第2話
新人メイドが来てから二週間が経過——。涼風は相変わらず献身的で歩美のことをよく慕ってくれる。料理は勿論のこと他の家事全般もそつなくこなす。歩美がわざと無理難題のミッションを与えても、全て難なくこなして見せる。
涼風は意外と無駄な話を振って来ない。ほとんど事務的な会話のみ。故に得体の知れなさが増す。一向にメイドを辞める気配がない彼女に何か裏があるのではないかと邪推する毎日だ。
「——私は憂さ晴らしにアンタをこき使って飼い殺しにしてやる‼」
一向に警戒が解けない歩美はそう宣言し、△△を牽制する。せっかくなら“悪令嬢”らしくとことん冷たく振る舞う。より必要以上に仕事を設け、涼風の限界を確かめる。壊れてしまえば歩美の勝ちとなる。
料理の味にやたらとこだわりがあり、好きな物以外は絶対に口にしない。洗濯物も気に要らない点があれば、すぐに一からやり直させる。
「——お嬢様はなんでも我慢する癖があります。わたくしはお嬢様にお仕えするメイドです。ご不満な点がありましたら、何なりとお申し付けください」
涼風の口からその言葉を聞いた時、歩美は啞然とする。あんなに酷い仕打ちを受けたにも関わらず、未だ足りないらしい。なんなら、一人で抱え込むなと𠮟られる始末。歩美が悪令嬢を演じるのがまだ慣れていないのと、予想外に涼風がタフな女でどんどん歯車が狂う。どうやったら涼風を困らせることできるのか、どうやったらメイドを辞めさせることができるのか。歩美は寝る間も惜しんで考え続けた。
「お嬢様、今日は一緒に外に行きませんか?」
「ヤダ」
寝不足が続くある日の朝。涼風は部屋のカーテンを開け、引きこもりの歩美を外に誘う。当然、歩美は外に出る気など微塵もない。寝不足で止まらない欠伸を必死に堪え、布団の中でモゾモゾする。
「お嬢様、最近ちゃんと寝れていないのでは?」
「ギクッ⁉」
「もしかしてわたくしを辞めさせるために、自分のライフ削っているのでは?」
「ギクギクッ⁉」
涼風はとっくのとうに歩美の作戦を察してしたようだ。歩美の羞恥は頂点を達し、茹で蛸のように顔を真っ赤にする。
「太陽の光を浴びないからそんな陰気なことを思いつくんですよ。一日ぐらい外に出かけましょう‼」
「きゃっ⁉」
涼風は容赦なく布団をひっぺ返し、丸まった状態で横たわる歩美の手を無理やり引っ張る。
「ほら、早く着替えて外に行きましょう‼」
「絶対イヤよ。手離して‼」
「申し訳ございませんが、そのお願いだけは聞けません」
「主の命令を聞かないとは何事だ。お父様に言いつけてアンタを解雇してやる‼」
「ホントはそんな事する勇気がないくせに」
「ぐぬぬっ。今なんて言った⁉」
二人でやいやいと騒いでいると、廊下を歩いていたメイドにクスッと笑われた。笑われてしまった歩美は増々、顔を真っ赤にして大人しくなる。
「そうやって私を学校に行かせようとしても無駄よ。先日、お父様に言われたんでしょ?」
「お父様に言われたとは……?」
「学校に行かせるように躾けろって」
涼風は首をはてと傾げ、不審げに歩美の顔を見詰める。
「いや、すみません。わたくしは別にお嬢様を学校に行かせたくて外に出ようと言っているわけではございません。裏表のない単なるお散歩です」
「へ?」
拍子抜けした歩美は間抜けな声を上げる。
「学校に行くためのリハビリではなく?」
「はい。ただ太陽の光を浴びるだけです」
歩美は布団から顔を出し、涼風の顔を窺う。涼風は不気味なほど笑顔だった。
「さあ、ちゃちゃっと着替えちゃいましょう‼」
「うぅ……」
「お着替え手伝いましょうか?」
「一人で充分。一旦、部屋から出ろ‼」
「承知しました」
顔が真っ赤っ赤の歩美は涼風の背中を押して、部屋から追い出す。
涼風が強引に服の袖を引っ張ったせいで歩美の右半分がはだけていた。
■■■
歩美は涼風と一緒に屋敷を出て歩き始める。
「この時間帯って、ちょうど登校時間じゃ……」
「ご学友に気づかれないようにこれを被ってください」
涼風は麦わ帽子とサングラスを歩美に手渡す。これで変装しろということだろう。
「手、繋ぎましょうか?」
「断る」
「ぜひ繋ぎましょう!!」
「人の話聞いてる? 日本語通じる!?」
引っ込めようとする手を強引に引っ張り、十本の指が絡め合う。
「お嬢様、手汗が凄いです」
「うっさい! これは手が冷たいだけだ!!」
普段から新陳代謝が良くない歩美にしては珍しく、汗がべっしょりだ。彼女の手のひらは玉の汗で埋め尽くされ、小規模の洪水が起きる。汗の原因は単純に暑いからではない。涼風のことを変に意識して、酷く緊張しているからだ。
「今日はそこまで寒くないですよ?」
「慢性的な冷え性」
「冷え性の人ってこんなに汗かくんですか」
