BLOODY HOUND

桔梗

序章

 その山の中には、一軒の洋館がある。


 数十年前から現代に取り残されているこの田舎では、洋風の建築物というだけで奇異の目を向けられてしまう。


 だが、この洋館が避けられている理由は、他にもある。村の記録にある限りでは、この洋館は完成して以来、一切人が住んでいないのだ。


 存在している以上は、誰かが金を出し、業者に建築を依頼したはずだ。それなのに、この家に住んだ者はいない。


 村人からすれば、ここは「幽霊の巣窟」であり、「吸血鬼の住処」。現実的な意見では、芸術家のアトリエ。


 門の写真を納めると、山下はカメラを下げた。まだ「深夜」というには早い時間だが、田舎の夜は早く、8時といえど、山から見える村は暗闇に包まれていた。


 山の上から不気味な風が吹き抜けて、思わず肩を窄める。


 山下の通う高校は、この山の向こう側にある。この家がある田舎とは違い、それなりに文化の進んだ都会だ。最も山下の生まれは、この村に負けず劣らずの田舎だが。


 山下がこの森の洋館を訪れた理由は、新聞部の取材。夏休み前という事で、休み明けに張り出される校内新聞の企画で、心霊スポット特集を組む事になったのだ。


 とはいえ、ここは建築以来、家主の一切居ない家。中の取材の許可を取る方法も思いつかず、結局、とりあえずは外観と周囲の写真を撮り、あとは文字に起こす際におどろおどろしく書くことになっていた。


 門に面している屋敷の壁には、窓と呼べるものは一切無い。そんなことがあるのだろうか。大抵の家は、家に誰かが訪れた際、入り口を確認出来るようにと窓の一つは付いている。


 ――この家には、吸血鬼が住んでいた。そんな噂を思い出し、苦笑する。確かに、そんな類の怪物が住んでいてもおかしくはない。


 気を取り直して、場所を移す。 


 洋館は周囲を柵で囲まれているが、山肌と柵の間には、僅かに移動できる隙間がある。あまり制服を汚したくは無かったが、これも取材のためだ。


 庭には大きな噴水があるが、当然水は出ていない。敷き詰められたレンガの隙間からは、雑草がこれでもかというほど伸びていた。


 ふと、視界の隅で何かが動いた気がした。そちらに目を向けると、小さな窓があった。もちろん、人の気配はない。


 だが、何故あんなところに。


 疑問に思いながら、シャッターを切る。あそこに窓をつけたところで、見えるのは、どこまでも続く山の斜面だ。


 ――がさりと、背後で音がした。


 すぐ後ろだ。野生の動物だと思い、ナップサックにくくりつけられている、熊避けの鈴を鳴らす。


 がさり。がさり。


 しかし、音はどんどん増えていく。気がつけば、どこからか、何かが腐ったような臭いが漂っていた。


 やばい。山下の脳が、全身に警鐘を鳴らす。心臓は早鐘のように鼓動し、全身に血液を送り続ける。なるべく素早く、この状況から抜け出せるように、と。


 しかし、肝心の足が動かない。まるでその場に縫い付けられているかのように、いくら動こうとしても、足が動かなかった。


 何かの気配を感じて、首だけをそちらに向ける。


 何かが、そこにいた。


 木々の隙間から、人型の何かが、ゆっくりと此方へ向かってきている。木々の揺れる音は、あいつが移動している音だったのだ。そう理解したところで、足は動かない。


 とうとう音の主は、山下のすぐ後ろにまで近付いて来てしまった。三日月の様な口から息が漏れるたびに、腐臭が漂う。喉から迫り上がってくるものを無理やり飲み込んで、山下はカメラを振り回した。借り物だとか、そんなことを気にしている余裕はどこにも無かった。


