みりん、キッチンにて沈没

百目鬼 祐壱

みりん、キッチンにて沈没

 突然だが歯が痛い。右の下の奥歯が痛い。固いものを噛むと痛い。冷たいものを食べると痛い。昨日あたりから何もしてなくても痛い。虫歯だ。

 突然の敵襲に私は行儀良く中指を立て、気を紛らわすために頬を抑えながらひとり痛みに耐え抜く決心を固める。思い返せば二十余年の人生において、この手の痛みは寄せては返す波のごとく定期的にやってきては消えてきた。些かの我慢が戦況を改善させることを祈りながら泰然として無為を決め込む私は、要は歯科医院のお世話になりたくないのである。歯医者、怖いし。

 愛娘のお決まりの言い分を夕餉の席で拝聴した昨夜の母は、ご丁寧にわざとらしい大きなため息をひとつこしらえた後に、「祥子はいつもそう」「嫌なことを後回しにする」とこちらも家族の内で使い古された常套句で対抗を試みる。「後回しじゃなくて、行かないんだよ、歯医者」「そんなこと言うけどね、絶対に行った方がいいんだから」「大丈夫だもん」「きっと親知らずよ」「違う」と言ってはみたが、これは私のために腹を痛めた偉大なる母の言い分が正しく、口内に横向きに出土した無用の品が親知らずだということぐらいは分かっている。分かっているが、悪名高き抜歯の憂き目を直視しないようにと、いまだ成熟しきらぬ精神が小細工を強要する。

 夕食の話題を占領する母娘のやりとりは正面ではなく横を向きながら行われたもので、食卓において私と母は横並びに座りながら夕餉の焼き鮭をほぐし、対面には無言の父がひとりスマートフォンの画面を睨みながら晩酌のビールを呷っている。父の行儀の悪さはいまに始まったことではなく、かつては母の小言が食卓に落とされることが常であったが、今ではその気配も感じられない。母娘と父のどちらの位置からも見える場所に設置された、49インチ、小市民的家族には分不相応に思われる立派なテレビ画面の中では、先ほどからニュースキャスターが何某かの事柄を丁寧に報告しているが、誰もそれを気にしていない。無用に垂れ流される液晶画面の放電は、夏も終わりを迎えだんだんと冷え込んできた秋の夜にささやかな温もりを付与しているのみであり、節電だエコだと叫ばれる昨今においては環境省などから目の敵にされかねない非国民的素養を兼ね備えた家族は、しかし、テレビがついていないと落ち着かないという謎の言説によって古来より続くルーティンを堅持しているのであるから不可解なものである。

「親知らずか」スマホから目を上げた父が突如としてしゃべり始めたので、母娘はそれまでの舌戦を一時休戦して、頼りない第三者機関に耳を貸す。「放置してると、お母さんみたいになるぞ」

「え、お母さんも?」

「お母さんも、って何よ、やっぱり親知らずじゃない」語るに落ちた娘の過失を見逃さない母の目ざとさは注目に値するが、今は固い口を開いた父の証言に耳を傾けることにしよう。

「そうだ」ビールを一口飲み込んだ父の言葉は「笑うと口の中に、伸びきった親知らずが見えたぐらいだ」と続く。

「そんなわけないでしょ」母は笑いと怒りの中ごろに陣取った声音で父の言葉をさえぎるが、父はかまわず笑っている。どちらの味方でもないことを表明するために、私はわざとらしく音をたてて味噌汁をすすった。

 専業主婦として子どもたちを育て上げた母は世間とか常識とかその手の事柄になじみ深い人物、つまり極めてまともな人種であった一方で、バランスを取るかのように役所勤めの父は変わり種であった。野菜嫌いの偏食家、友人らしき人物はひとりも観測できず、おまけに趣味は三転倒立ときている。いったい、真面目一辺倒の母といかように結びついたのか。それについては親戚一同の間でも口の端に上るようで、正月なんかに集まった時には、「あいつは本当に良い奥さんをもらいましたよ」などとはやし立てる叔父たちに人の好い笑みでお酌を施す母の姿と、それをよそ眼にひとり手酌でビールを呷る父というのが定番の景観である。

 しかし、今この食卓に姿のない弟が評するところによれば、そのような父をも凌ぎ当世帯にて最も奇人変人として名高い存在が彼にとっての姉、つまり私であるらしい。曰く、無駄口が多く、屁理屈で、自意識が終わっているとのこと。愛すべき弟といえどもそのような偏向報道には声を上げていかなければならないと思いながら、しかしいまだに正式な抗議文を提出するまでは至っていない。

 ところで父のあのよくわからない冗談を披露してからここに至るまでの間につづられた文字の数を数えると約四百五十にも上るが、その冗長な言葉たちが吐き出されるまでの時間はほんの数秒にしかならず、いまだに父は笑っている。書き言葉において時間はいかようにも引き延ばすことができるから大した基準にもならないだろうが、しかしこれは実際の私の頭に数秒で流れた思考の塊とも同量であることはしっかりと記しておく。このような瞬間的な思考の長電話は私の得意とするところで、会話と会話とのほんの少しの間隙を縫って記憶を覗き込む能力は私にとってほぼ唯一の自慢であるが、何かしらの実用的な用途に生かされた試しはなく、だいたいはきっちりと延長料金を支払うことになる。ぼうっとしている、話を聞いていない、集中力がない、などのこれまで私が獲得してきた悪評は、おおむねここに起因しているといって過言ではない。ぼうっとしていたのではなく誰よりも頭を動かしていたのであるが、そんなことを言っても伝わる余地はないので黙っておく。

