天使(1名):5,000円/月

アミノ酸

第1話 天使(1名):5,000円/月

 地球は未開拓惑星の中でも青く美しい星として人気だ。

 そんな地球で「あるもの」を手に入れなければならないのだけど……、ハッキリ言って不安だ。

『まもなく、目的地に到着します』

 ようやく終わる船旅と失敗できないプレッシャー、ほんの少しの好奇心が地球の重力も相まって胃袋をグッと持ち上げる。

 到着は予定通り深夜0時。人気のない小高い丘の上で宇宙船の高度を下げ、いざ地球へ。

 人はいないと思い込んでいた。こんな時間なら大丈夫だと信じていた。

 浮遊するための白い翼も、その動力源である頭上に浮かぶ光輪もつまびらかに。

 宇宙船から堕ちてくる瞬間を目撃されてしまった。

「てめえ! 天使がUFOから降りてくるんじゃねえよ!」

「ツッコむところ、そこなの!?」

 航行中に目を通した資料によると、日本の高校生は異世界や超常現象といった非日常的なものへの順応性が高いらしい。

 だからといって、第一声ぐらいは驚いてくれてもいいじゃない。



 さっそく地球人に見つかってしまった。

 背が高く目つきの悪い青年。サイドの頭髪を後ろに流しつつ、前髪でボリュームを作るその髪型は成人の証なのかな。

 つい取り乱してしまったが、気を取り直して異星人らしく堂々と振る舞わなくては。

「随分と立派な髪型だな。早速で悪いが地球を案内してもらえるか?」

「ああん? てめえ、呑気に人の髪型にいちゃもんつけてんじゃねえぞ」

 ジロジロと私の身体を舐める様に見て、今にも噛みつきそうな鋭い牙を覗かせている。めっちゃ怖い。泣きそう。

「こんな夜中に女一人で危ねえだろ! ここは最近変質者が出たって騒がれてんだぞ! 明日JAXAでも米軍基地でも連れてってやるから今日はオレの家に来い!」

 一方的に捲くし立てると男は舌打ちをして、着いてこいと背中が語る。

 出会って5秒で食べられてしまうかと思った。見てはいないが映像資料にそんなタイトルのものがあった気がする。あれは地球人との挨拶に関しての資料だったのかな。後で確認しておかないと。

「おい! ちゃんとUFO仕舞って来いよ! 騒ぎになんだろうが!」

「……順応性が高すぎるよ!」

 地球は未開拓惑星じゃなかったの? 頻繁に宇宙人が訪れていて共存しているの? ファーストコンタクトでマウント取れなかったらもう無理なんだけど。



 連れて行かれたのはごく普通の2階建ての一軒家だった。

 男の「ただいま」という声に返答はなく、何も言わずにリビングに通される。

「腹減ってねえか? 宇宙人はカップラーメン食えんのか?」

「……知らないけど、興味はあるな」

 おへそに力を込めて胸を張り、堂々たる風格を保つ。娯楽についての資料は潤沢だけど地球の食文化は謎に包まれている。かっぷらーめんとは一体なんだろう?

「地球人、私のような異星人は珍しくないのか?」

「ああん? 珍しいに決まってんだろ。っていうか宇宙人ならもっとわかりやすく触覚生やしたタコみたいな格好するか、銀色で目がデカくねえとわかりづれえんだよ。 大体何しに地球に来やがった! どうして欲しいのかハッキリ言えや、ゴラァ!」」

 眉間に皺を寄せ、しゃくりあげるような睨みをきかせながら洗い終わった食器を棚に戻していく。日本の成人男性は家事をしないと資料には書いてあった。

 常に攻撃的な雄としての本能が家事という集団内での役割と両立しているところをみるに……、さてはこの男、ボスではないな。

 ピピっとタイマーが鳴り、男は器にお湯を注いで長い棒と一緒に私の前に出してくれる。

「とりあえず、これ食ってろ」

「……ありがとう」

 嗅いだことのない良い匂いと温かな湯気に口元が綻ぶ。

 じっと眺めていると長細い棒を二本取り上げ、代わりにステンレス製の道具を出してくれた。中に入れてクルクルと巻き取って食べるらしい。不思議だ。

「何してんだ、早く食ってみろ。飛ぶぞ」

 どこに? フーフーと冷まし、ビロビロと長いかっぷらーめん?を口にする。

「ぐばあ! おえっつっ。だばあああ!」

 口に入れた瞬間に身体が拒絶するほどの即効性の毒。すっかり騙された! 地球人め!

「何してんだてめえ! 具合でも悪ぃならちゃんと言えや!」

 コップ一杯の水を差し出し、色のついたお湯でべちゃべちゃの床とテーブルを拭いてくれる。でも毒入ってた! 死ぬかと思った!

「なに、ばいっでんお?」

 涙と鼻水と涎で顔がぐしゃぐしゃ。口の中がヒリヒリする。

「ああん? 何言っているかわかんねえよ。すげえ猫舌なのか? それとも塩味が気に入らねえってのか?」

「……食べ物を粗末にするだあああ!」

 やはり未開拓惑星は恐ろしい!遠い星では想像のつかない文化が生まれていた。

 私達が手に入れるべく苦心していた「あるもの」を食事に利用していた!

