終わらない物語
思えば、つまらない人生だった。
初めて食べた美味しいものは、りんご飴という。どうでも良い記憶から始まっている。
お祭りで、母親から買ってもらったそれを、一生懸命に舐めては笑顔であったと記憶している。
どうして、こうなったのだろうか。
苦難の末に、自殺を選ぶ他に道は無かったのだろうか。
いいや、あったはずだ。私も幸せになれるはずの道は、確かにあったはずだったのだ。
ただ、それを選び間違え続けてしまっただけの話で、どこかでボタンの掛け違いがあれば私でも幸せな人間になれたはずだった。
ただ、そうはなれなかった。それだけの話で。本当にどこにでもある話だ。
今更悔やんだ所でどうしようもない、というのはそうだ。
私は、自殺を選び、それに成功してしまった。
しかし、それは本当に正解だったのだろうか。また間違えてしまったのではないだろうか。
幸せな人間を目指す為の手段を諦めてしまっただけで、本当はまだ道は遺されていたのではないだろうか。
とは言え、私には時を巻き戻す術はない。
今、私は。本当にどうしようもなくなってしまったのだから――。
――いや、待った。
どうして私は、考えている?考える事が出来ている?
繰り返すが、私は死んだはずだ。人生の重圧に耐え切れず、首吊りをして自殺したはずだ。
死んだ後は無のはずだ。
魂なんてものは存在せず、感情や記憶なんてものは化学反応の結果のはずだ。
脳が死んだのであれば、そこに魂や感情なんてものは存在しないはずだ。
もしも、仮に死後の世界が存在したとして、そんなものは架空の物語のはずだ。
突如として浮かび上がる可能性の中で、私がまず思い浮かべたのは恐怖であった。
まさか、もしかして「また人生を始めなければいけないのではないか」という事を考えていた。
輪廻転生、という概念が存在している事は知っているが、それはあくまでも空想の中だから楽しめたのだ。
異世界転生なんてものは私には必要ない。ここから神なんてものが出て来ようものなら、私はすぐに自殺を願う事だろう。
決意の元に目蓋を開ければ、そこは相も変わらず私の部屋だった。
なるほど、輪廻転生や異世界転生の類ではない事は事実らしい。
私は、なんとなくホッとすると。次に辺りを見渡した。必要な物以外は処分しきった。私の部屋だった。
時間が巻き戻った、という話でもないようだ。現に、窓から見える半分だけ欠けた月は、変わらず私の部屋を照らしている。
と、なると。私は自殺を失敗したのだろうか。考えにくい事だが、首吊り自殺で上手く首を締めきれなかったのだろうか。
そう考えた所で、不意に私の身体が動く事に気付いた。首吊りをしているのにも関わらず、だ。
ふむ、本格的に自殺に失敗したらしい。ちっ。と思わず舌打ちをしてしまう。
自殺の成功率が高いからこそこの自殺方法を試みたのに、この結果とは。笑えてくるほどに絶望的だ。
けれども、絶望する事には慣れている。ならば次の自殺方法を探るまでだ。
と、そこまで考えた所で、致命的な違和感に気が付いた。
首を絞めているはずの、ロープの感触がないのだ。視点は、いつもよりも高いのにも関わらず、だ。
思わず、手を首の方へとやるが、やはりロープの感触が無い。と言うよりも、何かが、致命的におかしい。
身体が、全体的に軽いのだ。まるで重力から解き放たれたような。不思議な感覚だった。
咄嗟に身を引いて、絶句した。
私の目の前に居るのは、紛れもない私の、亡き姿だったからだ。
汚らしくも汚物を巻き散らかした私の亡骸は、間違いなく私自身で。暫くの間、私は言葉を失ってしまった――。
――それから、どれだけの時間が経ったのだろう。
不意に窓の外を見れば、先程まで見えていた半月はすっかり雲に隠れてしまっていて。私が結構な時間を硬直して過ごしていた事を証拠付けていた。
些か、いいや。かなり衝撃的な事に驚いてしまったが、冷静に。極めて心を落ち着かせて考えてみる。
私は、どうやら自殺には成功したらしい。
らしい。というのは自信の無さと言うよりも、あまりの出鱈目さに自身の事ながら信じる事が出来ていないためだ。
次に、私の姿について、だ。
「最後はスーツ姿でキッチリ死にたい」という謎のこだわりで、スーツ姿で自殺を図った私だったが。
