Departures

植原翠/授賞&重版

Departures

 教室の窓から見える、校庭の木の緑が眩しい。

 若葉の青々とした新緑が、夏の陽射しを受けてきらきらと星を宿していた。


 中学に上がる年の春に引っ越してきたこの町は、以前住んでいた町に比べて酷く田舎だった。辺りには山か森か川しかなくて、住んでいる人も少ない。

 そんなこの町に、コンビニができた。夏休みの直前にオープンしたそのコンビニは、なんと中学校から徒歩五分で行けるのだ。

「すごない? 五分やぞ五分。今まで最寄りのコンビニまで車で一時間やったのに、あのコンビニできてからは歩いて行けるねんで!」

 外の木から蝉の声が届いてくる教室の中で、彩子が負けないくらいの大声を出した。いちばん興奮していたのは多分、彩子だったと思う。

 彩子の隣の席で美里が頷く。

「本当、便利になったわなあ。ノートとか消しゴムも売ってんから、学校着く直前で忘れ物に気づいても買いに行けるで」

 このふたりは小学校からの仲良しらしく、いつも一緒にいる。

「学校終わったら、ジュースとアイス買うて帰ろう」

「お、賛成」

 そしてふたりは、彩子の後ろの席の私を振り向いた。

「智恵も一緒に!」

「うん!」

 越してきたばかりの私を仲間に入れてくれたこのふたりは、私の大切な友達である。


 放課後、私と彩子と美里で徒歩五分のコンビニへ向かった。雑草だらけのアスファルトの道は照り返しが強くて、気温をむしむしと上げている。真っ青な空にこんもりした入道雲が積み上がる。白い太陽がきらきら照り付けていた。

「コンビニってすごいよね。二十四時間、三百六十五日、なんでも売ってるで」

 彩子はこの暑い中元気いっぱいである。ぴょんぴょん跳ねながら私と美里より少し先を歩いて、セーラー服を翻していた。

「そりゃそうでしょ、それがコンビニやし」

 美里が冷ややかに言う。私も苦笑いした。

「今までなかったから、衝撃的だったのかもね」

 すると彩子はむっとむくれて振り向いた。

「別に、コンビニを知らんかったわけやないねん。うちだってこの町の外に出ることくらいあるし、コンビニ使ったことはあるで。出かけたときに立ち寄るくらいで、家の近くになくても不便やないと思ってたけどな」

 畦道は蝉の声で溢れている。ミンミンと騒がしい声は、暑さを助長している気がした。

「せやけん、実際に歩いて行ける距離にできてみるとめっちゃ便利やったんよ。いつでもなんでも買えるんやで。つまりなんでもできるんや。できないことないんや」

 興奮のあまりコンビニを崇める彩子に、私はあははっと笑った。

「たしかにね。いつでもなんでも揃うよね」

 学校からあっという間にコンビニに着く。ドアを開けると、冷たい風がひやっと私たちの汗を冷やした。白い明るい照明がお店の整然と並ぶ棚を照らす。コンビニの便利さに気づいた町の人たちが、レジに列を作っていた。

