エピローグ 侯爵令嬢と辺境伯の結婚

 ――半年後 王都セントレア ベルクオーレン伯爵邸。

 本日はここ、ベルクオーレン邸で盛大な舞踏会が開かれている。


 主催者、ロドリゲス=ベルクオーレン伯爵に招かれた美しく着飾った紳士淑女が、豪華ごうか絢爛けんらんなこの宴にきょうじていた。だが、彼らの今日の目的は、ただ華々しい宴を謳歌おうかするだけではなく、彼らの間でひそかに囁かれている噂の真相を知る事だった。


 噂の渦中の男は大広間にいた。


 ルートヴィッヒ=ベルクオーレン。南部の大部分を所有するザイル=ベルクオーレン公爵の嫡子で、ブラムヘン領の辺境伯。公国独立の協定に基づき、国王が決めた令嬢と正式に婚約を結んだと噂されていた。

 ロドリゲスが甥であるルートヴィッヒを招いて盛大にパーティーを開いたのは、おそらく正式な婚約発表があるに違いない。そう踏んだ噂好きの貴族たちが、その時を今か今かと待ちわびていた。

 その件がなくともこの辺境伯は、人々の目を惹きつける。精悍せいかんな顔立ちにすらりとした体躯、そして一度言葉を交わすとほがらかで気品のある立ち居振る舞いがあらわになって、会場の女性たちは皆彼に心を奪われてしまう。

 彼を射止めたのは一体どんなご令嬢か、おおよその予想はついているとはいえ、人々は皆楽しみで仕方なかった。


 宴もたけなわ、ロドリゲスの挨拶が終わったのち、彼はその辺境伯を壇上に呼ぶ。


「今日はわが甥、ルートヴィッヒより吉報があります」


 壇上に立つルートヴィッヒに皆視線を集中させた。吉報とは何か、ここにいる者たちの大多数はすでに知っている。だが、その詳細を当事者から聞けるという高揚に目を爛々らんらんと輝かせていた。


「ご紹介に預かりました。ルートヴィッヒ=ベルクオーレンと申します。今日は敬愛する我が叔父上の宴に足をお運びいただき感謝申し上げます」


 低く柔らかに響く声に女性客たちがうっとりと目をとろけさせた。


「さて、もう皆さま周知の事かと思いますが、この度我がベルクオーレン家は王家の承認を頂き公国として新たな一歩を踏み出す事と相成りました。またフォルテ王国とは引き続きの縁引をたまわりたいとの想いから、私ルートヴィッヒはフォルテ王国の名家、エルメルト家のご令嬢との縁談をお受けさせて頂く事になりました」


 会場がおお、と色めき立った。やはり噂は正しかったのだと、客たちは互いにひそひそと囁きあう。


「本日は私の生涯の伴侶となる方を皆さまにご紹介したく、貴重な時間をお借りいたします。――さあ、」


 ルートヴィッヒが講壇の横に控えていたその女性を手招く。皆が注目する中、壇上に上がったのははっと目を見張る程の端正たんせいな顔立ちに高めの身長の女性。凛としたたたずまいに客たちは皆、そのオーラに釘付けとなった。

 深層の令嬢というよりは、まるで甲冑に身を包み戦場をかける気高い聖騎士の様だ。


「み、皆さま、お初にお目にかかります。ロザリー=エルメルトと申します」


 美しいお辞儀とは対照的に、ロザリーと名乗ったその令嬢の顔は動揺と混乱で青ざめていた。

 ルートヴィッヒはロザリーにしかわからないようににやりとしたり顔をするので、ロザリーは憎らしさに歯軋はぎしりをする。


(なんで、なんでこんな事に……!)


 ロザリーは怒りに肩を震わせながら、必死に客に向かって笑顔を見せた。




 それは本当につい二日前の出来事。

 南部から帰ってきたロザリーは、有難ありがたい事にカインから許しを得て、エルメルト家の使用人の仕事を続けていた。側にいて欲しいというフロレンツィアの願いを叶えて、彼女に付き従いながらも、ルートヴィッヒが告げた半年後の意味をずっと考えていた。


 間もなくその半年が訪れようとした日、ロザリーは突然カインから呼び出された。


「――君をエルメルト家の養子として迎えようと思う」


 カインの第一声を聞いた時、ロザリーは何を言われているか全く意味が分からず固まってしまった。


「――え? 養子?」


 たっぷり十数秒硬直したロザリーはようやく聞き返した。ロザリーの頭には大量の疑問符が浮かび上がっていたが、何故かそれを告げたカインも同じように大量の疑問符を頭につけていて、


「うむ……。半年くらい前――ちょうど君たちが南部から帰ってくる少し前に辺境伯から手紙で嘆願たんがんがあってな。今後、王家およびエルメルト家の要求の一切に応じるから、君をエルメルト家の養子として迎え入れて欲しいと」

「は?」

「私も最初何の意図かわからず渋っていたんだが、何故かフロレンツィアまでこの件を承諾するようにしつこく言ってきてな」


 そう言えば南部から帰ってきてからずっと、フロレンツィアは父親と何度も言い争いをしていた事を思い出した。家庭の事情かと思い、あまり首を突っ込まないようにしていたが、まさかこの事だったのか。


「加えて協定の婚約相手をフロレンツィアではなく君にしてほしいとも言われた。エルメルト家の令嬢であれば協定違反にはならない、と。しかもフロレンツィア本人がそれを言ってくるものだから――」


