キミとは友達になれない。

いかろす

第1話 拒絶から始まったのか、或いはその逆だったのか。

「君とは友達になれない」


 ある秋の日。友達だと思っていた彼に言われた言葉だった。その時まだ幼かった僕にとっては、これ以上の苦しみと悲しみを、しかも瞬く間に受けるものはなかった。

 でも、仕方ないと思った。彼のその言葉は、きっといくつもの苦悩のなかで僕と向き合い続けて、その上で出てしまった結論なのだと分かっていたから。


 僕は叫んだ。けど心は叫んではいなかった。

 咽び泣き、泣き叫ぶことの愚かさを。僕がそれをすることは真に愚か者のすることであると、心のどこかで分かっていたからだろうか。


 小四の秋、ついには学校に通えなくなった。でもきっとあの言葉のせいじゃない。あれが最後だっただけだ。あれが最後になってくれた。


 これ以上の歪みを生み出さないように、きっと最後の言葉になってくれたんだ。



 ◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇



 ――あれからいくつか時が過ぎた。


 たいして問題数もない、難しくもない、ただある程度の作業をこなせるという証明をするためだけのレポート。

 もう最後のページ。最後の問題。最後の文字。


 明日、学校に行くだけで、これを提出するだけで、確認が終わるだけで、今年はもう何もすることはない。

 まだ秋になったばかりだ。それでももう、この学校で出される課題は全て終わらせてしまった。出席日数も足りてしまった。


 満足感などない。ただ達成したという感覚だけがあった。達成感はなかった。

 来年も、また春から秋まで同じことをするだけ。それでもう卒業だ。通信制高校なんてどこもこんなものなのだろうか。未来に期待もない、夢もない。


「……それは本心か?」


 どこからか問いが聞こえた。答えたくはなかったから、僕は無視することにした。



 ――翌日。


 僕はレポートを提出しに学校に来ていた。チェックを貰うだけで終わりだ。今年はもうずっと家にいるだけでいい。


「はい、問題ないね。次ー」


 数秒前にレポートを出したばかりだが、先生も手際が良くて、待っている退屈もない。

 この時期はやはり生徒によるレポートの一斉提出が起きるが、そこまで生徒数がいる訳でもない、数人の列で留まる。


 特に急ぐこともない。いつも通りに下駄箱で靴を履いて、いつも通りに帰り道を歩く。

 夕暮れ時と言うには少し早すぎる帰路、味気もないが苦難もない。満員電車に揺られることもなければ、友人とわちゃわちゃしながら歩いてうるさそうに見られることもない。

 それでいい。味気もないけどこれといって苦難もない。これでいい。


「未来に期待もないぞ」


 いいやそれでいい。未来に苦難もない。これ以上の破滅もない。


「お前は未来を欲しているはずだ、苦難や破滅があったとしても」


 聞かなくていい。聞く必要はない。これ以上の何かは、僕はいい。僕はいらない。



 ――蛇がいた。


 僕の目はそれを見つめてしまった。


 ――蛇がいたんだ。


 帰り道。なんの変哲もない、特に綺麗なわけでもない、汚すぎることもない道。

 そして。

 進む道。なんの興味も沸かない、これといって危険もない、かと言って安全とは決して言えない道。


 ただそこに一匹、ただ佇んでいた。

 黒く染め上げられたような、或いは最初からその美しい黒だったかもしれない、そういう鱗を纏っていた。

 目は澄んでいた。純真な色をしていた。翡翠のような緑色をしていた。


 怖かった。


 僕は目を逸らした。怖かった。


 でもまた、すぐに見つめてしまった。怖かった。


 またあの美しい景色が見れてしまうと思った。怖かった。



 ――蛇が左の方を向いた。


 僕は蛇に問うた。

「そっちには何がある」


 蛇は答えてはくれなかった。



 どこからか問いが聞こえた。

「お前は何があると思うんだ」


 僕は答えた。

「何があるかは分からないけど、何かはあるよ」


 ――角にあるカーブミラーに映った、誰かがそこを曲がっていくのが見えた。


 それを見ながら僕は、まっすぐ進めばいいのになと思った。馬鹿だと思った。

