だ。


 列に並んでいる間、何が何だかわからない気持ちで母親を眺めていた。記憶の中の母親はコンビニで働くイメージとはかけ離れた人だった。父はそれなりに稼ぎがあったし、母はガーデニング好きの家庭を守る専業主婦だった。


 別に今の時代、還暦を過ぎても働きに出る人は多い。だけれども十六年の間に刻まれた母の皺を見ていると、父親に何かあったのか、切羽詰まった事情でも抱えているのだろうかと悪い方へと思考が傾く。もちろん全ては想像でしかなく、本当のことは何も分からないのだけど。


 そうこうしているうちに、いつの間にか俺は先頭に立っていて、かつての母親の前に商品を差し出していた。近くで見ると母はレジの操作に慣れてないと言うわけではなく、手袋をはめる右手に何か問題を抱えているらしい。リウマチとかその類の病だろうか。


 何か言葉をかけたいと思っても、この混雑する店ではそれは迷惑をかけるだけだろう。それになんて言葉をかけたらいいと言うのか。


 せめて一言だけでもと思い、商品が入った袋を受け取った時、できるだけめいいっぱいの笑顔で「ありがとうございます」と言う。


 母親は一瞬きょとんと俺の顔を眺めてから、同じように笑顔で「ありがとうございました」と返してくれた。その時の表情はかつての記憶のまま、ただただ柔らかなものだった。




 束の間の再会を果たし、足早に凛のもとに戻る。人の流れがいつの間にか変わり、皆一様に川沿いの土手の方へ向かっている。すっかり忘れていたが、この祭りのフィナーレは花火大会。どうせならいつものとっておきの場所で二人で花火を眺めたい。


 ただ、凛が座るベンチが見えた時、状況がうまく飲み込めなかった。目につくのは凛を見下ろす大人の男性。ナンパでもされているのかと思い足を速める。そして、男の顔がはっきり判別すると、不意に高槻徹の言葉が脳裏をよぎった。

 

(今になって思えば、白石結衣はすでに経験があったんだろう。本人は初めてだと言っていたが、今考えれば違う。初めてな訳がない) 

 

 凛を見下ろすのは三十代になったかつての同級生、立川和也で間違いなかった。

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