 カインはとうとう唸り声をあげて頭を抱え始めた。


「その上ベルクオーレン公爵までこの件を承認しているらしくて……、いや、協定上はエルメルト家であれば誰を出してもいいのだろうが……。君には脅迫の件で随分世話になったから出来る限りの事はしてやりたいし……。ああそうそう、劇団再興の件は約束通り支援するつもりだ。公爵からも結婚後も君の役者活動には期待していると伝言を受け取っているし――」


 なんだか色々とカインが言っているのだが、ロザリーは内心パニックでもはや話の半分も耳に届いていなかった。


「まあそういう事だから、君がよければエルメルト家に入って縁談を受けてくれんか? ……というか、もう先方もそのつもりでいるみたいだから……、その、断るのは無理だと思うが」


 その時ようやく彼の言っていた『半年後』の意味を理解した。理解してから、ロザリーの知らぬ間にすっかり外堀を埋められていた事に、絶叫したのである。



 さて、会場は祝福と歓迎のムードに包まれている一方で、首を傾げるものも多数いた。

 確かにルートヴィッヒの縁談相手としてエルメルト家の令嬢が指名された事は周知の事実で、この場に現れたのはエルメルト家の令嬢。何らおかしい事はないはずなのに、


「エルメルト家の令嬢って……、確かフロレンツィア嬢ではなかったか?」

「ええ、確かご息女はお一人だと思っていたから、てっきり彼女だと思っていたけど……」


 そんな客たちの呟きにロザリーは冷や汗が止まらなかった。ロザリーはぷるぷると身体を震わせ目の前で勝ち誇った顔をした男を睨みつける。


「お前……、最初からこうするつもりだったんだな……!」

「当たり前だろ。俺がそう簡単に諦めるもんかよ。まあでも上手くいってよかったよ、これで協定違反にもならないし、俺は堂々とお前と結婚できる。俺の屋敷に移ったらそこで劇団を立ち上げればいい。ブラムヘンの皆もきっとお前の舞台を気に入ってくれる」


 満足気な様子でルートヴィッヒはロザリーを抱きしめた。客席から黄色い声が上がる。もはや羞恥と困惑で倒れそうになっているロザリーの耳元で、ルートヴィッヒが囁いた。


「――やっと、やっとだ」


 ルートヴィッヒはロザリーの左薬指にめられた指輪を撫でて深く、深く息をつく。

 十二年前に交わしたあの『こんやく』が、今日ようやく実を結んだ。その事実にロザリーもまた嬉しさに涙が滲む。

 正直色々と言いたい事もあるし、何なら今すぐにでもこの男の横面を張り倒したい気分になっていたが、


(――まあ、でも、良いのかな)


 止めどない幸福にすべてを許してしまいそうになったその時、


「ちょっと待ちなさい!」


 また一人の令嬢が壇上に上がってきた。小動物のようなくりくりとした目は怒りに燃えていて、抱き合うロザリーたちを睨みつけている。


「フロレンツィア様……!」


 ロザリーは青ざめた。明らかに激怒しているフロレンツィアの登場に、会場は益々動揺に包まれる。

 本来の婚約相手だと噂されていたエルメルト家のご令嬢。客たちは、事情は分からないもののこれは修羅場のきざしか、とにわかにざわめきが起こる。二人の令嬢が辺境伯を取り合う、そんな激しい言い争いになるかと思いきや、


「……やっぱり嫌! ロザリーが南部に嫁ぐなんて絶対に嫌ぁ!」


 フロレンツィアはロザリーを引きはがすと愛おし気に抱き着いた。そしてルートヴィッヒの方をまるで恋敵の如く睨みつける。


「あんたなんかにロザリーは渡さないんだから!」

「……おい。お前、この期に及んで何を言ってんだこら」


 ルートヴィッヒの涼やかな顔が明らかに崩れ、頬がひくりと痙攣けいれんした。先ほどの見目麗しい辺境伯の姿はどこへやら、豹変ひょうへんしたルートヴィッヒはフロレンツィアに奪われたロザリーの腕を掴み無理やりに引き寄せると、


「この半年、十分こいつと一緒に居させてやっただろ。いい加減離せよ」

「何よ! 私がお父様に口添えしなきゃ計画破綻はたんしてたじゃない! ちょっとは感謝しなさいよこの馬鹿辺境伯!」

「んだとこの腹黒女!」

「うるさい! ばーか、ばーか!」


 檀上でのフロレンツィアとルートヴィッヒの稚拙ちせつな争いは益々ヒートアップする。当然ながらこの状況についていけない客たちはぽかんとした顔でその様子を傍観し、


「ロザリーは俺のだ!」

「い・や! ロザリーは私の!」


 言い争う二人の間で引っ張られるロザリーは羞恥でとうとう爆発した。


「もう――、いい加減にしろ!」


 ロザリーの悲痛な叫びが、豪勢な屋敷中に響き渡った。




 それからしばらくしたのち、ブラムヘン領の辺境伯、ルートヴィッヒ=ベルクオーレンの元に、一人の令嬢が輿こし入れした。

 二人の結婚は領民から祝福され、二人の仲の良さは領民たちの間でも周知の事実となっていった。


 ところで、領主夫人は自身の劇団を立ち上げ、定期的にブラムヘンの領主の屋敷や中央広場で舞台をもよおすようになった。座長である夫人は男装の麗人として舞台に上がり、老若男女問わず見る者を魅了した。舞台はブラムヘンのみならず大陸中で話題となった。


 劇団の名は『サンヴェロッチェ』。


 見る者に夢と希望を届ける者たちであったと、のちの文献にはそうひょうされている。

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聖騎士ロザリーは、再び舞台に返り咲く 三木桜 @miki-sakura

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