身体を包んでいる服装は、まさに自殺直前のスーツ姿のままだ。なんなら、僅かにほつれたスーツの裾までバッチリと再現されている。
最後に、私の現状についてなのだが。
信じられない事に、私は浮いていた。要は、重力にとらわれていないのだ。
人類史における自力での有人単独飛行を初めて達成した私だったが、あまり喜ばしい事ではない。
というのも、床に足を付けようとすると、足は地面には付いているのだが、どこか……何と言うべきだろう。地に足が付いていない感覚があるのだ。
そう、言うなれば、その気になれば、地面をすり抜けてしまいそうな感覚が――ああ、そんな事を考えているうちに地面を足がすり抜けた。
――なるほど、なるほど。
どうやら私は幽霊というものになってしまったようだ。
これまで人生で一度も幽霊というものに出会った事が無かったが。自分がそうなってしまうとは、予想外だった。
いや本当に予想だにしていなかった。こんな事ならば生前にはもっと幽霊について調べるべきだっただろう。
そう、どうやったら成仏できるのか。とか。
私の人生において、悔いというものは――まあ無いかと言われたらあるのだが、些細なものだ。明日の天気予報を見ていなかったとか。洗剤が無くなりかけていたとか――ほぼ無いに等しい。
というのに、どうして私は幽霊になってしまったのだろうか。
暫く頭を捻ったが、特に思い付く部分が無い。
外を見れば、また半月が世界を照らしていた。
……とりあえず、思う存分空を飛んでみよう、などと月並みな事しか思い付かなかった。
ああ、今のは月が出ているからと掛けた幽霊ジョークである。笑う人は誰も居ないけれども。
そうして、思う存分空を飛行してみたが、残念な事に爽快感は無いに等しかった。
何しろ、風も空気抵抗も何も感じないのだ。ただただ浮いて動いているだけだ。
時折、人の目の前を通り過ぎるように飛行してみたものの、ほぼ驚かれたりはしなかった。
ほぼ、というのは猫や犬などにはたまに驚かれた、というだけで、今の所人間には私の姿は見えてはいないらしい。
動物には霊的なものが見えているのかも知れないという説は、もしかしたら有力だったのかも知れない。
そう考えているうちに、もしかしたら。この世界で私を確認出来る人間は、誰一人として居ないのではないか。という漠然な不安が私を襲った。
勿論、そんな訳はないだろう。霊感があるという人は、この世にはごまんと居るだろう。
ただ、その中で本当に「視える人」はどの程度居るのか。不安になった。
発作のように、止まっているはずの心臓の辺りが苦しくなり。辛くなる。
咄嗟に、いつも愛用しているとんぷく薬を探そうとして。自分の部屋へと戻り。愕然とした。
今の私には、薬を飲む手段が無いのだ。
いや、正確に言えば、薬も、何もかもを触る事が出来ないのだ。
抗うつ作用のある薬も、気分の浮き沈みを抑える為の薬も、睡眠薬に至るまで、私はそれらに触る事すら出来ない。服用する事などもってのほかだ。
幽霊であるのだから当然の事とは言えども。あまりの事に、私は呼吸の仕方すらも忘れた。
幽霊なのだから必要無い事とは理屈では分かるが、それでも苦しいのだからどうしようもない。
何故、どうして。自殺をして楽になるはずだったのに、解放されるはずだったのに。
どうして死後も苦しまなければいけないのだろう。
思わず涙がこぼれた。わんわんと泣いて、泣いて。苦しくて。辛くて。死んだけど死ねなくて。
気付けば夜は明けていて。気付けば、私の亡骸はどこかへと運ばれて行って。
それすらどうでも良いと思える程に、苦しかった。
こんなことならば、自殺なんてするべきじゃなかった。
後悔しても、後悔しても、どうすることも出来なかった。
死ねない死神の終活相談 あるいは視える人による死神の人生相談 どらわー @drawr
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。死ねない死神の終活相談 あるいは視える人による死神の人生相談の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます