36.言葉 本

「――おしまい」

 言いながら大きな絵本を閉じた。目の前で行儀良く静かに耳を傾けてた子どもたちは、打って変わって楽しそうにやかましいくらいの拍手をくれる。だからおれも嬉しくなって、ここが今の居場所なんだって無意識にほほえむ。

 水槽すいそう頭の少年や煙の少女、昆虫も炎もいるけど、おれのいちばん近くにはいつも同じふたりが座ってる。時計頭の大人っぽい女の子と、バラ頭の静かな男の子だ。それが何となく、運命って文字を思い起こさせる、なんて。隣に座った辞書のお姉さんをちらと見る。

 でもそう、それだけじゃなかった。見慣れた異形頭の少年少女だけじゃない。人間の子どもたちもいる。それがあのときとの大きな違いだった。あれからおれたちの生活は、ほとんど全部といっても良いくらい、たくさんのことが変わったんだ。

 あの夜に聞いたちびっ子ふたりの会話の通り、村は本当に終わりに向かって一直線に進んでいた。村長からの誤解が解けたとは言え村の中のおれへの待遇たいぐうはあまり良くならなくて、トモダチができては離れて、を繰り返すばっかりだった。唯一おれのことをわかってくれたはずの村長は外側との連絡のために忙しくなっちゃったし、他にもあの日あった事件の書類をまとめるとか、蒸気回覧板を回すとか、あとはそう、サックおじさんの事件について詳細をユリシスから聞くとか、そんなことがあったみたい。村を回すのも大変だったろうと思う。おれは何の手伝いもできなくて、部屋の窓から見てるばっかりだったけど。あのときのおれの支えなんて、ケルツェが盗撮してきた母さんの写真と、どうにかぎりぎりで開かれた母さんの走馬灯フィルムくらいで、他には何もなかった。

 そういえば、ケルツェとユリシスは牢屋に入れられたって聞いてる。最初は隣り合わせにされてたのが、それだとあんまりにもケルツェが暴れてユリシスが危険だからって別の場所に移動させられたらしい。いや、うっとりとしていて食事も何もしてくれないから、だったっけな。その頃のおれはひとりで生きていくのに苦労してて何も覚えてないし、何も知らされることもなかったからよくわかんないけど。きっとほつれたその心は、もう戻ることはないんだと思う。もう二度と、おれの大好きだったケルツェには会えない。

 それで、そうだ。村が大きく変わったいちばんの理由が、ユリシスの持ってた二枚の紙だった。牢屋に入れられてしばらくした頃、ユリシスは仕事に追われてやつれきった村長にそれを渡した。奴隷商どれいしょうのオークションについての細かい時間が書かれたタイムテーブルと、人間の自警団を雇ってオークション当日に殴り込むって契約書だった。莫大な金がかかっていたらしい。ユリシスは本気だった。

 おれはその星の輝く夜、人間の子どもたちを安全に村まで案内する役に抜擢ばってきされた。たぶん、異形頭がやるよりおれがやる方がいいって村長が判断したんだと思う。事前に聞いてた人数とは少し違ってたけど、時間はなかった。おれは小さく灯したロウソクを掲げて、星の名前を名乗るたくさんの子どもたちと一緒に村に帰ってきた。それ以来おれは子どもたちに好かれていて、それ以来おれにも居場所ができた。

 こうやって終わっちゃいそうだった村は、終わることなんてなく、また栄えた。こうしてたくさんの子どもたちがいる。前とは違って、異形だけじゃない。人間の子もいれば異形の子もいるし、おれみたいに半分の子だっているんだった。だからもうおれはイブツでもイシツでもなくなった。あんな悩みも不必要な嫉妬も持たなくて済むようになった。おれは人間とこの村のハーフだって、誇りを持って言えるようになった。

 おれはもう、ひとりじゃなくなった。

「にいちゃんにいちゃん、つぎはなによんでくれるの?」

「ねえねえユウ兄ちゃん! あのお話してよ!」

「あれ聞きたい、いつものやつ!」

「時計のお話!」

 おれを取り囲んだ子どもたちはみんな笑顔で、ぴょんぴょん飛びながらそんなことを言ってる。最近のいちばんの幸せな時間だった。

「わかったわかった、みんな座れってば。ほら、始めるぞ」

 深呼吸をする。子どもたちは静かになる。目を閉じる。時計の音が聞こえてくる。かち、かち、かち……何だかコーヒーの香りがふわっと漂ってくる気がする。目を開けば、いろんな子たちが視界に入る。そのいちばん後ろ、扉の手前に、時計頭にハットを乗せて真っ黒なスーツを身にまとった男が見えた――気がした。

 少し笑む。それから首にさげたペンダントを優しく手のひらに乗せる。金色のバラ模様が入った、深い緑の割れたマラカイト。おれがいつかあの石を加工して作り直した、宝物。でもこれは誰にもナイショだ。

 ――時間ですよ、読み聞かせを始めましょう。

 誰かの声が聞こえた。

 もしも赤んぼうだったおれの発見が遅れてたらとか、もしもあのときもっと早く異変に気づいていればなんて、もしものことはもう考えない。過去に忘れ物なんてしてない。だってこれが、おれだ。おれの物語だから。

「これは、壊れかけの蒸気時計の生涯しょうがいのお話――」

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壊れた時を刻む たぴ岡 @milk_tea_oka

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