飛び降りる話
平賀学
飛び降りる話
「わたしいつかここから飛び降りるの」アヤノはそれが口癖だ。
絵の具のにおいや木を削ったみたいなにおいが混じった図工室で、ぼくはアヤノと床を自由ほうきで掃いていた。アヤノは教室では人形みたいにじっとしているけど、二人きりになるとよくしゃべる。
ぼくはアヤノの視線の先を見た。窓の外には青空。
「それでどうするの」
「死ぬの」
「ここ三階だよ、落ちても死なないと思う」
それでもうまく落ちたらわからないでしょという。
ぼくはてきとうに合わせておいた。たぶん、言いたいだけなんだ。自分は死ぬ気があるんだぞって。
教室ではぼくはアヤノのことはみんなと同じように無視する。聞こえるように陰口を言うとき、みんなが笑ってたら一緒に笑う。はじめのほうは怒っていたアヤノも、今はなんにも反応しなくなった。何か言い返したら、よけいにみんなが盛り上がるってわかったからだ。
どうして始まったのかよくは覚えてないけど、アヤノは子どもっぽいところがあって、たびたびクラスメイトの不興を買っていた。それが積もってそのうちあからさまな嫌がらせになったんだと思う。
大きな声で笑って、それがうるさいって言われていたアヤノは、半年もしたら別人みたいに静かになった。
いちばんひどかったときに比べたら、もうちょっかいをかけるクラスメイトも少なくなっていたけど、アヤノは息をするのも音を立てないようにしてるみたいだった。
そんなアヤノが声を出して喋るのが、掃除の時間だ。ほかの女子はいつもアヤノに掃除を押し付けて、サボりにいってしまう。ぼくは先生に目を付けられるのが嫌だから残っていたけど、二人きりになったアヤノとぽつぽつ話をするようになった。
そうしていつも言うのが「ここから飛び降りる」だからぼくは少し辟易していた。そんな話されて、どう反応したらいいんだ。でも、話し相手に飢えていたのか、別に誰でもよかったのか、アヤノはぼくの淡白な返事にお構いなく毎度話しかけてきた。
電車に飛び込んだら体がきれいに残らないからだめとか、お葬式はしないとか、別に聞きたくもない話。犬のことだけが心残りだとか。おばさんの家で生まれた子犬をわけてもらって、まだ小さいんだとか。ぼくが生返事していたら、いつの間にかアヤノが死んだあと犬の面倒はぼくが見ることになっていた。
「今度うちに来てよ。ソラ、人見知りだから、あいさつしておいて」
アヤノは腕を絡めてきて言った。距離が近いんだ、いつまでも子どものつもりでいる。
ぼくはわかったよ、と返しておいた。
しばらくして、下火になっていたはずの嫌がらせが再燃した。きっかけは些細なことだった。
掃除の時間、ほかの女子もぼくにアヤノを置いていくように言った。ぼくが図工室を出るとき、ちらりと見えたアヤノは、なんの表情も浮かべてなかった。
夜、アヤノのお母さんが家を訪ねてきた。アヤノを探しているらしい。学校から帰ってきていないって。アヤノは塾に行ってないし、習い事もしていない。おばさんは取り乱していて、ぼくのお母さんがなだめていた。
ぼくは携帯を持って飛び出した。
アヤノが行きそうなところ。思い出すのは「飛び降りる」って言葉。でも今は夜だ。
着信が鳴って、ぼくは携帯の画面を見た。アヤノからだ。
「アヤノ、今どこにいるの?」
返事はない。スピーカーから低い音がする。地響きみたいな音。
『あのね、わたしね、最後だれと話したいかって考えたんだけど』
アヤノはぼくの質問に答えず、いつもみたいに自分勝手に話し始めた。
『ユキちゃんの顔が浮かんだんだ。ユキちゃんの声聞きたいなって。学校で話せなかったから』
声に嗚咽が混じっていた。
『ユキちゃん、ずっと話してくれてありがとね。ユキちゃんやさしいから、わたしと口きいてくれたんだよね。ソラのことよろしくね』
ちがうよ。ほんとうにやさしいなら教室でもアヤノに話しかけてるよ。
それで通話は一方的に切られた。
駅につくと、アヤノは改札口の前の椅子に座って泣きじゃくっていた。ぼくを見るとびっくりしたみたいだった。
「すごいねユキちゃん。なんでここわかったの」
「電車が通る音がしたから」
そっか、とつぶやいたアヤノの横の席に座った。
「飛び込むのはなしなんじゃなかったの」
「ユキちゃんも言ってたじゃん。あんなところから落ちても死なないって。それに夜だから学校開いてないし」
アヤノは手遊びしながら言った。
「もうどこでもいいやって。体が残るとか残らないとか、そんなの気にしてもしょうがないし。だから、ここ来たんだけど、怖くて無理だった。ダサいよね」
「ダサくないよ」
ぼくはそのあとどう言葉を続けていいかわからなかった。
沈黙が続いたあと、「ソラ」と吐き出した。
「ソラとまだ仲良くなってない。アヤノの家にいかないとダメだ」
アヤノはきょとんとした。
「だから、ソラとたくさん遊んで、ぼくに慣れさせないといけないだろ」
言いながら何を言いたいのかわからなくなってきた。むにゃむにゃ続けていたら、アヤノはふきだした。
「うん、そうだね。またうちで遊ぼう。母さんも久しぶりにユキちゃん来たら喜ぶよ」
そうして何か月ぶりだろうか、アヤノの笑顔を見た。つられてぼくも少しだけ笑った。
飛び降りる話 平賀学 @kabitamago
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