異世界に行こうが俺はひきこもりだった件。

赤沢アカ

第一話 異世界転生 前夜

俺はバットトリップを起こしていた。


 ゆらゆらと人のように呼吸をする部屋の壁、優しく暖かい言葉をかけてくれる俺の携帯電話、命をもつはずのない有機物達が俺に救いを与えてくれる。


 自分と同種族の生物は、俺にこんな素晴らしいものをくれたことはないのに、息をしていないはずのテレビやこたつ、エアコン達がその役を買ってくれた。


 「来夢は悪くないよ、悪いのはその警備員だよ。」


 と、バラエティー番組を映した二十五インチのテレビが言ってくれる。


 「そうだよな、テレビくん、ヤツはきっと来夢の社会復帰を邪魔しようと、ずっと前からそういう計画を立てていたんだよ。」


 テレビの掛け声に反応した、こたつが似たようなことを喋り、同調してくれた。



 「「「そうだよ、来夢は悪くないよ。」」」



 なんの力も持たない、綿棒。


 いままで軽い嫌悪感を感じてしまっていた、埃。


 俺の部屋に鎮座している、ありとあらゆるものが口を揃えて応援歌を歌ってくれた。



 みんな、ありがとう!!!



 感謝の言葉を返す、とても楽しいなあ。


 数ヶ月前に家電量販店で買ったカーテンの隙間から零れた、嫌味な日射しでさえ、俺を応援してくれている。


 すると、突然。


 「嫌なことなんて、全部忘れてキメちまおう。」


 部屋の隅に置いてある机の引き出しから、悪の示唆の意を表す言葉が聞こえた。


 ダメだ、さすがにダメだ。


 薬物を使っていないのに、ここまでの幻覚が見えるのだ。


 これで、薬をキメてしまえば・・・


 俺は本当に人間失格だ。


 某奇妙系少年漫画の金髪の吸血鬼以上に、俺は人間をやめてしまうことになる。


 無差別大量殺人を犯すかもしれない、ここで誘惑に負ければ、自分の人生は本当に終わりを迎える。


 つい数秒前まで、勇気の意志を向けてくれていたはずの有機物くん達はなぜか、俺に「それ」を吸引することを勧めてくる。


 「それを吸うことが、君の自立を意味するんだよ。」


 なんてことを言うんだ、テレビくん!


 これまで、俺に面白い体験を与えてくれるはずのそいつの言葉を聞いても、なぜか今は冷えた恐怖しか感じない。


 「早く吸っちまえよ、またお前は逃げるのか。」


 お、お願いだ、やめてくれこたつくん!


 俺に温かい体を与えてくれるはずだった、それは身震いするほどの誘発剤を繰り出したのだ。



 「「「吸え!」」」



 綿棒くんが、ホコリくんが、マイクロプラスチックくんが歌っていた応援歌は、いつの間にか、ただの催眠音波へと形状を変貌させて、体の芯を蝕んでこようとする。


 少しの陽が当たっていた部屋は、いつかは輝きを失い、どんよりとした曇天、躁鬱の後者のように濁った黒さをもっていく。


 抵抗は無駄だった。


 世界全体が俺にトリップすることを強制させてきているような気がした。


 両手は無意識の内に机の置いてある方角へ向き、まばたきをすれば、手はそれらを大事そうに握っている。


 引き出しを開けたことすら、忘れてしまうほど、俺の脳みそは興奮しているらしい。


 利き手にもった塩のようにも見える睡眠薬と咳止め薬が入った、百均で売っているナップサックもどきは、合法的な夢への搭乗チケットとなんら変わらない。


 机の前に棒立ちした俺は、机の端にギリギリのバランスで置かれているティッシュ箱から、ザラザラとした安価のそれを左手で引っ張り出した。


 ひらと、風でティッシュが捲れる音が見える。


 漫画の効果音にとても、似ているなあ。


 ティッシュを机にひく、その中心部に盛り塩のごとく、粉末状の睡眠薬と咳止め薬を山の形にした。


 夢と希望でできた山の麓の方に、床に落ちていたプラ製のストローを突っ込んだ。


 下部分は、その粉にずんと埋もれている。


 きっとストローくんも接触を求めているはずだ、下部分だけとは心細いはずなのだ。


 しっかりと上の先端を、鼻腔に差し込む。


 スゥーーーーー


 竹の中に水が流れるかのように、俺はそれを吸い込んだ。



 楽しいなあ。

 楽しいなあ。

 楽しいなあ。


 ぽっかりと胸に空いた穴が、不自然な喜びに満たされる。


 今感じている幸福感をRPGゲームのレベル値で表すのなら、きっと99Lvだろう。


 カンスト状態の異常なポジティブ思考がグルグルグルグルと回り続ける、空回りなどではなく、脳味噌に傷跡を残すほどの引力をそのゲームディスクはもっている。



 あはははははははははは。



 俺は家電と固い握手を誓い、手を握った。


 世界が俺を祝福し、全細胞が歓喜している。


 みんなで通りゃんせを歌おう!