 その先は行き止まり、ただの袋小路だ。なんでそこを通ろうとしたんだろうなと思った。阿呆だと思った。

 その先には死体があるだけなのに、その上に誰かがのしかかっているだけなのに。なんでそこを曲がろうとしたんだろうと思った。愚かな奴だと思った。

 まっすぐ進んでおけば、行き止まりに入ってしまうこともなく、誰かの亡骸を見ることもなく、それを弄ぶ野郎の姿をみることもなく、そいつに睨まれることもなく、恐怖に打ちひしがれることもなく、それでも足を必死に動かして逃げることもなく、もうどこかも分からないような道をひたすらに走り続けることもなく、またカーブミラーを見ることもなく、そこに映った人ではないものの姿を見ることもなく、そいつに追いかけられることの地獄のような恐ろしさを知ることもなかった。

 咽び泣きながら、泣き叫びながら、悲鳴かどうかも分からなくなってしまった、人の声かも認識できないような音を発する事もなかった。


 こんなに心臓が鼓動することもなかった。血を吐くこともなかった。

 こんなに地面の冷たさを感じることもなかった。体の一部が吹き飛ぶこともなかった。

 こんなに心が動くこともなかった。涙と言っていかもわからない赤く染った液体が目から零れることもなかった。

 その赤い温もりを感じられることもなかった。


 暖かかった。誰かが頬に触れてくれているような温もりを感じた。

 お腹が熱かった。寒い寒い冬に、コタツに入っている時のような幸福感があった。

 目の前で誰かが、僕の方を向いて笑ってた。僕は彼の笑顔を見て、嬉しくなった。


 彼にも温もりをあげたいと思った。

 僕は立ち上がって、彼を追いかけた。

 彼はやめてよと言いながら嬉しそうにしていた。


 楽しかった、彼との追いかけっこ。

 街をぬけて、林道をぬけて、海沿いの道。

 夕暮れの中、太陽が輝かしく照らしてくれていた。


 彼が足を止めた。


「どうしたの?」


 僕が彼に聞くと、 彼は答えた。


「もう疲れたよ」


 彼は息を切らしていた。


「もう帰っちゃうの?」


 もう少し遊びたかった。


「……あぁ、もう帰るよ」


 彼は悲しそうに呟いた。


「そっか、でも楽しかった! ありがとう!」


 僕の気持ちを彼に伝えた。


「……あぁ。 ……俺も楽しかった」


 疲れきった表情で、彼もそう言ってくれた。


「でも、もう帰らなきゃ」


 楽しかった時間も、もう終わりみたいだった。

 僕は精一杯の感謝を込めて、大きく手を振った。


 その瞬間、電車が通った。一瞬目まぐるしい眩しさに襲われた。

 カンカンと鳴る黒と黄色が、僕の心の鼓動を落ち着かせた。

 電車が過ぎると同時に、楽しい時間は終わっていた。輝かしい景色は、元のグレートーンに戻っていた。


 楽しかった。

 楽しさがあった。


 嬉しさがあった。喜びがあった。


 友達もいた。景色も綺麗だった。汗もかいたし、たくさん笑いあった。


 血も吐いたし、血も吐かせた。

 傷も負ったし、傷も負わせた。


 今までの僕の日常にないものが、さっきまでの時間にはいっぱいあった。


 もちろん目の前の亡骸も。


 さっきまで一緒に追いかけっこをしていた彼だ。

 もう息をしていないのは、見なくてもわかる。

 既に元の人間の姿かたちに戻っている。


 彼の目をそっと閉じようと、手を伸ばした。

 でも僕の視界に映ったのは黒い何かだった。


 蛇のようにうねっていた。

 蛇のような鱗を纏っていた。


 それはそっと彼の目元に触れて、そっと彼の目を閉じた。


 ――ふと、誰かに言われた言葉を思い出した。


「君とは友達になれない」


 ある秋の日。友達だと思っていた彼に言われた言葉だった。

 でも、仕方ないと思った。僕は自分の姿を知っていたから。


 ――カーブミラーに映っているものを見た。


 黒く染め上げられたような、或いは最初からその美しい黒だったかもしれない、そういう鱗を纏っていた。

 目は澄んでいた。純真な色をしていた。翡翠のような緑色をしていた。


 蛇だった。


 ただそこに一匹、ただ佇んでいた。








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