「あんたまたぼうっとしてたね」

「してないよ」嘘ではない。

「明日の内定式終わったら、しばらく暇なんだから、行きなさいね、歯医者さん」

「えー、やだ」

「後回しにしてると、きっと後悔するよ」

「お母さんみたいに?」

刹那、口の中いっぱいに苦みが広がる。それは虫歯のもたらした味覚不良ではなく、母の人生すべてを否定するように聞こえなくもない言葉選びの落ち度への悔いの味であった。

 娘の言葉をどのように解釈したのか分からないが、母はあきれたという表情を作って席を立ち、父は新しいビールの缶を開けた。歯の痛みは相変わらずで、私は頬をおさえながら、冷ややっこを左の顎で噛みつぶした。

 それが昨晩のこと。そして、今日は内定式で、今はその帰り道に立ち寄ったカラオケ店の107号室。ごわごわのレザーソファの上で寝息を立てる清美ちゃんと、ひとりでファンキーモンキーベイビーズを歌う田中くんと、相変わらず虫歯の痛みと格闘する私の三人が、室内の面々である。

 私たちが初めて顔をあわせたのはさかのぼること十時間前。市ヶ谷の裏路地を入っていったあたりに佇む雑居ビルの五階に集められた十数人の内定者一同は、ささやかな期待とそれを遥かに凌ぐ不安とを抱えて、人事部長だか取締役だかのでっぷりと腹が出た中年男の話を聞かされていた。人事部長だか取締役の男は、我々の不安を煽ることになった例の事件、つまり自社の取締役社長が窃盗の咎で刑事告訴された件の釈明から話を始めるが、「皆さんは不安でしょうが、それ以上に我々も不安です」という洒落にならない冗談がさらに内定者たちの不安を加速させてよろしくない。

 発酵食品の製造を基軸とする内定先は、平成中期に起こった空前の健康食品ブーム、および一風変わった経営者を登用するメディア戦略が流行した時代の潮流に乗じて、初老のまじめそうな男が――それがこの度お縄になった社長である――奇天烈なタンゴの音楽にあわせてタップダンスを踊りながら商品名を連呼するという奇をてらったCMで一躍有名となり、下火となったいまでも一定の知名度だけは堅持してきた。しかし、今回の騒動により、つまり躍進の中心となった社長自身の大自爆により評判及び株価を大きく落とすことになり、世間様の動きに敏感な母なんかはそんな企業に入社して大丈夫なのかと心配しているわけである。そこまで騒ぎが大きくなった原因は、社長のしでかしたことがスキャンダルやゴシップを燃料とする人心のお眼鏡にかなったところが大きい。先ほども記した通り社長の罪状は窃盗罪であり、では何を盗んだかといえばそれはサトちゃんである。

「サトちゃん?」

 薬局の前でよく見かける、あの、オレンジ色のゾウみたいな人形、あれがサトちゃん、それでうちの社長、ああうちっていうのも変だけど、とにかくそいつがサトちゃんを盗んでたらしくて、高値で売りさばくとかそういう目的かと思ってたんだけど、そうじゃなくて、サトちゃんにしかないかわいさというものがあって、いつしかサトちゃんでないと性的興奮を覚えられなくなっていった、そしてある日、誰も見ていないところで、サトちゃんを一匹奪還した、残りの、世界に散らばったすべてのサトちゃんを取り戻さなければならないとという使命感に駆られた社長は、二体目のサトちゃんを車に運び入れようとしているところをたまたま居合わせた警察官に見つかり、サトちゃんを残して猛スピードでその場から駆けだす、御年七十を迎える齢に関わらず、社長の健脚は見事なもの、追いかけるさなか、敵ながらあっぱれという言葉が浮かんでいたが、目の前で社長は転んで御用となったんだって。

「なにその語り口?」私の話を聞いた弟はそう言った。

「語り口?」

「なんか、いっぱい、視点が変わってたよ。誰の話なのかよくわかんない」

「あれ、そうかな」

「そうだよ」

  記憶は一面的に広がっていくものではなく、かき集められた様々な情報が重なり合って、どこからどこまでが自分のものなのか分からなくなることがある。語り口と弟が評した私の言葉の連なりは、どうやらその通りで、記憶そのものがだんだんとうつろいゆく類の仕組みらしい。ほら、こうして弟の顔が人事部長になって、人事部長が取締役になって、取締役が社長の姿になって、また人事部長だか取締役に戻って、絶え間ない変換をまぶたの裏でとっかえひっかえとやっていたわけだが、それはつまり人事部長だか取締役だかの話の途中で居眠りに陥っていたわけで、隣に座る田中くんの蹴りがなければ漕ぎだした船はどこまでも進んであげくには机につっぷでもして豪快ないびきでもかいていただろう。その意味で、ファンキーモンキーベイビーズを歌い終えた後すぐに演奏中止ボタンを押して音楽が鳴りやむのを画面を見つめながらただ待つ田中くんは、私の恩人ということになるのだろうか。

「ファンモン、不倫したよね」

 知りうる限りの情報で空間の間隙を埋めようと努めた私の思いに反して、田中くんの動揺が暗がりの中でも透けて見えた。不倫という言葉が何か今の状況にそぐわない点が彼のご尊顔を曇らせたのだと解釈した私は謝罪の言葉を装填するが、冷静を取り戻した田中くんが極めて落ち着いた言葉ざわりで「ファンモンじゃなくて、GReeeeNだと思う、いま俺が歌ったの」などと言葉を落としたことで、羞恥の念が身体の奥底まで駆け抜け、ごまかしのために声を出してひきつった笑いを奏でるしかない。耳をつんざくようなこの特異な笑い方を、偉大な批評家たる弟は自身の姉が誇る随一の瑕疵と評して「どんな手を使っても矯正すべき汚物さながらの咆哮」と辛口である。