 カメラが当たり、怪物は「ギャっ!」と悲鳴をあげ、山の中に消える。男とも女とも取れない、まるで合成された音声。


 怪物を追い払ったというのに、彼女の足は動かないままだった。怪物にぶつかった衝撃でカメラのショルダーがちぎれ、カメラの本体はどこかに行ってしまった。


 ああ、これは弁償させられるな。ここから生きて帰れるのかも怪しいというのに、山下はそんなことを考えていた。


 音が近づいてくる。また奴が来たのだ。もはや、彼女に対抗できる手段は残されていなかった。


 視界の隅で、また何かが動く。――間違いない。館の中にも、誰かがいる。


 助けてください。そう叫ぼうとした途端、カーテンに覆われた2階の窓から、窓ガラスをぶち破り、何かが飛び出してきた。


 ――人だ。


 深紅のコートに身を包み、赤いハットを被った男。彼は両手に持っている不思議な形をしている銃を、彼女の背後に向けて、数発撃ち込んだ。


 また悲鳴が聞こえて、気配が遠ざかる。


 「入りな、お嬢さん!」


男がそう叫び、彼女の襟首を掴む。訳が分からずに困惑している彼女を他所に、彼は彼女を、洋館の庭に放り込んだ。


「家の中には入るなよ! 後で俺が怒られる」


尻餅をつく彼女を他所に、彼が言う。文句の一つでも言ってやりたくなったが、それよりも早く、怪物の方が動き出していた。


 枝の上を素早く移動し、彼の首筋めがけて飛び降りる。彼は最低限の動きでそれを回避すると、怪物の頭に、その銃口を突きつけた。


「ヴァンパイア・ハンターか……」


怪物が呟く。やはりその声色からは、怪物の性別は分からなかった。怪物の問いに、男はにやりと笑う。


「分かってんのなら話が早い。死んでくれや」


「馬鹿が。吸血鬼に銃弾は効かぬ。ハンターの癖に、そんなことも……」


怪物は、その言葉を言い切る事は出来なかった。それよりも早く、男が引き金を引いたからだ。


 怪物は大きくのけぞり、倒れる前に静止する。やはり、銃弾は効かないのだ。だが、男は余裕の表情を崩さない。


「ただの銃弾じゃないぜ」


 刹那。小さな爆発音と共に、怪物の身体が、粉々に砕け散った。


「チャオ様の特別製だ。心ゆくまで味わいな」


そう言って、彼は銃をコートの中に収めた。



 「よぉ。怪我はないか?」


塀を乗り越えて、男は山下の前に着地した。


「いえ、どこも……。あの、助けて頂いて、ありがとうございます」


そう答えると、男は一瞬、ぽかんと口を開く。そして、盛大に笑い始めた。


「助けてねぇよ! 俺の狩り場に、アンタが迷い込んだんだ!」


「狩り場……?」


言葉の意味が分からず、山下は首を傾げる。男は余程おかしかったのか、まだ肩を揺らしながら言う。


 「ああ。あの吸血鬼を狩る為に、この家を借りてたんだ」


「借りてたって、誰から?」


噂の通りならば、この家に住んでいる人間は居ない筈である。となれば、管理人もいないということになる。


「ここは元々、とある吸血鬼の家だったんだ。村の連中を狩る為のな。それを、俺が追い払った。だから実質、俺の家だ」


「そんな話……」


信じられない。だが、実際に彼女は怪物を目にしているし、彼がそれを殺す場面も目撃している。


「だが、今じゃ後悔してるよ。追い払うんじゃなくて、殺すべきだった。今じゃ、奴が産み出した吸血鬼がそこらじゅうにいやがる」


そう言って、男は溜息を吐いた。そこで思い出したかのように、山下へ手を差し伸べる。


「チャオ・グレイヴだ。しがないヴァンパイア・ハンター。好きな食べ物は納豆。特技は……」


「訊いてません」


そう言って、彼の手を掴む。


「山下美穂です。この山の向こうにある高校に通ってます」


「そうか。……ま、上がって行けよ。あんた、アイツの臭いが染み付いちまってる。そのままじゃ狙われるぜ?」


そう言われて、鼻を服に近付ける。特段変な臭いはしなかった。その様子がおかしかったのか、またチャオが笑う。


「人じゃ感じられないよ。奴らのマーキングみたいなものだ」


猫の小便に例えられて、思わず山下はムッとした。だが彼は構うことなく、屋敷のドアに手をかける。そしてドアノブを捻り――。


 「活!」


そんな声と共に、塀に向かって吹き飛んだ。


 ドアの向こうから、細い脚が見える。


「テメェ。窓割っただろ。言っただろうが。人の気配を察知されたら困るって」


 そんな言葉と共に現れたのは、美しい女性だった。彼と色違いの黒いコートに身を包み、さらりと伸びた黒い髪を、夜風に揺らしていた。やはり彼女も只者ではないのか、その腰には、一振りの日本刀が携えられていた。


