恋文「月の光」

麻生 凪

揺蕩う月

・・・下弦の幻影・・・


諦められずに手を伸ばして

すり抜けたものに想いを馳せる


元々無かったものなら気にならないのに、あったはずのものを忘れてしまうことは難しい。そして一度落としてしまうと、いくら捜しても見つからなかったりする。そのうち何を捜していたかも見失って、何かが足りないという想いだけが手の中に残る。そうなってしまうと曖昧な願いは曖昧なまま、叶うことなくそらに吸い込まれ消えていく。結果、ありもしない偶像に手を伸ばし、届かないことに安堵する。


欲しくても手を伸ばすのを諦めた苦しさと

一度手にしたものを諦めようとする苦しさ



ぼくを弱気にさせるのは

逢えない日々がながいからか


それとも


今夜の片割れ月がやけに

もの悲しくみえたからなのか



地球ほしが隠した断片を辿るかのように

指先できゅうを描く



求めていないフリをしながらぼくは


誰よりもそれを

欲していたのかもしれない





・・・朔月・・・


漆黒のヴェールに呑み込まれそうな朔の夜、君の言葉を思い出した。


『求めるものなんて なにもないの』


あの時君は笑っていたけどさ、ぼくはその心魂を、見極められずにいるんだよ。


わがままにはなりたくないと思いながら

わがままでいたい矛盾……


届いたことばが妙に胸に刺さる。


年齢を重ねる度に何かに没頭する時間は減っていく。そうやって少なからず、何かを諦めながら時間を過ごすことが当たり前になると、望みは知らずと小さくなってしまうのか……


いや、そうではない。

君のあの笑顔には……


おもう新月、裏を返せば朔、失意の暗闇。

誰かが笑い誰かが泣く、そんな夜がまたやって来る 。


月のない夜はやけに星が近い。

一筋の流れ星を合図に、満天の星々が歌い出す。


流れた星は、誰の涙か……



夏が苦手だというのには理由わけがあるんだ。


君には未だ、話せていないがね。





・・・三日月・・・


メールの着信音に揺り起こされた。

海風オンショアが運ぶ、ほんのり湿り気のある潮のかほりに絆されて、知らぬ間に眠ってしまったんだな。

そうだ、書きかけの一文に迷っていたんだっけ。ここの情景描写が少しばかり重いと。

窓越しの三日月のように、げる言葉はないものかと。


まあそれはいい、今はいい。

兎にも角にも君からの便りに心が逸る。


『素敵な言葉が嬉しくて、いつも楽しみにしているんですよ』


なんと…………

にやけてしまった。


「脳裏になぜだかね、あのきゅうを背もたれに、のんびりと、天の川に釣糸を垂れるぼくの姿が浮かぶんだ。目深に帽子をかぶって」


『それではまるで、スナフキンね』

「ああ、君にほめられて嬉しくてさ。彼のように……」

『孤高の詩人。憧れ』

「分不相応なのは承知の上だがね」

『あらあなたの詩、わたしは好きよ』

「……ありがとう」


『ふふっ、ところでさぁ、スナフキンはね』


「ん……?」


『釣り上げた魚に……なにをあげるねかしら』





・・・上弦の月・・・


囁き

声にならない聲

喉の奥で生まれる甘い呻き


君の汗ばんだ曲線を

ぼくの指が辿っていく


少し目を細めてみる


上弦の仄かな灯りが

ぼくを窓辺へといざな



洋上のグランドピアノ


君が奏でる小夜曲ナハトムジーク



波打つ欲が音となり

互いの身体に流れ込む


そうして


いつの間にか言葉は姿を消し

溜息となった呼吸を繰り返すだけ



ぼくは君だろうか……

躰の中にあった感情たちが

次から次と熱を帯び色彩の中に融けていく


君はぼくだろうか……

貌も分からぬ程に

濡れた吐息に耳を澄ませながら瞳を閉じる



そうやってぼくたちはゆっくりと


互いの温もりの中に堕ちていった





・・・観測者・・・


龍魚之満月スタージャンムーン

生ぬるい雨を纏ったまま

その勇姿を晒すことなく

九天のそらを悠々と游いでいるのだろう


なんて浸りながらさ


こんな夜更けに聴く曲がやけに沁みてね


– Clair de Lune –

ドビュッシーは美しい……



現れたな

へへっ、粘った甲斐があったよ


パチリスマホで写真を撮って

君のメールに送ったけれど

君がこいつを観るころにはぼくは

死んだように眠っているのだろう


左の口角を気持ち上げて


チョッピリ誇らしげにね





・・・Moon Lightning ・・・


Stay open. Who knows ? Lightning strike.

『心を開いていればいつか稲妻に打たれる』


むかし観た映画の台詞よ。

憧れながらもね、諦めていた言葉だったんだ。


ふふっ……あなたの何処が好きかって?


其処が好き、此処が……なんてさ、ことばでは、上手く表現できないよ。



微睡みのなか目を閉じたまま、


ぼくの腕を引き寄せ顔をうずめると、


含羞はにかみながらゆっくり君は呟いた。



こうしているだけで幸せ……では


不十分かしら?





・・・新月・・・


さてと

今宵の月に何を願おうか


何が欲しいかも分からずに

何かが欲しいと手を伸ばす


まるで

こどものように



『これ以上を望んだら……』


月の位置さえわからぬ暗闇に

君のこえが響いた


『何かを失う気がして』


うしなう?


