時計

館 伝人

時計

 彼女との待ち合わせに選んだ公園には高い時計塔が立っている。大きな秒針が慣れ親しんだリズムを刻んでいる。チク、タク、チク、タクと。その時計塔の秒針の音は絶対に僕の耳には届かない距離にある。でも、僕はその秒針のリズムを正確無比に脳内で再生していた。

「ごめん、待った?」

ただ漫然と秒針の動く様を眺めていた僕を、彼女の声が現実へと引き戻した。

「ちょっと、待ったかな...。」

集合時間は15:00ジャストにしたのだけれど、公園の時計塔の長い針は6の数字を指してじっと止まっている。あの定番の答えを口にするには少し厳しいと思った。

「なにそれ。そこは全然待ってないよって返してくれなきゃ。」

彼女は少しバツの悪そうな表情を作っていたが、すぐにはにかんで僕のことをからかった。彼女はいつも約束時間に遅れてくる。初めてのデートのとき、どうして遅刻したのか聞くと、時間を守るのが苦手だと答えた。


 昔は僕も時間を守るのが苦手だった。


 中学生の頃、僕は時間が嫌いだった。8:30を越えて登校すれば校門に立つ体育の先生に怒鳴られた。学校の中で、常に校時表に従って動くことを要求される毎日。教室の随所に設置された掛け時計とチャイムの音に支配される生活は、嫌気が差す日々だった。

 そんな僕を見かねた母が、ある日プレゼントをくれた。それは手巻き式の腕時計だった。アンティークなんていうほど古いものでも、小洒落たブランド物でもなかったのだけれど、シックでレトロなその腕時計のデザインをひどく気に入った。中学生という少し背伸びしたい時期だったのもあると思う。とにかく僕はその腕時計に心を奪われたのだ。今の腕時計の大部分は自動巻きやクォーツ式となっているので、多くの人には馴染みがないだろうが、手巻き時計を使うには毎日同じ時間にゼンマイを巻いてあげる必要がある。


 ゼンマイを巻く時間は特別な時間だった。ゼンマイを巻く速さは、速すぎても遅すぎてもいけない。速すぎればゼンマイが折れてしまう恐れがあるし、遅すぎればいつまでたっても終わらない。静かな自室でベッドに腰掛けて、絶妙な速度でゼンマイを回していく。僕がゼンマイを巻かないと、この時計は明日時間を刻むことはできない。

ゼンマイを巻いているときの僕はこの世界の時間の支配者だった。ゼンマイを巻き終えて、時計の表面を柔らかな布で優しく拭ってあげたらその日のルーティンはおしまいだ。ルーティンを終えて腕時計を耳に当てると、それはチク、タク、チク、タクとゼンマイを巻く前よりも元気な音で秒針を鳴らしていた。時間に対して少しの優越感を感じるこのルーティンが、僕を時間による支配への嫌悪から解放してくれた。


 今の僕の左手には、あの頃の手巻き時計の姿はない。気になって、クォーツ式のその時計を左耳へ当ててみたが、チク、タク、チク、タクの音はやはり聞こえてこなかった。

「どうしたの?時計、壊れちゃった?」

視界いっぱいに、首を傾けた彼女が現れた。

「いや、なんでもない。」

ここ一週間で一気に冬が迫ってきた。行き交う人々はすっかり冬の装いになり、街角の大きな木はイルミネーションの装飾に身を包んでいる。

もうすぐクリスマスが来る。プレゼントは決めかねていたけれど、今決まった。

今年のクリスマスは、彼女に手巻き式の腕時計を送ろう。煩雑なところがある彼女は毎日ゼンマイを巻くのを面倒くさがるかもしれないけれど、きっと毎日ゼンマイを巻くうちに、その腕時計も巻く瞬間も愛おしく思ってくれるだろう。

 彼女がもう少しだけ時間を好きになれますように。

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時計 館 伝人 @taiueo

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