 「そう言うなよ、紅葉。見ろ。お前だって塀を壊した」


瓦礫の中から這いずり出したチャオが言う。紅葉と呼ばれた女性は溜息をつくと、山下へ目を向ける。


「巻き込まれちまったのか? なら上がって行きな。悪いようにはしないよ」


「あの……私、狙われちゃってるんですか? その……」


「吸血鬼から、ね。ま、その話も中に入ってからだ。……おい、デクノボウ! さっさと入ってコーヒーでも淹れな! 3人分だ!」


「やれやれ。人使いが荒いねぇ」


そう言って、チャオも中に入っていく。このまま帰るわけにもいかず、山下は無くしたカメラのことを頭の片隅に浮かべながら、中に入った。


 屋敷の中は閑散としているが、それなりの家具は揃っていた。あまり散らかっていないところを見ると、チャオか紅葉のどちらかが、定期的に掃除をしているのだろう。


 適当なソファに腰を下ろしたところで、盆に3人分のコーヒーカップを置いたチャオが、リビングに入ってくる。


 「さて、どこから話そうかね」


コーヒーカップを受け取り、紅葉が口を開く。山下はコーヒーを僅かに口に含むと、顔を顰めた。ブラックは苦手だ。熱い物も。


 「悪いけど、砂糖は無いんだ。ミルクもな。山を降りるのが面倒で」


そう言って、チャオが苦笑する。文句を言うつもりもなかった。


「チャオから聞いてるかも知れないけど、私達はヴァンパイア・ハンター。この村に来たのは、3年前の話さ。村で変死が続いてるって噂を耳にしてね」


その話ならば、山下も知っていた。この村で、連続殺人があったのだ。だが、その事件は犯人の死亡で書類送検されたはず。事件のことを記した遺書が、割腹自殺した遺体の脇に見つかったのだとか。


 「犯人は、この家の主人。『グレゴリー2世』という名前の吸血鬼だった。それが分かったのならば、後は吸血鬼を殺すだけ。でも、チャオがしくじっちまったのさ。『家族がいる』って言われて、奴を逃がしちまった。おかげで、この辺りは吸血鬼だらけだ」


「しくじったわけじゃねぇ。『人の情を優先した』と言って欲しいね」


「吸血鬼に噛まれた奴に残された選択肢は2つ。死んで吸血鬼になるか、その前に肉体を焼かれるか。……この村でも、遺体が見つかる前に発症しちまった連中が何人かいてね。今は、その後始末の最中さ」


 こんな田舎だが、もちろん火葬が主流だ。おかげで村人全員が吸血鬼になるという事態は避けられたのだが、それでも何人か、吸血鬼にされてしまった奴らもいる。


「村に『見守りネットワーク』みたいなのがあれば良かったんだがね。この村の連中は老人ばかりだというのに、互いに関心が無かったらしい」


田舎では孤独死を避けるために、互いを見守るシステムがあると良く耳にする。だが、この村にはそれすら無かったらしい。そう言った現代的なアイデアを思い付くような若者は、殆どが都会に行ってしまったのだ。


 「で、吸血鬼はターゲットを始末する前に、自分自身の臭いを染み付かせる。仮に逃がしてしまっても、他の奴らが襲えるようにね。奴らは個々の繁栄よりも、吸血鬼を増やす為に生きてる」


「つまりアンタは、別の吸血鬼に襲われる可能性が高いって事だ。そこで提案」


黙っていたチャオが、コーヒーを飲み干して口を開く。  


「囮になって欲しい。言っちまえばアルバイトだ。アンタを狙って現れた吸血鬼を、俺達が始末する。どうだ?」


「どうって言われても、私学生ですし……」


彼らに着いていく訳にもいかない。


「大丈夫だ。紅葉を見ろ。顔だけなら学生って言っても話は通る」


「顔だけってどういう意味だコラ」


「学校ではこいつが、外では俺が見守ってやる。その間に、アンタをヴァンパイア・ハンターに育てる。いつまでも見守る訳にはいかないからな。匂いが消えるまで生き抜くには、アンタ自身も強くならなきゃダメだ」


「そんな……」


無理だ。戦えっこない。運動は苦手だし、山下はただの高校生だ。


「悪い話じゃないぜ? ヴァンパイア・ハンターだって、それなりの稼ぎにはなる。マイナス面は危険が多い事と、履歴書に書けないから転職に不利ってくらいだ」


そう言って、チャオが笑う。が、途端に真面目な顔に戻った。


「良いか? アンタが出来るかどうかは問題じゃない。出来なきゃいずれ殺される。臭いが薄まるまでは最低でも10年。完全に消えるにはもう20年かかる。――合わせて30年。その間、アンタは逃げ切る自信があんのか?」


ある訳がない。山下は溜息をつく。これでは、あの怪物に殺されたようなものだ。あいつに襲われたことで、向こう30年の人生が奪われてしまったのだから。


「ま、30年経つ頃には、アンタも立派なヴァンパイア・ハンターになってるだろうよ。とりあえずは、今日は親睦会だ」


そう言って、チャオが冷蔵庫へ向かう。取り出したのは、大きなピザだった。


「紅葉が注文したんだ。配達の兄ちゃん、泣いてたぜ」


「ここを配達範囲に入れてた店が悪い。……そういや、まだ自己紹介をしてなかったね」


そう言って、紅葉がコートの中から煙草を取り出す。


「暮葉紅葉だ。好きな食べ物はカレーライス。特技は……」


山下は無理矢理コーヒーを飲み干すと、顔を顰めて、彼女の言葉を遮った。


「訊いてません」

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