復元
木野根について隣の部屋に入ると、大きな装置がぽつんと置かれていた。水色の壁のせいか、部屋の空気がひんやりと感じる。
「ささ、ここに寝ころんで、あとはリラックスしていてください」
言われたとおりにして、合図を待つ。
「はい、ではいきまーす。ショーキカ、カチーンコーン!」
装置がぴかりと光った。
目をつむる美月のなかを走馬灯のように何かが走る。父が正社員だったころ買ってきてくれたホールケーキ。美月を抱きあげた母の笑顔。どろんこ遊びで笑う有樹。
家族はいったい、いつから一方通行になったのだろう。美月の頬に涙がひとすじ流れる。
「終わりました。どうですか? ご気分は」
美月は手で頬を拭い、ゆっくりと起き上がる。ご気分はと言われてもよくわからなかったが、とりあえず、木野根の目はとても輝いていた。順番を待ってようやくポニーに乗れた子どものように。
窓の外は明るかった。空は青いし、雲はゆったりと動いている。自分の右手で左手をさわる。こんなにすべすべだったか。もともとこんな感じだったか。……思い出せない。母の顔。父の顔。弟の顔。大きな枠組みは覚えていたが、細かなことがわからない。家族の性格。思い出。思いだせない。うっすらと出かかったかと思ったら、ズキンと頭が痛んで消える。
木野根に状況を伝えると、
「ああ、なるほど。そうきましたか。有賀さんの場合、けっこう初期化されましたね」
木野根は、新しい実験結果を得られた研究者のような興奮した顔をしていた。美月は腹が立ってきた。
「待ってください。記憶をなくすなんて聞いていません。私と家族。それは私の記憶だった。私にしかなかったのに」
うまく言えない。どうしようもなく、悔しくてふるえた。
「おお、声がしっかり出ましたね! 骨は消えたかな。のどの痛み、ありませんか」
木野根にそう訊かれて気づいた。のどには痛みも違和感もない。もとの美月の声だった。
「……それより、これまでの記憶はどうなるんですか。私の家族との、たとえば母の料理の味とか、父のくだらないお土産とか。不味くても、ぐちゃぐちゃでも、汚れてても、それは私のものだった」
美月はぼやけた記憶を、必死で思いだそうとしていた。
「有賀さんは、ご家族をほんとうに大切に思われていますね。感情の初期化をしても、そこはブレない。真っ先に出てくる。有賀さんのほんとうの感情です」
木野根はふむふむとうなずき感心している。
「私の記憶をかえしてください。たしかに美しいものではなかったけれど、私の大事な一部だったんです。私の生きてきた証だった。それなのに……」
唇をかむ美月に、木野根は慌てて言った。
「ああ、えっと、伝え忘れていましたね。ショキカをするときは必ず、バックアップをとっています。復元できますのでご安心ください。ええ、iphoneのように。復元すれば元の記憶は戻ります。ただ、絡み合った余計な感情はリセットされていますので、よりシンプルになり、容量が増えます。少なくとものどの痛みは取りのぞけましたので、ショキカ大成功ですね。ああ、よかった。ではフクゲンしますので、もう一度装置へどうぞ」
美月は、腰が抜けそうになった。なんだよそれ。はやく言ってくれ。それにしても、あんなにどうでもよくなっていたのに、必死で記憶を取りかえそうとするなんて。自分で自分が笑えてくる。
美月はふわりと装置に乗りこみ、木野根の合図を待った。
「フクゲーン、カチーンコーン!」
あいかわらず変な合図が聞こえてきて、美月は思わず、むふふと笑った。
了
見えない骨 ~ショキカケンキュウジョ~ みなみつきひ @tsukihino
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