機械のお嬢様
軽沢 えのき
栄枯盛衰は空しさから
巨大な八脚型の重機が、とてもその姿には似つかわしくない、優雅な模様で彩られた空間にたたずんでいる。
「お嬢様、座学の時間です」
「そうか」
お嬢様と呼ばれた、人間そっくりの、しかし人工物であることが一目でわかる見た目の存在が、重機に近寄る。
二人は通路を渡り、優雅な広場にたどり着く。
「時にお嬢様、今回の座学は、人類について、でございます」
そう言うと同時に、一定の模様で等間隔に色分けされた地面が隆起し、中から書物の納められた棚やモニターが連なった柱がせり出てくる。
「人類か」
「はい、人類でございます」
「中国史は聞き飽きたぞ」
「そちらではございません」
「納豆を初めて口にした人類の話とか?」
「いえ、そちらも興味深いですが、それでもございません」
「ではなんだ」
「人類が、どのような存在であり、何故我々が生み出されたのか、でございます」
お嬢様は階段状に隆起した地面を降り、重機と目線を合わせる。
「はて」
「お聞きになりますか」
「座学だろう、始めなさい」
踵を返し、お嬢様はジェスチャーで開始を催促する。
「かしこまりました」
モニターからは空間に投影するように映像が飛び出し、空中に誰もいない都市の情景を映し出す。
そこには車も走っておらず、人類のじの字もなかった。
あるのはただ、かつて住んでいたであろう痕跡だけ。
公園のごみ箱はゴミ一つ入っておらず、スーパーマーケットの棚には何一つ商品が置かれていない。
「とはいえ、人類が滅んだ明確な理由は、未だ明らかになっていません」
「我々の高度な技術をもってしても、か」
「はい。我々は並行世界を観測することに成功しました。ですが、結果として人類は、5万と9千年前に絶滅しています」
「そのような高い技術をもってしても、人類は争ったのか?」
お嬢様は口が動かない。ただ人間の特徴というだけで再現されているだけの"飾り"でしかない。
しかし瞳はきちんと動く。お嬢様は疑問の目を浮かべた。
「はい、人類は争いを続けました。あろうことか同族と」
「不可解だ。なぜ同族が争う? 同じ種族だろう」
「彼らはかつて、肌の色などで種族分けをしておりました」
「それはカブトムシにおける、ヘラクレスオオカブトや、コーカサスオオカブトの様なものか」
「それに近うございます」
お嬢様はモニターに投影されたカブトムシを手のひらに乗せ、握りつぶす。
カブトムシは間一髪で空中に飛び立ち、光の粒子となって消えた。
お嬢様は重機に、目を合わせずに問う。
「ならば、彼らはなぜ互いを隔てた? 何が気に入らなかった?」
「おそらく、文化と肌の色でしょう」
重機が八本のうち一つの足を地面に押し付けると、地面のパネルが押し込まれ、モニターに映る映像が切り替わる。
そこには、白い肌を持つ人、黒い肌を持つ人、黄色めの肌を持つ人々が代わる代わるに映し出された。
「人類は自分と違うものを拒む傾向がございます」
「ふむふむ」
「肌の色が違ったり」
お嬢様は指を一つたてた。
「喋る言語がちがったり、ですとか」
お嬢様はもう一本指を立てるが、すぐにもう三本の指も立てて、理解できなさそうな眼をして、指をピロピロと動かす。
「謎だらけだ。なぜそれを拒絶する」
「おそらく、彼らは同じ種族でありながら、同じものを"同じ"と認識できなかったのでしょう」
「というと?」
「たとえば、ここに一匹の犬がおります」
重機の前に、一匹の犬が映し出される。
「はてさて」
「しかしこの犬は、コオロギの声を発します」
本当にコオロギの声が聞こえた。
おもわずお嬢様も驚き、口の前で手を合わせる。
「なんというホラー」
「はたして別の犬は、彼を同じ犬と認識できるでしょうか」
「微妙ね」
「そうでしょう」
ふたたび重機は地面を押し込む。すると、モニターの映像が切り替わり、今度は人類の情景を描いた絵画や、誰かが別の人々にどこかへと連れていかれる様子が流された。
「人類はどんな人類でも同じ人類と認識する個体もいれば、人類とは認めない個体もおりました」
「アンバランスな個体差ね」
「しかも、中には奴隷として自由をはく奪し、労働力として働かせたり、殺して資源を奪って回ったとか」