「これは、ええと……、ア、アンタの手の温度と私の手の温度が違いすぎて中で水が発生しているんだ。だから絶対に汗じゃない」
「そう云えば昔、学校でそんな事学びましたね〜。では、この汗みたいな水滴は結露なんですね?」
「そ、そうよ。け、つろよ‼」
口から出任せを言って汗であることを隠そうとする。焦りすぎて"結露"の意味をイマイチ理解できていない。
涼風は嗜虐的な笑みを浮かべ、我が子を見守るような目で歩美を見下ろす。思春期を拗らせた女の子を揶揄うのは楽しいみたい。
「どこか行き先決めてあんの?」
「それはナイショです」
「はァ⁉」
歩美は他人の目が気になり、挙動不審だ。特に自分と同い歳ぐらいの女の子とすれ違うと握る手がビクッとなる。ただの散歩でも対人恐怖症には酷だ。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。頼れるメイドがずっと傍にいますから」
「全然大丈夫じゃない」
涼風と出会ってまだ日が浅い。完全に打ち解けるのは難しく、歩美は警戒心を剥き出しにして涼風を睨みつける。
「こら、暴れてはいけません」
「私を子供みたいな扱うな!!」
歩美は隙を見て手を離そうとするが、すぐに握り返される。
「道に迷ってはいけませんので」
「アンタは私をなんだと思ってる……」
暫く通学路から少し外れた線路沿いを歩いていたのち、再び通学路となっている公道へ戻ってくる。
「そろそろ帰りたい」
「あともう少し我慢です」
歩き始めてから十五分が経過した。久しぶりに歩いた影響で歩美の足はもう限界を迎えていた。特に目的が無いのならここで引き返すべきだが、その気が無いらしい。歩くペースを落としてもなお、前に進む。
真っ直ぐ道を歩いた後、錆びた歩道橋を渡る。歩道橋を下りた先にあるのは"例の交差点"だ。
「"まだ"ここはダメですか――」
涼風は明らかに動揺する歩美を一瞥して、意味深な発言をする。信号が赤になり、例の交差点で立ち止まる。
手押し車を押すおばあさんが二人の視界に入る。なんと信号が赤の状態で横断歩道を渡っている。
「あの人、危ない……⁉」
まさかのここでデジャブ。左方向から大型トラックの駆動音。距離にして約五十メートル。スピードを緩めることなく、おばあちゃんの方へ突き進む。
「助けなきゃ——」
以前の歩美なら迷わず道へ飛び込んでいだだろう。しかし、今の歩美は立ち尽くすしかできない。足がすくんでしまい、一歩も動けない。しかも、貧血のような立ち眩みが起き、その場に座り込む。顔面が血塗れのOL、病室で泣き崩れるOLのご両親、般若の顔で怒り狂う自分の両親、冷え切った瞳でこちらを蔑むクラスメイト——。ツギハギになったはずの記憶を強制的に繋ぎ止め、あの時のトラウマを呼び起こす。ヒステリーを起こした歩美は悲痛の叫びを上げ、頭を抱える。彼女の視界に映るのはおばあちゃんではなく、あのOLだった。
「——あぁ」
鼓膜をつんざくような甲高いブレーキ音。歩美は目を瞑り、下を向く。とてもじゃないが、目の前で起きた状況を受け止められない。このまま現実逃避して時が過ぎるのを待つ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――。歩美、お嬢様、はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息遣いが歩美の耳元まで迫り、息も絶え絶えに誰かが名前を囁く。
「お嬢様、もう目を開けても大丈夫ですよ」
生暖かい吐息が耳朶を触る。歩美はビクビクしながらも目を僅かに開けて、地面の点字ブロックから正面の交差点に視線を移す。
「あの、おばあさんは――?」
交差点には誰もいない。風で揺れる木々の音だけが聞こえる。辺りはいつも通り静まり返っていた。
「おばあさんはわたくしが身を挺して助けました」
涼風はそう言って、足の擦り傷を見せてはにかむ。
「"あの時"貴方がしてくれたように一人の命を救いました!!」
「あの時ってなによ?」
涼風は青になった交差点を渡り、反対側にあったガードレールを指差す。
「さて、お嬢様に問題です。このガードレールについた赤い液体は一体誰のものでしょうか?」
「はぁ!?」
「ヒントはわたくしの眼帯です」
半年経っても消えない事故の痕跡。生々しく血が付着した場所と自分の顔を並べる。ここでようやく歩美は彼女の正体に気づく。
「歩美お嬢様。貴方にお話しないといけないことがあります」
「――うん」
「一先ず、屋敷に戻りましょう」
涼風は華のある笑顔で来た道を戻る。急展開過ぎてまだ理解が追いつかない歩美は呆然と彼女の背中を追った。
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