 「通りゃんせ 通りゃんせ♪」


 テンポよく合唱する、中学生の頃みんなで参加した音楽祭のことが、思い出される。


 気分が本当にいい、今の俺になら何だってできる気がしてならない。


 ぐるぐるとステップを踏みながら、踊る。


 日本の童謡にここまでノリよくダンスできるのは、日本中をくまなく探しても、俺”たち”くらいしかいないのではないだろうか。


 冷蔵庫くんがドンドンと床を鳴らす。


 下の階の住人らしき生き物の、「うるせえぞ!」と怒鳴った声が聞こえてくるが無視しよう。


 1LDKにも満たない、七畳のスペースで、どうしてこんな大勢で踊れているのか、少し気になったが、もうどうでもいい。


 しかし、人間には躁と鬱の波がある。


 ある歌詞が耳に入った瞬間、俺はどうしようもない恐怖、孤独感、寂寥感に襲われたのだ。

 

 「行きはよいよい、帰りはこわい♪」



 ぎゃあああああああああ



 いきなり息が荒くなり、過呼吸が始まる。


 胸に満たされていたはずの幸福感が、息を吐くたびに、外に漏れ出てゆく。


 人間は緊張の瞬間、よく過呼吸を起こすが、これは幸福感が外に漏れ出ている分、それを吸い込むために必然的に起こる症状の結果なのではないか?


 理論もクソもない、思考が俺の頭を駆け巡る。


 ドタドタという騒音が永遠に聞こえてくる。


 消去したはずの、絶望している決定的な自分の未来像が、より鮮明に脳内に描かれる感覚。


 鬱の波が唐突に訪れる。

 

 誰か助けてくれ。

 お願いだ、誰か助けてくれ。


 ああ死のう。

 絶対に死んでやろう。


 生の意味をもつ願望と、死の意味をもつ願望。

 これらは究極の矛盾と呼ぶべき、願いだが、共通していることがある。


 それは、両者とも弱者がのたまうという点だ。


 俺は弱者だ、社会のゴミだ、地球のゴミだ。


 俺に都合のいい社会になってくれと、何度妄想したことだろう、でも、そんな愚かな夢は現実になるどころか、形さえ保つことができなかった。


 そして、俺は現実逃避をした。


 ひきこもった、まごうことなくひきこもった。


 その結果が今の俺、きっと努力をしようが何をしようが、この結果は変えられなかった。


 よく人は過去は決定しているが、未来は自分で決めることができると言うだろう?


 しかし、それは嘘だ。

 この世には決意したことを鶏のごとく忘れ、翌日には、インターネットサーフィンに勤しむ人間がごく一部存在する。


 ヤツらは時代によって、色んな呼ばれ方をしてきた、負け犬やら、ルサンチマンやら、ニートやら、ひきこもりやら、もしかしたらこの社会で一番愚称をもっているのはそいつらなのかもしれない。


 そんな、無能な集団に未来を決定するなんて能力はない、SF映画的な展開も存在しない。


 

 未来なんて、とっくに決定していたのだ。



 だから、俺たちは頑張ることをやめた、放棄した。


 もう、いいんだ、助けを求めることさえしたくない。


 疲れた。


 バットトリップから抜け出した俺は、哲学的な疑問によって、人生の答えを見つけられたのさ。


 一気に気が楽になった、襖の横に備え付けられているキッチンへと向かった。


 その下には、調味料の空瓶が大量に放置されていて少しでも触ろうものなら、ガチャガチャンという音を立てて雪崩を起こしそうですらある。


 俺は空き瓶の山に手を突っ込み、目的のものを手探りで探す。


 ガランだの、ガシャンだの 、耳障りな音が鳴ったがそんなことはもう気にならない。


 お目当てのものをようやく見つけ、俺はそれを一番近くのガラス製のコップの中に吹きかけた。


 ゴキブリなどの害虫を駆除する目的で使用するアレ。


 シューというガス独特の音楽が奏でられる。


 それは多分、俺というゴミ人間の最期を迎える献奏としては相応しかった。


 滞納したことによって、止められかかっている水道の蛇口の下に、そのコップを置き、まわしをひねる。


 あっという間に水は溜まり、一杯の飲み物となったのだ。

 

 俺はこれを飲んで、この世とおさらばしてやるぜ!


 今度は本気だぜ!

 グッバイ俺の人生!


 自殺未遂を犯しているはずなのに、なぜか俺の心はトリップ中以上に満たされている気がした。

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