 大一番でのこのような弱みを抱えることの脆さは自覚していて、例えばそれは内定式後の人事への質問コーナーみたいな場面でも私という個体を窮地に追いやった実績がある。

 福利厚生について尋ねられた二十代後半と思われる人事の女は、自身のはにかみを最大限に生かした表情で誇らしげに「保養所に格安で泊まれます」と回答を施した、そこまではよかったが、誰か同期の一人が保養所の位置を問うと人事はこれまた自慢げに「埼玉です」との答え。「埼玉…」質問者が言葉を失ったのは、あまりの歓喜ゆえかはたまた失望か、そのあたりを正確に知ることは不可能でありここでは判断を下すことは控える。「埼玉の、秩父とかですか?」すがるように言葉をつなげた質問者の問いに同期一同の希望は首の皮一枚つながるが、人事の女は手元の資料をぺらぺらとめくりながら「東松山です」と言った。「…松山じゃなくて?」「はい、埼玉の」人事は横長の楕円の図形をホワイトボードに描写して、その上に埼玉と加えると、楕円の中心を指さして「この辺です」と言った。そのあたりで、絶妙に引き締められた緊張の糸が笑いの琴線に振れたのだろう、誰かが吹き出すように笑うと、会場に笑いの渦が蔓延し、つられて私も笑ったが、しかし私の笑い声が響き渡ると一気に人々の笑いは消えていた。これが「汚物さながらの咆哮」に起因するのか、ただ偶然の産物であるかの判断は付かないが、不安の種は燻り続ける。今このカラオケにおいても、同室のふたりに不愉快を与えたであろうと覚悟していたが、田中くんは何も言わず、清美ちゃんはソファの上で器用に寝返りを打ち、そして私は歯が痛い。

 この奇妙な状況に至るまでの経緯を読者諸氏に説明するにあたって、まず現在地が吉祥寺駅から徒歩数分のカラオケチェーンであること、数時間前までは三人とも新宿にいたこと、そしてさらにその前には先ほども語った通り市ヶ谷のオフィスにいたことを特記しておく。この市ヶ谷から新宿、吉祥寺という段階的移動の流れを解説しよう。内定式が終わり夕方の街に放牧された若者たちが流れ着く先は酒の席と決まっているが、どこにお邪魔になるのか、いかんせん十数人という人数と金曜日という日取りが彼らの判断を曇らせていた。そこに勇気の一石を投じたのは宮本という男、曰く新宿に彼の行きつけの「めちゃくちゃいい店」があるという。総武線で数駅分の移動を果たした若者たちがたどり着いたのは、外壁がひどく汚れた雑居ビルの裏口から入り、階段が封鎖されエレベーターでしかたどり着くことのできない、履物をロッカーに入れて座敷に上がるタイプの、つまり典型的な新宿の安居酒屋であった。「ここの酒、安いんだよね」と言っていたが大人数ゆえにピッチャーでしか注文できず、「これ旨いよ」と語っていたシメサバはひどく生臭く、有り体に言って「めちゃくちゃいい店」には程遠かった。紹介者としての責任を感じたのか、途中から宮本くんは「なんかごめん、思ってた感じじゃなかった」と言って落ち込んだ様子を見せ、よくできた女子たちから軽薄な慰めを受けていたが、ここでいうよくできた女子たちに私が含まれることはない。優しい言葉の代わりに、私はただ歯の痛みに耐えながら、横に座る清美ちゃんの透き通るように白い肌を盗み見ていたことを白状しよう。

 丸っこくてかわいげの塊である彼女は、やせ細った私とは全然別の生き物みたいに思える。ごぼうみたいに細長い私は小学生のころ初号機と呼ばれてからかわれていた。初号機についてご存じでない方々はWikipediaでもなんでも調べてくれればよいが、お察しの通り決して誉め言葉ではない。クラスの人気者と称されるタイプの男子が発明したこの呼称は直ちに教室の隅々までいきわたり、親友だと私が勝手に思っていた千代ちゃんにも伝播する。特にこの呼称のヘビーユーザーとなり私を苦しめた千代ちゃんは地元の中学に上がってから拒食症で大変な目にあって、自分が初号機になってしまったのは笑える。「やっぱり姉ちゃん、性格悪いね」聞き手の弟はそのように語り、再び私の欠点たるおしゃべりを責め立てるのであるが、そのことは現状とあまりかかわりがない。

 話を居酒屋に戻そう。家庭内での不当な評価に反して、その飲み会の場での私は借りてきた猫のように上品なふるまいをたしなんでいた。確かにいまだ口内に残存する虫歯の痛みがのべつ幕無しの多弁をせき止めていることは間違いないのだが、それだけではなく、娘がひそかに持ち合わせた短所、人見知りの効能が最も大きいことには注意を張らなければならない。私の横では、清美ちゃんがひたすらにビールを手酌して飲み干していた。その飲みっぷりに他の誰もそれに気が付かないのはちょっと不思議なぐらいであったが、顔を一切赤らめることのない肝臓の強さが清美ちゃんの異常性を遮蔽していたともいえるだろう。

 飲み会の中心では、やはり例の社長逮捕についての話で盛り上がっているらしく、サトちゃんと社長との熱心な間柄について上品とは言えない冗談が飛び交う空気は失笑と爆笑がまじりあって生臭い。その後に続くのは、将来への不安、正社員百数人の会社がなぜ新卒を十三人も取るのか、離職率が高いから最初に数を入れているんだとか、新規事業で立ち上げた佐賀工場への赴任者を乱獲しているのだとか諸説まことしやかにささやかれていたがどれも明るい材料はない。