「これから夏休みが始まったら、毎日ジュースとアイス買おう。毎日パーティやで」

 彩子が冷蔵ショーケースの前でニヤニヤする。美里が彼女の背中をぱしっと殴った。

「遊んでばっかじゃだめやからな。宿題終わらせんと」

「もう、美里はうちの母ちゃんか」

 連れない美里に彩子がつまらなそうに唇を尖らせる。

 彩子は果汁百パーセントのオレンジジュースを選んで、美里は紅茶を選んだ。私はミックスジュースにした。

「彩子って、ちっちゃい頃からそのジュース好きだよね」

 美里に言われて彩子がオレンジジュースを掲げた。

「果汁百パーセントって決めてんねん。美里はこれ、酸っぱいから嫌いや言うてたけど」

「子供っぽいしな」

「子供っぽい言うなや」

 彩子は無邪気なところがあって、反対に美里はちょっと大人びたところがある。私はこのふたりのバランスを見ているのが、結構好きだった。

「アイスは何買おっか」

 私がアイスのショーケースに向かうと、ふたりもくっついてきた。

「ソーダの! ソーダのアイスがええ!」

 興奮する彩子に、美里が同調する。

「うちもソーダのがええな。板状の、棒の刺さったアイス」

 しかしショーケースを覗き込むと、ふたりがご所望のソーダアイスはひとつしか残っていなかった。彩子がたちまち拳を握りしめた。

「あかん! 血を見る戦争やで。美里、ジャンケンや! うちは容赦せんで」

 しかし燃える彩子とは対照的に、美里はすんなりバニラアイスを選んだ。

「ソーダは彩子に譲ったる。うちはバニラでもよかってん。二択で悩んどってん」

「流石美里、大人やなあ!」

 彩子はにぱっと笑って、遠慮なくソーダアイスを手に取った。私はそんなふたりを楽しく眺めながら、チョコレートのモナカを選んだ。

「大人かあ。私も大人になりたいな」

 ぽつっと呟いたら、美里がふうんと鼻を鳴らした。

「ちょっと分かる。大人って楽しそうやんな」

「そうかあ? 大人は働かななんないやん」

 彩子が首を傾げ、ちらとレジの方に目をやった。

「レジのバイトの人見てみ、だるそうやんか」

「せやけん、大人になったらああいうのも飲めるやん?」

 そう言って美里が指さしたのは、棚に並んだお酒だった。彩子がうーんと唸る。

「それは楽しそうやけど……」

「まあな、『大人になりたい』思うのは子供やからや。うちは全然、大人やないんや」

 美里がぽんと自分の小さな胸に指を添えた。私は意味が分からなくて黙っていた。彩子もちょっと理解していなそうだったが、彼女は彼女なりの解釈をしたらしい。

「そやな、うちらもコンビニと一緒やからな」

 その喩えがまたよく分からなくて、私は黙って目をぱちくりさせた。美里も首を傾げていて、彩子はだからな、と説明をはじめた。

「コンビニは二十四時間、三百六十五日、なんでも買えるやろ。うちらも二十四時間、三百六十五日、なんでもできるんや。夢を見るのも、どんな大人になりたいかも、なんでも自由にできる」

 上手いことでも言ったかのように、にんまりしている。

「うちらまだ子供やん。だからこそ可能性は無限大で、なんでもできるんや。できないことないんやで。最強やで」

「はあ、なるほど。一理あるな」

 美里が納得して、真顔で言った。

「なりたいようになりたかったら、今できることなんでもしたらええんや」

「そうやで!」

「せやったらまず、彩子は夏休みの宿題ちゃんとやりや」

「あーあー、聞こえへん!」

 ふざけるふたりを見て、私はそっか、と思った。

 子供だからなにもできないんじゃない。子供だから、どんな道でも選べるのだ。二十四時間、三百六十五日、好きなように夢を見て、なりたい自分を目指していい。

「ふたりは、将来どんな大人になりたい?」

 レジの列に並んで、私はふたりに尋ねた。彩子が首を捻る。

「ぜーんぜん、考えてへん。考えてへんから、多分地元の高校行って地元で就職する。特別なりたい職業もないから、専門とか大学とかで学ぶ必要もないしな」

 それから彼女は取って付けたように付け足した。

「ほら、可能性は無限大やから。これからいくらでも変わってく。もしかしたら、夢を見つけるかもしらんしな」

「うちは実家の和菓子屋継ぐ予定やから、専門行くかなあ」

 美里が呟き、それから天井を見上げた。

「でも彩子の言うとおりなんでも自由にできるんやったら、無理に継がんでもええやんな。継がななんないと思ってたけど、考えてみたら、継がなきゃならんと縛られる理由なんかないやん」

