第3話

屋敷に戻った二人はそのまま歩美の自室に入る。歩美はベッドの上で、涼風はベッドの隣にある椅子に座り、至近距離で向かい合う形になる。


「アンタがまさかあの時のOLさんだと思わなかった」

「そ、そうですよね~。あの時より髪が短くなったんですぐには分かりませんよね〜」


涼風は気まずそうに後頭部を掻き、引き攣った笑顔を見せる。歩美はなんとなく涼風から視線を逸らす。


「まずは元気そうで良かった……」

「え?」

「実はあれからちょっと心配してたんだ。あの人どうなったのかなって」


歩美がボソッと呟いた独白に涼風は目を見張る。


「お嬢様、優し過ぎません?」

「淑女たるもの、他人を心配するぐらい常識よ」

「いえ、そういう問題じゃなくて‼」

「うわっ、ちょっと⁉」


涼風は我慢できず歩美を抱き寄せる。彼女より一回り体が小さい歩美は簡単に腕の中に包み込まれた。


「もしかして、お嬢様の前世は天使か神でしたか?」

「いや、前世とか知らないし。てか、アンタに抱きつかれると暑苦しいから離れて」

「イヤです。今だけ抱かせてください」

「誤解生みそうな言い方しないで⁉」


上手く抵抗できないまま涼風の胸の中でモゾモゾと動く歩美。一応、嫌がる素振りを見せるが内心、そこまで嫌ではない。むしろ、このままずっと一緒にいたいとも思っている。彼女がもっと素直なら涙を流してこの状況を喜んでいただろう。


「わたくしを恨んでませんか?」

「事故の被害者を恨んでも仕方ないでしょ。どっちみち孤独になる人生だったし」

「何を言っているんですか、お嬢様‼」

「こら、そんな強く抱きしめるな。あばらが二、三本折れる」


涼風のたわわなアレが歩美の顔を圧迫してくる。骨がメキメキと悲鳴を上げたのは言うまでもない。


「あの日、わたくしはあのまま死ぬつもりでした」

「は?」

「当時、ブラック企業で働いていて精神が病んでたんです。あの事故があった日はちょうど会社の取引先との商談が予定されていました。その取引先は色々といちゃもんを言ってくる人達で会うのが死ぬほど嫌だったんです」

「だから赤信号の交差点で死のうと?」

「はい。今思えば大変愚かな行為でした。わたくしの軽率な行動で一人の女性の人生を滅茶苦茶にしてしまった。これは一生かけても償い切れない罪です——」


涼風曰く、病室に入院していた時は頭を強く打ったショックで一時的に記憶が抜けていたそうだ。退院する直前に全ての記憶を取り戻し、自分の両親が金欲しさに多大な額の慰謝料を命の恩人に払わせた事を知った。退院した後はすぐに働いていた会社を辞め、両親とも縁を切ってきた。そして、この屋敷にメイドとして働くことを決めたという。凄まじい行動力だ。


「あの一件でお嬢様が精神を病んでいると聞きつけ、居ても立っても居られなくて。メイドになること決心しました‼」

「そ、そうなんだ……」


メイドになるまでの過程を早口で説明したが充分、彼女の熱量が伝わった。歩美の固かった表情が少し綻ぶ。


「でも、私の専属メイドとして働き始めたのは自分の罪滅ぼしのため?」

「いや、それは——」

「だとしたら、ちょっと寂しいかな……」


歩美はゆっくり涼風の傍から離れ、悲しそうな瞳で窓の外に視線を向ける。その姿は今にも消えちゃいそうな儚さを覚える。


「ただ罪滅ぼしに来たわけではございません。わたくしはお嬢様に一目惚れしたんです」

「一目惚れ——?」

「はい。突き飛ばされた直後。ほんの一瞬、死を覚悟でわたくしを助けてくださったお嬢様の横顔が見えたんです。あの横顔は本当に綺麗でカッコ良かった。白馬の王子様ってこういう人の事を言うんだって」

「白馬の王子様は言い過ぎよ」


褒め馴れていない歩美は分かりやすく頬を赤らめて照れる。

容姿的にどっちかというと白馬の王子様は中性的で長身の涼風の方だろう。でも、涼風が歩美を見る目はいつも恋する乙女のようだった。歩美は薄々、涼風の好意に気付いていていた。故に改めて本人から面と向かって一目惚れしたと言われるとどう反応すればいいのか分からなくなる。


「歩美お嬢様。わたくしは貴方の事が大好きです。まだこの感情が友情的なものなのか恋愛的なものなのか自分でも分かりません。ですが、貴方に一生お仕えしたい気持ちは確かです。これから死ぬまで一緒に居させてください‼」


涼風は真っ直ぐ手を伸ばし、歩美に握手を求める。歩美は窓の外から視線を戻し、涼風の方へ向き直る。そして、次の瞬間——。


「んむっ⁉」


歩美の唇が涼風の唇と重なる。ほんの一瞬でお互いの熱が伝わり、柔らかい感触が脳を支配する。


「これが私の気持ち。これからよろしくね、涼風」

「は、はひっ……。参りましたぁ」


微妙に会話が成立せず、涼風は力なくベッドへ倒れていった。


■■■


お互いの気持ちを確かめ合った翌日――。

ベッドの上で涼風に膝枕される歩美。涼風は飼い猫を寝かすかのように歩美の頭を撫でる。


「そういや昨日、私をあの交差点に連れていったのは何故?」

「あれは申し訳ございませんでした。本当はあの思い出の交差点でわたくしの想いを伝える予定だったんです。でも、色々ハプニングが起きたので屋敷に戻って想いを伝えることにしました」

「あそこに行ったせいでまたあの時のトラウマが甦っちゃったな~」

「本当に申し訳ございません‼」

「もういいよ。アンタの想いが聞けたからトラウマが浄化された。あの交差点は私にとっても良い思い出の場所に変わったよ。ありがとう」

「お礼を言われるようなことは何もしていませんが……」


急に物腰が柔らかくなった歩美に涼風は戸惑いを隠し切れない。揶揄うタイミングが見つからず、どうも調子が狂う。


「私、明日から学校に行こうかな」

「なんか急ですね……」

「うん。アンタのおかげで学校に行く元気が出た。もし、クラスメイトになんか言われたら、私は“人殺しの悪令嬢”ではなく“一人の女性を惚れさせたレディ”だと自慢してやるわ」

「逞しいです、お嬢様」


頭を撫でる手がピタッと止まる。歩美の視線の先で複雑な表情を浮かべる涼風。


「もしかしてまだ行って欲しくなかった?」

「そうですね。お嬢様と片時も離れなたくないというのが本音ですが、学業は大切です。大人げないわたくしは放って置いて構いませんのでお嬢様は頑張って勉学に励んでください」

「フフッ。学校に行くようになったからってアンタを放って置くつもりはない。ちゃんと毎日、構ってあげる。私の専属メイドとしてボロ雑巾になるまで飼い殺しにしてやるわ」

「お嬢様は相変わらず酷いお方ですね」

「当然。だって私は元悪令嬢ですもの。おっほほほほほ——」


部屋の中で二人の楽しそうな笑い声が響く。歳の差は大きいが二人の関係を見れば既に誤差の範囲。お互いふざけ合って笑い合う姿はまるで青春を謳歌する少女たちのようだった。






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人殺しの悪令嬢と世話焼きのメイドさん 石油王 @ryohei0801

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