乞食の老婆

彩霞

遺された謎

 これは、僕が人伝に聞いた話である。


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 今から、六十年近く前になるだろうか。

 とある田舎の集落に、孤独な貧乏人の老婆がいたそうだ。


 家が古く、着ているものもみすぼらしい彼女は、少しでも生活が楽になるようにと、近所の人に食事を出してもらうことで食費を浮かそうとした。その方法は、食事をしようとする時間もしくはその最中に訪問することで、食事に誘ってもらうという至ってシンプルなやり方である。


 現代では、食事をしている最中に押し掛けたからといって、食事を出してもらえるなどあまり考えられないだろうが、当時は醤油がなければ隣の家に借りるような時代であり、集落には食事時に訪問したら「一緒に食べるか?」と誘うような習慣があった。そのため、人々は彼女が訪問しても突っぱねることはなかったのである。


 また、老婆自身も断られない工夫をしていた。

 毎日、同じ家に行けば当然嫌な顔をされることは分かっていたので、十数件の家を二、三週間で一周するようにし、さらに昼時に行くようにしていたのである。


 しかし何故、朝食や夕食ではなく、昼食のときだったのだろうか。

 老婆に食事を出していた家の主婦は、「その時間が一番簡素な食事が出て来るからではないか」と言っていた。昨夜の夕餉の余り物や手間をかけずに作った料理は、乞食の老婆に出しても悔しくもなんともない。彼女はそれを分かっていて、昼時の訪問をしていたのではいか、と。


 また、この頃は今のように豊かな時代ではなかったので、助け合いの精神が強かった。そのため、老婆が乞食をしていると分かっていても、集落の人々は数週間に一度彼女が昼食を求めてやって来たら、素知らぬ顔をして彼女を家に上げ、食事を共にしていたのである。

 

 それが何年か続いたのち、ぱたりと老婆の訪問が途絶えた。

 昼飯をやっていた家の人たちは何かあったのだろうと察し、集落の人々を集めて彼女の家に向かった。案の定、老婆は亡くなっていた。


 血の繋がった者がいないのか、彼女の遺品を引き取る者はおらず、集落の人たちは老婆の遺品整理を代わりにしてやった。

 貧乏人の老婆の家である。あばら家のようなこの場所に、価値のあるものなど何一つないだろう。そう思っていたが、片付けのために古びた畳を捲ってみると、大量の紙幣が出てきたのである。数えてみると三千万円ほどあったという。


 それほどの大金があれば、こんなボロ家に住まずとも良かっただろうし、服だってもっとまともなものが着れただろう。そして何より、昼食を誰かに恵んでもらわずとも良かったのではないかと、集落の人たちは当然思った。


 だが、老婆はそうしなかった。そこにはどんな意図があったのだろう。


 己がいつまで生き、どれくらいの金が必要になるかが分からなかったから手を付けられなかったのか。

 それとも、金などは関係なしに、昼食を共にする誰かが欲しかっただけなのだろうか。


 その真実は、今も誰にも分からないままである。

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乞食の老婆 彩霞 @Pleiades_Yuri

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