死ねない死神の終活相談 あるいは視える人による死神の人生相談

どらわー

1.私の愚行

全ては私が悪いのだ。

最近、身辺整理を始めた。

余計なものを捨てて。物の在処を明らかにする作業だ。


こういった単純作業は、私は得意ではある。いわゆる、片付けられない系男子ではないのだ。

余計な物は捨てて、必要な物は残す。私は、昔からそういった単純作業は嫌いでは無かった。

とは言え、今まで数万もかけて収集したはずの物品まで捨ててしまうのは如何なものなのだろうか、と思わない訳ではない。

他人に譲ったり、売ったりしたりすれば、ちょっとした金になる事は間違いはないのだろうが。


残念ながら、私は疲れてしまったのだ。

いわゆる、自殺願望、あるいは自殺志願者と言って過言ではない。

かつて、私は市販の錠剤を多量に摂取して自殺を図った経緯があったりもするが、ここではそれは省く。

要は、死にたがりなのだ、私は。

身辺整理を始めたのも、自殺へと進む為の一歩である。

常々、死にたいと考えながらも、通院している精神科の先生達の前では、ヘラヘラと平気な風に装うのは、もう疲れてしまったのだ。

金、金、と。仕事を辞めてから減っていく通帳の残高を眺めているだけの行為もまた、疲れてしまった。

日々増えていく抗うつ薬と、気分の浮き沈みを抑える為の薬を飲むだけの作業も、疲れてしまった。


その昔、大金をはたいて集めていたはずのコレクションを捨てる度、ああ、無駄なことをしたな。と思ってしまう。

本当ならば、譲ったり、売ったりするべきなのは、分かっているのだ。ただそれが億劫で、疲れてしまうと言うだけで。

かつては、違ったはずなのだ。大好きな筈のそれを追いかけるのが億劫とは思わなかった。

小説もまた、二次創作のゲームもまた、プレイする気力はあったはずなのだ。

ただ、今はどうかと言われると、ゲームにログインする事すらも億劫になり、面倒になってしまった。

かつては、もっと違ったはずなのだ。

同じ趣味の友人も出来て、幸せだったはずなのだ。

だけど、それすらもうどうでもいいと思ってしまっている。

最後に友人と連絡をとったのはいつだったのか、もう記憶すらあやふやだ。


さて、前述の通りだが。私は仕事を辞めた。

いままで、努力は報われるはずだと信じて大学まで卒業した私は、社会の荒波というものに耐えられなかったのだろう。

あっという間に仕事を辞めて、次の仕事を探した。そして、それを何度も繰り返すうちに「もしかしておかしいのは自分の方ではないか」と思うようになった。

精神科に通うようになったのは、それからだっただろうか。

簡単なテストのようなものを書かされ、ロールシャッハ検査のようなものもした。

そして、発達障害と言われ、適応障害と聞かされ。うつ病だと診断され、自閉症スペクトラムだと分かった。


今まで積み重ねて来た努力が、全て否定されたような気がした。

何もかもが、嫌になり、自殺を図った事もあった。失敗したのだけれども。

精神科の先生からは、口約束の約束事をされた。もう自殺なんてしません。と。

恐らく、不幸だったのは、その時の担当のお医者サマがご高齢の先生だったこともあったのだろう。

精神病というものに明るく無かったのかも知れない。あるいは、病は気からという言葉を真に受けてしまったのかも知れなかった。

それから暫く、私は何の薬も処方されない日々が続いた。


ハッキリと言うと、地獄だった。

薬が処方されないという事が、これまで辛いことなのだとは思わなかった。

今まで、どれだけ薬に助けられていたのか、知る良い機会になった。

それから、駆けこむように病院を変えて。変えて。変えて。

そうして、私は疲れてしまったのだ。


人生には、何の意味も価値もなかったのだ。それはきっと、他のあらゆる人にとっても、そうだ。

私が特別価値が無かった訳ではない。とだけは今の今になって分かる。

ただ、そう考えるまでには、色々と考えた。死ねない理由を探そうとした。

家族が悲しむだとか。最新のゲームが出てないだとか。何かを遺さないと死ねないだとか。

今日の天気は悪いから死ねないだとか。運が悪いから死ねないだとか。

何かを楽しめるように努力したりもしたっけか。

ただ、必死に探そうとした結果。そんなものは何の意味も為さないと知った。


私は、いや、私達は。決してかけがえのない存在じゃない。

ジグソーパズルのような、一つのピースですらない。

