ある日山に行ったら全長16メートルのマッコウクジラが転がっていた
長埜 恵(ながのけい)
第1話
「助けて」
「うわ喋った」
ある日山に行ったら、全長16メートルのマッコウクジラが転がっていた。クジラは見るからにぐったりしていたが、ギリギリ喋る気力はあるらしく、私に向かってヒレをばたつかせた。
「海に帰してください」
「色々言いたいことも聞きたいこともあるけど、とりあえず無茶過ぎるよ。今いる場所、海抜より標高で表されるとこよ?」
「え? ここ海岸じゃないんですか?」
「うん。山」
「山って何?」
「そうだよね、普通クジラとして生きてたら山知らないよね。まあそもそも普通のクジラだったら喋らないんだけど」
「もしやクジラと喋ったのは初めて?」
「よくあることなの?」
クジラは返事の代わりにヒレをバタバタさせた。だからどういう意思表示なのよ、それは。
「道理で体が辛いわけです。海岸じゃなかったらそりゃなぁー」
「海岸でも体の辛さは変わらないと思うよ。陸は陸だもん」
「山圧とかあるんじゃないんですか?」
「水圧みたいに言う……。無いことは無いけど、海ほどじゃないかな。一般的な人間は百メートルの水圧で大変なことになるけど、標高百メートルぐらいならちょっとした登山ぐらいのもんだし」
「百メートルの水圧で大変〜? ぷぷー」
「マウントを取るんじゃない」
マッコウクジラは、水深千メートルでも易々と潜ると言われている。っていうか、ここで干からびそうになってる分際でよくマウントを取れたものだ。
クジラは相変わらずビチビチしている。だけど、心なしかさっきより元気が無い気がした。
「ところでお腹が空きました。ご飯持ってませんか?」
「さっきからちょいちょい図々しいのは何なのよ……。あるわけないでしょ。ここ山よ?」
「山に魚とかイカはいないんですか?」
「イカはいないけど、魚なら」
「じゃあください」
「でも私釣り道具とか持ってないし……」
「ああ、勿論そこまでご厄介になるつもりはありません。魚のいる場所まで連れて行ってくれたら、あとは自分でやりますんで」
「だからそれが一番厄介なんだってば。あなた自分の大きさどれぐらいかわかってる?」
「わがままボディ」
「余裕でその範疇は超えてんのよ」
とうとうヒレが動かなくなる。一瞬力尽きたのかと思ったけど、単にしょんぼりしただけらしい。
「暇〜」
こんな危機一髪によくそんな言葉が出たものである。
「海にも帰れない。食事もできない。だったらここで干からびるまでボーッとするしかない。暇〜」
「死に面してるってのに悠長だね。そういやあなた、どうやってここまで来たの?」
「あ、それはアレです。テレポート」
「テレポート? クジラってテレポートできるの?」
「できるわけないですけど、なんか自分はできてしまいましたね。その他にもテレパシーとかできるんですよ。すごいでしょ」
「ああ、今喋ってるコレ? すごいはすごいけど……にしたって、なんでテレポート先に山を選んだの?」
「山と知ってたら使ってなかった」
「そりゃそうか」
どうやらテレポート先は選べないらしい。不便だなぁ。
「だったらもう一回使ってみたらいいんじゃない? 選べないにしても、何回かやってたらいつか海に帰れるでしょ」
「でも帰った所で知らない群れに遭遇するのも微妙かなって」
「いやなの?」
「一人の孤独より集団で味わう孤独のほうが辛くないですか?」
「知らんわよ。いやわかるけど」
案外クジラはデリケートな生き物らしい。
「だったら、もういっそここで暇潰しをしながら干からびてもいいかなって」
なんの悲壮感も無く、クジラは言う。
「見たことない景色見るのも、知らない音が聞こえるのも楽しいし。こんなの、普通にクジラとして生きてたら絶対に知らなかったでしょうから」
――空を覆い尽くそうとせんばかりの枝葉からは陽がこぼれ、落ち葉の積もる地面に光を落としている。遠くからはキビタキの声がして、木々を抜けてきた肌寒い風が秋の匂いをさらった。
ああ、このクジラはこれら全てを今初めて感じているのだ。私にとってはごく当たり前の光景を、こんなにもまっさらな目で見ているのだ。
少しだけ、私はクジラのことが羨ましくなった。
「……あなたが死ぬまで、一緒にいてあげてもいいよ」
「そんなこと言って、いの一番に食べたいだけでしょう」
「それがクジラを食べることに関しては国際的な議論があるのよね」
「そうなんですか?」
「まあ日本人は頑なに食べるけど……」
「食べるんだ……」
とはいえ、山間に落ちてた超能力付きのマッコウクジラを食べる勇気は私には無い。よって私は近くの木にもたれながら、不思議なクジラととりとめのない会話を楽しんでいた。
ある日山に行ったら全長16メートルのマッコウクジラが転がっていた 長埜 恵(ながのけい) @ohagida
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