「智恵こそ、将来のこと考えてん?」

 彩子に尋ね返され、私はうーんと下を向いた。

「多分、私はこの町から出ると思う……」

「えっ、また都会に帰るん?」

 美里が目を剥いた。私はまた唸った。

「お父さんの仕事の都合でこっちに住んでるだけだから、また転勤になったら引っ越すからね」

 再度引っ越す目処こそ立っていないが、長くいるわけではないと、私は思っていた。彩子がはああ、と大きく感嘆した。

「そっかあ。なんか、智恵は大都会の真ん中でキャリアウーマンしてそうやもんな」

「そう?」

「うん、ほんでな、イケメンと結婚して仕事取るか家庭取るかで悩むねん」

「なによそのイメージ!」

 すぐに冗談を言う彩子に、私はケタケタと笑った。彩子は調子に乗って美里の頬をオレンジジュースのペットボトルの底でつついた。

「その頃美里は、巡り巡って南の島でカフェ開いてんねん」

「ちょっと楽しそうやん」

 美里が笑い、私も続いた。

「彩子は、世界一周の旅とかしてそうだね」

「そうやで。ついでに世界征服してんや」


 私たちはコンビニと一緒だ。

 二十四時間、三百六十五日、なんだってできる。なんにだってなれる。


「早く大人になりたいな。大人って楽しそうや」

「せやね。うちら皆、大成功するねん。なんでも手に入るねん」

 彩子と美里が楽しげに笑う。ペットボトルとアイスがレジに置かれると、気だるそうなバイトがバーコードを読み取っていた。


 *


「智恵、智恵。ちーえ!」

 私を呼ぶ声で、我に返る。

 私はコンビニの冷蔵ショーケースの前で、十五年前の懐かしい記憶を呼び起こしていた。

 そう、あの頃の私は、無限大の可能性を秘めていた。

「何ぼうっとしてん。話聞いとった?」

「おつまみ、もう一品買おうって話してたんやけど。智恵、たしかチーズ好きやったな?」

 今私の目の前にいるのは、三十歳近くなった彩子と美里だ。私はふたりに笑いかけた。

「あー、ごめん。ちょっと昔のこと思い出しててさ」

「昔?」

 美里が繰り返す。

「このコンビニができたばっかりだった頃。まだあの頃、私たち中学生だったよね」

 私は頬に張り付いた後れ毛を耳にかけた。腕を動かしたら、引っ掛けていた買い物かごが揺れて中の缶ビールがカランとぶつかり合った。

「覚えてる? 彩子がコンビニできたのにめっちゃ浮かれてて、帰りに飲み物とアイス買いに立ち寄ったの」

「そんなこともあったかもしらんなあ」

 大人になった彩子はあの頃よりずっと落ち着いた態度で返事をした。

「あったね。そんでさ、将来どんなふうになるか、予想したんや」

 美里はあの頃より柔らかく笑うようになった。

「たしか、智恵が都会に出てキャリアウーマンになって、イケメンと結婚する」

 それを受けて思い出した彩子が続いた。

「美里は南の島でカフェをオープンする」

 そう、と私は頷いた。

「彩子は世界を旅して、世界征服」

 私は都会に、美里は南の島に、彩子は世界各地に。

 バラバラになる予定だった。

「なのにさ、私たちもうすぐ三十になるのに、今も一緒にいるよ」

「本当やなあ。買ってるものがジュースとアイスから、酒とつまみに変わっただけや」

 彩子がくしゃっと顔を歪めて笑った。

「二十四時間、三百六十五日、なんでもできたんや。でもさ、なんでもできてもやるかどうかは別問題やしな」

 この町を出て都会でキャリアウーマンになり、イケメンの夫ができるはずだった私は、結局あれから一度もこの田舎の町から引っ越していない。

 お父さんの仕事の都合でここに来たわけだが、お父さんがこちらの会社で昇進して部長になり、そこで定着してしまったのだ。だからもう転勤の話が出てこなくなり、私も流されるように実家で暮らしていた。ここから通える高校に行って、ここから通える大学を出て、ここから通える中小企業に就職した。

 南の島でカフェをはじめるはずだった美里は、実家の和菓子屋を継ぐかどうかで家族と揉めて、一度は家を飛び出してしまった。

 どこか知らないところでひとり暮らしをしていたそうだが、二年後にまたここに戻ってきた。ひとり暮らしをしている期間にバイト先の洋菓子店でいろんなことを学び、自らの意思で和菓子屋を継ぎたいと思うようになって、帰ってきたのだ。

 世界征服を目論んでいた彩子は、中学を卒業後は高校でテニス部に入り大活躍した。

 このままプロの選手になってテニス界を征服するかと思いきや、上京して入った大学ではテニスをやめた。意外と真面目に勉学だけに励んでいたそうだ。そして大きな会社に就職したのだが、社風が合わなくて仕事を辞めてしまい、実家に帰ってきたのだった。

「うちさ、あの頃は、二十歳になったら大人やと思ってたんや」

 美里が買い物かごからひとつ、缶を手に取った。「お酒は二十歳になってから」の文言をじっくり見つめている。

「でも実際は、二十年生きた体の自分がいるだけで、中身は大して変わっとらんかったよ。実家を継ぐのがなんとなくかっこ悪いような気がして、特に理由もなく親と揉めてん。わがままな子供と同じやんな」