私達の誰かが死んだ所で、全て替えの効く存在でしかない。

あまりにも残酷で、あまりにも単純な結論が、最後には待っていた。


「――よし」


不要なものは、全て処分した。

口から出た言葉は、それを最終確認する為のもので。決して意志を固めるようなものではない。後悔するようなものは、全て処分し終えたのだった。

今、私の目の前にあるのは、一本の長いロープが。だらり、と輪っかを作っているだけだ。

最終的に思った事として、首吊り自殺というものの手軽さは、あまりにも素晴らしいという事だ。

自殺を図る為の手段として、これを追随する事を許さない程に、素晴らしかった。


それは「一度完璧にやってしまえばほぼ助からない」という側面からもそうだし。

別に「ロープの一本を用意するだけで、誰からも怪しまれない」という側面からもそうだ。

「死んだ後の死体の綺麗さ」では薬物自殺に劣るものの、私は別に死んだ後がどうなろうと関係ないのだから。特に気にはならなかった。


私は、人生最後の晩餐は必要ないと判断した。

最後に、悔いが残ってしまうのではないか。と危惧したからだ。

そこにそれ以上の理由はないし、必要でもなかった。


台座の上で、私は首にロープの輪っかを括り付ける。

あとは、台座を蹴飛ばすだけだ。だと言うのに、私は中々それを直ぐに実行出来ないでいた。


緊張からか。胸打つ鼓動はいつもよりも早く。そして荒々しい。息も、少しだけ荒く。そして目の前もチカチカする。

ようやく終われる。という安堵はなかった。自殺する事は、苦しい事だと理解しているからだろうか。

初めて薬物自殺を図った時には無かった緊張が、私にはあった。


死刑を執行される重罪人もまた、同じような気持ちだったのだろうか。と思い。

分かる訳がないか。と一人心の中で言葉を連ねた。


電気は消していて。今、私を照らしているのは、窓から見える半分だけ欠けた月だった。

ほんの少しだけ明るく照らされた私の部屋は、もはや空き家と言っても過言ではない程に物品が少なかった。

当たり前の事だ。不要な物は全て処分したのだから。

必要だったはずのものですら、全て処分したのだから。

何もかもが、嫌になって。どうしようもなくなってしまった私は。きっと不要なのだから。

不要なものは、処分しなければならない。昔から、それだけは得意だった。


トン。


小さな物音を起こして。私は足場を蹴った。

どうあがいても、床には足が届かないように計算したロープは、あっという間に私の首を絞めて。


苦しく。辛く。けれどもそこには安堵があった。


身体が動かなくなる程の絶望を。気が遠くなる程の絶望を。

冷や汗が止まらなくなる程の絶望を。ガクガクを身体が震える程の絶望を。

吐き気をもよおし、えずく程の絶望を。涙をこぼして、許しを請う程の絶望を。

また再び訪れるのではないか、と心がへし折れそうになる程の絶望を。


辛くて苦しくて泣きたくて叫びたくて話したくて話せなくて伝えられなくて。

失敗して悲しくて努力は報われなくて自傷しても興奮しても伝わらなくて。


それらから全て解放されるという安堵が、確かにそこにはあった。


苦しかった世界から、解放される。

ようやく、私は死ねる。

終われる――。






――最後に一つ、断っておく事がある。

この物語は、このままでは終われない。終わらない。

そして、この物語は、とても、とても暗い話だ。


自殺という言葉を着想とし、動機とし、概念とし、シンボル化したものだ。

精神病についても、扱うし、なんならその苦しみを多用に表現する。


この話が、誰しもに影響を与えるとは思えないが。

異常なまでに想像力のたくましい人に足しては、もしかするとよくない影響を与える可能性があるかも知れない。

考える人や、うつ病や、それに近しい精神状態の方には、この物語は毒にしかならない。

薬には決してなりはしない。とここに断言する。有害である。と言われても私には決して否定は出来やしない。


ただ、この物語は、理解して欲しいだけだ。

少なくとも、この世界には、こんな人間も居る。という事を思い出して欲しい。

幸せな人間ばかりな世界は存在せず、不幸せな人間も居てこその世界だという事を知って欲しい。

努力は必ずしも報われず、成功者が居れば失敗者もいる。


この物語は、徹頭徹尾それだけを念頭に置いている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る