第21話 一幕
家屋の中の一室で、二人が相対していた。
ウェンは、懸命に話す。
「──だから、タオおじさんはそれのせいで正気を失って──」
チュンは、無表情のまま、聞いていた。
「──それで、その……、その子を殺したのは、あの人のせいじゃなくて、そういう状況に追い込んだ人が、原因なんだ」
しかし、口を開くにつれ、不安になっていく。自分自身でもこんな説明で納得してくれるか疑問だった。それでも、こう言うしかない。
「──おじさんも、すごい悔やんで、反省してるから……、許して、あげない、かな……」
「……」
息苦しい間が、どんよりと流れた。
ユーリイの
ウェンは悩んだ末、真正面から向かい合ってもらう方法をとった。
つまるところ、こればかりは本人が乗り越えなければならない事態である。その為には、変に小細工を入れないほうがいいと判断した。
だが、果たして他人に諭されて、踏ん切りがつけるものなのだろうか。今まで一緒に暮らしてた人が、実は息子を殺していて、相手も自分もその事を忘れたまま、三人で家族のように振る舞って平穏に過ごした後、突然その事実が明かされ、全てに納得して今後も希望を持って生きよう。
……そんな風に、思えるのだろうか。
チュンは、下顎だけを動かすように、口を開いた。
言葉を出すのかと思えば閉じ、また開いては閉じを繰り返す。視線をあちこちに移し、膝の上に置いた両手が、宙に絵を描くような、置き場を失った動きを見せる。
それらの怪しげな動作が、次第に早くなっていく。
突然、一連の動きを止めた。
依然として無表情のままに、両目はどこか遠くの一点を見つめる。
「……」
固唾を飲んでその視線を受け止めていると、相手は何の前置きもなくすっと立ち上がった。
歩き始め、向かった先は、小さな箪笥だった。
嫌な予感が走り、用意を持って静かに近付く。
チュンは、取り出した小物入れの箱から、裁縫用の針を手にし、
流れるような動きで、自分自身の眼球へ刺そうとした。
「駄目!」
最悪の事態を想定していたウェンは、予め準備した
瞬時に、その針を
すると、チュンはへたれ込み、喚くように泣き始めた。
「ああああぁぁぁ……」
「……」
その悲痛な叫びに、少年はただ立ち尽くす事しかできず、
「死なせてよぉ……」
嘆きに近い嘆願が、耳に届いた。
言葉を教わり、寝食を過ごし、一緒に笑い合った母親代わりの女性。その変わり果てた姿を見ていると、堪えられなかった。
ウェンは、震えた手をチュンへ向ける。
「……ごめんなさい」
家から出ると、眩しい日差しが差し込む。それを手で遮ることも、瞼を閉じることも、行わなかった。
「だから言ったでしょ? ああなるからやめときなって」
ユーリイが横から近寄ってくる。
「……うるさい。引っ込んでてよ」
「ねー、流石にその言い草は酷くなーい? せっかく
「……じゃあ、ちょっと聞かせて。他人同士の
「あああれ、嘘だよ」
しれっと言いのけた。
「いや、嘘っていうより、危険は危険だけど、そこまで脅威に感じるほどではないっていうのが正しいかな。だからそこまで重要視してない。当時のウェンにはあまり動いてほしくなかったからそういう情報で教えたけど。ごめんね」
自分がボウを操るのに疑問に思わなかったのも、その考えがあったからとなれば筋は通る。この情報が嘘かどうかは、実際に試してみればすぐに分かるが、多分信用していいものだろう。
「実はね、それを利用して、忌み子同士離れた場所でも連絡が取り合える方法があるのよ。私がやってるような、視覚聴覚共有するのに似た感じで、結構使える。過去にちょっとした実験で編み出したの」
「……なんでボウにそれを使わなかったの?」
そこまで便利な方法があるなら、奴を尋問した時に気付けた筈だが。
「あいつと脳内で会話する、って事になるんだけど、どうしても生理的に無理だった。ボウって自分の命とか含めて諸々に頓着無いから、合理的に動かない事が多くて終始馬が合わなかったんだよねー」
話半分に聞き流して、次の題に移す。
「……ならもう一つ。人の記憶って消せる?」
「うん? そりゃ私が普段やってる事だし」