 まさか地球では「塩」を食べるなんて!



「蘇芳! さっきからうるさい! 明日の大学は一限からなんだぞ!」

「うるせえ! だったらゲームしてねえで早く寝ろや!」

 足音で何かを訴えながら、もう一人の地球人が現れる。

 眼鏡をかけた女は男よりは小さいものの私より頭一つ分は大きく、地球人の想定以上の体格の良さを前に、武力での侵略行為は諦めざるしかない。聖具を使えば何とかなるだろうが乱用は出来ない。

 それにしても地球人はみんなこんなに大きいのかな……。凶暴すぎるから未開拓惑星のままなんじゃないの?

「え、誰これ。蘇芳の彼女? なんで天使のコスプレなんかしてんの?」

「ちげえよ。宇宙人だ。高台公園で拾ってきてカップラーメン食わしたら吐きやがった」

 バシッと男の頭を突然叩き、女は私に駆け寄って抱きしめる。胸も大きい。

「馬鹿野郎! 拾ってきたなら最初はホットミルクに決まってんだろうが! こんな可愛い子に深夜のカップラーメン食わせてんじゃねぞ! てめえ、ダイエット舐めてんじゃねぞ、ゴラァ!」

「いや、別にダイエットはしてないんだけど……」

「うるせえな! 美味いもん食わしてやりてえだろうが! 初宇宙人だぞ! 地球の主食がホットミルクだと思われたらどうすんだ!」

「いや、むしろ塩を食べてることに驚いてるんだけど……」

 二人で言い合いながら、今度は暖かいミルクを出してくれた。ミルクを食用としている共通点にはホッとするけど、別にお腹が減っているわけじゃないんだけどなあ。

「天使ちゃん、服汚れてんじゃない! 洗ってあげるから早く脱ぎな! 蘇芳、染みになる前に早く!」

「ああ、これは気にしないでくれ。すぐに戻せるから」

 あまり無駄遣いはしたくないが、これぐらいなら問題ない。

 ピカッと光輪を起動し両手で回す。服が勢いよく伸縮し胸元に染みついたかっぷらーめんの汚れを飛ばす。

 飛沫がビシャっと男の服に飛び、私の服は元通りの純白に輝いた。

「……さて二人とも、じゃれ合うのはそれぐらいにしてもらっていいか? 本題に入りたいんだが」

「てめえ! 何してくれてんだゴラァ!」

 男に光輪を掴まれフワリと身体が浮いてしまう。

「やめて! それ壊れたら帰れなくなっちゃう!」

「蘇芳! 天使の輪っか掴むなんて、てめえ随分偉くなったなあ、ゴラァ!」

「うるせえ! おい、もっかいこれでオレのTシャツの汚れも落とせやあぁぁ!」



 男は蘇芳、女は紅葉といい二人は姉弟だった。

 なんと蘇芳は成人ではないらしい!だとすると、あの盛り上がった前髪にはどんな意味があるんだろう……。

 ようやく簡単な自己紹介を済ますことが出来て、落ち着いてホットミルクをいただく。この家の牛は随分と濃厚なミルクを出すなあ。

「へえ、天使って大昔に来た宇宙人のことだったんだ。それでミカちゃんは自分の星を代表して地球に来たと」

「ああ。地球と友好的な関係を結ぶ為にな」

 そう、今や宇宙で希少になりつつある塩。それが潤沢にある地球と良好な関係を築くことが私の役目。でも、こんなに凶暴な性格だなんて聞いていない。本当だったら聖具の力を見せて文明の差はわからせるはずだったのに……。

「そんでこれが聖具ってお前らの道具か。服を綺麗にする以外に何が出来んだよ」

 蘇芳が私の頭から光輪を奪い、指でクルクルと回す。

 あれが無いと宇宙船が動かせないので私は星に帰れない。しかし弱みを握られていることは知られたくない。だけど乱暴に扱われる光輪に気もそぞろになる。

「それには地球の数百年後のテクノロジーが詰め込まれていると思ってくれ。絶対壊すなよ。いいか?絶対だぞ」

 日本では強く意思を示す時は繰り返して強調するらしい。絶対壊さないで!っていうか返して!

 蘇芳と紅葉は目を合わせ眉をしかめるが、指先の光輪はゆっくりと速度を落とし、私の頭上に戻された。下手に出なくて良かった!

「これがあれば、そうだな……。さっきのように物を清潔に保つことができるし、周囲の気温や湿度がコントロールできる」

「ってことは洗濯機やエアコンがいらねえってことか!」

「あと食事や排泄も必要なくなるな。楽しみとして何かを口にすることはあるが基本的に私達は口にしないし何も出さない」

「ってことはゲームしてる時にお腹減らないしトイレに行きたくもならないのね!」

 二人の視線が頭上で交わっている。今まで以上に獣の様な眼光で光輪を狙っているのが隠せていない。

 これはチャンスなのでは……?