「うちもやで。歳とったら自然と大人になると思ってた。そんで、自由に使えるお金がいっぱいあって楽しいやんと思ってた」

 彩子もはあと大袈裟なため息をついた。

「なんでもやりたいようにやったら、なんでもできるんとちゃうんやよなあ。勉強もしたし、努力はしたはずなんやけど、上手くたちゆかんこともあるんや」

「そうだよね。私もだらだらとモラトリアムをこじらせて……何がしたいのか、自分で決められなかったよ」

 成り行きに任せて、誰かのおすすめで物事を選んで、無難な方へ無難な方へと流されて生きてきた。

「このコンビニも、変わらんなあ」

 美里が店内を見渡した。蒸し暑い外の気温から切り離されたように、心地よい冷房で冷やされている。物珍しさがなくなったからか、十五年前よりは店の中の客は少なくなった。バイトの人は何度も入れ替わっているし、定番商品もリニューアルを繰り返した。

 それでも、この整然と並んだ棚も商品の並びも無機質に照らす白い照明も、あの頃から変わっていない。何も変わらず、今日も私たちを迎えている。

 私たちも、多分あまり変わっていない。

「歳を重ねる、イコール、大人になるってことじゃないんだろうね。そんで、私たちが子供の頃大人だと思ってた人たちも、本当はそんなに立派な人たちじゃなかったんだよ、きっと」

 私は冷蔵ショーケースの中のミックスジュースを見つめた。パッケージは十五年前のものとは違う。だが、ラベルのデザインが変わっても、「昔懐かし変わらない味」とレトロな書体で印刷されている。

 中学生だった頃の私が今の私を見たら、きっと大人のお姉さんだと認識する。でも頭の中は、実はそんなに大差がないのかもしれなくて。

「大人になるって、そういうことなのかもしらんなあ」

 彩子がパカッと冷蔵ショーケースの扉を開けた。

「そういう小さくてしょうもなくて、でも案外大事なものに気づくこと。……が、大人になってくってことなのかも」

 飲み物が並ぶ棚から、彩子が果汁百パーセントのオレンジジュース、ではなく、オレンジの果汁が少しだけ入ったカクテルを選んでいた。

「あんた、まだオレンジ飲むん? 子供やなあ」

 美里がわざとっぽく笑う。彩子がニッと笑い返した。

「成長はしてるねんで。ソーダのアイスは今日は美里に譲ったる」

「ほな、アイス割り作ろか。ソーダアイスで作ると美味いんやで」

 不思議な感じだ。彩子と美里は大人になった気もするし、なんにも変わっていない気もする。私自身も、そんな感じだ。

「まだ子供みたいなもんやからな。うちらの可能性は、まだまだ無限大やで」

 彩子がいたずらっ子みたいな顔でお酒やおつまみを買い物かごに足していく。美里はそんな彼女を制することなく見守っていた。

「飲みながら、十五年後にうちらがどうなってるか予想しよか」

「そやなあ、誰かひとりくらい結婚するかもなあ。せやったらうちがいちばん乗りしたるで」

 彩子がにやりとすると、美里が呆れ顔をする。

「そういうのはタイミングやで。早ければ早いほどいいってもんやない」

「おっ、さっすが美里。人生二周目みたいな貫禄やな」

 私はそんなふたりを、今も楽しく眺めている。

 お酒やおつまみ、加えてアイスなんかをたくさん買って、すっかり町に馴染んだこのコンビニを出た。ドアを開けると、真夏のしっとりした夜が私たちを包む。ド田舎の空は星がたくさん見えて、見ているだけでなんでもできそうな気がしてくる。

「まだまだ大人になりきれてないから、これから環境変わってくかもしれないけどさ」

 白いコンビニ袋を提げて、私は左右隣を歩く友人たちに言った。

「十五年後も、それよりもっと先もさ。こうやって集まってダベッてたらいいね」

 二十四時間、三百六十五日、私たちは自分の体を自由にできる。なんだって手に入る。一部商品を除く。

「それは変わらんやろなあ」

「変わらんでアホな話ばっかしとるんやろなあ」

 左右から同時に返事が聞こえてきて、私の頬はじんわり吊り上がった。

 子供の頃思っていたような、恰好いい大人にはなれなかったと思う。でも、今の私は幸せ者だ。語り合える友人がいて、まだまだ未来を夢見ている。

「こういう何気ない時間が大事だって気づくのも、大人になる一歩なのかもね」

 天上の星がきらきらまたたいている。ド田舎のたった一件のコンビニは、今日もしょうもない私たちを受け入れ、見送ってくれた。

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Departures 植原翠/授賞&重版 @sui-uehara

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