 そのあたりで「失礼します」と半個室を騙る暖簾をかき分けて現れた二人の店員の一人は胸に抱えていた二台のカセットコンロをテーブルに並べ、もう一人の、ジョナサンと名札に書かれた男は土鍋をひとつその上に置いた。何かしらの説明があるだろうと待ち構えていた一同の予測に反してそのまま卓から立ち去ったジョナサンたちの背中を見送りながら、先ほどから話題の中心にいた酒井という男が、「これって、火を俺たちで付けていいのかな」と宮本に尋ねたが、常連である彼もよく分かっていない。「どうだろうね」「また来てやってもらえるんじゃない」確かに、もう一台のコンロは放置されたままで、論理的に考えればもう一台の鍋が運ばれてくるはずで、その際に食べ方のレクチャーがあるだろうと予測することができるわけだが、しかし何分たってもジョナサンは戻ってこない。「もういいんじゃない、火つけて」しびれを切らした酒井がつまみを回して火をつけた刹那、折よくというか折悪くというか戻ってきたジョナサンが「あ、火つけちゃいました?」と多少の糾弾をはらんだ声色で叫んだ。

「え、駄目でした?」

「あ、えっと、駄目ではないんですけど」ジョナサンは困ったなという表情を一瞬浮かべてから「まあ、でも、大丈夫です。たぶん」とだけ残して去っていった。

 火をかけられる土鍋を皆で見下ろしながら、若者たちは思い思いに状況に対する考察を落とし、結論として、何か火をかけるにあたってひと作業が必要であったが別にそこまで重要な作業でもないのでまあよいかという判断をジョナサンは下したのだという推察に落ち着いた。そして次の会話に移ろうという頃合いに、隣の男が「ジョナサンって、後輩からジョナサンさんって呼ばれてるのかね」と口にした。その言葉をしっかり聞いたのは私だけではなかったはずだが、誰に拾われるでもなく言葉は店内の喧騒に溶けていった。

「そういえば、地方出身の人が多いですよね」

「あ、私も大阪」

「東京の人ってちょっと憧れるんだよね」

「でも。生まれも育ちも東京だと、なんか地元がない感じで、ちょっと寂しいよ」聞かれてもいないのに騙りだしたのは、名前も覚えていない角刈り頭の男。「帰省とかしたかったもん」

「そういえば、岡本くんは仙台だっけ」

「えっと、うん」岡本と呼ばれた男はどこか歯切れの悪い様子で「まあ、正確に言うと多賀城市だけど」と言葉を続ける。

「タガジョウシ?」

「まあ、仙台みたいなもん、うん」言い聞かせるように岡本くんは言う。

「3.11とか大変だったんじゃない」「うん、東京でもすごい揺れたし」「大丈夫だった?」注がれる好奇の問いかけに、岡本くんがグラスのビールをちびちびと飲みながら何かしらの逡巡の表情を浮かべたことに気が付いていなかった人間はいないかもしれない。少なくとも、私の席からはしっかりと見ることができた。それは、そのような話題にたびたび直面してきた人間が慣れの向こう側で見せる煩わしさであると、数時間たった今の私なら分かるわけだが、それはすべての札がめくられた神経衰弱のようなもので、要はフェアではない。その折の私たちには結局何もわからなかった。

「うちは大丈夫だったよ。でもまあ、ばあちゃん死んじゃったけど」

 それは小さな声だったが確かに一番向こうに座っていた私の席まで聞こえた。思わぬ、いや、想像力の翼をはためかせれば見晴るかすことができたであろう告白に、一同は自身らの無神経さを悔い改め言葉がしぼんでいく。岡本くんは自身の言葉が宴の空気を鈍化させたばつの悪さを表情に浮かべて口をもごもごと動かしているが言葉は生まれない。

 重たい空気を救ったのは、折よく噴きこぼれた鍋の汁であった。

「あ、出来たみたい、鍋」

 酒井くんが掴んだ土鍋の蓋は、「あっつ!」という彼の野太い声を呼び出すのに十分に熱せられていた。蓋がテーブルの上にずり落ちて大きな音を上げ、そして勢いよくひっこめた酒井くんの肘が隣に座っていた田中くんの顔面に突き刺さって、彼がかけていた眼鏡が明後日の方向に飛んでいった。

 その時の衝撃でフレームが曲がりっぱなしの眼鏡をかけた田中くんを正面から見て笑いそうになったのは、中央線豊田行の快速電車が新宿を経ち大きな弧を描く車内でのことであり、そのころにはすでに、清美ちゃん、田中くん、私の三名体制は整っていた。

 尻すぼみに終わった飲み会終わり、それぞれの帰路を如何様にして過ごすことになるかを決めるあの時間に最寄り駅を尋ねてきた田中くんの眼鏡について、その時はまったく気にかけていなかったが、おそらくその時から曲がっていたのだろう。「吉祥寺のあたりだけど」そのように呟いたときから私の後悔は始まるのだが、その内容については追々明かしていくとして、ここで明記すべきは田中くんも吉祥寺が最寄りであること、山田さん、つまり清美ちゃんも同様であること、当然の成り行きとして三人で一緒に帰ろうという意見が可決されたことにある。

 ところで、私のまどろっこいというか明瞭としない語り口というか文体は幼い時からその片鱗を遺憾なく発していたというのが、家庭内の歴史学者を自称する母の見解であり、たとえば小学校の夏休みの宿題でアサガオの成長日記なんかを書くと、支柱の先っぽが少し汚れていたとか、『相棒』の再放送が面白いとか、本筋に関係のないことまで書き出しておさまりがつかなくなり、見かねた教師に、アサガオに関係のあることだけを書くように指導を受けることもざらだったが、私からすればすべてがアサガオに関係があるのだから、どうしたらいいのか分からなくなるわけである。どれがいらないことなのか分からなかったので全て言葉を詰め込んだらもっともっと増えていって言葉がどこまでも膨らんで空に浮かんでどこかに飛んでいきそうになったりもする。私の冗長性は書き言葉に留まらず、話しているときも自分でも何を言っているのかわからなくなる時があって、そうなるともうどこに行っても袋小路みたいになるから、いつからか全然話題とは違う話をしていたりする。就職活動を前に訪れたキャリア支援室で講師の女に「結論から話しましょう」「要点はなんですか」などと言葉を重ねられる中で私は自身の中に芽生えたあらゆる物事に優劣があるという事実に直面するわけであるが、私にすればどれもこれもが要点であり難しい。講師の明晰な予言通りに私は面接などに苦心することになるのだが、それによって穿たれた石像は感度の悪いカメラで撮られた写真のように私の背中に張り付いて取れないのである。

