はこはこ
香久山 ゆみ
はこはこ
箱の中に入った一人の女の子がいます。ハコっ子です。
ハコっ子は、ずっとずーっと箱の中に隠れています。外の世界は危険なのですから。こわい魔王がいるとかなんとか。ぶるぶる、おそろしいです。恐怖です。脅威が去るまで、じっと息をひそめて隠れていなければなりません。うかつに箱から出ると、どんなおそろしい目に遭うか分かりませんから。
けれど、いつまでこのように隠れていればいいのでしょうか。
正直、今ハコっ子はあまり元気ではありません。ハコっ子は足が痛くてしかたない。こんなに足が痛くては、いざという時にちゃんと逃げられるのか不安です。この場所はほんとうに安全なのでしょうか。きっともうすでに危険な場所なのではないかしら。どんどんどんどん不安です。
だから、ハコっ子は場所を移動することにしました。もっと安全な場所へ。箱の中に入ったままでゆっくり移動すればきっと魔王たちにも見つからないはずです。
ハコっ子はダンボール箱をえいっと突き破り、箱の底からにょきっと足を出しました。二本の足でそろそろと歩きます。
すると、あっ。
どーん!
「いたっ」
「あたっ」
歩きはじめてすぐに、誰かにぶつかってしまいました。
「ごめんにゃさい」
「いえ、こちらこそ」
お互いにぺこぺこあやまってすれちがいました。こわい人でなくてよかった。なにせ箱の中にいるもので、誰にぶつかったのかも見えないのです。
いけないいけない、見えないからぶつかってしまったのですね。
えいやっ。ハコっ子は正拳突きを二発くり出し、箱の前面に穴を二つあけました。その穴から、ハコっ子の大きな目がきょろきょろと覗きます。よし、これで前が見える。もう誰にもぶつからないぞ。
ハコっ子はふり返ってみましたが、先程ぶつかった人は、もうそこにはいませんでした。
ハコっ子も先を急ぎましょう。
……と、さて。ありゃりゃ?
ハコっ子はその場でくるりと一回転してみました。三六〇度見渡すかぎりの草っ原。わたしはどこへ行けばいいのだろう。そもそもどっちから来たのだっけ? そもそも安全な場所って、どこだ?
ハコっ子はぼうぜんと立ち尽くします。
さやさやと風が草原をゆらしますが、ハコっ子はびくともしません。
遠くのほうで雷が鳴った気がします。気がするだけです、よく聞こえません。きっと雷の方角は危険です。嵐かも。雨にぬれると箱がびちゃびちゃのぐちょぐちょになるかもしれませんし。けれど、どっちから聞こえるのだろう。
もっとよく聞こえるように、ハコっ子は箱の両側面に一つずつ穴をあけました。箱の側面からハコっ子のかわいい耳がぴょこんと出てきました。これでよく聞こえます。
じーっと耳をすませますが、雷鳴はもう遠くへいってしまったようです。
さて、どうしましょう。
まるで一本の木みたいにじーっと立つ箱の上に、どこからか飛んできた青い小鳥がふわりととまりました。
「ピーピー。ねえねえ、なにしてんの」
小鳥が甲高い声を上げます。とってもよく聞こえて、とってもうるさい。
「ピーピー。ねえねえ、聞こえてる? ねえねえ、なにしてんの」
そしてしつこい。箱に耳穴をあけるんじゃなかった。ハコっ子は早くも後悔しました。しつこい小鳥は箱の上でピーピー鳴いています。返事をするまで飛び立ちそうにありません。しぶしぶハコっ子は返事をしました。
「旅をするんだよ」
「へえーえ! すっごいねえ! そんなに小さいのに旅するなんて! ピピィ」
ハコっ子の頭の上で小鳥はばさばさと羽をふって感激しています。あまりにすごいすごいと感激するので、ハコっ子もまんざらでもありません。えへへ。まあ、そういう小鳥の方が小さいのですけども。
「ピピ。ね。ね。なんで旅すんの。どこまで行くの」
大興奮の小鳥がばっさばっさとハコっ子の頭上を飛び回ります。
「ええと。魔王から逃げるために旅するの。魔王のいない、どこか遠くの安全なところまで行くの」
ハコっ子が答えると、小鳥はふたたび箱の上にちょこんととまり小首を傾げました。
「ピピー。魔王って、こわいの?」
「そりゃあこわいにちがいないよ。だって、魔王だよ」
「あたいはぜんぜんこわくないけどな。ピピピ」
