さくらの獲物
染谷市太郎
さくらの獲物
「さくら」
名前を呼ぶと、にゃあ、と彼女は鈴を鳴らす。
機嫌のよさそうに尻尾を揺らし、体をこすりつける。ごろごろと喉を鳴らして愉快さを主張した。
私はまったく愉快ではないが。
「これは、やめなさいと言ったでしょう」
手袋をしてそれを掴む。ぐにゃりと肉の感触がなまなましい。
ネズミだ。ドブネズミ。そこそこの大きさがある。玄関の前に横たえられたそれを、放置することもできないので黒いごみ袋に入れて処理する。
私の困り顔をみて、彼女は、にゃあ、と誇らしげに鳴いた。
さくらは我が家のネズミ捕り要員。
彼女の働きぶりは素晴らしい。しかし働いてくれるのはいいが、いつも玄関の前に堂々と私に成果を見せて来る。
捕ったものは食べるなり埋めるなりしてほしいものだ。成果など見せなくとも、ネズミが減ったことは分かるのだから。
さくらが捕獲する獲物はネズミだけではない。ヘビ、セミ、スズメやハト。一番大きなものは、キジだった。キジはさすがに大きかったのか、一部だけが玄関に置かれていた。
にゃあ、とさくらは鳴く。
鎌を滑らせて、畑の草を取り除く。さくらは器用に鎌を避けながら邪魔をしてくる。
定期的に撫でるなり、遊んでやるなりしては作業に戻った。かまってやらないとちょっかいの出し方がエスカレートし、背中の上にまで乗ってくるからだ。
タイヤが地面を踏む音がする。
「精が出るなー」
威勢のいい声が響く。顔を上げれば蛍光緑の軽トラックから、日によく焼けた男性の顔が覗く。
近所の増田さんだ。
「お疲れ様です」
軽く会釈をする。私は、増田さんをあまり得意ではない。
「おう、うまくやれてるみたいでよかったよ。最初は逃げ出すと思ってたからよ」
そろそろ60代になるというのにあふれるエネルギーや、あけすけな性格や、上からものをいう様子が、私には合わないのだ。
逃げ出す、とは私の職業のことだ。
私は今、実家を継ぐことで農家として日銭を稼いでいる。増田さんは大きな農園を経営しているため、駆け出しのころは頼っていた時期もあった。私の家庭菜園の延長のような農業に、しょっちゅう首を突っ込んでくる程度にはおせっかいだ。
さくらが私の足元で、したんしたんと尻尾を揺らす。少しだけ毛が膨らんでいた。
さくらもあまり好みではないようだ。大きな声が嫌なのだろう。私もよくわかる。
近所の噂では、離婚して奥さんに逃げられた、と言われている。そういう人だ。
「じゃ、頑張れよ!」
「はい」
うわべだけのいい返事だけをして、私は作業に戻った。さくらは私の邪魔を再開する。
早朝、あるいは深夜の道路を走らせる。後部座席でさくらが丸まっていた。乗せたわけではない。勝手に乗り込むのだ。
目的地は自宅。
少し離れた畑で収穫を終えた帰りだ。農家は存外、昼夜逆転の生活を送っている。作物の鮮度や、市場の関係から収穫が早朝か夜中に行わなければならないからだ。
路上には私以外の車は見かけられない。しかし律儀に制限速度は守る。
おや、と視線を歩道に移す。
女性の影があった。荷物を抱えたその姿に見覚えがある。増田さんのお嫁さんだった。
お嫁さん、といっても旦那は60代の増田さんではない。その息子さんだ。確か私と同じくらいの年齢のはずだ。
息子さんも就農をしている縁で、奥さんとは面識がある。おとなしそうな人だった。見方を変えれば、疲れているようにも見える人だ。
このような時間にどうしたのだろうか。私と同じ用件で外出しているようには見えない。そろそろ肌寒くなるため、厚着をし、大きなカバンを二つ下げている。異様に前が膨らんでいるように見えたのは、赤ん坊を抱いているからだ。奥さんには6カ月になる子供がいたはずだ。
「ン~」