 そういった心の内幕をここに記すのは、カラオケルームで対面した田中くんに私が施した思い出話が、やはりそれまでと同じように迷子になりながら目的地のないドリフトをかましている最中に思い出していたからであり、その話がどういうものであったのかを書き現わすには、我々の横で疲れ果てて寝息を立てる清美ちゃんの秘密から記述させてほしい。

 中央線の車内で私は先に触れた後悔の念に苛まれながらカーブに揺られていた。私の最寄りは決して吉祥寺ではなく、吉祥寺から徒歩一時間ほどかかる西武新宿線の東伏見駅であるから、中央線に乗っても家にはたどり着けないわけだが、しかし東伏見などと言っても通じないだろうから吉祥寺のあたりと答えたことが仇となる。これでは見栄張りのために最寄り駅詐称をしたようではないか。この軽犯罪が露呈したとき、今後しばらくは職場を同じにするであろう同伴者たちはどのように思うだろう。幸いにもいまだに吉祥寺のどのあたりに住んでいるのかそのような話題に突入することはなく、私と田中くんは当たり障りのない話、例の社長事件について話していたのだが、清美ちゃんはじっと車窓の外、夜の街を見つめて会話に入ってくる気配はない。それはそれでいいと思っていたが、電車が中野駅を発車したあたりでにわかに清美ちゃんが肩をゆらし、だんだんとそれは押さえられなくなる。

「どうしたの?」

 清美ちゃんは振り返ることをせず、肩を揺らしながら「泣いてるの」と言った。その言葉は電車の走行音にかき消されることなく田中くんと私の耳に届いて、ふたりの戸惑いを引き起こすには十分だった。

 吉祥寺駅に降り立った私たちは、泣きじゃくる清美ちゃんをホームの椅子に座らせる。「どうしたの、気持ち悪いの?」「うんん」「お茶、買ってきたから飲みなよ」「ありがとう」ようやく泣き止んだ清美ちゃんが口を開く。

「おじいちゃんなの」

「え?」田中くんか私かあるいはどちらもが聞き返す。

「社長、逮捕された、あれ、私のおじいちゃんなの」

 袖を濡らした乙女の口から語られた意外な言葉を紐解いていくと、この度お縄になった例の社長と清美ちゃんは親族関係にあり、それも孫娘と祖父という二親等の近しさであるとのこと。経営者との血縁は、これまでの彼女の人生になにがしかの有利をもたらしていたはずだが、あの時を境にそれは著名な前科者の足枷に姿を変えて彼女の精神を蝕んでいった。彼女が耐えきれなかったのは、その悲しみがひどく分裂したものとして彼女にのしかかるからである。

 祖父のしでかしたことは犯罪であり許されることではない。しかし、それでも、と清美ちゃんは思う。

 週刊誌などによれば、祖父は周囲から変人とか奇人とかそういった評判を受けていたという。実際に親族の中でも変わり種の祖父についてあれこれという人間も少なくなく、たいていそれは、金を持っておかしくなってしまったとか、昔から変わっていたとか、祖父の人間性の欠如をあげつらう言説ではあったが、それはどれも間違っていることを断言できる。祖父のやさしさ、祖父の柔らかさに触れてきた人間が言うのだから間違いない。幼いころから祖父は優しかった。高校まで名古屋に住んでいた清美ちゃんがたまに訪れると祖父は本当にうれしそうな表情をして迎えてくれた。それに、そういった一般的な、ごく平均的な幸せを掴んだ家庭が含有しうるありきたりな思い出ばかりでなく、清美ちゃんには祖父についての強烈な記憶がある。

 そのとき病院の一室で、まだ幼子であった清美ちゃんは祖父の腕の中から曾祖父を、ベッドの上で横たわる祖父の父を見下ろしていた。外房の海を望む病室は清潔に保たれており、終末医療に突入した患者たちの最期を清潔に見届けることに適していた。何も話すことのできない曾祖父を見ながら、祖父が語りだすのは曾祖父との思い出。曾祖父は厳格な親を演じていたから、記憶にあるのは怖い思い出ばかりなのだが、しかしある時一緒に海へと出かけたことがあった。海は、今この部屋から見えるのと同じように美しかった。そこで見た世界のすべてが美しいことになっていたので親父は涙を流して、生きることと死ぬことの間にはへんてこな壁があるんだと言って泣いた。その言葉の真意はいまだに分からないが、親父が復員兵であったことに起因するのかもしれないと今の自分は思うわけである。その親父が、いまこんな姿になって、自分のくその始末もできない有様になって、生き恥をさらしている。別に恥ではない。恥ではないが、かつての親父はきっと恥だと思ったはずという確信が俺にはある。それに、不安で不安でたまらない。それはだから親父が老いていくことだけでなくて、自分が老いていくことに耐えられないだけなんだ。俺は親父の老いを、痴呆を利用して、自分の悲しみを隠そうとしているにすぎない。そのことを悲しんでいるのだと言って、彼は、つまり社長は泣いた。社長の、いや、祖父の涙を、当時まだ幼稚園にも上がる前だった私が、つまり清美ちゃんが覚えているわけがないのだが、しかしその記憶はしっかりと自分の中にあって、不思議でならない。そうやって子どもには通じないと思って宣った言葉をこうして今でも覚えているし、だから祖父の心の一番弱い部分を私は知っていて、それは親族だからということではない意味での、心の奥地に触れた人間に芽生える情というものであって、だからといって祖父の犯した過ちが消え去ることはないことなんて分かっていて、それゆえに悲しみが、悔しさが、やるせなさが立て込んで、どうしようもなくなった感情が涙となって内奥からあふれ出るのを止められない。