何がこわいのかわかんない。そういって小鳥はまたピーピーとおしゃべりをつづけます。ハコっ子はかあっと顔が熱くなりました。
「うるさいうるさい! じゃあ危険な目に遭ったらどうすんのよ。遭ってからじゃ遅いんだよ!」
ハコっ子が大きな声を上げると、「こわー……」とつぶやきながら小鳥はばさばさとどこかへ飛んでいきました。
なんで分かってくれないんだろう! ハコっ子だって、魔王を見たことはありません。けれど、こわいに決まっているじゃないですか。だって、魔王ですよ。
ハコっ子はぷりぷり怒りながら歩き出しました。どこへ進んでいるかわかりませんが、もうこんな場所にいたくもありません。歩きながらもまだ腹が立ちます。何に腹が立つのかもわからないけれど、だから腹が立ちます。
あーもうっ! むしゃくしゃしたハコっ子は足元に落ちていた箱を蹴飛ばしました。
「いたいっ」
すると、蹴飛ばした箱が悲鳴をあげました。
えっ? 驚いたハコっ子はその場にしゃがんでじっとその箱を見ました。もう何も聞こえません。聞き間違いだったのでしょうか。箱はぴくりとも動きません。ただのダンボール箱です。ハコっ子と同じくらいの大きさの。
……もしかして。このダンボール箱の中にも誰か入っているのでしょうか。ハコっ子みたいに。
「おーい」
ハコっ子はダンボール箱に呼びかけますが、反応はありません。箱にぴったり耳をつけてじーっと耳をすませてみますが、何も聞こえません。ハコっ子の声が小さくて聞こえないのかもしれません。
ハコっ子は、自分のかぶる箱の前面の目と目の間にもう一つ穴をあけました。そこからハコっ子の愛らしい口が出てきました。
「おーい、おーい!」
新鮮な空気をすったハコっ子の口。大きな口からは、先程よりも元気で大きな声が響きます。
けれど、何度呼んでみても返事はありません。
目の前のその箱をぐるりと見回してみると、どこにも穴があいていません。だから、中の人にはハコっ子の声が聞こえていないのかもしれません。
困ったな、どうしよう。そうだ。
やあっ。ハコっ子は箱の中で両腕をぴーんと横に伸ばしました。ぼこっぼこん。両側面の耳穴の下に、さらに穴が一つずつふえました。そこからハコっ子の長い腕が伸びます。
こんこん。
ハコっ子は伸ばした腕で、足元の箱をノックしました。
「……だあれ?」
すると、ようやく返事が聞こえました。
「こんにちは。はじめまして、ハコっ子です。あなたはどなた?」
ハコっ子があいさつすると、箱の中からぼそぼそと返事が聞こえます。小さくて聞きとりにくいですが。
「……あの、はじめましてじゃありません。さっき会いましたよ」
「えっ、そうなの? いつ?」
「……さっき……」
「ん?」
「……もうすこし向こうで……」
「え?」
「……ぶつかりましたよね……」
「ああ!」
ハコっ子が歩き出してすぐにぶつかったのは、この箱の人だったのだ。あの時はハコっ子も外が見えなかったので、誰にぶつかったのかわからなかったのです。けれど、ハコっ子のほかにも箱の中に隠れている人がいたのですね。見えないから分からなかっただけで、ハコっ子はひとりぼっちじゃなかったのです。ハコっ子はこの箱の人にたいへん共感しました。
それにしても、話しづらい。箱の人も箱をあけてくれればいいのに。
「ねえ、わたしも箱の人なの」
「……へえ!」
「だからもっとあなたとおしゃべりしたいのだけれど、箱に入っているから聞き取りにくいんだ。すこし箱をあけてくれない?」
「……でも、外はこわくない?」
ハコっ子は顔を上げました。ずっと向こうの方まで青い草原がつづいています。
「大丈夫だよ」
「……ちゃんと右も左も見てくれた?」
ハコっ子はよいしょと右を向いて左を向きました。なにせ、箱の前面に目の穴があいているだけなので、大きく体を動かさなければ前しか見えないのです。
「右も左も大丈夫」
「……うしろも?」
ハコっ子はよっこいしょと箱ごと立ち上ってぐるりと回れ右をして、それからもう一度回れ右して箱の人に向き直りました。
「前も右も左もうしろも大丈夫。どこもただの草っ原だよ」
「……上は? 上も見た?」
「……」
ええい、もうめんどうくさい!