「……実は『あるもの』をくれたら、友好の証としてこの光輪を貸してあげることが出来るん」

「「詳しく聞かせろ!」」

 紅葉に後ろから抱き締められる。髪から甘い匂いが漂っているが、隠す気のない欲望のせいで怪しく香っている。

 蘇芳に真正面からにじり寄られる。五感がストレートに叫んでいる。言うこと聞くから痛くしないで!と肌が泡立つ。



「それで君の報告は終わりかい?ミカエル」

「……はい、主様」

 宇宙船から仮想空間に繋いで母星への経過報告をする。蘇芳と紅葉を伴って。

 ありありと伝わってくる。正面の主様からの落胆が。後ろの二人からの悪だくみが。

「なあ、主様よお?結局このミカエルからは『塩』がどれぐらい欲しいのか聞けなかったんだが、どんだけくれてやればあんたらの聖具を貸し出してくれんだ?」

 蘇芳が私の光輪を握ってみせる。感覚が同期しているので頭を鷲掴みされている気分だ。もっともこの緊張感のせいで最初から心臓をキュッとされている心情なので今更なんだけど。

 ハアと深く溜息をついて主様が蘇芳に応じる。

「ミカエルからどう聞いているかわからないが聖具を貸し出す、というのは難しいよ。本来地球にはまだ存在しない技術だからね。君たちが使いこなせず地球が滅んでしまう可能性だってあるんだ。とはいえ、私達が地球の塩を欲しているのも事実だ」

「ミカちゃんから聞いたよ。あんた達にとっての塩って地球で言うところの原油みたいなもんなんだってね。どこの星もエネルギー問題に頭を抱えているんだねえ」

 紅葉が私の肩に手を乗せる。いたたまれなさで顔を上げられないでいるけど紅葉が狡猾に口を歪めているのは想像できる。

「わりいけど面倒な駆け引きは苦手なんだ。例えばこの塩の量でどうにか聖具を貸してもらえねえもんか?」

 鞄からドンと塩が大量に入った袋を床に置く。食用にするぐらいだから生活に密接しているとは思ったが、こんな大量の塩をすぐに用意できるなんて!

「そうだね……。ちなみにその十倍の量を毎月用意してほしい、って言ったらできるのかな?」

 蘇芳と紅葉が後ろで何やら相談をしている。

「なあ、これいくらしたんだ?」

「さっきスーパーで買ったけど500円ぐらいだったと思う」

 コソコソと打ち合わせをし、紅葉が咳払いを一つ。

「私達は毎月この十倍の塩をあんた達に渡すよ。約束する」

「素晴らしい!これからも君達とは仲良くやっていきたいね。でも、さっきも言ったけど聖具そのものは貸し出せないよ。その代わり……」

 主様の言葉が途切れる。数瞬、三人の思惑が理解できた。

 顔を上げると主様の優しい微笑みがこちらを向いていた。

 後ろでは二人の地球人が歓迎の印に握手を求めてきた。

「しょっぱい顔してんなあ。悪いようにはしねえから安心しろよ」

「よろしくね、ミカちゃん。蘇芳が何かしたら私がぶっとばしてあげるから」

 私は毎月5,000円の塩で地球に派遣される。

 やはり今はサブスクリプションが主流らしい。



「おい、ミカ! 道わかってねえんだから前歩くんじゃねえよ!」

「遅いぞ、蘇芳。桜が散ってしまう」

 せっかくなので地球のこと、日本のことを学び、私自身が友好の証になるべく蘇芳の通う高校にミカという名前で留学することになった。資料にあった女子高生の制服。袖を通してからというもの、春の陽気も手伝ってつい笑みが零れてしまう。

「それにしても、みんなこちらを見ているな」

 視線は合わないが、同じ制服を着た学生をはじめ行き交う人々がこちらを、というよりは蘇芳を気にしている。

「チッ、いつものことだ。気にすんな」

 この見た目でこの口調。少し一緒にいれば悪いやつじゃないのはわかるが、敵を作りやすいし距離を取られてしまうのもわかる。

 地球人は相手を見た目のイメージで9割ほど判断してしまうらしい。蘇芳の部屋にそんな本が置いてあった。

 残念だな、と思ってしまう。相手を見た目で判断するのは簡単だが、コミュニケーションはそんなに簡単なものじゃない。だが、それを未開拓惑星の地球に求めるのは酷なのかもしれない。

 そんなことを考えながら高校の敷地を跨ぐと、何やら歓声があがる。

 数名の生徒がこっちに走ってくる。

「おい、蘇芳!また俺達また同じクラスだぞ!」

「お前、謹慎明けにこんな可愛い女の子と登校してくるとか反省してねえな」

「うるせえんだよ、おめえら!ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」

 あっという間に友人に囲まれた蘇芳はうざったそうにそれを振りほどくが、馴れたものなのか周りもそれを気に留めない。

 同級生よりも頭一つ大きく奇妙な髪型であることに間違いはないが、蘇芳は年相応の男子高校生だった。

「なんだ、地球にもいるじゃん。わかってくれる人が」

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