 カラオケに移動した私たちが清美ちゃんから聞いた話はおおむねこんなところであって、しかし後から思い返すと、こんなにこまかい話を限られた時間でしてくれたのか、なんだかおかしい気がしてくるのもまた確かである。お決まりの細部の想像補完が言葉の隙間を埋めて、私の中で、つまり立花祥子としての私の中で組み立てられているのかもしれないし、実は全部清美ちゃんの言葉かもしれないし、もしかしたら田中くんの記憶や何かも混じっているかもしれないが、いったいどうだろう。

人と記憶が入り混じるのは珍しいことではない。

 小学校五年生ぐらいだったろうか、父が軽い脳卒中で倒れたとき、搬送されていく父とそれを不安そうに見守る母の姿、彼らを飲み込んだ救急車がサイレンの音とともに家から離れていくその様を、マンションの窓から私は一人で見下ろしていた。その時まだ小学校に上がったばかりだった弟は、窓に届かない程度の背丈だったから、眼下の景色など覚えているはずがないのだが、後に語ることによれば弟はしっかりと一部始終についての記憶があって、そのありえなさを私が指摘しても「でも覚えてるんだ」と引く姿勢を見せなかった。その事象を説明するのであれば、私の見た景色が弟の記憶と入り混じってしまったということも考えられる。濁り水となった二人の記憶は、だから今も私の心の中でしっかりと元の成分を残していると言える。逆に私の意識の大河川に弟のそれが流れ込むことだって確かにあって、あれは脳卒中に倒れた父の身体が再び趣味の三点倒立を実行できるほどまでに回復した夏の日のこと。その日は父は会社、母はパートに出かけていたから、放課後の時間を弟と私だけで過ごすことになっていた。六限の授業を終えた私が学校から戻ると、先に帰っていた弟が廊下でうなだれていて、その視線を追うとそこにはぐったりとしたミーちゃんの姿があった。その日はとても暑かったから、ぐったりとして動かなくなったハムスターのミーちゃんを心配した弟が鍋に水を張ってそこでミーちゃんに水浴びをさせていたが、すこし目を離すとミーちゃんは水の底に沈んでいたという。私が帰ったときにはすでにこと切れていたミーちゃんの苦しむ姿を私は目にしていないはずだが、しかしいまだに、鍋から救い上げた時のミーちゃんのぐったりとした感じとか、それらが思い浮かぶのはきっと弟の記憶だろう。盗人猛々しい私の思い出の拡張具合を伝えたところで、弟は閉口するかあきれるかそれだけだろうが、実は弟もまた私の記憶を持っている気がして、そうであれば変な感じだが今となってはそれも分からない。消えてしまった言葉がどこに眠っているのか、墓荒らしのようにあたりを探し回っても見つからないものは見つからないのであって、それはかすかな緊張を含んだ虹となって思い出をかすかに染めるばかりである。

 言葉の途切れ目で私が目にするのは、清美ちゃんの寝顔と、ドリンクバーに出かけようとする田中くんの姿。「何か飲む?」という田中くんの問いかけに「麦茶」と答えてしまったが、果たしてそんなものがドリンクバーにあっただろうか。田中くんもまた、そんなものはないかもしれないという表情を作っていた気がするが、それは考えすぎで、ドアを開けてからドリンクバーコーナーに到着するまでの田中くんの頭にあったのは、「なんだか変な日だなあ」という今日一日に対する所感である。夢のように過ぎていったという比喩はあまりに肯定的に栄えすぎるのであるが、しかし感覚としてはそんなところで、ふわふわとした感じがずっと続いている。これが社会人への第一歩を踏み出した人間特有の緊張なのかどうかは分からないが、しかし出会った初日からあそこまで込み入った家族の話を聞くことになるというのは世間的にみてあまりないことだろう。それは、清美ちゃんだけでなく、立花さんのよくわからない弟との話もそうである。

 ドリンクバーにはおばあさんが一人いた。すでに時刻は十二時を回っているが、こんな時間に腰の曲がった白髪の淑女が安物のコップにスプライトを注いでいる様子がなんだか不思議に思えてならない。サーバーから吐き出されるスプライトのしずくが跳ねて手を濡らしたのか、老婆はポケットからハンカチを取り出して手を拭き、振り向きざまに、予想になかった後続の客に驚いてびくりと身体を震わせる。

「わー、びっくりした」

 老婆は気まずそうなはにかみをお供にお辞儀すると、ゆったりとした足取りで横をすり抜けていった。すれ違いざま、柔軟剤だかシャンプーだか、芳香がふんわりと舞い上がったのを田中くんの鼻孔は逃さなかった。ご淑女からそのような色香がふりまかれるとは予想だにしなかった田中くんは、思わず振り返るが、いままさにすり抜けていったはずの彼女の姿はどこにもない。きつねにつままれたような気分に溺れながら、田中くんはこれまでの生涯で自らの鼻先をかすめてきた乙女たちの残り香を思い出してしまう。まあ乙女たちといっても数は多くないわけで、浮名を流すことなく真面目に過ごしてきた田中くんにとって、だから、女性と、しかもふたりもの女性と、出会ったその日に夜を共にするなんて、ちょっと異常だった。いや、夜を共にするなんて言ってしまうと変な意味になってしまうかもしれないから訂正するが、でもじゃあなんて表現すればいいのか。

