太陽を宿した妹(仮題)

宮古遠

太陽を宿した妹(仮題)

 

     一



 死んだはずの妹の腹が埋葬の日に膨らんだ。太陽みたいに暖かな光を突然周囲に放ちだした幼い妹の腹部には、いま、赤子のようにして、なにかが漠然と巣くっている。初潮すら迎えていない妹の子宮内部にてどうしてそのような類いのものが這入り込み、いや、芽生えたのか。それは誰にもわからない。わからないが、わたしは漠然とした思いで、それに「原子爆弾」と名付けた。

 原子爆弾を孕んだ母親―――わたしの妹は、どこまでも生きているように見えたがいまだ眠ったままである。数日経っても死臭はせず、血色ばかりがやたらといい。やはり生きている気がする。が、呼吸はない。「妹は死んだ。死んでいる」―――わたしは反芻の末に思う。

 原子爆弾を孕み「朽ち果てる」を止めた妹をどうするか―――父母も、わたしの親戚も、村の人々も、その扱いに困っていた。秘密裏に処分してしまうか、神を孕んだ曰く付きの代物として崇めるか―――議論は絶えず、さらに数日が経った。そうしてある日、黒服の連中がやってきて、妹の身体を奪っていった。村の人々を皆殺しにした。

 殺戮だった。そこには死、ばかりがあった。わたしの父も、母も、村に住む色々の人々も、やってきた黒服の連中が用いる機関銃に撃たれ、死んだ。嬲られ、無惨に棄てられた。わたしの故郷は破壊され、燃やされ、消えてゆく。それに抗うことはできない。

 暴力による圧倒は当然、わたしにも襲いかかる。雨の中、必死に村の奥深く、崖の上にまで逃げ出したわたしは、彼らの与えうる「死」―――という現実の行使をせめて拒絶しようとした。脳裏に死んだ妹が浮かぶ。生きていた頃の妹が。まだ生きていて、わたしと外へ遊びに出かける。晴れた日の裏山に出かけて、わたしと追いかけっこをする。草原へ寝転んで、のんびりと青空を眺める。そうして、そうして―――撃ち抜かれた。撃たれ、身体の自由を失ったわたしは崖下―――増水した川の中へとゆっくり、落ちていった。落ちて流れて、滝へ混ざって、ぐるぐると回転をした。「せめて妹と再開したい」思うのが精一杯だった。思って、そうしてわたしは、意識を喪失した。



     二



 わたしは生き延びた。あの日、下流に流れ着いた死にかけのわたしを助けたのは或るスナックのマスターだった。マスターは身寄りのないわたしを実の息子みたいに育ててくれた。それはわたしの支えになったが、それでもわたしは空虚だった。あの日以降のわたしの生がどうしても醒めない夢に思えた。

 わたしは生活をしながら、弔うことのできなかった妹のことばかり考えた。幼いばかりに力のなかった自分の傍観を夢に見、虚しくなった。虚しさによって目覚め、空虚を抱えて生きるわたしは、妹がどこにいるかを悶々と考え続け、想像をするが、なにもわからない、それだけがわかる日々を過ごした。

 そんなある日、わたしは妹がどこにいるのかを突き止めることになった。―――というよりも、向こうが居場所を知らせてきた。

 妹は太陽になっていた。

 ある島の研究施設で。

「ついに融合炉を完成させた」科学者はテレビで発言をした。「これにより我が国は、使用するエネルギーのすべてを、いや、世界のすべてのエネルギーを、これでまかなうことが出来ます」―――いかにもなマッドサイエンティストらしき男。見覚えのある男。黒ずくめの中にいた男。公開された融合炉の輝きは、まさしくあの日みた、妹の「原子爆弾」の輝きだった。

 映像を眺めるわたしは、人々が自由な生活のために妹を犯すさまを想起し、怒りに心理を打ちひしがれた。許せなかった。そして思った。この世界から妹を救えるのは、このわたしだけだと。



     三



 数ヶ月後、わたしは単身、孤島の施設へと潜入した。その舞台に対し、おあつらえ向きの装束で立ち向かおうと思ったわたしは、いかにもなスーツを身に纏って戦闘員たちと闘った。マスターと特訓を積んでいたわたしは次々とそれらを倒してゆき、そうした挙句に、わたしは、とうとう妹と対峙をした。

 妹の腹は、異様な大きさになっていた。磔にされた妹の身体は、死んだときのまま美しかった。腐敗することもなく、朽ちることもなく、眠っているかのようにして、自分の腹を膨らませていた。腹ばかりが肥大し、下の空間に広がって、その中に太陽が、「原子爆弾」がいるのがわかった。その温かみはとても穏やかで、やさしさばかりがあった。

 わたしは満身創痍だったが、妹を弔ってやるべく、妹を自由にしてやるべく、妹のその腹へめがけて全力のパンチを繰り出した。腹パンである。例のマッドサイエンティストの「やめろ」という声が背後に聞こえたと思った刹那、妹の腹はもんどりうち、そして裂けた。