『よく言うでしょ』


等価交換……

ってことかい?


獅子座レオの新月ってね……すごく強いのよ』


でも……



『わたしはね何ものぞまない。だから……

あなたもそうして』





・・・言の葉・・・


揺蕩たよたきみたおやかにしたたか……


全てが伝わる言葉はつまらない?


君が隠したことばの意味は

永遠に謎なのかも知れない


…だけれど


ぼくが言葉に隠した意味は

君にはちゃんと届いている


と思ってる



言葉には

温度や色がある


君にはかけひきなしの言葉が

何色に見えているのだろうか



空に向けて放り投げた言葉達は


水溜りの中の澱んだ雲を割って


月の通りみちをつくったけれど


なぜだかぼくは

足元にできた浅い空をバシャリと踏みつけた





・・・夜の果て・・・


頁を捲る音がやけに鼓膜に響くのは、黒が無表情で手渡してくる静けさのせいでしょうか。その静寂は知らずとぼくを、夜の果てへといざなうのです。


夢の果て

くすぶる思考が眠気と混ざり、酸素不足の脳が見せるものは、みぎわに佇み、困った笑みを浮かべたまま、曖昧な問いを投げる君の横顔。


「この果てに見えるものって何かしら」


ありきたりな答えを書きそうになったぼくは、慌てて解答欄を黒く塗りつぶし、笑ってみせるのです。


何かを変えたくても

そのナニカが分からないままだから


サイコロを振った先はいつも

……『フリダシニモドル』……



いつまでこうしていればいいのでしょうか


これは君の声なのか

それともぼくの聲?


開かない銀幕

演目はひとり芝居


狐疑的に 懐疑的に 猜疑的に


誰もいない舞台の上で

微かに届く月明かりを頼りに


溜息混じりにいくつもの配役を

声色を変えながら演じるのです



嗚呼……

風凪にかわる真夜中の一寸


この夜の果て 夢の果てに


淡い淡い暗闇が

揺れる水面で魅せるものは


おぼろげに笑うきみの仕業でしょうか





・・・名もなき月・・・


今宵の月を

君も観ているだろうか

あんなに輝いて見えるのは

秋が訪れたせいなのだろう


こうなることは覚悟していたこと、君が全てを打ち明けてくれたあの日から。こころを決められなかったのは自分なりの終止符を打っておきたかったんだ。妻と娘を失った悪夢のようなあの夏に。


君への決意を盤石なものにするために……


すまない、これは言い訳だね。



転勤が決まりました

凄く遠いところです

一緒に行きます

どうか思い出を下さい

あなたとの最後の夜の



今まで君は、愛を忘れてしまったぼくに、代償を払ってまでも寄り添ってくれていた。


『我が儘にはなりたくないと思いながら、わがままでいたいなんて矛盾を抱えているの』


知らずと君の、あの日のことばが鼓膜に響く。


あぁわかっている……

いくら後悔しても今更叶わぬことは。


最後に、

ふたりだけの思い出をつくろう。





・・・月の雫~こぼれ桜・・・


『一生忘れないよ』


嬉しそうに君が微笑むものだから、喜ばせようとしたぼくの方がなんだか嬉しくなった。


月に照らされた頬をさくら色に染めて、宇宙そらを見上げる君には、この時間も全て無かったかのように、夜に呑み込まれると分かっているのだろうか。


想いに想いを重ねることができるのだから、

ぼくは人間って素敵だねと思うのだけれど、

それは捉え方次第で、

憎しみに憎しみを重ねることもできるから、

人は醜いなとも思う。


一生忘れないよ……に、厳しい顔を重ねられていたらきっと、悲しくなってしまったんだろうな。



『風が止んだね。ほら見て、海に映るお月さまがあんなに綺麗』


揺れる髪を押さえていた手を離し、指さすその先には、中秋の名月が水面にゆらゆらと浮かんでいた。


『掬えたら、いいのにね……』


真っ直ぐ伸ばした君の手が、虚しくあえぐ。


「一緒にやってみようか」


『ごめんね』


精いっぱい差し出した君の手のひらに、ぼくの掌をそっと添える。

掬える筈もない揺蕩う月が、やけに遠くに感じた。


『ごめんなさいね……』


繰り返し君が言う。


『なかったことにしては、いけないから』


押さえきれない感情が、大粒の涙となって君の頬を伝った。


悪いのはぼくの方なのに……。



「ありがとう」


辛うじてぼくはこぼれ落ちてしまう前に、

指先で掬うことができた。


その雫は、

桜の花弁のように儚く、可憐だった。



「話したいことは山ほどあるんだ。……が、何から話してよいか」


『いいのよ』


「なかなかに出来なくてね」


『あいにきてくれただけで……』


「毎日でも会いたかった」


『わかってた。……ありがとう』


はらはらと舞う君の欠片たちが、

ぼくの指からすり抜けるようにおちていく。



「本当はもう、君を繋ぎとめるが見つからないんだ」


『いいの、わたしではあなたをみたせないもの』


貌を無くしてしまいそうなそれを、

ぼくは美しいなと想う。


君を前にことばが出ないのは、

君に届かないと分かっているから。




『さようなら』


満月の夜、


散りゆく桜のように君が笑った。



……了







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