どっこいしょ。
ハコっ子は、かぶっていた箱を脱ぎました。これで首を動かすだけで、前も右も左もうしろも、上も、足元だってかんたんに見られますから。
ハコっ子はあごを上げて、空を見上げました。
「わあ……」
いつの間にか、辺りはもうすっかり暗くなっていました。
深海のような深い藍色に沈んだ空。地平線にはまだ太陽のなごりが赤い光を放っています。地平線から天頂へ近づくにつれ、薄い青から濃紺へ見事なグラデーション。宝石を散りばめたように小さな星がキラキラと夜空いっぱいに広がっています。
ハコっ子はぽやんと口をあけたまま、すっかり満天の星空に見入ってしまいました。その時にはもう、魔王とか、こわい外の世界のことなどは、すっかり忘れていました。おそろしいものに余りある美しい世界がそこに広がっていました。
目を凝らすと遠くのほうに森の影が見えます。ほのかに甘い香りがする。まだ見ぬ果実が眠っているのかもしれません。ホウホウとやさしい声が聞こえる。まるで子守唄みたいに静かにささやく。誰の声なのだろう。そこはハコっ子がまだ見ぬ世界。
知りたいことはたくさんあります。可能性に満ちた世界。世界は思っていたほどこわくないのかもしれない。ハコっ子は思いました。
外の世界がこわくて、ハコっ子は自ら箱に入りました。傷つきたくなくて。でも、箱の中は窮屈でした。うまく息もできなくて、苦しかった。でも、箱から出て歩きはじめた今はもう、足も痛くありません。
「……あの、大丈夫? やっぱりこわいの?」
ハコっ子がしばらくだまっていたため、何かあったのかと、足元の箱の人が不安げな声を出します。
「ううん。大丈夫だよ。ぜんぜんへいき」
「……本当?」
「本当だよ。あなたも見てごらん」
「……でも、ぼくは見られませんし……」
箱の人がもじもじする。
「箱を脱げばいいんだよ」
「……でも……」
「ねえ、足いたくない?」
「え。痛いです……」
「箱を脱いで足を伸ばしてみて。痛いのなんてすぐ治っちゃうから。箱は自分で脱げるんだよ」
小さな箱の中でずっと三角座りしているのは足が痛くてしんどいのです。ハコっ子もそうでしたから。やっぱりわたしと同じだなあと、ハコっ子はくすくす笑いながらいいました。箱の人はどうしてハコっ子が笑っているのかわかりません。気になります。気になるから、そおっと、箱を脱いでみました。すると。
「わあっ」
箱の人も先程のハコっ子と同じ声を上げました。そして二人で顔を見合わせくすくす笑いました。
「ねえ、あなたはどこへ行くの」
「ぼくもどこへ行くのかわからないんだ……」
「じゃあいっしょに行こう」
ハコっ子と箱の人は手をつなぎました。道はどこへ続くかわからないからこわい。でも、いっしょだからこわくないね。だから二人で行こう。一人でも大丈夫になるまで。それで、さみしくなったらまた会おう。そんな歌が遠くに聞こえました。
二人は美しい星空の下、ゆっくりと歩きはじめます。二人ともつないだ手の反対側の手に、つぶしたダンボール箱を持っています。もしもの備えです。進む先からまた日が昇ります。どうやら二人は東へ向かっているようです。
ピチチチチ、青い小鳥が二人を見つけてやってきました。
「ピ。ねえねえ、あたい魔王を見てきたよ。ちょーイケメンだったぁ」
小鳥はピイピイ黄色い声を上げてうっとりしています。二人は顔を見合わせました。それなら、見に行ってみよう。二人は小鳥の案内で、魔王の城まで向かいます。とってもワクワクしながら。
長い道のりです。ずいぶん歩かなければなりません。けれど、仲良くおしゃべりしながら歩いていると、あっという間に感じます。時々はけんかもしましたけれど。
途中で嵐に遭いました。びしょぬれになったついでに、泥の中を転げまわって泥玉投げをして遊びました。
そうしてついに、到着です。
お城についた時に二人と一羽は魔王から雷を落とされました。泥んこの足のままでお城の中に入ったからです。門から大広間まで泥だらけの足あとをべたべたつけてしまったのです。あまりに怒るものだから、箱の人はまた箱の中に入ってしまいましたよ!
