プロレスのおじちゃん 🏋️‍♂️

上月くるを

プロレスのおじちゃん 🏋️‍♂️





 ときはバブル経済真っ最中の1980年代後半。

 折からの観光ブームで全国民が移動したがった。


 ある空港の通路の行列がふっと途切れたとき、カリスマのオーラが近づいて来た。

 縦横ともに図抜けたボディをダークなスーツで堅め、赤いマフラーを巻いている。


 

 ――あっ、プロレスのおじちゃんだ!!ヾヾ(@⌒ー⌒@)ノノ🏋️💪💪💪💪🏋️‍♀️



 長女の声を聞いたスターは長い顎の上の目を細め、にこやかに手招きしてくれた。

 モジモジしている次女にもおいでおいでをすると、ふたり一緒に両肩へひょいっ。


 

 ――おおっ!!(*^▽^*) 🏋️🏋️🏋️🏋️🏋️🏋️🏋️💪💪💪💪🏋️‍♀️🏋️‍♀️🏋️‍♀️🏋️‍♀️🏋️‍♀️🏋️‍♀️🏋️‍♀️



 どっと歓声がわき起こり、アントニオ猪木さんは気軽に笑顔をふりまいてくれた。

 はじめての沖縄旅行の娘たちの一番の思い出は、プロレスのおじちゃんになった。




      🤡




 素早く歳月が流れ、娘たちが巣立ったあと、ヨウコはスポーツジムへ通い出した。

 キックボクシング(ムエタイ)はアマチュア全日本金のトレーナーが師匠だった。


 スタジオレッスンに参加するうちに、自然に大河内組なるファンクラブができた。

 大河内師匠の指導はきびしく、女性にも手加減しないところに却って人気が出た。


 ハロウィンやクリスマスなどのイベントレッスンは打って変わってお茶目になり、プロレスの被り物を持参し、アントニオ猪木さんの物まねなどで楽しませてくれた。


 コロナが流行り出してから密室でのスタジオレッスンは中止になったが、管理職に叱られながらもパフォーマンスを披露してくれた師匠を生徒たちはいまも懐かしむ。




      🧣




 力道山さんやジャイアント馬場さんらとともに、この国のプロレス界を牽引されたアントニオ猪木さんの訃報に接したヨウコは、ひとり遥かな思い出をたどっている。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プロレスのおじちゃん 🏋️‍♂️ 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