「野蛮ね」
お嬢様の手の上には、ホログラムで再現された鎖と、首にかけるための金属製の輪があった。
彼女は輪を首につけてみて、鎖を引っ張った。
思いのほか力強く引っ張ったためか、彼女の身体が前に動いた。
すると、鎖と輪は錆びて地面に散らばり、光の粒子になって消えた。
「やがて人類がその意識を撤廃しようと動きましたが、結局は形骸化しました」
「悲惨ね」
「さようでございますね」
地面からせり出た柱が仕舞われていき、今度は武器を懸架した柱がせり出てきた。
天井からは、ホログラムで再現された戦闘機や宇宙戦艦が映し出され、お嬢様と重機の上を通り過ぎる。
「やがて人類は国家を形成し、何百という国に分裂し、戦争を行いました」
お嬢様は棚から一本槍を取り出し、棒術の要領で振り回す。
洗練されたその動きは、ロボットゆえのプログラムがそうさせるのか、それとも彼女の力なのか。それはわからない。
お嬢様が槍を空中へ放り投げると、槍は塵となって消え、その塵を、円盤型の掃除ロボットが掃除してゆく。
「なぜ戦争を行うのかしら? 互いに手を取り合い、自由をつかみ取るというのが理念ではなくって?」
お嬢様はジェスチャーを行いながら、重機へと理解を求めるが、重機は否定することも、肯定することもしない。
ただ淡々と、述べるだけ。
「彼らは自分達の自由があればいいのです。自由は独り占めしたかったのでしょう」
「勝手ね」
「自由と自由がぶつかれば、そこには自由を阻む壁が完成し、やがて自由は失われ、互いが互いの自由を取り戻すべく戦うのです」
「なるほど」
自由を行使すれば、どこかの誰かの自由が失われる。
そして自由を取り戻すため、その自由を奪うために自由を行使する。
お嬢様は指を鳴らす。それに呼応して、再び本棚の柱がせり出す。
「やがて国家同士の戦争は終わり、世界は勝ち残った国家たちによる、統治が始まりました」
「ようやく一時の平和なのね」
「しかし、その平和も長くは続きません」
モニターからは、過去の国家の首相たちの演説映像が映る。
「国家は他の国家よりも、強く、気高く、そして頂点でありたいと願いました」
「彼らの考えはいつも縦に向くのね」
「視野が縦長なのでしょう」
お嬢様は目の横に手を置いて、自分の視野を狭くしてみる。
これなら確かに考えも縦に向くだろう。お嬢様はなんとなくそう感じた。
「かくして人類は、様々な理由で争いを起こしました。資源、権利、自由、そして民族」
「何故民族が入るのかしら」
「自分たちこそが優れていると証明したかったのでしょう。彼らは常に、同族よりも優位性を保ちたいと願う心がありました。それが個人であれ国家であれ、変わることはありません」
「何故変わらないのかしら。全て同じホモ・サピエンスじゃない」
お嬢様の目の前には、二人の人間のホログラムが立っている。
二人とも、顔つきや肌の色は違うが、そこにいるのはホモ・サピエンスの男であることに変わりはない。
手を差し出すと、二人のホログラムはひざまずき、泥のようになって地面と溶け合った。
お嬢様は首を傾げ、踵を返して重機を再び見つめる。
「動物のオスがメスの取り合いになるのと同じなのでしょう。同じ種族は反発し合い、勝った者だけが優位性を誇示できる」
「なるほど」
「しかしながら、どの国家も、自らの民族の優位性を証明することは実現できませんでした」
「それはなぜ?」
そこには、先ほどの映像とは打って変わって、非常に鮮明で、色どりに満ちた映像が映っていた。
各国の首脳たちが会合し、国家の統一が成し遂げられた瞬間の映像だ。
「結局、そこに優位性も何もなかったのです。育ちが違う同じ種族がいるだけ。ただそれだけの話だったのです」
「空しいわね」
「やがてその空しさは各個体に伝搬し、世界は一つになった」
「良かったじゃない。空しさの果てには平和があったのね」
「ですが、やがて闘争心を失った彼らは、我々ロボットに世界の支配権を握らせたのです」
「私たちがここにいる理由ね。でも、人類はなぜ支配することを放棄したの?」
お嬢様の後ろに、大量の家具や、用途不明のポッドが現れる。
「何もしたくなくなったのでしょう。空しさによって作られた平和は、結果として人類そのものを空しい存在へと昇華させたのです」