 気を取り直してドリンクバーのサーバーと対面して、ふたつ持ったグラスの片方、立花さんの方をセットするが、ご所望の麦茶なんてないので代わりにウーロン茶を入れた。続いて自分のグラスをセット、コーラを少し入れたあと、オレンジジュースとファンタも入れる。まじりあった液体は土留色のくすんだ輝きで揺らめいていて、褒められた見た目をしているとは言い難い。幼いころからドリンクバーでの調合作業が好きで、はしたないからやめなさいと両親から何度も注意されたが辞めることは出来なかった。優等生としての人生を歩んできた田中くんにとって、ほぼ唯一の逸脱がその部分だった。コーラもメロンソーダもファンタもどれもそれ単体では綺麗な色をしているのに、混ぜ合わせると汚い色になってしまうのが不思議で、同じようにたくさんの絵具を混ぜて汚い色を作り上げるのも好きだった。美しいものを求めて頑張れば頑張るほど汚いものに近づいていくことに、幼き田中くんは理不尽な世界の端緒を感じ取っていて、その時の年齢に不相応な達観に我ながら苦笑を禁じ得ないが、実のところそんなことを当時の自分が本当に思っていた確証なんてどこにもないことにも気づいていて、そうなると本当の自分とはいったい?

 さて、ここまでの、散かり切った田中くんの行動及び内面の描写は、私お得意の剽窃行為の一種であり、部屋を出た後の田中くんが誰に出会ったか、何を思ったのか、本当はそんなこと何一つとして分からない。しかし、そんなことは全てなかったとも言い切れぬわけだから、あったかもしれないことを代表して私の思弁をここに置いておきたいのだが、そのような詭弁で乗り切ろうとする算段はいささか楽観的すぎるだろうか。それでも、次に始まる描写だけはある程度の確実性を持って主張することができる。私自身が目撃した景色だから。

 ドリンクバーから持ち帰ったふたつのグラスを左手に持ち替えて107号室のドアを押し開けた田中くんは、一瞬、部屋を間違えたかと勘違いする。そこには、知らない中年男性の後姿があり、しかし、その横には中腰で男を見上げる立花さんの姿があるから、やはりここは107号室で、そして中年男は今まさにソファに横臥する清美ちゃんに手を駆けようとするところだった。とっさに動いた身体が、中年男につかみかかる。振り返った男の表情に浮かんだ即席の恐怖。親愛なる同期から男の身体を引き離そうとする田中くんの闘争。「なんだ、やめろ」と男の抵抗。二人の苦闘。そして、「お父さん!」という言葉と、今まさに起き上がった清美ちゃんの寝ぼけ眼。

「お父さん?」掴んだ手を離した田中くんは、お父さんと思われる男に対して、「お父さんですか?」と尋ねる。お父さんは「はい」と答えて、ポケットから取り出したマイナンバーカードを取り出して「山田清美の父です」と言った(なぜ彼が裸のマイナンバーカードをポケットに入れていたのかはいまだに不明である)。田中くんは困ったような笑顔でぶつぶつと唇を震わせて何か言葉を、恐らく謝罪の言葉を紡ごうとするが、言葉は言葉にならないまま消えていく。彼の手は震えていた。

 愛娘の要請で自家用車にて迎えに来た親父さんは、荷物をまとめる清美ちゃんを待つ間、一言も口にすることなくカラオケのモニターで流れる女性アイドルグループのインタビューを眺めていたが、いざ辞去の折になれば、「娘がご面倒をおかけしました」と深々と頭を下げた。部屋を出ていった清美ちゃんは、ガラス越しに私たちに手を振って、素敵な笑顔を見せてその場から去っていった。彼らがカラオケ料金を置いていかなかったことについて、田中くんも私も気づいていたが、私たちはその金銭的事情に目をつむることにして、自分たちの帰り支度に努めるのである。

 時刻は二十四時四十三分、終バスはとっくに終わってしまった。タクシーを使うお金もないから歩いて帰ろう。十月に入って夏の迸りは既に遥か彼方であるが、まだ寒さで凍える夜ではない。夜の匂いをいっぱいに吸い込んでいるところに、会計を済ませた田中くんがやってきて、「送るよ、家まで」と言った。「このへんでしょ?」

 送ってくれるのはうれしいが私の家はここから遥か彼方の東伏見にあって歩いたら一時間以上かかるし、それに住所詐称の前科が露呈するのでどうしようかと考えをめぐらす。ここらで白状してしまうのも手だとは思ったが、しかし根っからの嘘つきである私は「大丈夫、ひとりで帰れる」と宣言、赤信号に変わる直前に走り出して、対岸に取り残された田中くんに大きく手を振る。「じゃあ、またねー」田中くんは困った表情で控えめに手を振って、私が見えなくなるまで見送ってくれた。

 金曜の街はまだまだ眠りを知らないそぶりで、夜を歩く人々の夢と青春を運びながら大洋を静かに進む大船の様相。風は多少冷たいが涼しいと感じられなくもない。見上げると遠くに三日月が見えた。全てが綺麗に思えたが、思い出したように痛み始めた奥歯をさすりながら歩むことしかできない。しばらく歩けば吉祥寺の街は閑静な住宅街に変わるが、いつまで歩いても同じ景色である。パンプスの靴擦れがかかとを穿つ。こんなことならケチらずタクシーを使うべきだった。集合住宅が立ち並ぶ通りまでやってきたところで、携帯が震えた。歩きスマホを決め込む私の画面には、さっそく構築された同期ラインなるグループに居酒屋での集合写真がアップされていたが、私の顔は見切れていた。清美ちゃんは眠そうな顔をしていた。田中くんの眼鏡は曲がっていた。