「でも、怒った顔もイケメンでしょお? ピピ」
「うーん、でもおじさんじゃん」
小鳥とハコっ子はひそひそとガールズトークをつづけていたところ、また怒られてしまいました。
「お前たち、反省しとらんな」
魔王が低い声を出します。確かに声も渋くてすてきです。
「城を汚したおわびに、賢者の石を取ってくるのだ」
魔王がぐいと身をのり出していいました。賢者の石とは、国を平和にすることができる魔法の石だそうです。「ピピッ、西の湖にあるというわ」と小鳥。「なら泥んこ遊びをしたところね」
「さあ、早く行くのだ」
大広間のモップがけを終えて、モップを玉座の脇に立てかけながら魔王がすごみます。
「あら。自分で行けばいいのに!」
出されたマフィンをもぐもぐしながらハコっ子が答えます。雑巾がけしたごほうびです。おいしい。このフルーツジュースも。何の果物を使っているのだろう。
「吾輩は王であるから、この玉座からは動けんのだ」
ハコっ子が口の中のものを飲み込むのを待って、大きくて立派な椅子に座った魔王がいいます。
「でも、その椅子ってどうしても魔王が座ってないといけないの?」
「ピピピ。そうよお。汎用性のない仕事のしかたはいけないわ。もっと人に頼らなきゃあ」
ハコっ子と小鳥がピーチクパーチクいい立てます。
「むむむ……」
魔王はうつむいて考え込みます。ハコっ子たちは小さなダンボール箱に閉じ込もっていましたが、魔王もお城という箱に閉じ込められているようです。ハコっ子は自分が箱から出た話をしました。外の世界の美しさについても。すると、しばらく頭をかかえていた魔王が顔を上げました。
「ようし、わかった。吾輩が行く。ただし、城を留守にするわけにはいかん。そこの箱の者、留守番を頼む」
小さくなっていた箱の人は、あわてていい返します。
「だ、だめだめっ。ハコっ子と魔王の二人で行かせるなんて。心配というか……」
箱の中に入っているためモゴモゴとよく聞こえませんが、どうやら箱の人も行きたいようです。小鳥は箱の人の上にとまってにやにやしています。
「うん、わかった。じゃあわたしがお留守番するよ」
ハコっ子が宣言しました。
「よし、じゃあ決まりだ。行くぞ!」
魔王が立ち上がりました。
「ピーピピ、じゃあ、あたしが道案内するわね。うふ、デートね」
小鳥はくるくる旋回しながらちゃっかり魔王の肩にとまりました。
「……ええ~……、まあ、いいか……」
箱の人もしぶしぶ魔王についていきます。
ハコっ子をお城に残して、魔王を箱の人と小鳥は旅に出ました。
大きな玉座にハコっ子はちょこんと座ります。玉座から見る景色はなんとなくいつもとちがうような気がします。そうだ、魔王が留守の間、城と国を守るように努めなければなりませんね。いつも以上にいろんなことに気をつけなければなりません。いろんなものを注意深く観察して、耳を傾けねばなりません。その場所その場所で見えるものがあるのです。
それから。時間があったらフルーツジュースの作り方を教えてもらおう。ハコっ子は思いました。みんなが帰ってきた時に、おいしいジュースでお迎えしてあげたいですからね。
窓の外を見ると、もう雨はやんでいるようです。青い空には大きな虹がかかっています。
みんなが帰ってきたら何して遊ぼうか。ハコっ子はもうワクワクして待ち切れそうにありませんよ。
はこはこ 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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