初期化
「木野根、と申します」
そこには『ショキカケンキュウジョ』とあった。
「それでですね、もちろん、物理的にですね、のどの骨をとりたいということならば、今カメラで探しました。ない。見えない。この骨は見えないんです。痛みはもちろん変わらない。このままお帰りいただくのは、医師として大変心苦しい。痛みを取りのぞくという使命感が、まあ、私なんぞにもあります。カメラが外科的であるならば内科的といいますか、いやちがうな、クリームパンのパンなら、中のカスタードクリームといいますか、いや遠のきましたね」
木野根はぼりぼりと頭を掻いた。美月はただぼうっと木野根を見ていた。
「まあ、そんな感じで、そういう痛みをどうにかしたいと思いたち、ショキカケンキュウジョというものを、この四月からですね、たちあげました。ケンキュウジョですからね、実はまだ研究段階なんです。要は、入り組んだ感情をショキカ、ええ、初期化ですね、してしまおうというものです」
「初期化?」
「はい、初期化。ほら、iPhoneなんかもそうでしょう。ずっと使いつづけていると、『システム』だとか『その他』だとか、もうようわからんものがストレージのほとんどを占めてしまって、新しいアプリ入らへんやんって。あれですね。人間もそうですよね。家族、仕事、育児、介護。人生の作業をくりかえし続けていると、余計なものまで抱えこんでしまう。それを一回まっさらに戻して、ほんとうに大切なことだけを残す。携帯の機能であれば、電話とメールがあれば私は十分です。今のひとは違いますか。どうなんですかね。とはいえそれで本体がパンクしてしまっては、元も子もないですよね」
話しつづける木野根の話は、わかったようでわからない。険しい顔をした美月に、木野根はつづける。
「もうね、今の時代、いろいろ複雑になりすぎていると私なんかは思うんです。人間もね。それでもっとこうシンプルに、元に戻していこうという取り組みです。私、実はこう見えて、医療機器をつくる研究をしてきましてね。あ、そう見えますか。それで、自分で機械を作ってしまった。その名も『人間ショキカ装置』です。ドラえもんみたいでしょ。もっと気の利いた名前をつけたかったんですけどね、センスってありますもんね。大すべりするくらいなら、お堅く逃げようという魂胆です。名前の話はどうでもいいですね。とにかく、MRIのような装置に入ってもらえたら、あっという間にショキカが完了します。雑多な感情を取りのぞき、自分がもともと有していた感情、性格が戻ってくるのです」
美月はまだ、難しい顔をしていた。木野根は美月をふむと見て、じっと動きを止めたかと思ったら、机上のノートをぺらぺらめくり、美月のほうに向きなおった。
「ああ、そそ。こころから笑うことができるようになります。これがショキカのいちばんの利点です。シンプルに、自分らしく」
どっかで聞いたことのあるフレーズですかね、もっとうさんくさくなるかな、どういうのがいいのかなあ。ぶつぶつ言う木野根に、美月は言った。
「おねがいします」
美月はじいっと木野根を見た。
「お。はい、わかりました。こちらへどうぞ」
木野根は美月の背中を押せたことを喜んでいたようだったが、実際のところは、ただ、いろんなことがどうでもよくなったのだ。もちろん、こころから笑いたい。でも、もう疲れた。こじれた家族も、仕事も、自分自身も。そんなこと、絶対に思ってはいけない、口にしてはいけないと、これまで自分を厳しく取り締まってきた。でも、もう全部に疲れた。初期化したあとの私は、どんな私になっているのだろうか。わからない。わからないけど、どんな私でももういい。自分らしい、なんて、どれが自分らしいのかもわからない。投げやりに近かった。
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