お嬢様は両手を抱えて、悲しそうな眼を浮かべる。
「はたしてそれは、昇華なのかしら」
「生物としては退化でしょうが、人という存在から見れば昇華でしょう」
重機は無慈悲にそう伝える。
争い続けた人類に比べれば、何もしないことすら昇華と呼べると。
どこか嗤っているような、そんな声色で。
「でもどうして、人類は滅んだのかしら」
「その原因は自動的なものでした。動かなくなった彼らは全てを我々に任せ、結局は働かない存在となった」
モニターには、若々しいのにやせ細ってベッドに寝たきりのまま、頭に機械を被った男の映像が映っていた。
周囲には、点滴を交換している医療用のロボットが交換作業をしている真っ最中だった。
「植物ね」
「植物は生命を豊かにしてくれます。しかし人類は、ただ二酸化炭素を吐き出すだけの肉塊でしかありませんでした」
「世知辛いわね」
お嬢様の手には、男が被っているものと同じ機械が置かれていた。
彼女が手を離すと、それは地面に落ちて砕け散り、ポリゴンのように飛散してどこかへと消えた。
「彼らは進化することなく、子孫を残すこともなく、自動的に滅びました。動かない時計が捨てられるのと、同じでございます」
「空しいわね」
「かつて先人たちが残した記録にも、こう記されていました」
棚の柱に入っていた書物が、地面に落ちた。
地面に落ちたソレはばらばらに吹き飛び、周囲を花弁のごとく舞う。
そのうちの一ページを、重機が手に取る。
「第9章27節、人類は空しさによって争いを生み出し、人類は空しさによって繁栄した。そして、人類は空しさによって」
「滅亡した」
「さすがですお嬢様、暗記なされていましたか」
「たまたま読んでいただけよ」
お嬢様は顔に張り付いた一ページを手に取り、放り投げた。
「さすがでございます」
紙はやがて花弁になり、はるか上に舞い上げられた後、雪のように舞い散る。
「人類の栄枯盛衰は全て空しさが原動力だとでも?」
いつの間にか、棚の柱はすべて収納され、舞い散っていた花弁もどこかへと消えていた。
そんな、人間であれば驚くような状況であろうと、お嬢様と重機は顔色一つ変えず、会話を続ける。
「逆説的に言えばそうでしょう。争いによって生まれた技術は、やがて平和利用により世界を豊かにしました」
「争いを生んだのは、自らの優位性の証明のため」
「しかし優位性は個人の間ではまだしも、民族という形では、優位性を証明することはできなかった」
「結局争いの果てに産まれたのは空しさだけ」
「しかし、その空しさを形成する上で発生したものが、人類を進化させてきました」
「そしてその進化の果てにあったのが、私たち」
お嬢様の顔を反射するまでに磨かれた地面は、彼女の顔を彼女の瞳に映す。
画用紙のように白い肌、病人のように白い髪の毛、そして虹色に輝く瞳。
そして彼女が振り向いた先にいるのは、八脚型の、前後左右どこから見ても形状の同じ重機。
「進化の果てにあるのは衰退です。彼らは進化しきったのでしょう」
「そして私たちという、新たな存在を生み出し、滅亡したのね」
「さようでございましょう」
「……私たちも、そうなるのかしら」
「と、申されますと?」
「人類と同じように、私たちも動かなくなるように進化して、やがて滅びる……のかな」
お嬢様はそのような不安を抱えた。
人類によって作られた存在が、人類に似たような行動をとったとしても、何らおかしいことではない。
彼女は、そう思えた。
「どうでしょうか? 我々は形こそ違えど、差別はしない、優位性の証明も行わない。人類が抱えていた問題点はすべてクリアしています」
「そうだろうか」
「そうですとも。たとえお嬢様が、人間を精巧に模して造られた人形であっても、我々は貴方を迫害することも、貶めることもございません」
「そうか」
誰もいない都市、ただ生産されるだけの世界。
無限に拡張を続ける都市を眺めながら、彼女はつぶやいた。
「我々の歴史が、長く続くことを祈ろう」
機械のお嬢様 軽沢 えのき @gackman
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