 瞬間、凄まじい光が溢れ、わたしや、博士、戦闘員たちの顔がぶるぶるとふるえる景色が生じた。そして、渦中にあるわたしは、音も、何もかも感じられなくなり、それらに包まれるまま真っ白になって、意識を消失して―――



     四



 そこまでだった。

 そこまで映像が流れたところでビデオテープは最後に至り、最後まで来たテープは当然、自動巻き戻しになった。骨箱を抱え座るわたしは、自動巻き戻しの音と、骨壺の中から聞こえるカチコチとした時計の音とが薄暗がりの部屋の中でぼうっと混ざり響くのを聞きながら、テレビ画面に表示された「ビデオ2」を眺め続けた。

 これは映画だ。

 わたしが撮影をした「映画」だ。

 わたしには確かに妹がいた。いたが、妹は死んだ。妹は子供を孕んで死んだ。年上の恋人に棄てられて、その悲しみから裏山にある崖から身投げして死んだ。哀れな妹だった。そうなるとわかりきった恋だった。かわいそうな妹だった。かわいい妹だった。

 劇中の妹は、妹であって妹でない。当時無名の役者さんが演じてくださった妹「らしきもの」だ。その存在が映像の中でわたしの物語に生きていたのだ。その人がいたからこそ、わたしはこの映像を撮れた。映画らしきものを撮れた。撮れたが―――もう、続きは撮れない。その人も死んでしまったから。現実で死んでしまったから。

 あっけない死だった。交通事故だとか自殺だとか、殺されただとかそういうものでない。ただ彼女はいつものように日常を過ごして、家へ帰って、眠って、そのまま起きなかった。そういう死だった。死んで帰ってこなかった。

 いまわたしは、あの日死んだ彼女の焼いた骨を抱えて、ここにいる。葬儀に参列をして、火葬場へ行って、みんなが焼かれた骨を眺めて、ひとつひとつを拾って、骨壺の中へ入れて、袋へ包んだその骨を、わたしは抱えている。何故わたしがその、妹を演じた彼女の骨を抱えているのかといえば、彼女はわたしの妹でもあり、わたしの妻だったからだ。

 以降わたしは、彼女が死んでからずっと、部屋に籠もる日々を続けている。彼女がわたしの妹―――虚構の中に存在するために、現実の妹(わたしの脳内の偶像)を材料として生成された、妹に近似した妹でない別の存在を演じる人になった彼女を、動きを眺めている。たしかに生きていた虚構の彼女を、現実の死を抱えてみている。何度も、何十回も、何千回も。エンドマークのない映画を。



     五



 けれど、終わりは来なければならない。映画は終わらなければならない。エンドマークがあるからこそ、それは映画たり得る。たとえどんなに不格好でも、終わらなければならないのだ。

 だからぼくは、今日、そのシーンの撮影をする。

 最初で最後の撮影を。

「4月11日未明。××原子力発電所に、何者かによって小型爆弾が仕掛けられ、発電所内にあるプルトニウムが―――」

 いま、この、わたしの部屋には、わたしが作った原子爆弾がある。それはまさしくいま、わたしが抱えている彼女の骨壺のなかにあって、それは、わたしがプルトニウムを原子爆弾として精製した後に、彼女の骨と、そこに加えて、わたしの故郷の、寂れた墓の奥底にある自死をした妹の骨とを混ぜて、一緒に納めたものである。

 それをいま、わたしは抱えている。

 彼女はこれで文字通り、現実にも非現実にも、太陽を宿した妹になるのだ。

 ―――時計の音が聞こえる。こちこち、こちこちと、あと十数秒で爆発をするそれまでのカウントダウンが聞こえる。骨箱の中にある原子爆弾の爆発は、わたしと、それ以外の様々を巻き込みながら消えるだろう。それを一瞬間、必ずカメラは捉えるだろう。そんな迷惑な自殺にどうして巻き込まれねばならないのか―――わたしの家の周囲に生き、ただ日常を送る人々は、恐らくわたしに言うだろう。死んでわたしを憎むだろう。殺されてわたしを恨むだろう。だが、それでいいのだ。わたしは消えてしまうのだから。消えてこそ虚構になるのだから。エンドマークに至れるのだから。

 のこり十秒。

 最後の、カウントダウン。

 さようなら現実。幻想ばんざい。

 さようなら幻想。現実ばんざい。

「――――――どかん」

 わたしと、わたしの抱える妻―――虚構世界でわたしの妹を演じた彼女の骨と、わたしの妹の骨は、爆発それ自体を感じる間もなく、原子爆弾の爆発により、瞬く間に消し飛んでいった。わたしの周囲にあったわたしの部屋と、その背後にあったであろう現実世界の光景もまた、天蓋の太陽に照らされて、セットと書き割のようにして、ばたりばたりと倒れていった。

 こうしてわたしの一意識は、一枚の静止画になって終わった。水爆実験や原爆投下時に発生をしたきのこ雲のインサートと、素っ裸の若い男女が性行為をする光景が、爆発のSEとともにさまざま、画面の中で溢れかえった。【終劇】


 

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太陽を宿した妹(仮題) 宮古遠 @miyako_oti

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