さくらが助手席にやってきた。揺れる車内で器用な子だ。伸びをしてはバリバリと爪とぎを始める。座席のシートには対策済みのため文句は言わない。シートがぼろになったとしても、対策しないこちらがわるいのだから。
車は自宅に着いた。空は白み始めている。
エンジンを切る。さくらはまだ温かい車内に残るようだ。後ろのドアを少し開けて、作業に入ろうとする。
ピリリリ、と携帯が鳴った。
「もしもし」
『あ、早くに悪いんだけどさ』
増田さんだった。急ぎのようなのか、酒焼けの声で名乗ることなくまくしたてる。
『嫁さんがさ、その、ちょっと見当たんないんだよ』
「それは、心配ですね」
声だけは心底心配しながら、適当な場所に腰を下ろす。
『ここだけの話なんだけどさ、ちょっと精神的に不安定で……』
「大変ですね」
『探すの、手伝ってもらえないかな』
「はい、私でよければ」
さくらが膝に乗ってきたため、要求に従い撫で始めた。
『本当に悪いね、じゃ、頼んだよ』
プツ、と通話は切れる。
「頼まれてしまったよ、さくら」
さくらはごろごろと喉を鳴らすばかりだ。
私は彼女を抱えながら、作業に戻った。
お嫁さんに、探されているよという連絡だけ送って。
一か月と少し経った頃。
近所で赤いランプが回っている。救急車と、警察車両のランプだ。
珍しい風景に野次馬が集まている。
私は遠目でそれを見ていた。足元でさくらが毛皮を擦りつける。
野次馬の一人になるつもりはさらさらなかった。
救急車両の目的地が増田さんの家でなければ。
「何か、あったんですか?」
近所の噂好きの奥様をつかまえた。私の問いに、待っていましたとばかりにこたえる。
「亡くなったのよ、増田さんが」
なるほど。だからパトカーもいるのか、と一人納得する。
「お嫁さん、逃げちゃったでしょ?息子さんもお嫁さん追いかけて行っちゃって、だから誰も気づけなかったのよ」
確かに、彼はもう1ヶ月ほど見かけていない。1ヶ月前、ちょうど増田家の嫁が出て行ったときだ。
「見つかった時、最初はだれなのかわからなかったみたいよ」
誰か、どころか発見者はなんなのかもわからなかっただろう。腐敗した遺体など、遺体と認識するのも難しくなる。
「こうはなりたくないわね」
奥様はしみじみとうなずいた。私は肩に乗ってきたさくらを撫で、適当に相槌を打った。
携帯から着信音が鳴る。トークアプリの通知だった。
送り主は増田家のお嫁さんだ。もう、お嫁さんではないが。
どうやら、あちらにも増田さんの訃報が届いたようだ。
しかし現在離婚協議中の彼女は、そろそろ他人になるころだろうからあまり関係はないだろう。
適当に、応援するコメントを送り、画面を閉じた。
さて、増田さんとは仲が良くなかったとはいえ、葬儀のために喪服を準備しなければならない。
喪主になるであろう増田さんの息子さんに手を貸して、恩を売ってもいいだろう。
少々慌ただしくなるな、と家に戻った。
ふ、と視線を落とす。
玄関に、何か置いてある。
茶色く平べったい何か。べたりと地面に置かれたそれに、私はため息を吐いた。
「ああ、まったく」
肉が少ないからか、その部位は形がうまく残っていた。
誰だって、見たことあるだろう。
人間の、耳だ。
私はもう一度ため息を吐く。
ちょうど近くに警察はいるが、回収してもらうための手間が面倒だ。
仕方がない。手袋をして、掴んだ。
ぐにゃりとした感触が伝わる。周辺の皮膚もくっついていた。浅黒い色の肌色は見覚えがある。
見覚えはあるが、持ち主に興味はない。それを黒いゴミ袋に入れた。
犯人にため息を吐く。
まったく、あの子は。
「さくら」
にゃあ、と彼女は誇らしげに鈴を鳴らす。
「これは、やめなさいと言ったでしょう」
さくらの獲物 染谷市太郎 @someyaititarou
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