「そうじゃなくてその後。しばらく忘れさせるようにして、
ユーリイは腕を組んで考え出した。
「多分できるんじゃない? 記憶ってやっぱり不確かなものではあるし」
それを聞いて希望が沸いてきた。
カンラの人たちに辛い過去を忘れさせ、脅威が迫ったら自分が守り通す。これができれば、皆が平穏を過ごすことができる、まさしくウェンが描く理想だった。
「でも、印象に強く残ってるのは特に時間がかかるだろうねえ。何かの拍子で別の所から結びつく事だってあるし。記憶消すのに注力しても、多分四、五年以上は覚悟したほうがいいね」
「……うん。わかった」
ユーリイに頼んだほうが手っ取り早いかもしれないが、そもそも彼女を信用できるわけがない以上、やはり自分がやるしかない。
「まあそれが無難なやり方だよね。いいと思うよ? 結局
「ねえ。言っておくけど、ぼくのお陰で被害を抑えたの、忘れないでよ」
「はいはい。わかってますよー。本当に感謝してるんですから。できる限りは協力してあげるって」
そう言い残し、ユーリイは立ち去った。
「……」
しばらくして、ウェンも歩き出す。
目指す場所はなく、ただカンラをふらふらと彷徨っていた。
町中を歩くと、損壊している建物の修復に勤しむ人々が目に入る。その全てが、効率よく全く無駄のないと思える動きでてきぱきと進んでいた。この進み具合なら、元の形に戻るのはさほど時間はかからないらしい。
まるで、乱れのない蟻の行進のようだった。
ついさっき、自殺を止めて元の生活へと戻したチュンで実感する。今のウェンでは、その特色ゆえに、十分に人を操ることができない。これではせいぜい、あと七、八人が限度だった。まずは
……しかし、本当にこのやり方でいいのだろうか。
ウェンは、近くの椅子に座り込む。頭を落とし、大きく息を吐いた。
どうしようもなく不安だった。今後のことについてもそうだが、
それ以上に、自分には、寄り添える人が誰もいないのが辛かった。
ユーリイは言わずもがな、他の人も、支配下にあることは横に置いても、心の底から信頼できるというわけでもない。
特に、タオについては、どう接すればいいのか全く分からなかった。人の名前を勝手に奪ったような形になって、自分はそれを謝罪するべきなのか、大事にするべきなのか。思考が纏まらず、怖くて会うことができない。
孤独感は深まる一方だった。
これが人の持つ、『感情』というものなら、本当に厄介な代物である。
少しだけ、忌み子の連中が羨ましく思えた。勿論、感情が全くないという事はないだろうが、少なくとも今のように大きく悩むことはないと想像できる。
ウェンは、切実に思った。
「……誰かと、笑って話し合いたいよ……」
意識の底に沈んだまま、長椅子に一人掛けていると、
果たして、その
「よっ。どうしたんだウェン? そんな落ち込んで」
驚いて顔を上げると、
「ロー……?」
かつて手毬で遊んだ子供が目の前に立っていた。他の二人は見当たらない。
ウェンはすぐに思考を回す。まさかユーリイが探りを入れてきたのだろうか。
一体何を言い出すのかと身構えると、
「遊ぼうぜ! 今度は花札ってヤツ。今持ってる友達の家に向かってる途中だ」
期待に満ちた笑顔でそう言った。
「……」
恐らくだが、素の性格で誘っている。操られてる中でも、カンラの町民はこういった最低限の自由意思は持っているらしい。それに、こんな露骨な時にユーリイが仕掛けるのもないだろう。
「……うん。行く」
結果として、彼女に見張られることになるかもしれないが、それでも構わなかった。
今はただ、自分の気持ちに従いたい。
友達と再会できた、この偶然に感謝して。
(了)
本作品はここでひとまず一区切りとさせていただきます。
続編の構想は一応あと二作ほどありますが、皆様の反応によって執筆を決めようと思います。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
イノリミゴ 晃人 @akito789321
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