 やがて迷い込んだ公園はあたりを集合住宅で囲まれていて、街の静けさ以上に森閑とした環境にあわせて歯の痛みがより音量を上げている。脚も痛い。家までそう遠くはないが、ベンチに座って休憩を取ることにした。この辺りは子どものころ何度か遊びに来たことがあったなと思っていると、遠くからちらちらとライトの明かりが漂って、人魂かと思えばそれは自転車の前照灯。公園の前までやってきた巡回の警察官は、私の姿を認めると、「こんばんは」と優しく語りかける。

「どうされたんですか?」

「えっと」言葉につまると私の言葉は大きく揺らぐ傾向にある。「休憩です、歯が痛いので」

「歯が痛い?虫歯?」

「あ、まあ、そんなところです」私はこれ見よがしに頬をさする。

 若い警察官はそうですかと言って、懐から取り出した煙草を口にくわえた。警官が制服でタバコを吸うはずがないので、もしかしたら暗がりのなかで見間違えをしていたかもしれないが、しかし何かを口に加えたのは確かである。というか、私有地を警官が巡回するものだろうか。

「ここは、むかし野球場だったんです」警官が言った。

「え?」

「ここは、むかし、野球場、だった、んです」一文節ごとに切り分けて発音する警官であるが、私が分からなかったのは言葉自体ではなく言葉が指し示す意味の方である。「あそこに石碑があるでしょう」警官は手にした懐中電灯で指し示す。「大昔に、といっても戦後ですけど。プロ野球の試合だってやってたんですから」

「そうですか」

「そうですかって、感動しませんか? かつて何万人もの観客を集めた試合が行われていた場所に、いまではこんなにたくさんの建物と人が住んでるんです。そして、そこにあなたは今宵迷い込んだ」

「迷い込んだんですか、私」

「まあ、とにかく、あの碑文を見てください」

 警官が指し示した方向に歩き出した私が腰をかがめて目にした碑文には確かに「東京スタジアムグリーンパーク球場跡」と書かれており、そしてその色を目にしたとき、忘れていた情景が思い浮かぶ。

 私はこの場所を、弟と訪れたことがある。

 短い生涯を終えたミーちゃんの亡骸を埋葬しようと言い出した弟は、冷凍庫からガリガリ君を取り出して、一瞬でそれを口に食べ終えると、残った木棒にマジックで「みりんの墓」と書きつけて私に見せた。ミーちゃんの本名はみりんだった。私は弟を連れて適切な埋葬地を求めて近所を歩いた。近所に空き地はたくさんあったが、ここじゃだめ、もっといいところがいいと弟が言うからなかなか決まらない。後にも先にも、弟がそこまでのこだわりを見せたのはあの時だけだった。ようやくたどり着いたお眼鏡にかなった公園で、つまりそれが今現在の私がいる公園なのだが、私がスコップで穴を掘っていると、弟がここもだめだと言って石碑を指さした。そこには、いまと同じように、ここがかつて野球場であったことが記されていた。

「昔、野球場だったんだって」

「そうなんだ」

「うん」

「じゃあ、やめておこうか」

「そうだね」

 その時に姉弟の間に確かにかわされた合意の経緯は、すっかり狭窄になってしまった思い出の覗き穴からではよく見通すことができない。野球場だったことがなぜ埋葬地に適さないのか、その理由はいったいもって不明であるが、しかしあの時の弟も私もその論理に深く納得していた。それを子どもならではの粗雑な無秩序と評するのは構わないが、しかしあれは子どもだったからこそ感じることのできた景色と見ることもできる。

 キッチンで沈没したみりんの亡骸がその後どうなったのかは覚えていない。母に聞いたら分かるだろうか。案外こういうのは父の方が覚えていたりする。弟の涙をこらえた顔が、もう見ることのできないその顔が、私の頭から離れないでいることと、今ここにいる私の頬を涙の一滴がすり抜けていったことに、なにか関連があるのだろうか?

「大丈夫ですか?」警官が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「あ、はい、歯が痛いだけです」

「そうですか」警官はなぜか溜息をつく。「歯は早く治した方がいいですよ、僕なんか、奥歯全部銀歯になっちゃいましたから」そう言った警官は口を大きく開いて奥の方を指さしたが、口内の暗がりに何かを確認することはできなかった。

「それより帰り、気を付けてくださいね。最近このあたり、ニセ警官が出没するそうです」

「え」私が睨んでいると、警官は「ぼくは違いますよ」と言って席を立った。

「では」警官は自転車を出して、やがて見えなくなった。と思ったら、すぐに戻ってきて「道間違えたんです」と声が聞こえて、それきり見えなくなった。

 立ち消えた人の気配の中で、私はただ上を向いてこぼれてくる涙の音を聞いた。先ほどまで見えていた月はどこにも見えないが、集合住宅の後ろに隠れたのだろうか。やがて来る冬の匂いを先取りしながら、私は、どこまでも移ろうことのない心の奥底にもぐりこむのをやめて、立ち上がる。

 夜のしじまから熱狂が聞こえる。かつてこの地で野球選手たちを応援していたたくさんの人々のざわめき。熱狂の渦中で紡がれるたしかな言葉たちが立ち現れる。その外野席でなぜか弟がメガホンを片手に選手を応援していて、私はそれを、遠くから見ている。

 東の空がかすかに白んでいた。再び始まる日常の隙間にさしあたり言葉はない。痛む歯を引きずりながら、私は家路を急いだ。帰ったら歯医者の予約を入れよう。

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みりん、キッチンにて沈没 百目鬼 祐壱 @byebyebabyface

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